平凡すぎる銀河防衛生活 (一) 〜宝石の朝と、サラマンダーの焦げ跡〜
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あらすじ
一話完結・オムニバス(長めの物語)自由に色々書いています
本文
平凡すぎる銀河防衛生活 (一)
〜宝石の朝と、サラマンダーの焦げ跡〜
午前六時半。佐藤 純 の意識は、鼻腔をくすぐる二つの香りによって覚醒する。
一つは、サイフォンの中で踊る琥珀色の液体から立ち上る、深く芳醇なコーヒーの薫り。そしてもう一つは、鼻の奥をツンと刺すような、どこか懐かしくも不穏な硫黄のにおいだ。
「純〜、ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、失敗したかもー」
キッチンから響く妻の弾んだ声。純は瞼を閉じたまま、脳内で瞬時に状況を解析した。硫黄の香りは「炎系」の予兆。声のトーンが明るいのは、消火器の出番はないという確信。
彼はゆっくりと身体を起こし、扉を開けた。
リビングには、朝陽を透かしてオレンジ色に輝く薄霧が漂っていた。その中心で、エプロン姿の妻が、悪戯が成功した子供のような顔で立っている。テーブルの上には、こんがりというよりは「炭化の入り口」に片足を突っ込んだ、漆黒に近いこげ茶色のトーストが二枚。それとは対照的に、サイフォンの中では最高級のグアテマラが、完璧なアンバーの輝きを放っていた。
「おはよ、純。見て、今日の火加減、工夫してみたの!」
「……朝からキッチンに、夕焼けみたいな色の煙が立ち込めているね」
「そう! 物置のオークさんに頼んで、サラマンダーの幼体に火を借りてきたの。一瞬で焼けるし、香ばしさが次元を超えてるでしょ?」
純はひび割れたトーストを手に取った。確かに香ばしい。香ばしすぎて、もはやパンというよりは「熱を帯びた化石」に近い質感だ。異世界の火龍の炎に、地球のデリケートな小麦粉を制御する手加減などという概念は存在しなかったらしい。
「美味しいよ。でもね」純は苦笑しながら、サイフォンから熱いコーヒーを注いだ。
「明日は、普通にデロンギのダイヤルを『3』にして焼こうか」
「えー、冒険心がないなあ。せっかくの火龍なのに」
「僕の冒険心は、明日の美術館デートのために温存してあるんだ。印象派の光を浴びに行くんだろう?」
妻の顔が、ぱっと春の陽だまりのように輝いた。彼女が笑うと、部屋の粒子が物理的に明るさを増す気がする。魔法も異世界エネルギーも介在しない、ただ一人の女性が放つ眩しさが、そこにはあった。
二人は並んで座り、たっぷりのバターで誤魔化した焦げたパンをかじった。苦味の強いトーストに、酸味の効いたグアテマラが、驚くほどよく合った。こういうことが、たまにある。失敗が偶然に正解を引き当てる朝が。
【境界線に建つ家】
佐藤 純。職業は、静寂の中で言葉を紡ぐフリーランスの翻訳家だ。分厚い技術マニュアルの海に潜り、時に宇宙人が執筆した夢想的な小説を日本語のドレスに着せ替える。そんな、どこにでもいる「言葉の職人」である。
ただ一点、彼の住む座標を除いては。
彼の家は、全宇宙と全異世界の因果が絡み合う「特異点」となっていた。なぜそうなったのか。その理由は、銀河の叡智を集めても、深淵の魔導書を紐解いても判明していない。ただ、気づけば庭の物置に元魔王軍のオークが居着き、隣の芝生には銀色の瞳を持つ宇宙人一家が住み、スーパーの鮮魚コーナーでは人魚族の兄弟が「本日の特売」の隣に陳列されていた。
純はそんなカオスを、朝の天気予報を確認するような平穏さで受け入れていた。腹が減れば多種族と食卓を囲み、問題が起きれば翻訳の推敲と同じ丁寧さで対話する。それが、この世界の交差点で暮らすための、彼なりの作法だった。
【黄金のチャーハンと、空飛ぶ不始末】
仕事部屋へ向かおうとした純の足を、庭から響く重低音の鼻歌が止めた。物置の引き戸から、白く濃密な湯気が龍のように立ち上っている。純は縁側に腰を下ろし、陽光に透ける湯気の揺らぎをしばらく眺めた。
