神様 拾いました(一)
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あらすじ
一話完結・オムニバス(長めの物語)
本文
神様 拾いました(一)
朝の七時、佐藤 純 は神様を拾った。
正確には、アパートの駐輪場で、自分の愛車であるくたびれたクロスバイクのカゴに、それは収まっていた。大きさは、よく太った猫くらい。見た目はおじいさんだが、どこか浮世離れした精巧さがある。十分の一に縮んだ老賢者のフィギュアが、カゴの網目から自慢の白い髭を盛大にはみ出させている、といった風情だ。
純が寝ぼけ眼で自転車の鍵を差し込もうとした瞬間、その「フィギュア」がカッと目を見開いた。
「出せ」
不遜極まりない、地響きのようなバリトンボイスだった。その声は鼓膜を震わせるだけでなく、胃の奥まで直接響くような、重厚な質量を伴っていた。
「は」
純の口から間抜けな声が漏れる。朝の澄んだ空気の中で、自分の声があまりに平坦で、目の前の存在がいかに異質であるかが際立つ。
「この檻から出せと言っている。急いでいる。早くしろ、若造」
「いや、不法侵入ですよ。というか、あなたは誰ですか。特殊メイクか何かですか」
「神だ」
純の至極真っ当な問いに、老人は当然の摂理であるかのように応じた。その眼光は鋭く、まるで銀河を凝縮したかのような輝きを宿している。
「神だと言っている。耳まで縮んだか。早く漕げ。後ろから不浄なものが来ている。儂が消えれば、お前の住むこの矮小な世界も道連れだぞ。それでも良いのか。この星の文明など、儂の機嫌一つで塵に帰るようなものだぞ」
純が背後を振り返ると、路地の向こうに「それ」がいた。
黒くて巨大な、犬の骨格を無理やり引き延ばして泥を塗りたくったような異形。顔には不揃いな目が三つ、こちらを無感情に、しかし執拗に凝視している。その周囲だけ空気が澱み、アスファルトが腐ったような色に変色していた。三つの目が爛々と赤く光り、こちらを「獲物」としてではなく、単なる「障害物」として排除しようとする冷徹な殺意を放っている。
純は脊髄反射で自転車に飛び乗った。
「捕まってろ!」
叫びながらペダルを全力で踏み込む。カゴの中では神様が「左だ! いや、そこは右だ! お前の足は飾りか! 筋肉の無駄遣いをするな!」と根拠のない道案内を怒鳴り散らしていた。朝の静かな住宅街に、タイヤの摩擦音と神様の罵声が響き渡る。
彼女に電話したのは、三十分ほど都内を無軌道に逃走し、ようやく公園の植え込みの陰で息を整えた後だった。心臓が早鐘を打ち、喉の奥が鉄の味がした。
「神様を拾ったんだ」
純の必死の報告に、受話器の向こうの彼女は、いつものように冷静だった。コーヒーでも飲んでいるのか、微かにカップの触れ合う音が耳に届く。
「……何それ。昨日見たアニメの影響? それとも新手の特殊詐欺? 宗教の勧誘なら、うちは間に合ってるよ。幸せを運ぶ石も、高い壺も、玄関に置くスペースなんてないから」
「違うんだ。本物なんだよ。今もカゴに入って、コンビニのレジ横にあるショーケースを指差して『あれをよこせ、供物だ。脂が足りん、聖なる脂が!』って騒いでるんだ。信じてくれ、さっき三つ目の化け物に追いかけ回されたんだぞ」
「……面白いじゃない。位置情報送って。すぐ行く。その『神様』、自撮りにつきあってくれるかな」
十五分後、現場に現れた彼女は、自転車のカゴに鎮座する神様を三秒ほど無言で観察した。神様は彼女の視線を受けると、わざとらしく胸を張り、髭を整え、威厳を演出してみせた。
「あ、これ本物だわ」
彼女は事も無げに断言した。
「わかるのか?」
「うん。気品の出どころが、この現世の物理法則じゃないもん。光の反射の仕方が、まるで宇宙の真理をコーティングしたみたい。……おじいさん神様、お髭が冬の星座みたいに綺麗ですね。少し触ってもいいですか?」
