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配信24回目 戻りま銭【後編】 ――ほんとにいないの?

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📅 公開日: 2026/5/1 📚 シリーズ: 影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます 📝 8,269文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます - 配信24回目 戻りま銭【後編】 ――ほんとにいないの?

本文

最初に戻ってきたのは、においだった。

 消毒液。

 古い血。

 乾ききらないシーツ。

 長く使われていない病院特有の、白いはずなのに少し灰色が混ざった空気。

「……う」

 目を開ける。

 私は、ひびの入ったビニール床の上に寝ていた。

 天井の蛍光灯は半分だけ点いていて、残り半分は、切れているというより、点くのを諦あきらめたみたいに黙っている。廊下の先には青白い非常灯。壁の案内板には、内科、処置室、手術準備室、当直室――と並んでいるのに、矢印の向きだけが微妙におかしい。

 病院だ。

 ただし、生きてる側の病院ではない。

「……さ い あ く」

 声に出したら、廊下の奥へ細く反響して、少し遅れて返ってきた。

 耳の奥には、死ぬ前の配信コメントみたいなざわつきがまだ残っている。

《聞こえてる?》

《戻って》

《それ使うな》

《朔夜の声じゃない》

《配信切れない》

 ほんとに、最悪だ。

「やっと起きたわね」

 すぐ横から、小さく、落ち着きすぎている女性の声がした。

「うわっ!」

 飛び起きる。

 廊下の壁際に、白縫しらぬい冥めいが立っていた。

 黒い服。白すぎる肌。感情を表に出さない目元。病院の薄暗さの中でも輪郭がきれいに出るのに、そこに人間っぽい安心感が一切ないのが、逆に怖い。

「びっくりした……! いたなら言ってよ!」

「言いました」

「もっと生きてる側のテンションで!」

 私の胸元では、ぬいぐるみの形代かたしろに入ったぬいが、ぐったりしたまま片耳だけをぴくりと動かした。

「わしは最初から反対しとった……」

「今さら言うな!」

 私は立ち上がろうとして、違和感に気づいた。

 身体が軽い。なのに、痛みだけはしっかり残っている。刺された場所の奥が、冷たいままじくじくしている。死んだ直後の痛みだけが遅れてついてきてるみたいで、気持ち悪かった。

