英 雄
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
一話完結・オムニバス(長めの物語)自由に色々書いています
本文
卒業式の朝は、みぞれ交じりの雨だった。
佐藤 純は制服の第一ボタンを震える指で留めながら、道を急いでいた。遅刻はまずい。今日だけは、絶対に遅刻はまずい。
横断歩道の信号が青になった。
純は踏み出した。
そして、消えた。
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気づいたら、石造りの広間にいた。
たくさんのろうそく。見たことのない文字が床に描かれた魔法陣。ローブを着た人間たちが純を囲んで、何かを叫んでいる。
純の脳裏に走ったのは、これまで読んできた数百冊の異世界漫画。
――召喚だ。異世界召喚
知識としては完璧に理解できる。
だからこそ、膝から崩れ落ちた。
「むりむりむりむりむり——っ!」
広間に純の悲鳴が響いた。ローブの人間たちが顔を見合わせる。どう見ても、ひ弱そうな青年が、石畳の上でガタガタと震えている。
そのとき、広間の隅から声がした。
「……もしかして、日本人?」
純は顔を上げた。
同い年くらいの女の子が立っていた。同じ制服を着ている。見覚えがある顔だった。ずっと遠くから眺めていた、初恋の人だった。
「私も昨日、召喚されたみたい。二日間、一人でどうしようって思ってた」
彼女は純の隣に膝をついて、静かに言った。その声が、わずかに震えていた。
純はとっさに——自分の震えを忘れた。
「……大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないけど、あなたが来てくれてよかった」
そう言って彼女が笑ったので、純の心臓は異世界に来て初めて、別の理由で跳ね上がった。
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この世界の言葉を先に覚えたのは彼女だった。一週間で基本的な会話ができるようになった。純はそれを横で聞きながら、二週間後には習得した。
「覚えるの早いね」
「……漫画で、こういう展開は何百回も読んでたので」
彼女が声を立てて笑った。純は耳まで赤くなった。
魔法の才能を測る石板に触れたとき、純の結果を見た魔法使いが絶句した。
「これは……『無』だ。五百年に一人の素質。あらゆる魔力を底なしに吸収し、倍にして放つ。まさに世界を救う英雄の器です!」
純は首を横に振った。「無理です。運動神経ゼロです。体育はずっと1でした」
彼女がくすっと笑った。
そして真顔になって、純を見つめた。その瞳には、すがりつくような真剣さがあった。
「やってみようよ。私、全力で手伝うから」
その言葉に、純は負けた。情けない姿は見せられない、と腹を括った。
ちなみに彼女が石板に触れたとき、魔法使いは何も言わなかった。石板がただ静かに、白く光っただけだった。
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最初の一年は、血と汗と涙の地獄だった。
純の"無"の魔法は、発動するだけで体力を異常に消耗する。訓練のたびに吐血の勢いで倒れ、意識を失った。剣の稽古では容赦なく打ちのめされ、手のマメが潰れて肉が見えても、包帯を巻いて木剣を握り直した。
体育「1」の男が、世界の命運を背負うために、文字通り命を削って肉体を叩き直していった。
その凄絶な日々の傍らには、いつも彼女がいた。
冷たい水を持って駆け寄り、傷だらけの手を労わるように包帯を巻いた。夜、限界を迎えてくじけそうになった純の話を、焚き火の前で最後まで静かに聞いた。
「なんでそんなに、俺に付き合ってくれるの……」
「あなたを一人にしたくないから。絶対に、死なせたくないから」
それだけ言って、彼女は焚き火をつついた。炎に照らされた彼女の横顔があまりに綺麗で、純はそれ以上何も言えなかった。
ただ一つ、不思議なことがあった。
彼女は純の壮絶な訓練に付き合いながら、自分はほとんど訓練をしていなかった。なのに、なぜか純の成長に平然と付いてくる。純が死ぬ思いで三年かけて習得した高度な身のこなしを、彼女は半年でなんとなくこなしていた。
だが、彼女が決して前へ出ることはない。いつも純の、少し後ろにいた。
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三年後、純は初めて単独で魔物の群れを退けた。
押し寄せる巨大な獣たちを、純は鍛え上げた体と"無"の力で圧倒した。激闘の末に勝利すると、救われた村人たちが駆け寄ってきた。老人も、子供も、関係なく純の手を握って泣いた。