「オークさん、今日もいい音をさせてるね」
湯気の向こうから、二メートルを超える巨体と、新緑のような皮膚を持つ剛腕が現れた。元・魔王軍第七師団副料理長。牙を剥き出しにしたその風貌は恐怖そのものだが、首から下げた「猫印」のエプロンが、彼が今はただの町内の料理名人であることを雄弁に物語っている。
「おう、純の旦那。今日は市場でいいXO醤が手に入ってな。特製の『黄金爆砕チャーハン』を仕込んでるんだ」
「……サラマンダーの火は使ってないよね?」
オークは一瞬、中華鍋を振る手を止めて視線を彷徨わせた。
「……努力目標だ」
彼が魔界を追われた理由は、残酷なほどに平和的だった。あまりに料理が美味すぎて、最前線の兵士たちが武器を捨てて会食を始めてしまったからだ。魔王に「お前は軍の士気を、胃袋から腐らせる毒だ」と、褒め言葉に近い形で解雇された男。今や彼の作る麻婆豆腐や餃子は、全宇宙の胃袋を黙らせる平和の象徴となっていた。
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午前十時。
デスクの上の AQOOS wish が、執筆の合間に着信を告げた。
玄関を開けると、そこにはコンビニの制服を着た少女がいた。黒髪のツインテールを揺らし、肩には星屑を散りばめたような杖を担いでいる。修行のために異世界から出稼ぎに来ている魔法少女、十六歳だ。
「佐藤さん、ちょっと……相談というか、懺悔というか」
「まあ入りなよ。ちょうどコロンビアを淹れたところだ」
ソファに沈み込んだ彼女は、杖を横に置き、しおしおと肩を落としていた。この家への出入りは週に三、四回ある。この表情は「やらかした顔」だと、純は経験から知っていた。
「実は昨日の夜、空の空域を借りて『マイクロ流星群』の召喚演習をしてたんです」
「……嫌な予感がするね。直径は?」
「テニスボールくらいです! でも、一つだけ軌道計算をミスって……お隣の宇宙人さんちのアンテナに、クリティカルヒットしました」
純はそっとこめかみを押さえた。窓の外では、宇宙人一家の家の屋根で、銀色のパラボラが悲しげに折れ曲がっている。
「流星の練習は、せめて相模川の河川敷か、山の方でやってくれないかな」
「すみません……バイト代、全部修理費に飛んでいきそうです……」
「飛んでいきそう、じゃなくて飛んでいくと思うよ」と純は静かに言った。
「一緒に謝りに行こうか」
【謝罪の銀色、光の対話】
純は魔法少女を連れて、隣の門を叩いた。
出てきたのは、第三惑星連邦の調査員だった。見た目は端正な人間だが、瞳は水銀を流し込んだような銀色で、感情の起伏に合わせて頭頂部が淡くルミネッセンスする。今は、やや不規則にピカピカと明滅していた。怒りか、戸惑いか、あるいはその両方か。
「佐藤 純、良いところに来た。我が家の第七銀河系通信リンクが、突如として飛来した岩石によって破砕されたのだ。これはもしや、宣戦布告——」
「修行のミスです」
魔法少女が深く頭を下げた。「アンテナ代、全額弁償します。コンビニの深夜シフト、三日増やしますから」
宇宙人の父親の頭頂部が、今度はより複雑なパターンで明滅した。怒りの赤みが引いて、計算しているような青みが混じっている。
「……あのアンテナは特注品だ。地球の通貨に換算すれば、概ね三万二千円」
「バイト代で足りるね」と純が横から口を添える。それから少し間を置いて、「解決したお祝いに、今夜うちに寄りなよ。オークさんがXO醤でチャーハンを作ってる。家族みんなで」
その瞬間、宇宙人の頭が、春の木漏れ日のような柔らかい桃色に発光した。
「……交渉成立だ。実はアンテナには予備がある」
魔法少女が隣でそっと息を吐いた。純は彼女の肩を軽く叩いた。宇宙人一家は実に合理的で、そして何よりオークの料理の信奉者だった。この街では、だいたいの問題がそうやって着地する。
【静寂を裂く「浮遊城」】
その異変は、翌朝の朝食中に訪れた。
純と妻が、美術館のチケットを眺めながら、パンの耳の硬さについて真剣に議論していた時だ。突如として、リビングに差し込む朝の光が奪われた。
