第121話:【遺言】死海の底、四千年の記録
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あらすじ
物理と知識で魔法世界を再定義!―拾った助手は2000年前の伝説の管理者(旦那様)でした。追放された天才没落令嬢は、最強の娘たちと共に「世界」を再構築中― - 第121話:【遺言】死海の底、四千年の記録
本文
旧イスラエル領に入った途端、景色が変わった。
結晶化した地中海の碧とは違う。ここは白い。塩が大地を覆い、陽光を照り返して、目を開けているのが辛いほどだった。干上がった湖底は罅割れた塩の板が果てしなく続き、その合間に灰色の泥が乾いてこびりついている。
「これが……死海」
「湖底だな。水はとうに失われている」
リュウガが目を細めた。風がない。音がない。地中海の結晶は美しかったけれど、ここにあるのは美しさではなく、ただの渇き。命が根こそぎ蒸発した跡だった。
「空気のマナ濃度、極端に低いですわ」
ピッコが数値を読み上げる。
「塩分がナノマシンの活動を阻害しているのでしょう。逆に言えば、Gaiaの干渉が及びにくい場所。だから遺構が残っている可能性が高い」
「半日ですよ、ハ・ン・ニ・チ!」
オーボエが念を押した。
「承知している」
リュウガが頷き、カイルがキャラバンを湖底の縁に停車させた。
チェロが重力斧を肩に掛けたまま、溜息をついた。
「……はいはい。父様がこうなったら止まりませんから。付き合いますよ」
「チェロ、別に無理にとは……」
「無理にでも付き合います。放っておくと半日が三日になるので」
オーボエがハルバードの石突を地面に突き、淡々と告げた。
「時間管理はわたくしが行います。正午を一秒でも過ぎたら、強制撤収です」
リディアは操作パネルから顔も上げなかった。
「……勝手にすれば。ドローンは出すから」
三人とも、口では面倒くさそうにしておきながら、もう動き始めている。チェロは外周警戒の配置図を引き、オーボエは通信周波数を調整し、リディアはドローンを起動していた。言葉と行動が一致しないのは、この家族の伝統らしい。
その横で、場違いなほど目を輝かせている男がひとり。
「四千年前の遺構だと!? 保存技術は!? 封止材は何を使っている!? まさか低酸素雰囲気か!?」
ヴォルフが工具箱を両手に抱え、すでに洞窟に向かって小走りしていた。
「ヴォルフ様」
セフィラが無表情のまま、その襟首を掴んだ。
「突入順序があります。先行偵察の前に入らないでください」
「離せセフィラ! 四千年だぞ四千年! どんな接着剤を使えば四千年持つんだ!? 俺は技術者として確認する義務が――」
「それは、義務ではなく趣味です」
「趣味で何が悪い!?」
コルネが笑いを堪えきれず吹き出した。
「ヴォルフさん、目がキラキラしすぎ」
「お前たちには分からん! これはロマンだ!」
崖の中腹に、洞窟がいくつも口を開けていた。風化で広がった入り口は、人ひとりがやっと通れる程度のものから、キャラバン一台が入れそうな大穴まで様々だ。
「リディア、先行偵察を」
「もうやってるわ」
リディアがフェアリ・オプションからステルス特化の小型ドローン五機を送り出した。羽音すら聞こえない。暗い洞窟の奥へ消えていく蜂たちの映像が、ファーファの画面に次々と映し出される。
『洞窟A、奥行き四十メートル、行き止まりだお! 洞窟B、崩落してて進入不可だお! 洞窟C――おっ、これ、奥が広いお! 人工的な構造物が見えるお!』
「C洞窟。行くぞ!」
突入班はリュウガ、私、ピッコ、セフィラ、コルネ、ユーフィの六名。ヴォルフが「俺も」と手を挙げたが、セフィラに二度目の襟首を掴まれ、「帰還後に遺物を見せます」の一言で大人しくなった。チェロとオーボエがキャラバンの指揮を継続し、残りのシスターズが外周警戒に当たる。テューバが洞窟入口に陣取り、崩落に備えてハンマーで天井を支える態勢を取った。
「テューバ、天井落ちてきたら」
「支えます。いつまでも」
「……頼もしすぎるわ」
◇◆◇◆◇
洞窟の中は、外の灼熱が嘘のように涼しかった。
コルネが大剣の刃に小さな炎を灯し、松明の代わりにする。揺れる赤い光が、岩壁に刻まれた文字を浮かび上がらせた。
「これ……文字?」
「旧世界の言語だ。複数ある。ヘブライ語、アラム語、ギリシャ語」
リュウガが壁に手を触れた。義手の指先が文字の溝をなぞる。
それを見て、私はハッと息を呑んだ。
「あ……これ。ガレリア帝国の王都を脱出する時、あんたの端末に一瞬映ってた記号と同じじゃない!?」
「……よく覚えていたな。そうだ。アリスが世界の最深部(オリジン・サーバー)を封印する際、ハッキングを防ぐために使った暗号キーが、この四千年前の死語なんだ」
「俺の時代でさえ、すでに解読に専門知識が必要だった。四千年以上前の人間が刻んだものだ」
「リュウガでも読めないの?」
「断片的には、な。データベースに旧言語の対照表があるから大丈夫だ」
奥へ進むと、洞窟は人工的に拡張された空間に変わった。壁面に棚のような窪みが規則的に並び、そこにナノマシン保存処理された筒状の容器が収まっていた。
「巻物、ですわね」
ピッコが一本を慎重に取り出す。容器の封は薄い樹脂のような素材で密閉されていた。四千年前の技術ではない。
「この保存処理は……」
「俺の眠る前の時代のものだ」
リュウガの声に、微かな感慨が混じった。
