配信1回目 壁の向こうで拍手する部屋 ――死んでる時間は休憩扱いらしい
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あらすじ
女子高生・影森ゆらは、怪異事件に巻き込まれて死んだ。 ……はずだった。 目を覚ました場所は、古い雑居ビルの奥にある《夜見よろず相談事務所》。 そこで待っていたのは、美形だけど性格最悪の怪異相談屋・夜見朔夜。 しかも彼は開口一番、「高額呪具を壊した借金、蘇生費込みで返してもらう」と言い放つ。 こうしてゆらは、怪異相談・心霊配信・現場調査・囮・雑用、 必要なら死後潜入までやらされる、最低・最悪のブラックバイト生活に突入した。 時給三百円。危険手当なし。労災なし。死亡中は休憩扱い。 終わっているにもほどがある。 この街では、壁、鏡、地下通路、古い建物の隙間みたいな"薄い場所"から、怪異が日常へ入り込んでくる。 ゆらは生きたまま連れ回されることもあれば、現場で死んで、霊体のまま怪異の内側へ潜ることもある。 怖いし痛いし理不尽すぎる。なのに借金は減らないし、朔夜は休ませてくれない。 だけどその男は、ゆらを平気で危険地帯へ放り込むくせに、 本当にまずい時だけは、何度でも彼女をこちら側へ引き戻してしまう。 ――これは、死にたくない女子高生が、 美形クズ怪異相談屋に死後もこき使われながら、 怪異の向こう側と、彼が隠している本音に近づいていく、 ちょっぴり切ない現代怪異ホラーバトルコメディ。
本文
これは、私が死んでから始まった、最低最悪のバイトの話だ。
怖いのが苦手な人は、壁の向こうの音にだけ気をつけてほしい。
――――
これは私が死んで、サイテーな男のサイアクな怪異案件を手伝わされる話だ。
ついでに言うと、心霊配信の補助も、よろず相談事務所の雑用も、掃除も、買い出しも、相談メールの返信も、だいたい全部私がやらされている。
しかも時給は安い。危険手当なし。労災なし。死んでる時間は休憩扱い。
そんな終わってるブラックバイトが、この世にあっていいわけがない。
なのに私は今、その最前線に立たされていた。
そこは、六畳ほどの古びた部屋だった。
黄ばんだ壁紙。擦り切れたフローリング。安っぽい蛍光灯の白さだけが、妙に部屋の隅々を平たく照らしている。湿った古い建物のにおいに混じって、カビと、長く閉め切られた押し入れのような、鼻の奥に残る重い空気があった。
正面の壁が、どくん、どくん、と内側から脈打っている。
壁紙の下で、何かがゆっくり這っていた。
そして、聞こえる。
ぱち......
ぱち......。
ぱち......。
拍手だ。
ゆっくりで、遠慮がなくて、音だけがやけに乾いている。祝福みたいな軽さはまるでない。ただ、こちらの神経を一枚ずつ剥がして逆なでするような、嫌~なリズムだった。
「やだやだやだ、無理、無理! いるって! 前にいるって! 、これ絶対ダメなやつ!」
半泣きで叫ぶ私の声が、薄い部屋の空気を震わせる。
でも、背後から返ってきたのは、ため息まじりの低い声だけだった。
「うるさい、。配信の音が割れる」
「死んでる女子高生を前に立たせといて第一声がそれ!? 助けろ、このクズ!」
「お前が前にいるほうが反応を引きやすい」
「配信者の発想で怪異に向き合うな!」
私は振り返って怒鳴った。
部屋の入口近く、スマホを片手に立っている男――夜見朔夜は、やっぱり今日も顔だけは無駄に良かった。
照明の悪い部屋の中でもがきれいに出るくらい整った横顔。少し長めの黒髪が、だるそうに伏せた目元へ影を落としている。黙ってさえいれば、深夜帯のドラマに出てきそうな美形だ。
黙ってさえいれば――。
そして、画面の中では、配信コメントが流れていた。
《またこのJK死んでね?》
《悲鳴たすかる》
《壁ふくらんでね?》
《後ろー》
《それ配信に映ってない》
「最後のコメント誰!? ねえ!? そう言うのやめて、ほんとにやめて!」
――ここで、話は前日にさかのぼる。
少し風の強いその日、私はいつも通り学校からの帰り道を歩いていた。
この街は、中京圏最大級の人の流れを抱えているくせに、一本裏へ入ると急に時間が古くなる。