雲が遮ったのではない。もっと巨大な、絶対的な「影」が、街ごと飲み込んだのだ。
純は窓を開け、空を仰いだ。
「純、あれ……」
「ああ……」
空には、城が浮かんでいた。それも一つではない。白銀の装甲を纏った七つの要塞が、青空を削り取るように連なっている。要塞間には金色の魔力ラインが橋のように架かり、その周囲を無数の光り輝く使者たちが、さながら銀河の塵のように静かに舞っている。
「浮遊城だね。しかも、フルセットだ」
「七つ……一週間分あるわね」
二人は沈黙した。あまりに非日常が巨大すぎると、人は逆に日常のルーチンに縋りたくなるものだ。純は立ち上がり、空に浮かぶ無機質な美しさの要塞を見つめながら言った。
「……コーヒー、もう一杯飲む?」
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やがて、街全体に物理的な振動を伴う「声」が降ってきた。それは低周波のように肺を揺らし、窓ガラスを微細に震わせる。
『この星の知的生命体よ、聞け。我々は全宇宙統治会議の代行者である。この地点が多次元交差点の最重要核であることを確認した。これより、この地域を神域として接収し、管轄下に置く。異存は——』
「異存、あります」
純は玄関から一歩踏み出し、拡声器も使わずに、ただ翻訳家らしい明瞭な発声で告げた。その声は、なぜか騒然とする街の隅々まで、そして空の城まで届いた。
『……今、なんと申したか、矮小なる者よ』
「明日の予定が埋まってるんです。妻と美術館に行くんですよ。印象派の展覧会、最終日なんです」純は空を見上げたまま続けた。
「そんな巨大なもので空を塞がれたら、光の描写を楽しみに行こうっていう気分が、根こそぎ台無しじゃないですか」
街の騒音が、すうっと引いた。
オークが物置から顔を出した。宇宙人一家が玄関に並んだ。魔法少女が杖を構えかけて、止めた。空の使者たちが、中空で静止した。
街全体が、時を止めたかのような静寂に包まれた。
【リビングの神々と、カレーの芳香】
数分後、純の家のリビングのソファには、三柱の神が座っていた。
白銀の衣を纏った厳格な議長。丸顔で知恵の塊のような老人の姿をした知恵の神。そして背中に半透明の翼を隠した、鋭い眼差しの軍神。三柱が家庭用のソファに並んで座っている光景は、どう見ても荘厳さに欠けた。
「……貴様が、この特異点の主か」
「主ではなく、ただの翻訳と賃貸経営をやってる住民です」と純は言った。
軍神の威圧的な言葉を正面から受け流し、純はキッチンから漂う香りに意識を向けた。オークが気を利かせて持ってきた焼きたての餃子が、香ばしいニンニクの匂いを放ちながら、神々の厳かなオーラをじわじわと侵食し始めていた。
「まあまあ。難しい話の前に、これでもどうぞ。エチオピアのイルガチェフェです。華やかな香りが、長旅のお疲れに効きますよ」
妻が差し出したカップから立ち上る、レモングラスのような爽やかな薫り。議長が警戒しながらも一口含んだ。
「……! なんだ、この繊細な酸味は。我が銀河の霊水よりも透き通っている」
知恵の神は、いつの間にかオークの餃子を口に運んでいた。
「もちもちしておる……この皮の弾力、宇宙の膨張率に近いものを感じるぞ。美味い」
軍神は腕を組んで黙っていたが、皿から漂う焦がし醤油とラー油の抗いがたい誘惑に、少しずつ眉間の皺を緩ませていた。
純はそれを横目に見て、妻に小声で言った。
「手伝ってもらえる?」
「もちろん。何作る?」
「カレー」
妻が少し目を大きくした。それから、にっこり笑った。
「うん、やろう」
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二人はキッチンに並んだ。作るのは、特別な日の、しかしありふれたビーフカレー。
玉ねぎが飴色に染まるまで炒め、スパイスが熱を得て弾ける。牛すね肉が赤ワインの海でゆっくり解けていく。妻がルーを割り入れる滑らかな手つきを、純は火力を微調整しながら見守る。二人の呼吸が重なり、一つの味が完成していく。長い時間をかけて積み上げてきた、焦げたトーストも笑って食べてきた二人の、これが連携だった。
