添乗員(二)
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あらすじ
一話完結・オムニバス(長めの物語)
本文
第一話はこちらです
添乗員(一) | 小説投稿サイト「あいぺん」
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添乗員 (二)
事務所に見知らぬ客が来たのは、午後の光が窓から斜めに差し込む時間帯だった。
ドアを開けたのは男女二人だった。男の方は背が高く、どこか整いすぎた顔立ちをしていた。整いすぎている、というのは、美しいというより「設計されたような」という意味に近い。女の方は小柄で、目がやや大きく、視線に落ち着きがありすぎた。
純はその二人を見た瞬間、なんとなく思った。
——この人たち、ただものじゃないな。
観光客でもない。取材でもない。そういう気配でもなかった。もっと言うと、なんとなく、この世界の人でもない気がした。根拠はなかった。ただ、十五年かけて磨いた勘というのは、時々こういう余計なことを教えてくる。
「予約はされていましたか」と妻が明るく聞いた。
「しておりません」男が答えた。
「突然で申し訳ないのですが、折り入ってご相談がありまして」
妻が純を見た。純も妻を見た。
アイコンタクトの内容は「まあ座ってもらいましょうか」だった。十年来のアイコンタクトは、大体そのくらいの解像度で機能する。
「どうぞ」
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四人でテーブルを囲んだ。妻がコーヒーを出した。二人は礼儀正しく受け取り、礼儀正しく一口飲み、礼儀正しく「おいしいです」と言った。
「どちらからお越しですか」
「遠いところから」
「国内ではない、ということですか」
「はい。かなり遠い、と思っていただければ」
純はコーヒーカップを置いた。
「どのくらい遠いですか」
二人は顔を見合わせ、男が静かに言った。
「この星ではありません」
沈黙があった。
妻が「この星、というのは」と、あくまで穏やかに聞いた。
「地球、という意味です」
「私たちは別の星から来ました。あなた方の言葉で言えば、異世界、になります」
また沈黙があった。
今度は純が破った。
「コーヒー、おかわりいきますか」
妻が純を見た。今度のアイコンタクトの内容は「今それ聞く?」だった。
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話を聞いた。
二人が来た星は、地球によく似ていた。重力も空気もほぼ同じ。そして空には月が二つあった。
「二つあるんですね」
「ご存知でしたか」
「知ってます」
それ以上は言わなかった。
男が少し首を傾けたが、純は特に説明しなかった。説明すると長くなる。
問題は天候だった。数十年前から乱れ始め、嵐が増え、農業が安定しなくなり始めた。働き盛りの若者たちは次第に別の星へ出稼ぎに出るようになり、今では若い世代のほとんどがいない。
「残っているのは」
「子どもたちと、老いた者たちです」
「それは……」妻が静かに言葉を漏らす。「つらいですね」
「はい」
表情は動かなかったが、声が少しだけ変わった。
「でも、星自体は美しいんです。天候が乱れていても、その合間に見える景色は——おそらく、どの星にも負けない」
「私たちは観光業をやっています」男が続けた。
「その美しさを外の星の人たちに見せることで、星に人を呼び戻したい。でも私たちには、景色を『売る』技術がない」
男は純を真っ直ぐに見た。
「あなたのことは調べました。景色を売る人間として、この星でもっとも信頼できると判断しました」
「光栄ですが、異世界に行くのはそう簡単じゃないでしょう」
「そこなんですが」
「渡航技術についてご説明します。私たちの技術は種の保存を主軸に設計されているため、男女一組でなければ渡れない仕組みになっています。滞在期間は一年。ただしこちらの時間軸では——」
純と妻は顔を見合わせた。
「十秒、ですよね」
「はい、こちらの時間では——」
足元が、するりとした。
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気がついたら、知らない事務所にいた。
窓の外の空に、月が二つあった。大きい方と小さい方。