「リセット前に誰かがここを訪れ、文書を保存処理した。遺そうとしたんだ。世界が壊れると知って、それでも」
セフィラが周囲を警戒しながら、静かに言った。
「……母様。何かの気配を感じます」
「罠?」
「いえ。音です」
奥から、微かな振動が伝わってきた。
一定のリズム。低く、重い。
「おそらく旧防犯システムだな」
リュウガが足を止めた。
「音響トラップ。共振周波数で侵入者の平衡感覚を狂わせる。四千年前の技術に二千年前の補強が加わっている」
ユーフィが片耳を押さえた。
「……気持ち悪い。頭がぐらぐらするぅぅうう」
「テューバ、入口から低周波を相殺できる?」
コルネが振り返ったが、テューバは入口で天井を支えている。
『任せて。あたしが受け止める』
テューバの声が洞窟に響いた。入口からハンマーを床に打ちつけ、逆位相の振動を送り込む。重低音が重低音で打ち消され、空気の震えが薄れていく。
「オーボエ、周波数データ頂戴!」
コルネの呼びかけに、外のオーボエが通信越しに応じた。
『主周波数は18ヘルツ。人間の可聴域以下。テューバ、17.5で打て!』
『了解ッ』
テューバの二撃目で振動が完全に消えた。ユーフィが頭を振り、息をつく。
「……さすがテューバ。力技で音波を黙らせた」
『繊細と言って』
「どこがっ!」
◇◆◇◆◇
最深部は、小さな円形の部屋だった。
壁面の棚には巻物と、それより新しい記録媒体――薄い石板型のデータストレージが並んでいた。旧世界の文明と、リュウガの時代の文明。二つの時代の記録が、同じ洞窟に肩を並べて眠っていた。
「ピッコ、解読できる?」
「巻物は時間がかかりますわ。でもデータストレージなら――」
ピッコが石板に触れると、表面が淡く発光した。四千年間待ち続けていたかのように、文字が浮かび上がる。
「これは……リセット直前に書かれた記録ですわ。二千年前の研究者の手記」
ピッコが読み上げた。
「『死海文書を保存処理した。四千年前の人類が遺した言葉を、さらに次の時代へ送る。我々の文明は終わるが、言葉は残る。技術も、法則も、すべてはこの連鎖の中にある。これを読む者へ。世界が何度壊れても、記録は残る。記録が残る限り、修復はできる。私はそう信じて、この洞窟を閉じる』」
沈黙が落ちた。
コルネが鼻をすすった。
「……エリーちゃん。なんか、泣きそう」
「泣いてないわよ」
泣いていた。
四千年前の誰かが書いた。二千年前の誰かがそれを守った。そして今、私たちがそれを読んでいる。
「母様と同じことを言っていますわね」
ピッコが微笑んだ。
「知識は、届けなければ意味がない。アリスも、そう言っていました」
リュウガが石板の文字をもう一度なぞった。
「壊れても記録が残るなら、修復できる……か」
「修理屋の基本よ。壊れたものを直すには、元の設計図がいるの。それがなければ、せめて誰かの記録が」
リュウガが振り向いた。私を見た。あの静かな目で。
「エリー。手を出せ」
「え?」
リュウガが私の手を取り、石板の上に重ねた。義手の冷たさと、石板の微かな温もりが、同時に指先に触れる。
「これが、お前が読み書きを学ぶ最初の教材だ」
「……読めないんだけど」
「だから教える。旅の間に」
指先が、文字の溝をなぞらせる。一画、二画。四千年前の誰かと同じ線を、私の指がたどる。
「エリーちゃん、顔赤いよ?」
コルネが背後から覗き込んだ。
「赤くないッ!」
「赤いですわね」
ピッコまで。
『記録してるお!』
ファーファの声が洞窟に反響した。
「すんなッ!」
セフィラだけが、入口の方を向いたまま、小さく微笑んでいた。
◇◆◇◆◇
半日ぴったりで、私たちは洞窟を出た。
オーボエが時間通りに出発を告げ、カイルがエンジンを始動させる。データストレージ三枚と、保存状態の良い巻物二本を回収した。ヴォルフが衝撃吸収材で丁寧に梱包し――梱包しながら、ずっと喋っていた。
「この封止材、見ろ! 樹脂とナノマシンのハイブリッドだぞ! しかも気密性が四千年保たれている! 俺の防水ジェルなんて三ヶ月でひび割れるのに!」
「ヴォルフ様。梱包に集中してください」
セフィラが淡々と釘を刺す。
「してる! してるが! この接合技術だけで論文が三本は書ける!」
「論文を提出する学会がありません」
「それは言うなよぉぉ!」
アークの気密棚に収め終わると、ヴォルフは名残惜しそうに棚の扉を撫でていた。リディアが呆れた顔で横を通り過ぎる。
「……変態」
「技術者と呼べ」
「で、これがオリジン・サーバーの手がかりになるの?」
私が訊くと、リュウガは小さく頷いた。
「直接の座標データはない。だが、Gaia起動以前の地球環境ベースラインが記録されている可能性がある。リセットを止めるための比較データになる」
「つまり、無駄じゃなかった?」
「無駄な知識はない。お前が一番よく知っているだろう」
チェロが珍しく口元を緩めた。
「半日ぴったり。父様も約束は守れるのですね」
「……娘に信用がないな」
「信用はしています。時間にルーズなだけで」
キャラバンが動き出した。白い塩の湖底を離れ、南へ。
次はエジプト。ナイル川を遡り、サハラの果てを越え、エチオピアの高原へ。
四千年前の誰かが信じたこと。二千年前の誰かが繋いだこと。
修復はできる。記録が残る限り。
私はスパナを握り直した。
握り直すたびに、少しだけ手に馴染む。壊れた世界も、きっと同じだ。
何度でも握り直せばいい。
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