配信中⁉(一)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
一話完結・オムニバス(長めの物語)
本文
配信中⁉(一)
チャンネル登録者数、現在0人。
佐藤純が YouTuber になったのは、会社が潰れたからだ。
潰れた、と書くと何か純の責任のように聞こえるが、全く関係ない。純が勤めていた広告代理店の映像部門は、社長の投資の失敗と、副社長のモラハラと、経理部長の横領という三重苦によって見事に沈んだ。純はただ、その船に乗り合わせていただけだ。
「巻き込まれ体質にもほどがある」
と妻に言われたが、反論できなかった。
失業保険が出ている間に何かしなければ、と純が思ったのは自然なことだった。幸い、会社から持ち帰ってよかった機材が数台ある。一眼レフが三台、小型のビデオカメラが四台、三脚やらレンズやらその他諸々。
倉庫に眠っていたものを、会社清算の際に社長が「持っていけ、どうせ売っても二束三文だ」と言ったので、ありがたく頂戴した。
「これで動画撮って、YouTubeで稼ぐ」
純が宣言した日、妻は味噌汁をすすりながら
「へえ」と言った。
「へえって何だよ」
「いや、頑張って」
「もうちょっと応援のトーンを上げてくれない?」
「チャンネル登録した」
「ゼロが一になっただけじゃないか」
それから三ヶ月。登録者数は妻の一から増えなかった。正確には、妻の友人が一人登録してくれたので二になったが、その友人は翌週退会した。理由は不明だ。純はその件について深く考えないことにした。
純の動画のジャンルは「街歩き」だった。
カメラを持って近所を歩き、「ここのラーメン屋が美味い」とか「この路地が好きだ」とか話すやつだ。
編集の腕は確かだった。映像は綺麗だった。声もそれほど悪くない。ただ、致命的につまらなかった。
「何がいけないんだろう」
と純が悩んでいたある日曜日の午後、妻が「写真撮って」と言った。
「なんで」
「友達に送りたいの。ちゃんとしたやつ」
「ちゃんとしたやつって何だよ」
「スマホじゃなくてカメラで撮ったやつ」
純はしぶしぶ一眼レフを構えた。
妻がリビングの窓際に立って、少し笑った。光の具合がちょうどよかった。純はファインダーを覗いて、シャッターに指をかけた。
「はいチーズ」
その声が空気に溶けた瞬間、
世界が割れた。
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気づいたら、空が三色だった。
赤と黄と、あと名前のわからない色。例えるなら、光そのものが固まったような、見ていると目の奥がむず痒くなる色。その三色が層になって広がっていて、ゆっくりと流れていた。
純はしばらくそれを見上げていた。
カメラはまだ手に持っていた。肩のバッグも、三脚も、小型ビデオカメラの入ったケースも、なぜか全部ある。
月が二つ出ていた。昼間なのに。
片方は青白く、もう片方はうっすら橙色で、微妙に距離を取りながら並んで浮いていた。どちらも、ほんの少しずつ呼吸するように明滅していた。
「……妻?」いなかった。
純は立っていた場所を確認した。草原だった。草の色が青かった。しかも風に揺れるたびに、青から紫へとグラデーションのように色が変わる。
地平線の向こうに山が見えた。
赤と緑と紫が縞々になっていて、しかも縞がゆっくりと動いていた。地層というより、山そのものが呼吸しているようだった。ところどころ、光る霧が山肌から立ち上っている。
近くに川があった。
流れる方向がおかしかった。水が下から上に向かって流れていた。しかも水の中に、小さな光の粒が混じっていて、それが逆流に逆らうように時々下へ落ちていた。
「……なんか、めちゃくちゃだな」純は深呼吸をした。
プロとして言えることは一つだった。
「……映像的には、すごくいい」
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最初の三日は、食べ物探しと睡眠と恐怖で終わった。
四日目に魔物と遭遇した。
最初は狼だった。だが背中から炎が噴き出していた。炎は燃えているのに熱を感じない。代わりに、近づくと空気が歪んで、視界が波打った。
純は全力で逃げて、木に登って、一時間動けなかった。
その木には実がなっていた。透明で、内部に小さな雷が走っているような果実だった。空腹に耐えきれず一つ食べたら、口の中で弾けて炭酸のような刺激が広がった。味は梨だった。