「——なるほど」
妻は窓の外をしばらく見ていた。
それから振り返り「説明の途中で飛ばすの、どうかと思いますよ」と、地球の言葉でも異世界の言葉でもなく、純にだけ向けた口調で言った。
男女二人組は「申し訳ございません」と頭を下げた。二人揃って、角度まで同じだった。
「コーヒー持ってくればよかった」妻は小さくため息をついた。
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言葉は、着いた瞬間から口の中にあった。純は以前この感覚を知っていたが、妻は初めてだった。
「あら、喋れる」
「そういうものらしいですよ、この手の移動は」
「便利ね」
特に驚いた様子もなかった。
純はそっちの方が驚いたが、黙っていた。
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二人から星の概要を聞いた。
大陸は三つ。南は嵐が多くほぼ無人。中央に人口が集中しているが過疎が進んでいる。北は気候が比較的安定しており、観光資源が残っている。
「天候の予測精度は」
「高くないです」
純は窓の外を見た。空気の流れ、光の角度、雲の端の色。体が静かに読み始めていた。十五年分の目は、別の星でも、ちゃんと動いた。
「分かりました」
「やってみましょう」
妻がどこからともなくメモ帳を取り出した。
「じゃあまず使える景色を全部リストアップしましょうか」
二人は少し呆気にとられた顔をした。
「もう始めるんですか」
「来てしまったものはしょうがないので」妻が答えた。
「それに一年あるようで、向こうは十秒なので、のんびりもしてられない」
男が純を見た。
「この人がいると仕事が早いんです」
「褒めてるの?」
「褒めてますよ」
【絶景その一 嵐の前の、十分間】
最初のツアーは子どもたちを連れて行った。
北の大陸の海岸沿いに断崖が続く場所があった。嵐が近づくとき、断崖の先端に立つと、海全体が鉛色になって空と溶け合う瞬間がある。光と闇の境界が、水平線のぎりぎりに走る。それが十分間だけ続く。
「でも嵐のタイミングが読めなくて、近づきすぎると危ないし」
「あと四時間で来ます」
「十分間だけ窓が開く」
「今分かるんですか」
「分かります」
「どうして」
「勘がいいんです」
二人は顔を見合わせた。純は特に補足しなかった。
子どもたちを連れて断崖に向かった。子どもというのはどの星でも似たようなもので、道中ずっとうるさかった。何かを指差しては騒ぎ、転びそうになっては笑い、純の荷物を勝手に持とうとしては落としそうになった。
「元気ですね」
「いつもこうです」男が困った顔をした。
断崖の手前で待機。純は空を読んでいた。妻は子どもたちと何か話していた。気がつくと子どもたちに囲まれて、何やら大受けしていた。
——あの人は、どこへ行っても五分で馴染む。
「そろそろ」
断崖の先端に一行が立った。
海が変わった。鉛色というより、もっと深い色だった。光が水平線の一点に集まるように細くなり、その光の筋が波の上を走った。空は紫と灰色と、わずかな金色が混ざった。遠くで大きな稲妻が一本、音もなく落ちた。
子どもたちが、誰も声を出さなかった。
さっきまであれほどうるさかった子どもたちが、全員黙って海を見ていた。それがまた、なんとも言えない光景だった。
十分が過ぎた。風が強まり始めた。「行きましょう」純が言うと、子どもたちは黙ってついてきた。
帰り道、一人の子が純の隣を歩きながら言った。
「また来られる?」
「来られます」
「嵐、また来るから?」
「嵐は毎回来ますよ」
純は続けた。
「ただ、あの十分間は一回しかない」
子どもはしばらく黙って歩いた。それから「そっか」と言った。
後ろで妻が子どもたちに「さっき黙ってたじゃない、どうだった」と聞いていた。子どもたちが口々に答え、笑った。純には聞こえなかったが、たぶん面白いことを言ったのだろうと思った。
【絶景その二 双月の砂漠】
中央大陸の内陸部に、広大な砂漠があった。
二つの月が同時に満ちる夜だけ、砂漠の表面が鏡のように光る現象が起きる。砂に含まれる鉱物が双月の光に反応するためだと男は説明した。
「三十日に一度ほどですが、天候が乱れて雲に隠れることが多くて」
「次の双月はいつですか」
「七日後です」
「晴れます。夜の前半だけ」
「本当ですか」と、女は問い返した。