高架の影。少し湿った風。大通りのネオンが遠くに滲んで、古い雑居ビルの窓だけがやけに暗い。
地下へ降りる入口と、古い商店街の軒先が同じ視界に入るような、そういう街だ。
私はその時、制服のスカートを軽く押さえながら、スマホの画面を覗き込んでいた。
「うわ、今日の小テスト終わってたな……。帰ったら甘いの食べたい……いやでも寄り道したらお母さんに怒られるし……」
独り言をこぼしたそのとき、ぴこん、とスマホの通知音が鳴った。
見た覚えのない広告が表示されている。
他で断られた相談、受けます。原因不明歓迎。夜間対応可。
よろず相談事務所
「なにこれ。こわ」
思わずつぶやいた瞬間、背後で音が鳴った。
ぱち。
私は足を止めた。
振り返る。
誰もいない。
古びた看板。シャッターの半分降りた店。風に揺れる旗。自転車が一台。高架下から流れてくる車の低い音。
それだけだ。
「……気のせい?」
言いながら歩き出したところで、また鳴った。
ぱち。
今度は少し近い。
ぞわ、と首の後ろの産毛が立つ。
「うそでしょ」
早足になる。
拍手は、慌てもせず、追い立てもせず、でも確実についてくる。
ぱち。
ぱち。
ぱち。
走るには小さすぎる音なのに、無視するには近すぎた。
えきれなくなって、私は近くのビルへ飛び込んだ。
古い雑居ビルだった。入口の電灯は半分切れていて、階段の踊り場に枯れかけた観葉植物が置いてある。二階のいちばん奥、安っぽい銀色のプレートに書かれた文字が目に入った。
夜見よろず相談事務所
「いや絶対怪しいって!」
そう思ったのに、背後でまた拍手が鳴ったから、私はもうそこへ逃げ込むしかなかった。
ノックもそこそこに扉を開ける。
「すみません! なんか変なのが、っ……」
部屋の中は、思っていた以上に終わっていた。
古い机、積み上がった書類、安っぽい配信機材、延長コード、半分食べたカップ麺、怪しい札、飲みかけのペットボトル。人が生活しているのか、怪異が巣食っているのか、ちょっと見ただけでは判別がつかない。
その中心で、ソファに深く座っていた男が、だるそうに視線だけを上げた。
「.......営業時間外なんだが」
「知らないよそんなの! 助けてって言ってるの!」
「そうか」
「、薄っ!」
その返事の薄さに本気で引いた。
でも、次の拍手が扉の向こうで鳴った瞬間、男の目つきだけが変わった。
温度が一段、下がる。
「……つれてきたな」
「は?」
「何を見た」
「知らない! 普通に帰ってただけ! 変な広告が出て、そのあと拍手がして……!」
「ああ」
「ああ、じゃない!」
男――夜見朔夜は立ち上がると、棚から銀色の鏡を取り出した。
手鏡より大きく、姿見よりは小さい。縁には細かい文字がびっしり刻まれていて、見ているだけで目が滑りそうになる、嫌な精密さだった。
「触るなよ。高い」
「今その情報いる!?」
「今だから言う」
朔夜は鏡を壁に向けた。
鏡の中に、部屋にはないはずの黒いひずみが浮かぶ。
細い通路のような、裂け目のような、見ているだけで奥行きがおかしくなる黒。
そのいちばん奥で、白い指先が、ひとつ、動いた。
「帰り道のどこかで、境界を踏んだな」
「境界?」
「こっちと向こうの境目だ。あれは今、壁を出口にしようとしている」
「だから何が!?」
ぱち。
扉の横の壁がわずかにふくらむ。
朔夜は鏡を構えたまま、面倒くさそうに言った。
「怪異だ」
「説明が雑!」
壁紙の下で何かがうごめいた。
私は本能的に一歩下がる。
でも、視線を逸らした瞬間、別の壁が脈打った。ロッカーの裏。窓ガラスの向こう。部屋中の"薄いところ"が、全部出口になろうとしている。
「ちょ、待って、手! 手ぇ出てる! いや爪長っ! その長さで生活できる!?」
「そこじゃない」
「いや気になるでしょ普通!?」
ぱん、と壁が大きく脈打った。
白い腕が、壁紙を破って伸びてくる。
「ひっ!」
私は悲鳴を上げて、目の前にいた朔夜へ反射的にしがみついた。
その拍子に、鏡が彼の手から滑り落ちる。
銀の呪具は床に叩きつけられ、耳障りな音を立てて割れた。
時間が止まったみたいな、短い静寂。
「……あ」
私の声がひどく小さく響いた。
朔夜が低い声で言う。
「……おい」
「ご、ごめ」