やがてカレーの香りが、リビングどころか街の通りまで溢れ出した。
庭で待機していた宇宙人一家が鼻をひくつかせた。オークがフライパンを置いた。魔法少女が杖を下ろした。リビングでは、議長がゆっくりと背を伸ばした。知恵の神が窓の方を見た。軍神が、初めて腕を解いた。
【征服の終焉、日常の勝利】
「さあ、お待たせしました。佐藤家特製カレーです」
三柱の神々の前に、湯気を立てる一皿が置かれた。議長は黄金色のルーをスプーンで掬い、厳かに口へ運んだ。
その瞬間、彼の銀色の瞳に、何か柔らかいものが宿った。
我々は、力こそが秩序だと信じてきた。
だが……この皿の中にある、この温かさは何だ」
「それはただの日常ですよ」と純は自分の分のカレーを食べながら答えた。
「美味しいご飯を食べて、誰かと笑う。神様も宇宙人も魔族も、結局のところ、そこに行き着くんじゃないでしょうか」
軍神は無言で二皿目を平らげていた。
「……このスパイスの配合、戦術的に完璧だ。私の負けだ」
知恵の神が満足げに髭を撫でた。
「征服などという面倒なことはやめよう。この味をいつでも味わえる場所にする方が、よほど理にかなっておる」
議長が静かに微笑んだ。
「……征服する意味が、分からなくなってきた。この場所には、力では手に入らないものがある」
【二つの月と、光り輝く街】
翌朝、浮遊城は去らなかった。
代わりに、街の東にある丘の上へと、静かに着陸した。最大の要塞はその日のうちにリノベーションが始まり、フードコートの一等地には「オークの直火中華・サラマンダー屋」の看板が掲げられた。魔法少女は六番目の城の尖塔を「流星演習場」として格安でレンタルする契約を取り付け、宇宙人一家は城のアンテナを借りて、実家の惑星と高画質でテレビ電話を楽しんでいる。
観光協会が「浮遊城のある街」としてパンフレットを作り始めたのは、それから一週間後のことだった。
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純と妻は、予定通り美術館へ向かった。
キャンバスの中の、移ろいゆく光を捉えた絵画たち。妻は絵の前でよく立ち止まり、純は時々妻の横顔を見た。
「純、この絵、素敵。光が素直に、そこにあるだけって感じで」
「そうだね」と純は言った。「僕たちの街も、今はそんな感じかもしれない」
帰り道、公園のベンチに座ると、夕暮れの空に二つの月が昇り始めていた。一つはいつもの柔らかな黄色。もう一つは、異世界のどこかから迷い込んだ、神秘的なサファイアブルーの月だ。
「世界、救っちゃったね。純」
「僕はただ、君と美術館に行きたかっただけだよ」
妻が笑った。その笑い声が夕暮れの公園に広がって、鳥が一羽、枝から飛び立った。
「それが一番強いんだよ、きっと。大義とか野望とか、そういうのより」
「カレーも強かったけどね」
「カレーも」
純が妻の手を取ると、妻は取られた方の手を少し握り返した。
空の七つの城が、街の灯火と混ざり合って、宝石箱をひっくり返したように輝いている。どこかで、オークの鼻歌が聞こえた気がした。
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佐藤 純 の一日は、明日もコーヒーの香りから始まる。
サイフォンの中で踊る光。焼きたてのトースト——今度こそ、デロンギのダイヤルは「3」のつもりだ。
全宇宙・全異世界の交差点は、今日もにぎやかで、少し焦げ臭くて、そして何より
——世界で一番、愛おしいにおいがした。
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平凡すぎる銀河防衛生活 (二) 〜帰還する会長と、やっぱり変な隣人たち〜 | 小説投稿サイト「あいぺん」
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