神様 拾いました(三)~神様の、結婚式~
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あらすじ
一話完結・オムニバス(長めの物語)
本文
神様 拾いました (二) | 小説投稿サイト「あいぺん」
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神様 拾いました(三)
~神様の、結婚式~
結婚式の日取りを決めた翌日、神様から荷物が届いた。
宅配便ではない。朝起きたら、玄関の前に置いてあった。箱もない。リボンもない。ただ、畳んだ白い布が一枚と、小さなメモが添えられていた。
朝の光を吸い込んだその布は、まるでそこだけ世界が透き通っているかのように、静かな神性を宿して横たわっている。
メモには、古い文字でこう書いてあった。
『花嫁の衣装だ。儂の宇宙の一番深い場所で織った。この星の既製品など着るな。格が違いすぎて、式場の床が抗議するぞ。 神』
佐藤 純 が恐る恐る布を広げると、それはウェディングドレスだった。
白、と言えば白だが、光の当たり方によって、深海の青にも、夜明け前の紫にも、新雪の金にも変わる。生地の中に、ごく細い光の糸が織り込まれていて、動くたびにその糸が流れ星のように走る。まるで、宇宙そのものを布の形に畳んだようなドレスだった。
広げられた銀河が、部屋の空気を一瞬で浄化していく。瞬く星々を糸にして紡いだようなその意匠は、見る者の魂を揺さぶるほどに美しかった。
彼女はしばらく無言で眺め、それからぽつりと言った。
「……神様、やっぱりちょっと、チョロいよね」
「最高のものを貰っておいてチョロいって言われるの、神様がかわいそうですよ」
「いや、だって。マスタードつきのフランクフルト一本でこれを作ってくれるんでしょ。費用対効果がすごい」
純は反論しようとして、やめた。確かに、そうかもしれなかった。
式は、小さな式場を借りた。
親族と、ごく親しい友人だけを呼んだ。ルシーダとセレナと、おトラばあさんを呼べないのが残念だと彼女は言い、純は「いや、来るかもしれないですよ。あの人たちは空気の隙間から出てきたりするので」と答えた。
式が始まる三十分前、控え室で彼女がドレスに袖を通した瞬間、部屋の空気がさわりと揺れた。鏡の中に映し出されたのは、人界の言葉では形容しがたい、光を纏った女神のような姿。ドレスの裾が揺れるたび、微かな鈴の音のような残響が鼓膜を震わせる。
窓が、ひとりでに開いた。
外は晴れているのに、そこだけふわりとした風が入ってきて、彼女の髪を丁寧に、まるで指で梳くように整えた。カールしていた毛先が、美容師が一時間かけても出せないような、完璧な弧を描いた。
「セレナさん?」
彼女が窓に向かって小さく聞くと、どこからともなく鈴を転がすような笑い声がした。それからそよ風が一度だけ、頬を優しく撫でて、消えた。
彼女の目が、少しだけ潤んだ。
「来てくれてた」
「言ったじゃないですか」
挙式が始まった。
バージンロードを歩きながら、彼女は奇妙なことに気づいた。
床が、わずかに光っていた。
式場のフローリングの木目の中に、ごく細い光の筋が走っていて、彼女が一歩踏み出すたびに、足の裏から七色の波紋が広がっていく。神様の観測台の床を思い出した。あの、宇宙の鼓動の上を歩いているような感覚を。
聖堂に響くオルガンの音色さえも、その光の波紋に溶け込み、世界そのものが二人を祝福するために息づいているかのようだった。
隣を歩く父は気づいていなかった。参列者も誰も気づいていなかった。彼女だけが知っていた。
前で待っている純が見えた。純も床の光に気づいたらしく、少しだけ目を丸くして、それから彼女と視線が合って、おかしそうに口の端を上げた。二人だけの秘密が、バージンロードの真ん中にあった。
神父が誓いの言葉を読み上げ始めたとき、式場の天井からひとつ、光の粒が落ちてきた。
誰も気づかなかった。
ただ純と彼女の間で、その粒がふわりと浮かんで、二人の手が重なる瞬間に、すっとその中へ消えた。
温かかった。
百億年分の星の欠片の、温度だった。
その温もりは、静かに二人の中に溶け、永遠という名の刻印を刻んでいく。