「終わった」
次の瞬間、部屋中の壁が一斉に脈打った。
どくん。
どくん。
どくん。
白い腕が何本も伸びる。
壁から、窓から、ロッカーの裏から、ありとあらゆる"薄い場所"から。
私は逃げようとした。
でも遅かった。
冷たすぎる手が足首を掴み、その次の瞬間には首にも指がかかっていた。
「や、だ……っ」
息ができない。
視界の端で、壁の向こうに女の顔が見えた。
笑ってはいない。なのに、どういうわけか、ひどく嬉しそうだった。
「朔、夜……!」
「っ、くそ」
それが最後だった。
視界が裏返る。
音が遠のく。
次に気づいたとき、私は天井近くから、自分の身体を見下ろしていた。
「……え」
「死んだな」
「軽っっ!」
朔夜は本気で嫌そうな顔をしながらスマホを確認していた。
画面には、見たことのない管理画面と、残高みたいな数字。さらに机の引き出しから札を数枚抜き出すと、指先でそれを折った。火は出ていないのに、紙は光になって燃え、粒子みたいに私の胸へ沈んでくる。
「ちょっと待って、何してるの」
「蘇生だ。黙ってろ」
「死んでる本人に説明なし!?」
「高いんだよ、これ」
次の瞬間、胸が強く痛んだ。
「がっ……!」
空気が肺に流れ込み、私は床の上で咳き込んだ。
苦しい。痛い。冷たい。全部戻ってくる。
「げほっ、げほっ……な、に、これ、いた……!」
「応急蘇生。最低限だ」
「先に心配とかないの!?」
「ある」
「え」
「赤字だ」
「最低!!」
私は涙目のまま叫んだ。
朔夜は眉ひとつ動かさず、割れた鏡へ視線を落とす。
「弁償だ」
「は?」
「、修復不能。蘇生費込みで四千九百八十万円」
「終わってる終わってる終わってる! 高校生に請求する額じゃない!」
「壊したのは事実だ」
「その前に助けてくれたことには一応感謝するけど、でもその請求は絶対おかしい!」
当然、払えるわけがない。
青ざめる私に、朔夜は紙を一枚差し出した。胡散臭さの権化みたいな書類だった。
「じゃあ働け」
「は?」
「夜見よろず相談事務所、補助スタッフ。怪異相談受付、雑務、配信補助、現場同行」
「待って待って、勝手に職種を増やすな」
「必要に応じて囮」
「増やすなって言ってる!」
「必要に応じて死後潜入」
「さらっと言うな!」
朔夜は指折り数えた。
「掃除。買い出し。メール返信。呪符の仕分け。配信補助。コメント監視。案件同行」
「普通の雑用の中に命の危険を混ぜるな」
「時給三百円」
「犯罪!」
「危険手当なし」
「犯罪!」
「労災なし」
「犯罪!!」
「死亡中は休憩扱い」
「人の尊厳!!」
その日から、私は夜見よろず相談事務所で働かされることになった。
いや、働かされるというより、使い潰されることになった、が正しいかもしれない。
翌日。
私はさっそく、床掃除をしながら相談メールを返信し、コンビニでコーヒーを買わされ、意味不明な札の束を仕分けさせられ、その合間に配信サムネの文字入れまでやらされていた。
「なんで私が"戦慄の深夜調査"って文字入れしなきゃいけないの」
「センスがない。フォント変えろ」
「注文だけ一丁前!」
そこへ、事務所のベルが鳴った。
若い女性が、ひどく怯えた顔で立っていた。
「すみません、相談……できますか」
朔夜は、さっきまでのだるそうな顔を一瞬だけ営業用に切り替えた。
「内容次第で」
「切り替え早っ」
女性の話はこうだった。
家賃三万八千円の古いアパートに引っ越してきてから、夜になると壁の向こうから拍手が聞こえる。隣室は空室のはずなのに、音は毎晩少しずつ近づいてくる。最近は壁紙が内側から膨らみ始めた。
「……あ」
私と朔夜の視線がかち合う。
「いや絶対昨日の続きじゃん」
「そうだな」
「"そうだな"で済ますな!」
その夜、私たちは依頼人のアパートへ向かった。
古い鉄骨造の建物だった。外廊下の電灯は暗く、隣室の表札だけが外されている。空室のはずなのに、その前を通ると、確かに聞こえた。
ぱち。
ぱち。
私はその場で帰りたくなった。
「帰ろう」
「だめだ」
「即答!?」
朔夜は平然と配信機材を起動する。
「何してるの」
「配信」
「依頼人の前で!?」
「ぼかす」
「倫理観が全部"だいたい"なのやめて!」
