記録番号625 ――消えた草むら
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
大阪府東大阪市で起きた一連の出来事について記録します。 625
本文
【以下は、2006年9月に東大阪市布施近郊で発見された携帯電話のメールボックスに残されていたテキストデータを、当時の捜査協力者が書き起こしたものである。映像本体は現在も行方不明。】
9月14日(木)午前2時17分
俺の名前は中村慎也、26歳。カメラマン志望のフリーター。
今夜、俺はひとりで東大阪市の――正確には布施駅から歩いて20分ほど南に下った、もう地名もよくわからない住宅街の外れに来ている。
理由は単純だ。
先週、同じ現場バイトの友達の森田から「あそこの空き地、夜中に誰かいるらしい」と聞いた。それだけだ。ネットで調べても何も出てこない。2ちゃんねるのオカルト板にも、東大阪のスレにも何もない。ただ森田が「深夜に通ったら、草むらに誰かの影があった。でも誰もいなかった」と言い張るから、俺がカメラを持って確かめに来た。
ただそれだけのはずだった。
空き地の入口に着いたのが午前2時ちょうど。カメラは当時買ったばかりのパナソニックのSDムービー。画質は正直悪い。でも液晶モニターを見ながら歩いていたら、白いフェンスの手前の草むらが妙に青白く光っているように見えた。
ライトか?
いや、違う。光源がない。
草が、内側から発光しているみたいだった。
午前2時31分
俺は草むらの手前10メートルほどで立ち止まった。
フェンスの向こうには2階建ての古い一軒家がある。窓がひとつだけ光っている。テレビの明かりか、電球か。オレンジ色じゃなくて、妙に白い。今どき蛍光灯でもあんな色にはならない。
そしてそのとき、俺は初めて気づいた。
影がある。
草むらの真ん中に、人間の影が伸びている。
でも人間がいない。
俺はカメラを向けながら、ゆっくりと後退した。影は動かない。頭の部分が少し、右手を持ち上げているような形をしている。まるで何かを――カメラを――こちらに向けているみたいな。
俺の足が草の根につっかかった。
転びそうになって、俺はカメラから目を離した。
一秒。
顔を上げたとき、影はなかった。
草むらはただ、風もないのにざわざわと揺れていた。
午前2時44分
俺は一度、フェンスのそばまで近づいた。
草を踏みながら歩いていたら、足元に何かが当たった。拾い上げてカメラのライトで照らすと、ボロボロになった写真だった。正方形。フチが黒い。
ポラロイド。
写っているのは、この場所だった。
同じ空き地、同じフェンス、同じ家。でも昼間の写真で、草が今より低い。おそらく春か初夏に撮られたものだ。
そして草むらの中央に、黒い影が写っていた。
昼間なのに。
光源がどこにもないのに、影だけがそこにあった。
俺は写真をポケットに入れた。後で森田に見せようと思った。
このとき俺はまだ、普通に怖がっていた。怖いけど面白い、という感覚。
ブログでネタにしたら小遣い稼げるかな、とか、呑気なことを考えていた。
でもそのあとすぐ、俺は気づいた。
さっきから、カメラのモニターに俺の影が映っていない。
午前3時02分(推定)
ここから先の記録は断片的になる。
書き起こしの担当者注:テキストデータの文字コードが途中から崩れており、以下は復元可能な箇所のみ抜粋したものです。
フェンスの、向こうに、立っている
俺じゃない、俺の影じゃない、でも俺の形をしている
窓の明かりが消えた
草が、足首まで、草が
こっちを見てる、カメラを持って、こっちを見てる
俺も今、カメラを持って――
【後記】
中村慎也は翌朝、自宅に帰っていない。
携帯電話(当時はまだ折りたたみのvodafone端末)は空き地から3ブロック離れた路上で発見された。着信履歴に森田の番号から午前3時11分の発信記録が残っていたが、繋がらなかったとのこと。
写真は、ポケットには入っていなかった。
現場となった空き地は現在、コインパーキングになっている。夜間でも照明が煌々と点いている。管理会社の担当者によれば「なぜか夜だけ、草が生えてくる」という。アスファルトの隙間から。毎週除草しているのに。
中村慎也の行方は、現在も不明である。
「カメラを持った影は、最初から俺のものじゃなかったのかもしれない」
――メール下書き、最後の完全な一文