八百屋(二)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
異世界帰り色々な日常 一話完結・オムニバス
本文
八百屋(一) | 小説投稿サイト「あいぺん」
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まるばつ屋、異世界へ
赤い砂の大地に、二つの影が降り立った。
「わあ」
妻が空を見上げた。月が二つある。星が多すぎる。地平線の向こうに石の城が見える。
「どう?」と純が訊いた。
「広いね」
それだけ言って、妻は袖をまくった。
「で、害虫ってどこ?」
純が十五年かけて学んだ驚きの早さで状況を受け入れている。
「ちょ、もう少し戸惑おうよ」
「戸惑う暇があったらレジ打つ。ここにレジはないから虫を潰す。同じことでしょ」
違う、とは言えなかった。
老人が杖をついて駆け寄ってきた。十五年前と顔がまったく変わっていない。魔法使いというのは老けないのかもしれない。
「伝説の野菜師よ! お戻りに——」
「こちらは?」と老人が妻を見た。
「妻です」と純が答えた。
「妻……師?」
「ただの妻」
老人は妻の顔をまじまじ見た。妻は目を逸らさなかった。
「……強い目をしておられる」
「毎朝市場で値切ってますから」
純は少しだけ誇らしかった。
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害虫の名は「天空芋虫」といった。
翅が六枚あり、毒針を持ち、麦畑を一晩で食い尽くす。しかも空を飛ぶ。それがいま、この国の穀倉地帯に大量発生していた。
純は腕を組んだ。
「風魔法で集められるかな。でも毒針があるから近づくのは危ない。火を使うと畑ごと燃やしてしまう……」
「純さん」
「なに?」
「あの虫、何が好物なの?」
純は老人を見た。老人が答えた。
「甘い匂いに引き寄せられる習性がございます。特に熟れた南瓜の香りに——」
「南瓜ある?」と妻が割り込んだ。
「あ、はい、倉庫に」
「大鍋と水と火と塩も」
「は、はい」
「じゃあ作ろう。純さん、火と風お願い」
純は三秒考えた。
「……罠か」
「他に何があんの」
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夜。
巨大な鍋が三つ、畑の端に並んだ。
妻が南瓜を叩き割り、煮崩れるまで炊いた。砂糖代わりに現地の蜜果を投入し、さらに煮る。
純が鍋の下に火を灯し続けた。
やがて甘い湯気が、夜風に乗って広がっていった。
「来る」と妻が言った。
「どうわかるの」と純が訊いた。
「においが変わったから」
五分後、空が黒く染まった。
天空芋虫の大群だった。翅がきらきら光り、星のように見えた。綺麗だな、と純は思ったが黙っていた。虫たちは鍋めがけてまっすぐ降りてきた。
「いま!」
純が両手を広げた。
「集まれ!」
風魔法。
虫の大群が渦を巻いた。螺旋を描きながら、鍋の真上で圧縮されていく。
「もっと強く!」と妻が怒鳴った。
「頑張ってる!」
「頑張るじゃなくてやる!」
「それ同じじゃ——」
「違う!」
純は奥歯を噛んだ。
十五年、異世界で覚えた感覚を引っ張り出す。三万個の芋を同時に蒸した夜。三千人が腹を空かせていたあの夜。やるしかなかった夜。
風が変わった。ただの風が、嵐になった。
天空芋虫の大群が、三か所に圧縮され、鍋の中へどうと落ちた。
熱い南瓜汁の中で、虫たちは毒針を失い、翅をたたみ、おとなしくなった。
しん、と静かになった。
「……終わった?」と純が呟いた。
「終わった」と妻が言った。
鍋を覗き込んで、首を傾げた。
「これ、食べられるかな」
「え」
「虫と南瓜、一緒に煮えてるじゃない」
純も鍋を覗いた。たしかに。甘い匂いはそのまま。虫は蒸されて丸くなっている。
老人がおずおずと近づいてきた。
「あの……天空芋虫は、こちらでは高級食材で……」
妻と純は顔を見合わせた。
「いくら?」と妻が訊いた。
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翌朝。
純と妻は三鍋分の芋虫南瓜煮を売り払い、金貨をたんまり受け取った。
「これ日本円でいくら?」
「わからん。でも白菜箱百個は余裕で買える」
「上出来」
妻はさっさと荷物をまとめ始めた。
「もう帰るの?」
「まるばつ屋、明日が入荷日でしょ。早起きしなきゃ」
純はもう一度だけ、赤い砂漠を見渡した。
十五年過ごした世界。魔法を覚えた世界。兵糧係として戦った世界。
「……お前はこういう場所、平気なんだな」
「怖くないとは言ってないよ」妻はまっすぐ前を向いたまま答えた。「ただ怖いからって帰れないじゃない。純さんがいるんだから」
純はまた泣きそうになった。
異世界で魔法を覚え、王様に感謝されても、将軍に泣かれても。
この一言には、勝てない。
老人が穴を開ける前に、妻はくるりと振り返った。
「あと一個聞いていいですか」と老人に言った。
「なんでございましょう」
「ここ、定期的に来る必要あります?」
老人は考えた。
「年に一度ほど……害虫の季節が……」
「わかりました。来年また来ます」妻はうなずいた。
「商店街の定休日に合わせてもらえますか? 月曜が都合いいです」
老人は目を丸くした。
「い、異世界の曜日は——」
「覚えて」
「……はい」
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光の穴をくぐると、商店街の朝だった。
魚屋が氷を砕く音。豆腐屋のラッパ。演歌。
床には白菜箱がそのまま転がっていた。
「さ、開店準備」と妻。
「うん」と純。
白菜箱を持ち上げ、下段に収める。
「純さん」
「なに?」
「今日は頑張ったね」
「お前のほうが頑張ってた」
「そりゃそうでしょ。私のほうが優秀だから」
「……そうだな」
「なに素直に認めてんの。もっと反論しなさいよ」
「する気力がない」妻は笑った。
店先に朝日が差し込んできた。野菜が光る。茄子も、大根も、人参も。
純は指を立てた。
「灯れ」
ぽっ。
小さな明かりが、朝日の中でまたたいた。
「宴会芸」と妻。
「異世界の技術だよ」
「うちじゃ宴会芸」
それから二人で、いつもの通りの準備を続けた。
商店街の朝は早い。
来年の月曜日まで、まるばつ屋は今日も忙しい。