「英雄様! ありがとうございます!」
純は戸惑った。自分が英雄と呼ばれる日が来るとは、あの石畳の上で震えていたときには想像もできなかった。血の滲むような努力が、ようやく報われた気がした。
「ほら」と彼女が隣で誇らしげに笑った。「英雄じゃん」
「……やめてください」
「顔、赤いよ」
「やめてくださいって言ってます」
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五年後、純と彼女は隣国を滅亡の淵から救った。
敵国の魔導兵団が放つ、空を埋め尽くすほどの破壊魔法。純は最前線に立ち、その絶大なエネルギーを"無"の肉体ですべて吸引。細胞が引き裂かれるような激痛に耐えながら、一気に解き放って兵団を壊滅させた。
国中の人間が街頭に出て、二人の名を呼んだ。花びらが降った。
「英雄万歳!」と叫ぶ声が、地鳴りのように広がっていく。
純はまだ人前で笑うのが苦手だったが、この時ばかりは、誇りと達成感でちゃんと笑えた。
隣を見ると、彼女も笑っていた。
「様になってきたじゃん、大英雄」
「うるさいです。死ぬかと思ったんですから」
「顔、赤いよ」
「だから——」
「英雄が顔赤くしてどうするの」
純はもう何も言わなかった。自分がこの世界を、そして彼女を守る盾になるのだと、強く心に誓っていた。
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八年後、魔王軍の幹部が大陸の東を焼いた。
純は単身で、炎上する戦場へ乗り込んだ。もうかつてのビビリはどこにもない。『無』の力は究極にまで育っていた。
幹部が放つ、街一つを消し去るほどの業火を、嵐を、呪いを、全部その身に吸い込んで、何倍もの威力にしてぶち返した。大陸の歴史に刻まれるレベルの大死闘だった。
戦いが終わったとき、東の街の人々が廃墟の中から出てきた。
誰も声を上げなかった。圧倒的な「本物の英雄」の威容を前に、ただ、膝をついた。全員が平伏した。
純は限界を超えた肉体の痛みに耐えながら、その光景を見て泣きそうになった。ここまで、本当に遠い道のりだった。
「泣いていいよ」と彼女が後ろからそっと言った。
「泣かないです」
「強がり」
「英雄なんで」
彼女が愛おしそうに笑った。純も、少しだけ笑った。
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そして十二年目の冬、世界の命運を賭けた魔王との決戦が来た。
魔王の城の頂で、純と彼女は魔王と向き合った。
魔王の放つ魔力は、これまでの幹部とは次元が違った。存在しているだけで大地が裂け、空が歪む。
純は、彼女を背中に隠すようにして前に出た。
「後ろにいてください!」
全身の骨が砕けるかと思うほどの衝撃。純は魔王の全魔力を受け止め、吸った。限界を超えて吸った。皮膚から血が噴き出し、意識が飛びそうになる。それでも、後ろの彼女を守るために歯を食いしばり、吸い続けた。
吸収して——全霊をかけて返した。
「おおおおおああっ——!」
すべてを一点に。世界の歴史が終わるかのような轟音と閃光。
静寂。
魔王は消滅し、純は膝をついた。意識が遠くなる中、
「純!」
必死に自分を呼ぶ彼女の声が聞こえた。名前で呼ばれたのは、これが初めてだった。
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目が覚めたとき、純は城の瓦礫の中にいた。
魔王の城が消えた空は、どこまでも広くて、青かった。
「起きた」
彼女が心配そうに、隣に座っていた。
「……勝ったんですか」
「うん。純のおかげだよ」
遠くから、大陸中から集まってきた人々の歓声が聞こえてくる。
「英雄! 英雄! 英雄!」
みんなが泣きながら純の名を呼んでいた。純は満身創痍の体でゆっくり立ち上がり、人々の前に出た。言葉は出なかったが、世界を救った達成感で、最高の笑顔を見せることができた。
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それから三年、二人は大陸に平和が根付くのを見届けた。
そしてある朝、世界が白く弾けた。
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交差点。
みぞれ交じりの雨が降っている。時刻は、消えたときと変わっていない。十秒も経っていなかった。
体からは、あの血の滲むような15年分の傷も、すべて消えている。18歳の冴えない制服姿のまま、純は立っていた。
だが、あの激闘の記憶、英雄としての誇りは、確かに頭の中にあった。
純はゆっくりと歩き出した。