披露宴が始まって、乾杯のグラスを持ち上げた瞬間、テーブルの中央に置かれていた白い花が一本、ぱっと色を変えた。
白から銀へ、銀から深紅へ、深紅から宇宙の果てにしかないような、名前のない色へ。
シャンパングラスの中で弾ける泡が、その不思議な色を反射して、円卓を虹色に染め上げていく。
隣に座っていた友人が「あれ、花が変色してない?」と首を傾げた。
「そう見える?」と彼女は聞いた。
「……いや、やっぱり白だった。気のせいかな」
彼女はグラスを口に運びながら、小さく笑った。純の耳元に口を寄せた。
「ルシーダさん、来てる」
「花から出てくるんですね」
「海の眷属だもん。水でできてれば何でもいいんでしょ」
「花は水じゃないですよ」
「細かいことを気にするな、って神様が言いそう」
純は噴き出した。隣の友人が「仲いいな」と笑った。
披露宴も終盤になった頃、純の祖母が彼女に近づいてきた。
百二歳で、腰が少し曲がっていて、しわしわの手をしている。小さな老婆だった。
彼女は立ち上がってご挨拶をしようとした瞬間、心臓が一度だけ強く打った。
おトラばーさんだ、と思った。
もちろん、トラではない。純の祖母だ。ただ、その後ろ姿が、翼のない以外は、あの時間の眷属に少し似ていた。
祖母は彼女の手を取り、皺だらけの手で、ぎゅっと握った。
「よかったよ。この子は、放っておくと一人でなんでも抱えてしまう子だから。あなたみたいに、ちゃんと笑える人がいてくれると、安心だよ」
彼女は返事ができなかった。
目頭が熱くなって、ウェディングドレスの裾に光が走るのを感じた。神様の宇宙の糸が、彼女の感情を検知して、反応しているようだった。
感情の昂ぶりに合わせ、ドレスが脈打つように淡く輝く。それはまるで見えない翼が彼女を抱きしめているかのようだった。
「泣くなよ、お嬢さん」
どこからか、低い声がした。
聞こえたのは彼女だけだったと思う。純も気づかなかった。ただ彼女だけが、その重厚なバリトンを耳の奥に確かに受け取った。
「儂の最高傑作のドレスに、塩水をかけるな。布地に染みる」
彼女はぷっと吹き出した。
祖母が「どうしたの」と首を傾げた。
「なんでもないです。嬉しくて」
式が終わって、二人が式場の外に出たのは夕暮れ時だった。
空が橙と紫と金に染まっていた。
西の空には、まるで神様が筆を振るったかのような、鮮やかなグラデーションが広がっている。
純がぼんやりと空を見上げながら言った。
「神様、来てましたよね」
「全員来てたと思う」
「なんか言いましたよね、僕のこと」
「聞こえてたの?」
「少しだけ」
彼女はドレスの裾を押さえながら、夕空を見上げた。
「ドレスに塩水をかけるな、って」
純は笑った。
「チョロいなあ」
「本当に」
二人はしばらく、夕焼けの中に立っていた。
誰かの宇宙のどこかで、今ごろ神様が「言っておくが、感動などしておらんからな」と独り言を言いながら、新しい星を作っているのかもしれなかった。
おトラばーさんが「余分に貯めておいた時間、ちゃんと使えよ」と言いながら星雲の翼を広げているのかもしれなかった。
ルシーダが式場の花瓶の水から顔を出して「おめでとうございます」と泡を飛ばしているのかもしれなかった。
セレナが、どこかの銀河の端っこで、純と彼女の名前がついた嵐を優しくそよ風に変えているのかもしれなかった。
夕風が吹いた。
ドレスの光の糸が一斉に流れ星のように走り、二人の周りを、花吹雪のように光が舞った。光の粒が空へと昇っていき、一番星と混ざり合う。この世界と神様の宇宙が、今、確かにひとつに重なっていた。
純がその光を見て、「祝福してもらってますね」と言った。
彼女が「マスタードつきで」と答えた。
純が笑い、彼女が笑い、光が散った。
その夜、自宅のテーブルの上に、フランクフルトが三本あった。
マスタードが、たっぷりついていた。
メモには、一言だけ書いてあった。
『よかったぞ。 神』
二本は二人で食べた。
一本は、窓際に置いておいた。
朝になったら、きれいになくなっていた。
そこには銀河の砂のような、微かな光の粒だけが残されていた。
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