「行けば分かります」
「また勘ですか」
「間違いない勘です」
女は何か言いたそうだったが、それ以上言わなかった。
七日後、砂漠の中心部に向かった。聞きつけた者たちも加わり、家族連れや老いた者も混じった大所帯になった。砂漠の夜は冷えるので全員が厚着で、見た目の統一感が全くなかった。
月が昇り始めた。大きい方が先に姿を見せ、遅れて小さい方が続いた。
二つが並んだとき、砂漠が光り始めた。砂一粒一粒が光り、足元から地平線まで淡い銀色の海になった。二つの月の影が、二方向に静かに伸びた。
純はその影を見た。自分が二人いるような気がした。——昔と同じ感覚だった。
「覚えてます?」と、妻は小声で囁いた。
「何を」
「結婚する前、初めて星を見に行ったとき」
「覚えてますよ」
「あのときも、こんな顔してたよ」
「どんな顔ですか」
「子どもみたいな顔」
二人は寄り添って、砂漠の光の中にいた。
翌朝、女は純に向き直った。
「昨夜、晴れましたね」
「言いましたよ」
「どうして分かったんですか、本当に」
「この星に来る前に、月が二つある場所に十五年いたことがあるんです」
女は黙った。男も黙った。
「色々と、体に染みついているんですよ」
純は続けた。
「説明が難しいんですが」
二人はしばらく沈黙してから、同時に「それは——」と言いかけて、また黙った。
「まあ縁というものですね」
二人がどう思ったかは、聞かなかった。
【絶景その三 落ちる雲海】
北の大陸に、高さの全く違う二つの台地が並ぶ場所があった。
高い方の端から低い方を見下ろすと、条件が揃ったとき、雲海が滝のように「落ちる」現象が見られるという。
「雲が、滝のように」妻が繰り返した。
「ゆっくりと流れ落ちるんです。昔はよく見られたらしいのですが、今は滅多に」
「明後日の朝、日の出から一時間後」
今度は二人とも「また勘ですか」とは言わなかった。学習していた。
明後日、夜明け前に台地の上に立った。今回はさらに人数が増えていた。前回の砂漠の話が広まっていた。
「なんで増えてるんですか」
「口コミです」男が答えた。
「『あの地球人の言う通りに行けば見える』と」
「地球人で定着してるんですか、私の呼び名」
「定着しています」
「もう少しましな呼ばれ方はないですか」
「景色の魔法使い、という人もいます」
「それはそれで困ります」
妻が笑いをこらえていた。
夜が明け始めた。低い台地の方に、一面の雲海が広がっていた。白く静かな海が、朝の光を受けてゆっくりと輝き始めた。
そして雲が動いた。
ゆっくりと、しかし確実に、雲海の端が台地の縁から流れ落ちた。白い雲が、まるで布が滑るように崖下へ落ちていく。音はない。ただ白い塊が、重力に従って静かに落ちていく。
誰もその場を離れなかった。一時間近く、みんなそこに立っていた。
終わってから、皆が次々に純のそばに来て口々に「ありがとう」と言った。
帰り道、男が純の隣を歩きながら、ぽつりと言葉を零した。
「景色の魔法使い、本当に嫌ですか」
「嫌です」
「では何と呼べば」
「佐藤で」
「佐藤さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
三ヶ月目にして、ようやくそういう挨拶になった。
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半年が過ぎたころ、妻はある夕方、事務所の窓から外をぼんやりと見つめていた。
「ねえ」
「なんですか」
「全天候型のテーマパーク、作ればよくない?」
純は手を止めた。「テーマパーク」
「そう。屋根のある大きな施設で、中に入るとこの星の絶景が体験できる。嵐の断崖も、双月の砂漠も、落ちる雲海も、その他の絶景も全部再現する。天候を待てない人でも、体の弱い方でも来られる」
妻はのんびりした口調で告げた。まるで「今夜、鍋にしようか」と口にするような口ぶりだった。
男と女が顔を見合わせた。
「それは」男が口を開いた。
「大きな話ですね」女が返す。
「でも面白くない?」妻は窓の外を見たまま、ふふと笑った。
翌朝、二人は動き始めていた。
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そこからの三ヶ月は、純の人生でも類を見ない速度で動いた。