「……ここ、どこ」

「向こう側です」

「説明が雑!」

「廃病院案件の、処置途中だけが残った層。夜見朔夜も、ここへ引かれています」

 心臓が、嫌な跳ね方をした。

「あいつ、やっぱりこっちにいるの?」

 冥はすぐには答えなかった。

 代わりに、私の手元へ視線を落とす。

 そこには、前編で握り込んだままだった小さな古銭があった。

 くすんだ銀色。安っぽいくせに、指先だけ変に冷える。縁に細かい文字が刻まれているけど、読ませる気のない細さだ。

「それを、まだ持っているんですね」

「これ? 《戻り銭》」

「ええ。銭原ぜにはらの簡易蘇生具です」

 私は冥を見た。

「簡易蘇生具って、事務所でさらっと言ってた(※前編参照)けど」

「はい」

「それ、本当に生き返れるやつなの?」

「いいえ」

 即答だった。

「は?」

 冥は少しも悪びれずに続ける。

「それは蘇生ではありません。時間の前借りです」

「もっと早く言え!!」

「言いました」

「小さい! 声が小さい!」

 廊下に私の声が響く。

 冥は平然としていた。

「《戻り銭》は、死の直後に使うことで、完全に落ちきる前の残り時間を買い戻す呪具です。戻れるのは一度だけ。しかも一時的です」

「……それ、ほぼ詐欺じゃん」

「銭原の品ですから」

「納得しかけたのが悔しい!」

 私は古銭をにらんだ。

 事務所で見た、朔夜の書き置きが頭に浮かぶ。

 お前が行け

 というか撮れ 配信しろ

 机のやつもってけ

 一回だけ

 死ぬなとは言わん

 最後のあたりは字が潰れて、よく読めなかった。

 急いで書いたというより、急ぎながら何かに追われていたみたいな字だった。

 最初は、うざい、雑、性格終わってる、って思った。

 いや今も思ってるけど。

 でも。

「あいつ……知ってたんだ」

「ええ」

「これが、まともな蘇生じゃないって?」

「知っていて置いたのでしょう。正規の蘇生術式を事前に仕込む時間がなかった。だから、最低限の保険だけ残した」

 冥の言葉は冷たいのに、意味だけは妙に重かった。

「つまり、あいつ……」

「貴方を巻き込みたくなくて、先に出ました」

 私は何も言えなかった。

 これまで思っていたことが、頭の中で順番に戻ってくる。

 うざい。

 何してんの。

 遅い。

 どうせどっかで見てんでしょ。

 アイツ……ほんとにいないの?

 あれ全部、私ひとりで勝手に怒って、勝手に不安になってただけじゃん、みたいな気まずさが胸の奥を掻きむしる。――少し、苦しい。

「でも、それでも説明しろよ……」

 小さく吐いた声は、ほとんど自分に向けた悪態だった。

 冥は何も返さず、廊下の奥を見た。

「時間がありません。夜見は深部へ引かれています」

「助けに行けばいいんでしょ」

「簡単には言わないでください。あちらは“まだ終わっていない処置”でできた層です。受けられたら、貴方も部品として固定される」

「最悪な言い方しかしないな、ほんと」

「事実です」

「最悪!」

 ぬいが、私の腕の中で薄く震えた。

「……主あるじっぽい匂いは奥じゃ。嫌な感じが濃い」

「お前、こういう時だけ役に立つよね」

「褒ほめても何も出ん」

 私は廊下の先を見る。

 処置室。

 当直室。

 手術準備室。

 案内板の矢印は全部少しずつ曲がっていて、まるで“正しい場所”へ行かせる気がない。

 廊下の床には、乾いた血の線みたいなものが細く続いていた。まっすぐではない。途中で消え、また少し先で現れる。誰かが何か重いものを運んだ痕跡というより、処置の途中で何度も止まった時間の名残みたいだった。

「……行く」

「止めても行くでしょうね」

「止めるの?」

「止めません。ただし、条件があります」

 冥がこちらを見た。

「夜見を見つけても、すぐには触れないこと」

「は?」

「この層では、治療対象は“まだ処置中”として認識されます。無理に引けば、貴方ごと固定される」

「じゃあどうすんの」

「核を止める。そうすれば、未完了の処置自体が崩れる」

 私は息を吐いた。

「分かった。いつも通り、私が核見つけて、あいつが処理すんのね」

「いつも通り、とは言いたくありませんが、概おおむねそうです」

「なんか引っかかるんですけど!説明が雑!朔夜と同じ!」

 冥は初めて少しだけ眉を寄せた。

 たぶん呆れてる。こっちだって呆れてる。

 無言のまま、私たちは廊下の奥へ進んだ。

 病室の扉は半開きで、どのベッドも白いカーテンに囲われていた。

 ただ、その白さが変だった。汚れているんじゃない。清潔すぎて、逆に人間の体温が存在しなかったみたいな白さだ。

 ひとつめの病室。

 ベッドの上には誰もいない。

 でもシーツだけが、誰かを寝かせた形に沈んでいた。

 ふたつめの病室。

 壁際の心電図モニターだけが、電源の入っていない黒い画面のまま、ぴ、ぴ、と鳴っていた。

 みっつめの病室。

 窓の外に、ありえない位置から外灯が見えた。ここは三階か四階くらいの高さのはずなのに、窓のすぐ外で街灯の明かりが揺れている。

「うわ……」

「見すぎるな」

「見ないで進める空間じゃないでしょ、これ!」

 病室の奥、カーテンの隙間から、細い声がした。

「……先生」

 足が止まる。

「先生、まだ……終わって、ない……」

 声は若い女のものだった。

 でも、生きてる側の声じゃない。喉の奥に水が溜まったみたいに重くて、ひどく遠い。

 カーテンの下から、裸足が見えた。

 白い。濡れている。点滴の管みたいな影が足首に絡んでいる。

「ゆら、行くな」

 ぬいが低く言う。

 次の瞬間、カーテンの向こうから、手が伸びた。

「っ!」

 反射的に避ける。

 手は私の肩を掠め、そのまま壁を掻いた。爪が長いんじゃない。爪の先に、薄い医療用テープみたいなものが何重にも貼り付いていて、その分だけ指先が不自然に長く見えるのだ。

