あいつら5人の異世界事情(二)〜星降る夜のグランピング
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あらすじ
一話完結・オムニバス(長めの物語)自由に色々書いています
本文
あいつら5人の異世界事情(二)〜星降る夜のグランピング
【怪しい当選通知と、迎えの高級車】
事の発端は、一枚のDMだった。
「ねえねえみんな! 聞いて聞いて! 俺、グランピング施設のモニター前泊に当選したんだけど!!」
金曜日の昼休み。グループLINEにトラブルメーカーから爆弾が投下された。
添付のスクリーンショットには、「開業前特別モニター様ご招待」という仰々しいタイトルの下に、崩れかけたフォントで不穏な文言が並んでいた。怪しい詐欺サイトのテンプレートをそのままコピペしたような仕上がりである。
「施設名:非公開(当日ご案内いたします)」
「所在地:非公開(迎えの車がご案内いたします)」
「定員:懸賞当選者のみ・5名様限定」
「お迎え時刻:金曜の夜・20時」
佐藤 純はすぐに電話をかけた。
「おい。施設名も場所も非公開って、詐欺の文面そのままじゃないか」
「でも! 当選メールに書いてあったんだよ。『特別体験のため、施設情報は当日まで秘密』って! サプライズ系の新しいマーケティングらしくて!」
「それ怪しい勧誘の定番フレーズでもあるからな」
「大丈夫大丈夫! 定員が5名様! 俺たちと同じ人数じゃん!」
「5人組なんて世の中にいくらでもいる」
「行こうよ!!」
「俺は一言も行くとは言っていない」
しかし翌朝、純もGOサインを送っていた。彼女が「なんか楽しそうじゃない?」とスタンプ一つ添えただけで、それで純はいちころだった。純の防衛システムは、彼女のスタンプ一つで簡単にシャットダウンする仕様だった。
金曜日の夜20時ちょうど。待ち合わせの駅前ロータリーに、ピカピカに磨き上げられた黒いワゴン車が一台、音もなく滑り込んできた。窓は全てスモークガラスで、中が見えない。どこからどう見ても、これから重大な取引が始まるタイプの車だった。
5人は顔を見合わせた。
「来た来た! ほら! ちゃんと迎えが来た!」
トラブルメーカーが興奮して手を振る。
「黒いのが余計に怖い……」
オタクが二次元の知識を総動員した顔で後退りした。無口は腕を組み、ワゴンを品定めするように眺めている。その視線は普段より三割増しで鋭かった。
運転席のドアが開き、タキシード姿の初老の男性が降りてきた。白髪を丁寧に撫でつけ、革靴はピカピカに磨かれている。一流ホテルのコンシェルジュそのものの佇まいだ。
「お待ちしておりました、ご一行様。本日はご当選、誠におめでとうございます」
深々とお辞儀をされると、5人は思わず背筋が伸びた。完全に不審者を見る目で構えていた自分たちの無礼を、心の中でこっそり謝罪する。
「えっと……本当にグランピング施設ですよね?」
オタクが恐る恐る確認する。
「もちろんでございます。施設へご案内いたします。道中はどうぞおくつろぎください」
「どのくらいかかりますか?」
「森の具合によりまして、多少前後いたしますが」
「森の具合……?」
「渋滞」ではなく「森の具合」というパワーワードに純が首を傾けたが、コンシェルジュはすでにプロの流れるような動きで運転席に戻っていた。
「行こう行こう!」
トラブルメーカーがすでに車に乗り込んでいる。
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車内は不当なほど快適だった。
シートは本革張りでほんのり温かく、肘掛けにはミネラルウォーターとチョコレートが置いてある。BGMは耳に優しいジャズ。誘拐犯の待遇としては破格のラグジュアリー感だ。
「なんか普通に豪華じゃん……」
彼女が小声で純に耳打ちする。
「このシートのフォームの弾力と素材から、この車のグレード——」
「言わなくていい」
