夏の夜空に、かつての星を探して
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
これは、すでに終わった悲恋(ラブストーリー)の、幸せな続きである。 大賢者の物語も、世界を変えた魔導革命も、前世で愛した女性との別れも――全部、とっくに終わっている。 結果として、大賢者は最愛の妻を救えなかった。 恋をした、ただ一人のために世界を一変させた。だが、どうでもよかった。 得た権威も、名誉も全て、彼女を救うためにやったことだ。 それでも世界は残酷だった。 もう少しで彼女を救えたのに。なのに、間に合わなかった。 大賢者は最愛の妻を救えなかった。それでこの作品(本編)は終わりを迎えた。 だが、物語とは時に残酷なもので。どうやらこの世界は、バッドエンドで終わることを許さないようだ。 妻を救えなかったとしても。彼女の後を追って転生したとしても、この世界は終わらない。 そう――これは、その続きの話(後日譚)だ。 転生した元大賢者、ノルン・ウォルフラーレンは今日もラブコメをする。 前世チートで華麗に研究をこなすと思いきや、素人質問でたじろいだり。 帰宅すれば再会した前世の妻に膝枕される。と思いきや、些細な事でシバかれて逃げ出したり。 翌朝には娘たちにたたき起こされ、振り回される。 かつて世界を震撼させた伝説の賢者の末路がこれである。 この作品に大きな事件は起きない、世界の危機も訪れない。 ただ、何気ない日常のワンシーンをひとつひとつ切り取って並べただけの、ラブコメ風の短編集だ。 前世の物語なんて知る必要はない。少なくともこの世界では、もう終わったことなのだから。
本文
夏の夜の空気は、昼間の熱気を孕んだまま、重たく肌にまとわりつく。
数年ぶりに帰ってきた実家の自室。
使い慣れたはずのベッドに横たわっていたが、どうにも意識が冴え渡って眠れそうにない。
「……OK、AILICE。現在時刻を表示。あと気温も」
小声で呟くと、暗闇の中に淡い光が浮かび上がった。
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現在時刻:AM 02:14
外気温:29.2度
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「二時か……。帰省してまで夜更かしとは、ティーに知れたら小言の一つも飛んできそうだな」
苦笑しながら上体を起こす。
今回は大学の連休を利用した数日間の帰省だ。
ティーと娘たちは、彼女の実家である王宮の方へ顔を出している。
久しぶりに実家で過ごす夜は、静かすぎて逆に落ち着かなかった。
ふと、階下から微かな音が聞こえた。
サンダルが床を叩く、どこか落ち着きのない足音。
俺は部屋を出て、音の主がいるであろう庭へと向かった。
庭先に出ると、そこには赤茶色の髪を乱暴に結んだ少女がいた。
レーニェだ。彼女は大きな望遠鏡の横で、天体図を広げて唸っている。
「おにい? 起きてたんだ」
「こっちのセリフだ。こんな真夜中に何してんだ」
「うん、学院の自由研究が終わらなくて……」
レーニェは望遠鏡を覗き込み、不器用な手つきで微調整を繰り返している。
その姿に、ノルンは千五百年前の光景を重ねていた。
「……貸してみろ」
レーニェの横に立ち、手際よく望遠鏡の角度を調整してやる。
「ほら、見てみろ」
レーニェが恐る恐るレンズを覗き込む。
直後、彼女の瞳が大きく輝いた。
「わ……すごい! すっごいきれい! おにい、この星ってどうしてこんなに青いの?」
「ああ、それはな……」
ノルンは少し視線を上げ、レンズの先に浮かぶ青白い輝きを直接目で追った。
「大気中での魔力散乱の影響、とされているが……だが、かつての言い伝えでは、愛する人を待つ女性の祈りが星になったと言われている。『亡き王女の涙』。それがその星の別名だ。どうだ、自由研究の小ネタになると思うが……」
「……なんだか、ちょっと切ない名前だね」
「切ないか……。そうかもしれないな」
ノルンは少し視線を上げ、レンズの先に浮かぶ青白い輝きを直接目で追った。