「先生、まだ……帰っちゃ、だめ……」

「私は先生じゃない!」

 叫んだ瞬間、病室の奥のモニターが一斉に点いた。

 黒い画面に映ったのは、私たちじゃなかった。

 手術台。白布。血。ぼやけた照明。誰かが慌ただしく動いている影。

 その中心に、黒い上着の背中があった。

「……朔夜!」

 画面の中の背中は振り返らない。

 でもその場に、いる。間違いなく、あいつだ。

 私は病室へ踏み込みかけた。

 冥の手が、私の腕を掴む。

「だめです」

「でも今」

「餌です」

 その一言が、背筋を冷やした。

 直後、モニターの映像がぶつりと乱れた。

 手術台の上の白布がめくれ、その下から、顔のない患者たちが一斉にこちらを向いた。

「うわっ……!」

 病室のカーテンが全部同時に開く。

 そこにいたのは、患者たちだった。

 包帯だらけ。

 点滴台を引きずっている。

 首に処置跡。

 腹に縫合痕。

 目だけが異様に開いている。

 なのに全員、同じ表情だ。

 まだ終わっていない。

 まだ治療がいる。

 帰してはいけない。

 そう思い込んだまま止まっている顔。

「走るよ!」

「右です!」

 冥に引かれて廊下へ飛び出す。

 患者たちの足音は揃っていない。引きずる音、点滴台の車輪、裸足が床を叩く音、骨の鳴る音が全部混ざって、病院全体が後ろから追ってくるみたいだった。

《ゆらちゃん気づいて》

《今の主治医じゃない》

《処置室》

《当直室の奥》

《まだ続いてる》

 耳の奥の配信コメントが、急に鮮明になる。

 死後側にまでコメントがついてくるな。ほんとに。

「コメント欄、今さら役に立つの!?」

「この層は記録に引かれています。貴方の配信痕も繋がっている」

「便利なのか怖いのかどっちかにして!」

 私たちは当直室の前で足を止めた。

 扉のプレートは斜めに割れていて、細い鎖が一本だけ垂れている。

 その足元に、見覚えのある札が落ちていた。

 黒い文字。

 鋭い書き方。

 けど筆圧がところどころ乱れている。

「……朔夜の札」

「ええ」

 拾い上げる。

 紙の端が焦げていた。

 ここで戦ったのは間違いない。

「ねえ」

「なんです」

「あいつ、本当にひとりで来てたの?」

「私が追いついた時には、すでに奥へ入っていました。止める時間はなかった」

 冥の声は相変わらず平坦だったけど、その言葉の裏にあるものは分かった。

 蒐集しゅうしゅう。

 録画の奥からこちらを見ていた“選ぶ側”の視線。

 あれが次に狙っていたのが私で、朔夜はそれを知って、私より先に餌になるほうを選んだ。

 うざい。

 腹立つ。

 説明しろ。

 でも、その奥にあるものまで分かってしまうと、単純に怒るだけじゃ済まない。

「……ばかじゃん」

 小さく吐いた私の言葉に、冥は何も返さなかった。

 当直室の扉を開ける。

 そこは、普通の休憩室ではなかった。

 机。ロッカー。簡易ベッド。古い電気ポット。そこまでは当直室だ。

 でも奥の壁一面に、カルテが貼られていた。

 紙のカルテ。

 手書きの経過記録。

 同じ名前が何度も何度も書き直され、消され、上書きされている。

 その一番奥に、大きな当直表があった。

 夜勤担当医の欄。

 ある日付だけ、赤いペンでぐしゃぐしゃに塗り潰されている。

 その下に、小さくメモが残っていた。

 処置継続

 中断不可

 帰宅不可

「……これ」

「核の思考です」

 冥が静かに言う。

「この病院では、ある夜、当直医が患者の処置途中でこと切れた。患者を助けるはずの処置が終わらないまま、院内ごと事故に巻き込まれた」

「だから“まだ終わってない”が残った?」

「ええ。治療対象も、医師も、退出不能のまま固定された」