彼女が慈しむように微笑みかけると、神様は鼻をぴくつかせ、すぐに「うむ、お前は話がわかる。この若造とは大違いだ。触れるがよい、ただし一秒に一回だぞ」と機嫌を良くした。
案外、チョロい神様だった。
コンビニで買ったフランクフルトを三本平らげ、串を一本一本丁寧に舐めとった後、神様はようやく重い口を開いた。その声には、先ほどまでの横暴さは影を潜め、少しだけ湿った哀愁が混じっていた。
事情は、笑えないほど絶望的だった。
「儂の宇宙が、丸ごと盗まれた」
「盗まれた?」純は眉をひそめた。「宇宙って、財布とかスマートフォンみたいに、ポロッと盗めるものなんですか」
「盗まれたから仕方あるまい。あいつは手癖が悪いのだ。儂が昼寝をしている隙に、空間の位相をずらして、ごっそりと持っていきおった」
神様は四本目に手を伸ばしながら、苦々しく吐き捨てる。
「気づけばここは見知らぬ他人の宇宙だ。儂は一文無しの、宿無し神よ。家も、星も、銀河も、あいつの汚いポケットの中に押し込まれてしまった。ここは儂の管轄外だ。重力定数も微調整が必要なほど、居心地が悪い」
犯人は「強欲な外神」だという。そいつは自分で宇宙を創造する才能を持たず、他人が心血注いで作り上げた完成済みの宇宙を盗み、その中心にストローを突き立てて寿命を啜る。寄生虫のような存在だ。さっきの三つ目の異形は、神様を完全に消し去って、証拠隠滅を謀るために放たれた掃除屋――番犬だった。
「つまり、宇宙を盗まれた無一文の神様が、うちの自転車のカゴでフランクフルトを食べてる……と」
「左様だ。……おい、マスタードが足りんぞ。辛味が、奇跡を練り上げる源泉になるのだ。ケチャップだけでは甘すぎて、世界を救う力が湧いてこん」
「宇宙を盗むなんて、よっぽど素敵な宇宙だったんでしょうね。神様が作った星たち、きっとダイヤモンドみたいに輝いていたんでしょう?」
感心したように彼女が言うと、神様は一瞬だけ、かつて愛でた銀河を懐かしむような、切ない目をした。
「……うむ。水と光のバランスが最高だったのだ。土壌に生命を宿すための黄金比を見つけるのに、数千億年はかかった。儂の最高傑作だったのだよ」
問題は、追っ手の番犬が三匹に増えていたことだった。
コンビニの強化ガラス越し、駐車場をうろつく六つの光る眼が見える。三つ目の怪物は、互いに泥のような肉を融合させたり引き剥がしたりしながら、不気味な低い呻き声を上げていた。駐車場の空気が凍りつき、近くに停まっていた車の窓ガラスにヒビが入っていく。
「神様、戦えないんですか。神様の力で、ドカンと一発、宇宙レベルの雷でも落としてくださいよ」
純の問いに、神様はしおれた髭をいじりながら首を振った。
「今は無理だ。家財道具も力もあちらに置いてきた。全権を奪われた神に何ができる。今の儂に出せる奇跡など、この棒付き肉を三度ほど追加で温める程度だ。この次元では儂はただの『縮んだ老人』に過ぎん」
「じゃあ、逃げるしかないですね。僕の部屋は狭いしオートロックもないから、彼女の家に行きましょう。あそこなら少しはマシだ」
三人は裏口から脱出した。神様は彼女のコートの大きなポケットに無理やり放り込まれ、「狭い、バニラの匂いがきつい。もっとこう、お香とか、高貴な香りを漂わせんか」と文句を並べたが、彼女は「神様特有の加齢臭よりマシだと思って我慢してください。それより、髭がチクチクします」と一蹴した。
彼女のマンションに逃げ込んだのは、太陽が真上に来る頃だった。
道中、番犬は五匹に増えていた。神様が「風よ!」と叫んで、ようやく突風を一吹きさせ、怪物の体勢を崩した隙に、地下鉄の入り口へ滑り込んだのだ。
部屋の中、北欧風のテーブルの上に立った神様に、純が改めて尋ねる。