前世――彼女が病床で窓から空を眺めていたとき、一度だけこの星の話をしたことがあった。
あの時は「ただの魔力の散乱だ」と、夢も希望もない説明で片付けてしまった気がする。
「おにい、もう一個だけお願い!この時間帯なら『銀狼の尾』って彗星が見えるはずなんだけど、見つからなくて……」
再び天体図と格闘し始めるレーニェ。
その不器用な手つきを見かねて、ノルンがレーニェの代わりに望遠鏡を操作する。
「……できたぞ。見てみろ」
「わあ……こっちは白くてきれい!」
望遠鏡に夢中になるレーニェの横顔を、ノルンは少し離れた位置から眺めた。
普段は騒がしい妹だが、こうして静かな夜に二人でいると、年相応の幼さが際立って見える。
「……おにい、また難しい顔してる。何考えてるの?」
「別に。……ただ、いい夜だと思っただけだ」
重たく湿った夏の夜風が、庭の草木を揺らしていく。
「寒くなってきたな、戻るか?」
「えー、まだ夜は長いのにー」
不満げに頬を膨らませるレーニェだったが、その直後、パタパタという足音が廊下から響いた。
「あら、ノルンちゃんもレーニェと天体観測?」
柔らかな声と共に、庭へ続く扉が開く。
そこに立っていたのは、ノルンたちの母親だった。
手元にあるお盆からは、夏の夜には少し不釣り合いな、けれどどこか安心する湯気が立ち上っている。
「リーゼロッテさん……いや、母さん。起こしたか?」
「おかーさん、起きてたの?」
「レーニェが課題が終わらないって言うから。課題が終わるまで起きてたのよ」
苦笑いしながら、ノルンは母さんが縁側に置いたお盆に目をやった。
そこには三つのマグカップが乗っている。
最初から俺が合流することを見越していたかのような数に、少しだけ気恥ずかしさを覚えた。
「はい、ノルンちゃん。冷えた体にいいかと思って、少し熱めのココアよ」
手渡されたマグカップからは、甘い香りと共に確かな熱が伝わってくる。
レーニェは「わあ、ココア!」と声を弾ませ、さっそく自分のカップを両手で包み込んだ。
一口啜ると、濃厚な甘みが喉を通り、強まってきた夜風の冷たさをゆっくりと溶かしていく。
母さんは俺たちの隣に腰を下ろし、静かな夜の庭に視線を向けた。
「レーニェ、自由研究は進んだの?」
「うん、全部終わったよ!」
レーニェはココアを一口飲むと、満足げに喉を鳴らした。
母さんは「それは良かったわね」と優しく微笑み、俺の方を向いた。
「ノルンちゃんも、手伝ってくれてありがとうね。……なんだか、こうしていると昔を思い出すわね。あなたがまだ小さかった頃、よくこうして三人で星を見たこと」
「何年前の話だよ……」
母さんの言葉に、俺は少しだけ視線を逸らした。
ノルンが今の家族に引き取られたのは、彼が二歳の時の話だ。
不慮の事故で両親を亡くした後、実親の後輩に引き取られた。
当時のことは断片的にしか覚えていないが、義理の両親は俺を実の子と変わらぬ熱量で育ててくれた。
今の俺があるのは、間違いなくこの家で過ごした時間があったからだ。
「王女様も、今頃は王宮で同じ星を見ているかしらね」
「ティーのことだ。娘たちに星の名前を適当に教えながら、賑やかに過ごしているはずじゃないかな」
静かすぎる実家の夜。
だが、手元に残るマグカップの余熱と、隣で「おなかすいたー」と呟き始める妹、そして優しく見守る母の存在が、ノルンの心を穏やかに満たしていく。
「さあ、飲み終えたら今度こそお休み。ノルンちゃんも、明日帰っちゃうんでしょ?」
「……わかってるよ、母さん。今は、守るべきものが他にもあるから」
「そうね。……おやすみなさい、ノルンちゃん」
母さんは満足げに頷き、お盆を持って静かに去っていった。
レーニェも母さんについていった。
ノルンは一人残された庭でもう一度、望遠鏡の先にある青白い輝きを見上げた。
「明日、アイシャとエニシャにも話してやるか」
夏の夜空を彩る星たちの下、重たくまとわりついていた熱気は、いつの間にか心地よい夜風に変わっていた。
ノルンは数年ぶりの実家の匂いに包まれながら、深い眠りへと誘われていった。
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