 私は当直表を見つめた。

 帰宅不可。

 それは命令みたいでもあり、呪いみたいでもあった。

 そのとき、当直室の床が、ぴたりと揺れた。

 奥の壁が、静かに開く。

 最初から扉なんてなかった場所に、細い処置通路みたいな空間が現れる。

 白い照明。濡れた床。ステンレスの台車。壁に打ち付けられた無数の手形。

 その先に、手術室が見えた。

 私は息を呑んだ。

 中央の手術台の脇に、朔夜がいた。

 壁に背を預けるみたいに立っている。

 黒い服の肩口が裂け、腕に血がついていた。顔色も悪い。なのに目だけは、まだ死んでない側の鋭さを保っている。

 そして、その真正面。

 手術台の向こうに、白衣の影が立っていた。

 男か女かも分からない。

 顔には手術用マスク。

 額のあたりだけがノイズみたいに揺れていて、輪郭が固定されない。

 手にはメスではなく、古い録画機材のリモコンみたいなものを持っている。

 医者と記録者と編集者が、気持ち悪いところで一つに混ざったみたいな姿だった。

 そいつが、こちらを向く。

「次の処置対象」

「うっわ最悪!」

 朔夜が、そこでようやくこっちを見た。

 一瞬だけ、本気で顔色が変わる。

「……何で来た」

「置き手紙が雑すぎるんだよ!」

「来るなって書いたつもりだった」

「どこに書いてあった!?」

「行間だ」

「読めるか!!あたしゃ神か!」

 叫びながら、泣きそうになる。

 なんでこのタイミングでそういう会話ツッコミしてんの、私。

 白衣の影が、ゆっくりと手を上げた。

「記録継続。治療継続。退出不可」

「うるさい!」

 私が怒鳴ったのと同時に、患者たちが背後から流れ込んできた。

 当直室も、廊下も、処置室も、全部が手術室へ繋がるみたいに狭まっていく。

「冥!」

「帰還路は固定します! 核だけ止めて!」

 冥の鎖が、手術室の入口へ走った。

 銀の光が空間の輪郭を留める。

 ぬいが私の腕から飛び降り、低く唸る。

「主っぽいの、あの白衣の後ろじゃ! 手術台の下に、変な記録板がある!」

「記録板?」

「見よ!」

 私は手術台の下を見る。

 あった。

 小さなモニター。

 そこに、同じ処置風景が何十層にも重なって映っている。

 中断した瞬間。血。手元。叫び。再生。停止。巻き戻し。再生。

 “終わらなかった処置”だけを何度も何度も記録し続ける装置。

 あれが核だ。

「朔夜! 下! 手術台の下の記録板!」

「分かってる」

 朔夜が一歩踏み出す。

 でも白衣の影が、その前に立ち塞がる。

「処置中につき、移動禁止」

「……だから嫌なんだよ、その理屈」

 朔夜の声は低かった。

 疲れてるのに、妙に冷たく澄んでいる。

「終わってないのは処置じゃない。お前の執着だ」

 指先に札が挟まる。

 でも出力が足りていないのが見えた。

 ここまでひとりで戦って、もう余力が薄い。

 なら。

 私は手の中の古銭を見た。

《戻り銭》

 生き返れるわけじゃない。

 時間の前借り。

 未練の残り時間の買い戻し。

 つまり、ここで使うための保険。

「ゆら」

 冥がこちらを見る。

「それを使えば、あとで余計に死にます」

「雑な言い方やめて」

「事実です」

「最悪!」

 でも、もう決まっていた。

「死んでたまるか」

 喉が乾く。

 それでも、続ける。

「……でも、あいつだけ置いて帰るのは、もっとムカつく」

 私は《戻り銭》を握り込んだ。

 古銭の縁が、指の中で熱を持つ。

 冷たかったはずなのに、今度は逆に嫌な熱だ。

 死んだ直後の残り時間を、無理やり肉体側へ引っ張るみたいな、無茶な熱。

「ゆら!」

 朔夜が、本気の声で私を呼んだ。

 その一瞬だけで十分だった。