出稼ぎに出ていた若者たちへ「仕事がある」という話が飛んだ。最初は半信半疑だった者たちが、設計図を見て次々と戻り始めた。
妻は毎日、誰かと話していた。朝から晩まで話していた。
「何をそんなに話しているんですか」
「コンセプト会議」
「何時間やるんですか」
「楽しいから別にいい」
純は屋内施設の「景色の精度」を担当した。光の角度、気温の変化、音、風、湿度。本物の景色のどの瞬間が人の心を動かすのかを、若者たちと毎日話し合った。
若者たちは飲み込みが早く、真剣だった。自分たちの星の景色を言語化するたびに、表情が変わっていった。
純は、あのときのことを思い出した。
「説明の途中で飛ばされて」
若者が笑った。どうやらあの飛ばされ方は、この星ではそこそこ有名な話になっていたらしい。
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テーマパークは、開業初日から満員になった。
子どもたちが走り回り、老いた者たちが涙を流し、出稼ぎから戻った若者たちが久しぶりに家族と並んで自分たちの星の景色を見た。
純と妻は施設の端に並んで立っていた。
「やったね」
「お前が言い出したんですよ」
「でも純が景色を本物にした」
「半々ですね」
「じゃあ半々で」
妻が純の腕に自分の腕を絡めた。施設の中に、再現された双月の砂漠が広がっていた。影が二方向に伸びていた。
「綺麗だね」
「本物の方が綺麗ですよ」
「分かってる。でも、これはこれで綺麗だよ」
純は何も言わなかった。妻の言う通りだと思った。
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帰る日が来た。
女が泣いた。事務所のテーブルで、真っ直ぐ前を向いたまま、静かに泣いた。
「また来てください」男はそう言って、深く頭を下げた。
それから少し間を置いて「ロイヤルティーは、こちらに積み立てています。ルールで現物は渡せないんですが、帰還後の技術的なルートで——」と続けた。
「それはまあ、追々」
「かなりの額になっています」
「いくらですか」妻が聞いた。
「この星の通貨で——」
「あっちでは使えないですよね」
「今のところは」
「今のところ、ということは」
「将来的には?」
男は少し間を置いてから、「可能性はゼロではないです」と呟いた。
「楽しみにしてます」と妻が返す。
「期待しすぎないようにしましょう」
「期待するのは自由でしょ」妻が笑った。
テーマパークで戻ってきた若者たちが大勢見送りに来ていた。子どもたちも、老人も沢山いた。誰も何も言わなかったが、みんなそこにいた。
あの嵐の前に黙って海を見ていた子どもが、純の前に来て何か言おうとして、言えなくて、結局ぺこっと頭を下げた。
純も頭を下げた。
足元が、するりとした。
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横断歩道の上だった。
信号はまだ青だった。隣のサラリーマンは何も気づいていなかった。時刻は十秒後を指していた。
純と妻は、渡り切ってからしばらくそこに立っていた。
「帰ってきた」
「帰ってきましたね」
「ロイヤルティー、どうするんだろうね」
「さあ」
「向こうの通貨じゃ使えないし」
「そうですね」
「でも、きっと何かになるよ」
「なりますかね」
「なるよ」
根拠はなさそうだった。ただ、この人が「なる」と言うときは、大体なる。純はそれをよく知っていた。
「行こうか」と、妻がふいに告げた。
「どこへ」
「事務所。メール溜まってるかも。こっちは十秒しか経ってないけど、なんか溜まってそうな気がする」
「根拠は」
「勘」
「私の専売特許じゃないですか」
「うつったんじゃない?」妻が笑った。「一年一緒にいたから」
雑居ビルの二階。手書きの看板。予約は来年まで埋まっている。向こうの星には、今日も満員のテーマパークがある。そしてどこかに、使い道のまだ分からないロイヤルティーが積み重なっている。
どうなることやら、と純は思った。
でも、まあ。隣に妻がいる。それで大体のことは、なんとかなってきた。
二人は並んで歩いた。空は青く、風は穏やかで、事務所のドアを開けたら猫の取っ手のマグカップが二つ、棚に並んでいるだろう。
今日も、いい一日になりそうだった。
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