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式が終わって、人が動き出したとき。
「……もしかして」
振り返ると、彼女がいた。いつもと同じ、高校生の顔で。でもその目が、少し震えていた。
「覚えてる?」
「全部」
次の瞬間、彼女が純に飛びついた。周りの同級生たちがどよめいた。
「よかった……」と彼女が耳のそばで、小さく泣きそうな声で言った。「戻ってこれて、本当によかった」
「うん」
「怖かったよ、最初」
「うん、俺も」
「でも楽しかったよ、純」
純は胸が熱くなり、少し声を詰まらせながら、彼女の頭にぽんと手を乗せた。15年間、守り抜いた愛しい存在だった。
「よしよし」
「なにそれ」と彼女が笑って顔を上げた。
しかしその笑みは、15年間一度も見たことのない、完全に『勝者の笑み』だった。
「ねえ純。15年間の感謝を込めて、記念に『衝撃の真実』を一個だけプレゼントしてあげようか」
「……何それ。嫌な予感しかしないんだけど」
彼女はにっこりと微笑んだ。
「魔王戦のときさ、純が必死に前に出て、全部自分の実力で世界を救ったと思ってるでしょ」純は首を傾けた。
「え? いや、俺が全身の骨を軋ませながら全部吸い込んで、全部ぶち返したけど……」
「私がずっと、純の後ろで魔王の力を抑え込んでたんだよね。だいたい八割くらい」
純は固まった。みぞれ交じりの雨より冷たい衝撃が脳を突き抜ける。
「…は?」
「ほら、最初に私が石板に触れたとき、静かに白く光って測定不能だったって言ったじゃん? あれ、魔法使いのおじいさんが後でコッソリ教えてくれたんだけど、『測定限界を超えた神の領域』って意味だったんだって。だから純が命がけで吸い込んだのは、私が限界まで間引いて弱体化させた、残りのカスの二割ね」
「か、カス……っ!?」
あまりのパワーワードに純の顎が外れそうになる。
脳内で、美しく輝いていた「決死の魔王戦」の記憶が、一瞬でセピア色に染まっていく。
「ま、待て! じゃあ、あの八年目の幹部戦、俺が単身で乗り込んで平伏させたやつは!?」
「あー、あれも純が『英雄なんで(キリッ)』ってドヤ顔してる後ろで、私が漏れ出た炎を全部素手でパシパシ消してた。結構熱かったんだから」
「五年目に命がけで隣国を救った、あの広範囲魔法の相殺は!?」
「国境の結界、純が必死に叫んでるうちに私が裏で一人で維持してた。ぶっちゃけあの時が一番肩こったかなー」
「ちょっと待ってええええ!!」
純はガシガシと頭を抱えて、教室の天井を見上げた。
脳内で、血と汗と涙で築き上げた「大英雄・純の15年史」が、ガラガラと音を立てて崩壊していく。そして、すべての戦い、すべての劇的なシーンの背景に、『裏でドヤ顔をしながら無双工作をしている彼女』の姿が強制合成されていく。
「……じゃあ俺、ずっと守られてたのか」
「うん」
「命がけで吐血してた時も?」
「うん。『がんばれー』って思いながら見てた」
「チヤホヤされて『うるさいです』とかカッコつけてた時も?」
「うん。『めっちゃ顔赤いじゃんウケる』って思いながら見てた。すっごい面白かった」
「15年間、ずっと……?」
「うん。でも、純が前で的(まと)になって頑張ってくれないと、最後のトドメは刺せなかったから。そこは本当に感謝してるよ? ……あ、もしかしてショックだった? 泣く? 泣いていいよ? 英雄(二割)なんだから」
「泣くかチクショウ!!」
図星と、15年分の羞恥心が怒涛の勢いで押し寄せ、純の顔は異世界にいたどの瞬間よりも真っ赤になっていた。
彼女はそれを見て、ケラケラと鈴を転がすように大笑いしている。
純は盛大なため息をついて、やけくそ気味に彼女の頭にぽんと手を乗せ、クシャクシャとかき回した。
「よしよし」
「わっ、ちょっと、髪乱れる! なんで慰められてるの私」
「15年間、この最強のポンコツ神輿(みこし)を裏で担ぎ続けてくれてありがとうございました、って意味です。……あと、本当にありがとう」
最後の一言は、小さすぎて雨の音に消えそうだった。
でも彼女には確実に聞こえたらしく、また純の胸に嬉しそうに、今度は甘えるように顔を埋めた。
窓の外では、みぞれがいつの間にか、祝福するような真っ白な雪に変わっていた。
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世界を救った大英雄(ただし実力は二割)の佐藤 純が現代日本で相談所を開業。真のボスである彼女に頭が上がらない彼と、周囲を巻き込む少し変わった賑やかな隠居生活。
今後の展開が気になる方は、ぜひ
異世界英雄の、静かすぎる魔法相談所 | 小説投稿サイト「あいぺん」
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