「なんで梨なんだよ……」
その翌日、別の魔物に遭遇した。
空を泳ぐ魚だった。鱗が鏡のように光っていて、純の姿を歪ませて映しながら群れで移動していた。一匹が近づいてきて、純の顔の前で停止し、じっと見つめてきた。
純も見返した。
五秒くらい見つめ合ったあと、魚は満足したように去っていった。
「……何だったんだ今の」
さらに数日後。
地面から生えている影のような存在に追いかけられた。影なのに立体で、踏むと柔らかく、踏んだ瞬間に別の場所から生えてきた。
純は全力で逃げた。
そのあと、震える手でビデオカメラのスイッチを入れた。
「撮っておかないと、もったいないな」
カメラマンとしての本能は、恐怖より強かった。
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魔法が使えるとわかったのは、一ヶ月後だった。
焚き火をおこそうとして石を打ち合わせていたら、手のひらから火花が出た。純は三十秒ほど自分の手を眺めてから、
「便利じゃないか」と言った。それだけだった。
だが、本当に驚いたのは機材のほうだった。
ある朝、目を覚ますと一眼レフカメラが宙に浮いていた。
レンズがゆっくり回転して、純の顔にピントを合わせた。
純は草を払いながら起き上がり、カメラと正面から向き合った。
「……お前、自分で動いてるのか?」
カメラが、上下に動いた。
「……返事すんな」
その日から、カメラたちは勝手に動き始めた。
純が歩けば先回りして景色を撮り、面白いものがあれば飛んで行って接写した。炎の狼の群れに接近しすぎて丸焦げになったカメラが、翌朝ぴかぴかで戻ってきたときは、さすがに
「お前なあ」
と言ったが、カメラは気にしていなかった。
撮影した映像は全て、純のスマホに届いた。
スマホは充電しなくても動いていた。
純は一週間様子を見てから「魔法か」と言った。魔法だった。
しかもカメラたちは、純の知らない場所にも行っていた。
極彩色の山の内部。光る霧の源。逆流する川のさらに上流。空を泳ぐ巨大な影の正体。
純はある夜、スマホのアルバムを見て、
「お前ら、俺より行動力あるな」と呟いた。
カメラは三台、横並びで浮いていた。何となく誇らしげに見えた。
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十五年が過ぎた。
純はこの世界の地形を、おそらく誰よりも詳しく知っていた。
どの山にどの色の魔物がいるか。どの草原にどんな異常現象が起きるか。空の色が変わる時間帯。二つの月が重なる夜にだけ現れる光の湖。
全部、体で覚えた。 体は変わらなかった。
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その日、純は新しい場所を見つけた。
高台の端から見下ろすと、光る平原が地平線まで続いていた。
大地そのものが青白く発光していて、三色の空と混ざり合い、現実感がなかった。
カメラがすでに飛び回って撮影していた。
純はスマホを取り出して、写真を撮ろうとした。
足元の石が、動いた。
「あ」
重心が外に流れた。
転がり落ちた瞬間、光があって、音がなくなった。
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気づいたら、リビングにいた。
妻が窓際に立っていた。さっきと全く同じ角度で、全く同じ光の中で、全く同じ顔をして、純のカメラを見ていた。
「……純さん? どうしたの、急に固まって」
「…………」
「はいチーズって言ったのに、押してくれないじゃない」
「…………あ、ごめん」
純はシャッターを押した。妻が笑っている写真が、一枚撮れた。
時計を見た。純が「はいチーズ」と言ってから、十秒しか経っていなかった。
純は自分の手を見た。傷だらけだった。十五年分の傷が、全部そこにあった。服も、向こうで着ていたものになっていた。妻が訝しげに首を傾けた。
「なにその服」
「うん」
「着替えた? 一瞬で?」
「そういうわけじゃないんだけど」
バッグを確認した。一眼レフが一台と、小型ビデオカメラが一台。それだけだった。残りは全部、向こうに置いてきた。
その瞬間、スマホが震えた。