部屋の中は、どこにでもある一人暮らし用のワンルームだった。
でも壁だけが違う。
近づくほど、向こう側の気配が濃くなる。じっと耳を澄ませば、拍手の合間に、かすかな息遣いまで混じっている気がした。
そのときだった。
壁紙が大きくふくらんだ。
「影森、下がれ」
朔夜が言う。
でも依頼人が壁際で固まっていた。
私は反射的にそっちへ走ってしまう。
「ちょ、だめ、そこ立たないで!」
ぱん、と壁が裂けた。
白い腕が伸びる。
「え」
次の瞬間、掴まれた。
「いやああああ!?」
「影森!」
「今さら名前呼ぶなぁぁぁ!!」
首を絞められ、壁の中へ引き寄せられる。
冷たさと圧迫感が一気に視界を塗りつぶし――そして私は、また死んだ。
気づけば、冒頭と同じ部屋に立っていた。
足は床から少し浮いている。
拍手は、まだ続いていた。
そういうことだ。あのコメント欄の悲鳴が飛び交う部屋に、霊体のまま立たされた。その場面の続きだ。
そのときだった。
ぱたり、と拍手が止んだ。
止んだ、と思った直後の静寂は、音が消えたというより、部屋の全部が耳を澄ましたみたいな気配を持っていた。
壁の中央が、ゆっくりとへこんだ。
向こう側から、細い指先で押されたみたいに。
そして、湿った女の声がした。
「……ゆら」
喉が凍る。
「い、いやあぁぁ!? 名前呼ばないで!!」
壁紙の下で何かが笑った気がした。
私は半泣きで壁の向こうへ踏み込んだ。
本来あるはずのない細い空間が、空室の壁の裏に伸びている。人ひとりが横向きでようやく通れる幅。湿った壁。剥がれた札。押し込められた古いにおい。
その奥に、女がいた。
髪が長い。白い。さっきまで鳴らしていた両手を、ゆっくりと腹の前で重ねていた。
「やだ近い近い近い! ていうかその空間にその髪の量は多くない!?」
「影森、状況を報告しろ」
「怖いのに冷静さまで要求するな!」
でも、見える。
霊体になったからなのか、死んだからなのか、壁の向こうに残った痕跡が見えた。女の足元。壁の中へ押し込まれるように残された札の破れ端。誰にも認識されなかった隙間。隣室ですらなかった"場所"。
「朔夜! 札みたいなのある! たぶんこれが核! あとここ、部屋っていうか……隣扱いされなかった場所、みたいな……!」
「十分だ」
朔夜が護符を放る。
スマホ画面の数字が一気に減った。
コメント欄がざわつく。
《今のなに》
《画面ノイズやば》
《登録外れた?》
《壁、閉じてく》
さらに、朔夜は財布から抜いた札束の一部を指で弾いた。紙幣は光になって崩れ、護符へ吸い込まれる。
「今の封印で登録者二千飛ぶ」
「知らないよそんなの!」
「だから死ぬな」
「先に言えって言ってる!」
朔夜の声が低く響く。
「境界閉鎖。帰路遮断。拍手停止」
壁の向こうの細い空間が、ぎしりと軋んだ。
女の両手が、かすかに震えた。
「影森、離れろ」
「今もう全力で離れてる!」
札の残骸が燃える。
細い部屋は、壁そのものへ押し戻されるように縮み、最後に一度だけ、乾いた拍手を鳴らして消えた。
音が止む。
圧迫感も、湿った気配も、少しずつ薄れていく。
依頼人の部屋から異音は消えた。
壁紙のふくらみもなくなる。
現場を出た私は、二度目の蘇生をされて、へろへろのまま事務所へ戻った。
机に座るなり、朔夜は帳簿と電卓を出す。こういうときだけ異様に手際がいい。
「今回の働きで借金は三千円減額だ」
「少なっ!」
「蘇生二回。出張費。護符消費。配信赤字」
「増えてるよね!?」
「少し増えたな」
「このバイト終わってる!!」
私は机に突っ伏した。
すると、朔夜が缶ジュースを放ってよこす。危うく顔面に当たるところだった。
「お前、糖分切れてるとうるさい」
「……そういうとこだけちょっとムカつく」
そのとき、事務所のメール着信音が鳴った。
朔夜がスマホを見て、短く言う。
「次だ」
「やだ」
「相談。帰宅途中の地下通路で、出口が毎晩一つ増える、だそうだ」
「聞いてない! 受けるとも言ってない!」
「時給三百円」
「安すぎる!!」
中京の大都市の夜は、思っていたよりずっと怪異に近い。
そして私の借金は、思っていたよりぜんぜん減らない。
ここは、本当に、最悪のバイト先だった。
つづく