 私は白衣の影へ飛び込み、そのまま手術台の下へ腕を突っ込んだ。

 モニターに触れる。

 その瞬間、白衣の影が私の喉を掴んだ。

「処置対象を確認」

「最悪だって、言ってんだろ……!」

 古銭が、掌の中で砕けた。

 ぱきん、と。

 安っぽいくせに、嫌に澄んだ音がした。

 次の瞬間、私の視界が白く弾ける。

 息が止まる。

 心臓が、一度だけ無理やり動く。

 死んでるはずの身体に、仮の熱が戻る。

「っ、あああああ!!」

 私は手術台の下の記録板を引きずり出して、床へ叩きつけた。

 画面が割れる。

 重なっていた処置記録が、一斉にノイズへ変わる。

 白衣の影が、初めて悲鳴みたいな音を上げた。

 それは人の声ではなかった。

 巻き戻しと停止を同時にかけたみたいな、気持ち悪い断裂音。

「朔夜! 今!」

「言われなくても分かる」

 朔夜の札が走る。

 紙ではない。

 数字だ。

 配信、登録、収益、赤字、そういう人の嫌な現実を全部燃やして、呪術の形へ変える、あいつの最悪な術。

 低く、短く、処理コマンドみたいに言う。

「”媒体遮断”メディア・ブレイク」

「”再帰封止”ループ・ロック」

「”強制終了”シャットダウン」

 白い光が、手術室の輪郭を切った。

 患者たちが一斉に止まる。

 点滴台の車輪が、きい、と遅れて止まる。

 白衣の影の輪郭が崩れ、マスクの下から何層もの顔が剥がれ落ちる。

 当直医。患者。記録者。編集者。処置対象。全部が中途半端に重なって、最後にただの空白だけが残った。

 処置室全体が、崩れ始める。

 天井の照明が落ちる。

 床の血の線が逆流する。

 壁の案内板が全部、ばらばらの矢印になって剥がれていく。

「戻ります!」

 冥の鎖が強く光った。

 でもその瞬間、私の足元がふらついた。

「……え」

 《戻り銭》の熱が、急に切れた。

 指先から感覚がなくなる。

 視界が遠のく。

 さっき無理やり動いた心臓が、今度こそ止まる側へ引かれていくのが分かった。

「まだ生き返って、ない……って、こういう……」

 冥が言っていた意味が、最悪のタイミングで分かった。

「ゆら!」

 朔夜が私を支える。

 腕の力は残っているのに、私の身体のほうが追いついていない。

 生きてるふりをしていた死体が、時間切れで崩れるみたいな、嫌な感覚だった。

「銭原ァァァァ!!」

 私は最後の元気で絶叫した。

 そこで、視界が一度、完全に落ちた。

 ――次に戻ってきたのは、胸の痛みだった。

「っ、げほ……!」

 肺が空気を思い出す。

 喉が焼ける。

 心臓が、今度はちゃんと、自分のものとして痛い。

 私は冷たい床の上で咳き込んだ。

 見上げると、天井は見慣れた夜見よろず相談事務所の天井だった。

 薄汚うすぎたない蛍光灯。

 配信機材。

 ぐちゃぐちゃの机。

 生活感と怪異対策が最悪の比率で混ざった、あの事務所。

「……戻ってる」

「戻しました」

 そういう冥のすぐ横で、朔夜が壁にもたれていた。

 顔色は悪い。服も裂けてる。腕に血もついてる。なのに、口を開いた瞬間に全部台無しになる。

「今回の蘇生費は――」

「請求すんな!!」

 反射で叫ぶ。

 喉がまだ痛い。なのに叫ぶしかない。

「割引してやる」

「無料にしろ!!」

「それは無理だ」

「うざい!」

「善意はある」

「金額に反映しろ!」

「少しはする」

「少しって何!?」

 朔夜は少しだけ目を逸らした。

「……今回は、お前が勝手に死んだわけじゃない」

「うん?」

「助けに来た分は、まあ……考慮する」

「……」

 ほんの一瞬だけ、言葉に詰まる。

 その間が腹立つ。ずるい。ほんとに。

「でも無料ではない」

「結局取るんかい!!」