「で、どうやって取り返すんですか。このままじゃ、フランクフルトの在庫が尽きるまで東京中を逃げ回るだけになりますよ」
「泥棒は、盗んだ家の中に居座るものだ。あやつの居場所はわかっている。儂の宇宙の中心……かつてビッグバンの特異点だった場所だ。あやつはそこに根を張り、宇宙のエネルギーを直接脊髄に流し込もうとしている」
「そこへ行けばいいんですね。どうやって? 飛行機もロケットも、宇宙の果てどころか、大気圏を出るのにも一苦労ですよ」
「今の儂には扉を開ける力がない。燃料が足りんのだ。次元の壁を突き破るには、物理的な動力ではなく、強い意志の介在が必要だ。儂一人の意志では、今は弱すぎる」
神様は悔しそうにテーブルを叩いた。その小さな拳から、火花のような光が飛び散る。
「じゃあ、私たちの力を使ってください。神様の宇宙、ちょっと見てみたいですし。きっと私たちが想像もできないような、綺麗な色がたくさんあるんでしょう?」
彼女の屈託のない提案に、純は息を呑んだ。
「本気か? 宇宙の果てだぞ。帰ってこれないかもしれないし、体がバラバラになるかもしれないんだぞ」
「でも、あのおじいさん神様が丹精込めて作った宇宙が、あんな気持ち悪い化け物の食事にされるの、なんか嫌じゃない。デザイナーが一生懸命描いた絵が、勝手に真っ黒に塗りつぶされてるみたいでさ。佐藤君も、あんな化け物に追いかけられるよりは、宇宙を救うヒーローになる方が、後で自慢できるよ」
彼女が笑うと、神様は驚いたように二人を凝視した。
「死ぬかもしれんぞ。人間が宇宙の外に出るのだ。物理法則も、倫理も、昨日までの常識も通用せん。時間も空間も意味をなさず、存在そのものが溶けていくような感覚に襲われる。正気は保てまい」
「神様を拾うよりは、マシな経験ですよ。……行きましょう。佐藤 純、行きます。宇宙の果てまで付き合いますよ」
純が覚悟を決めると、神様は長い髭を何度もなで、震える手で二人の額に触れた。
視界が、一閃した。
部屋が消え、重力が消え、光が線になる。純は自分の体が「光の粒子」に分解され、膨大な情報となって流転するのを感じた。肉体という重い鎖から解き放たれ、意識だけが極彩色に拡張されていく。隣には、同じように輝く「彼女という存在」を感じる。言葉を介さずとも、彼女の好奇心と少しの不安が、直接心に流れ込んできた。
「歩け。儂の宇宙の膜は、すぐそこだ」
神様の指示に従い、二人は「無」の中を歩いた。そこは驚くほど静かで、ただ二人の鼓動だけが、新しい宇宙が産声を上げる瞬間の拍子のように、力強く重なって響いている。周囲には、まだ生まれる前の星の卵や、死んでいった宇宙の残骸が、宝石の破片のように漂っていた。
「怖くない?」
「いいえ。……世界が始まる前の静寂を、特等席で聴いているみたい。ねえ純君、私たちの体、すごく綺麗だよ。透き通ったプリズムみたい」
彼女の声が、直接脳内に響く。彼女は前だけを見ていた。その横顔は、光を反射して、神様よりも神々しく見えた。
やがて、歪んだ空間の先に「中心」が現れた。
そこには、四本の不自然に長い腕を持つ異形の巨像が、光り輝く巨大な柱に抱きついていた。その目は虚ろで、柱から溢れ出す乳白色の光を、貪欲に全身の穴から吸い取っている。吸い取られた光が、巨像の体内でどす黒いエネルギーに変質していくのがわかった。
「あれが……泥棒。……なんて醜いんだ。他人の夢を奪って、あんなに太って」
「宇宙の寿命を吸い取っているのだ。あやつには創造の喜びなどわからぬ。ただ破壊し、消費するだけの獣だ」
神様が、かつての威厳を取り戻した低い声で唸る。その体も、少しずつ元の大きさに戻ろうとしているのか、光を帯びて膨らんでいく。
「お前たち、あやつの気を引け。三十秒あれば、儂が柱の根元から力を奪い返せる。……それまでは、お前たちがこの宇宙の主役だ。死ぬなよ、儂の大切な居候たち」