画面を見ると、映像が届いていた。純のいなくなった光る平原を、カメラが一台、低く飛びながら撮っていた。続いて別のカメラからの映像。逆流する川。極彩色の山脈。二つの月が重なる瞬間。機材たちは純がいなくなっても、何も変わらず働き続けていた。
純は画面を見つめながら、何とも言えない気持ちになった。
「……お前ら、俺のことより仕事好きだな」
「誰に言ってるの?」と妻が言った。
「……ちょっとパソコンつけてくれる?」
「え、今から? 夕飯前だよ?」
「一分だけ」
妻の部屋のパソコンを立ち上げると、そちらにも届いていた。フォルダが自動生成されて、ファイルが増え続けていた。十五年分の映像が、圧倒的な解像度で送られてくる。
妻が横から画面を覗き込んだ。
逆流する川が映っていた。青白い月と橙色の月が並んでいた。炎を背負った狼が草原を走っていた。極彩色の山が三色の夕空に溶けていた。
妻はしばらく無言だった。
「……これ、どこ?」
「異世界」
「は?」
「異世界。俺が十五年いたとこ」
妻はもう一度画面を見た。それから純を見た。それから純の手を見た。傷だらけの、十五年分の手を。それから再び画面を見た。
「……十五年?」
「こっちでは十秒だったみたいだけど」
「……十秒で十五年?」
「うん」
妻は少し考えてから言った。
「お腹空いた、夕飯にしよう」
「今その話する?」
「カレーが煮えてるの。冷めちゃう」
純は十五年ぶりのカレーを食べながら、少しずつ話した。妻はカレーを食べながら、時々「それで?」と言って聞いていた。純が魔法の話をすると「へえ」と言い、カメラが自律飛行を始めた話をすると「賢いね」と言い、十五年一人でいたと言うと「大変だったね」と言って、純のご飯を少しよそってくれた。
「歳取ってないの、なんで?」と妻が聞いた。
「わからない。あっちにいる間も変わらなかった」
「じゃあ私だけ歳取るじゃない」
「いや、全然変わってないよ。ほんとに」
「そういうこと言う人、信用しない」
「本当のことだって」
妻はカレーを一口食べて、「まあいいか」と言った。
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翌週から、純はYouTubeに映像を上げ始めた。
顔は出さなかった。説明もしなかった。タイトルに「異世界の景色」とだけ書いて、機材から届いた映像をそのまま上げた。
一本目の動画が、一日で再生 百万を超えた。
コメント欄には「CGですか」「どこのロケ地」「月が二つある意味は」「逆流する川の仕組みを教えてほしい」「これ本物だったら人類史上最大の発見では」と書かれた。さらに「投稿者は宇宙人か」「いや政府の実験映像だ」「いや映画の宣伝だ」という謎の論争が始まり、コメント欄が戦場になった。
純と妻は並んでそれを読んで、声を上げて笑った。
「宇宙人扱いされてる」と純が言った。
「まあ否定はできないよね」と妻が言った。
「できるよ」
「でも地球人でもないじゃない、十五年も異世界にいたんだから」
「俺は地球人だ」
「ふうん」妻は納得していなかった。
登録者数は一週間で百万を超えた。一ヶ月で五百万になった。スポンサーの問い合わせが来た。テレビ局から取材の依頼が来た。純は全部断った。顔も出さず、場所も言わず、ただ映像だけを上げ続けた。
カメラたちは今日も向こうで働いていた。純のスマホには、朝起きると夜のうちに撮影された映像が山ほど届いている。二つの月の下で光る湖。空を泳ぐ魚の群れ。極彩色の山が嵐に削られていく様子。純の知らない場所に、カメラたちは一人で出かけていた。
「お前ら、俺より行動力あるな」
純が呟くと、妻が「そりゃそうでしょ」と言った。
「なんで」と純が聞くと、「だって純さん、カレー食べる前に帰ってきたんでしょ」と言った。
「それは俺のせいじゃない」
「わかってる」と妻は笑った。
純のチャンネルの登録者数は、今も増え続けていた。
そして純はまだ知らなかった。
向こうで今も飛び回るカメラたちが、データを送るだけでなく、逆方向にも何かを流していることを。YouTubeにアップロードされた映像が、なぜか異世界にも届いていることを。純の知らないどこかで、二つの月の下で、誰かが画面を覗き込んでいることを。
そしてそのコメント欄に、見たこともない文字で何かが書き込まれていることを。
純はまだ、何も知らなかった。
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