「この世に無料タダほど高いものはない」

「このクソ野郎!!」

 私が机を叩いた瞬間、事務所の奥から陽気すぎる声がした。

「いやぁ~、景気のええ絶叫やねえ」

 私はその声だけで眉間が痛くなった。

「……いると思った」

「おるでぇ」

 銭原呪助が、勝手に冷蔵庫を開けながら出てきた。

 柄シャツ。金歯。笑ってるくせに目が笑ってない最悪の呪物屋。

「なんでいるの!?」

「そら気になるやろ。《戻り銭》使うた客のアフターケアや」

「アフターケアが口だけすぎる!!」

 私は机に突っ伏した。

「あれ偽物だったの!?」

「偽物は言いすぎや。本物の半分くらいや」

「半分しか生き返ってないじゃん!」

「せやから“戻る”だけや。“生き返る”までは保証しとらん」

「詐欺じゃん!!」

 銭原はまったく悪びれずに肩をすくめた。

「業界では“戻りま銭”言うらしいんや。かなわんでしかし」

「他人事みたいに言うな!!」

「カンニンな。今度チューチューアイスおごったるから」

「命の値段が安すぎるんだよ!!」

 その横で、ぬいがぐったりしたまま呟く。

「わしはチューチューアイスの白いやつがよい」

「お前も黙れ!」

 冥は壁際に立ったまま、静かにこちらを見ていた。

「一応、報告しておきます」

「なに」

「夜見は、珍しく貴方を生かす気ではいました」

「言い方!」

「事実です」

「ほんと最悪な人たちしかいないな、この職場……」

 そう言いながら、私はちらっと朔夜を見る。

 あいつは相変わらず面倒くさそうな顔をしていた。

 でも、ほんの少しだけ、ほんとに少しだけ、いつもより疲れた顔で目を閉じていた。

 たぶん、余裕がなかったのは本当だ。

 あの汚い字も。

 説明する時間がなかったのも。

 先にひとりで行ったのも。

 全部、むかつくくらい本当だった。

「……次からは」

「なんだ」

「ちゃんと説明しろ」

「善処する」

「その返事、絶対しないやつじゃん」

「一応言っとくが、お前も来るな」

「行間で書くな!!」

 叫んだら、事務所の空気が少しだけ軽くなった。

 死んで、戻って、また借金が増えて。

 それでもこうして、最悪な職場の最悪な机の前で怒鳴っていられる。

 それが、たぶん。

 今回は、ちゃんと助けられたってことなんだと思う。

 全然認めたくないけど。

 机の端には、くしゃくしゃの書き置きがまだ残っていた。

 お前が行け

 というか撮れ 配信しろ

 机のやつもってけ

 一回だけ

 死ぬなとは言わん

 最後の一行は、やっぱり潰れて読めない。

 でももう、少しだけ分かる。

 あの字は、雑だったんじゃない。

 急いでいた。

 追われていた。

 それでも、私の分の保険だけは残そうとしていた。

「……ほんと、字きたない」

「聞こえてるぞ」

「聞かせてる」

 私はそう言って、机に額を押しつけた。

 中京の大都市の夜は、やっぱり怪異に近い。

 死後側は相変わらずろくでもない。

 銭原の品は思った以上に信用ならない。

 朔夜は顔以外だいたい終わってる。 ――ほぼ、いつもどおりだ。

 でも。

 ほんとにいない夜よりは、今いるこの空間が、ずっとマシだった。

 つづく

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作者について

勇者ヨシ君

勇者ヨシ君

愛知県安城市で「ギルド酒場るすと」というゲームバーをやりながら、小説を書いています。 レトロゲーム、ボードゲーム、シーシャ、酒場の空気感が好きです。 異世界×ゲーム×酒場の作品や、 ホラー×...

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