「無一文の居候に言われたくないですよ」
純は苦笑したが、足は止まらなかった。粒子となった体は、思うままに空間を滑る。重力から自由になった感覚が、彼に勇気を与えていた。
二人は光の海を走った。四本腕の巨像がこちらを向き、概念を震わせるような咆哮を上げる。巨大な手が振り下ろされ、空間がひび割れ、真空に亀裂が入る。純は彼女を突き飛ばし、自分も反対へ跳ねた。
「こっちだ、泥棒! お前の宇宙は、全然センスがないぞ! マスタードもついてないような無愛想な世界は、お前にお似合いだ!」
純の叫びに、巨像の目が四つとも彼を捉えた。彼女が反対側から光の礫を投げ、巨像の背中を焼く。
一瞬、宇宙が脈動した。
根元から白い光が爆発し、すべてを飲み込んだ。巨像は音もなく霧散し、奪われていた力が、あるべき主へと還っていく。光が、失われた星々や銀河を再び彩り始めた。
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彼女の部屋に戻ったのは、夕暮れ時だった。
フローリングに座る神様は、いつの間にか小学生くらいの大きさまで回復していた。肌には艶が戻り、髭も銀色に輝いている。その瞳には、再び無数の星々が宿っていた。
「取り戻したぞ。……感謝する。お前たちは、少しだけ誇っていい。儂の叙事詩の最終章に、名誉ある協力者として名を刻んでやろう。末代までの名誉だぞ」
「よかったですね。おじいさん。……で、お礼は?」
彼女のちゃっかりした催促に、神様は仰天した。
「宇宙を救ったのだぞ? 何なら、新しい銀河の一つでもお前たちの名前にしてやろうか。佐藤・純銀河、なんてどうだ」
「いえ、このコートの裾、さっきの衝撃で破れちゃったんです。お気に入りだったので、弁償してください。今の神様なら、指先一つで直せるでしょう?」
「……コートか。宇宙全体の質量よりも、お前にはその布きれの方が大事か」
「あと、お腹空いたので。神様、奢ってください。高級なコンビニじゃない方のフランクフルトがいいな」
純も便乗すると、神様は呆れたように二人を見つめ、やがて腹の底から、雷鳴のような声で笑い出した。
「面白い。本当にお前たちは、儂の作ったどの星の、どの生き物よりも、計り知れん。……よし、この布きれは儂が最高の素材で直しておいてやろう。そして供物も、儂の奢りだ。この星の通貨など、生成するのは造作もない」
部屋に眩い、しかし温かい光が満ち、神様は消えた。
いつもの散らかった、六畳一間に毛が生えたような部屋に、穏やかな夕日が差し込む。テーブルの上には、彼女の破れたはずのコートが、新品よりも美しい光沢を放って畳まれていた。その裏地には、かすかに銀河のような模様が浮かんでいる。
「行っちゃったね。なんだか、夢だったみたい」
「うん。……でも、お腹が空いてるのは現実だね」
「フランクフルト、買ってくる。一番高いやつ。三本ね。神様の分も一応、窓際に置いておこうかな」
彼女はバニラの香りがするコートを羽織り、小走りで部屋を出ていった。
純は台所に立ち、お湯を沸かし始めた。
窓の外には、普通の、あまりに普通の夕焼けが広がっている。
だが、あの神様が帰っていった宇宙のどこかで、今ごろ一人の神様が「あいつら、やっぱりマスタードを忘れていたな」と苦笑しながら、新しい星々を磨いている。
そんな、温かい確信だけが、純の胸の中に永遠の灯火のように、静かに、しかし力強く灯っていた。
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神様 拾いました (二) | 小説投稿サイト「あいぺん」
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