純にぴしゃりと止められたオタクが、むすっとしながらチョコレートを口に放り込んだ。
トラブルメーカーは「どんな施設ですかー?」と前席に声をかけつづけたが、コンシェルジュは「着いてからのお楽しみでございます」と穏やかにかわしつづけ、それ以上は何も教えてくれなかった。そのスルースキルはもはや芸術の域に達している。無口は窓の外の闇をじっと眺めたまま、ウォーターボトルを静かに空けていた。
しばらくして、車が停まった。
窓の外を覗くと、視界いっぱいに広がっていたのは、深い森の入り口だった。うっそうとした針葉樹の間に温かいランタンの光がいくつも灯り、砂利道の奥に洒落た木造の建物群が見えた。
「いらっしゃいませ。本日のお宿、『月の森グランピングリゾート』でございます」
コンシェルジュが静かに告げると、5人は揃って車を降りた。
夜の森の空気が、肌を撫でていく。冷たく澄んで、松の香りがした。
「わあ……」
彼女が思わず声を漏らした。純も素直に息をのんだ。怪しさなど、跡形もなく吹き飛んでいた。現金なもので、豪華な施設を前にすると、これまでの警戒心はすべて霧散する。
施設は想像の三倍は豪華だった。
メインのロッジは丸太をふんだんに使った総二階建てで、外壁にはツタが絡まり、窓という窓から暖かな灯りが溢れている。敷地の中央には焚き火台が設えてあり、すでに大きな炎がパチパチと弾けていた。その周囲には、ふかふかのアウトドアチェアが円を描くように並んでいる。少し離れた先には、湯気の立つジャグジーが木立の中に忽然と現れていた。
「ジャグジーじゃん!! 入っていいやつじゃん!!」
トラブルメーカーが小学生並みの語彙力で叫んだ。
「夕食のご準備もございます。焚き火の前へどうぞ」
案内された先のテーブルには、巨大な骨付き肉と色とりどりの野菜と、よく冷えた缶が並んでいた。
「最高じゃないですか……」
オタクの目がアニメの新アニメ発表を見た時くらい輝いた。
こうして、夜の森のグランピング体験が幕を開けた。
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【焚き火の夜、あるいはここが楽園だという確かな証拠】
焚き火の前というのは、人を素直にする不思議な力がある。
骨付き肉をかぶりつきながら、5人はいつの間にか笑い転げていた。
「そもそも俺さ、当選メールが届いた時点でまず疑ったわけ。でも定員が5名限定って書いてあって——」
「それで?」
「5人って俺たちと同じ数じゃん! って思って速攻みんなに送った」
「その思考回路が一番怖い」
純のごもっともなツッコミに彼女が笑い、オタクが「怖い怖い」と首を振る。無口は口の端だけで笑いながら、骨付き肉を静かにかじっている。
ジャグジーから上がったばかりのトラブルメーカーが大きなタオルを肩にかけたまま焚き火の前に戻ってきて、「ジャグジー最高だったわ。あそこに一生住めるわ」と缶を掲げると、無口がそれに缶をぶつけた。一生住むには少々湿気が多すぎる気がするが、誰も野暮なツッコミは入れなかった。
夜が深まると、会話は自然と静かになった。
焚き火がパチンと爆ぜるたびに、赤い火の粉が夜空へ溶けていく。頭上には街では絶対に見られない数の星が広がっていた。天の川がくっきりと見える。
「なあ……あの写真、まだスマホに入ってるか?」
トラブルメーカーが、珍しく静かな声で切り出した。一瞬、明日の天気の心配でもするのかと思うほどの真面目なトーンだった。
「写真?」
「二つの月の下で、みんなで撮ったやつ」
5人の間に、しんとした沈黙が流れた。
純はスマートフォンを取り出した。ある。異世界で誰が撮ったかもわからない、でも確実に存在するあの一枚。
5人が純のスマートフォンの画面を覗き込んだ。二つの月が浮かぶ夜空の下、肩を組んだ5人が最高の笑顔で写っている。あの修羅場がウソみたいだ。
「また行きたいとは、全然思わないけどな」
純が正直に口にした。あんな命がけの観光旅行は一回で十分だ。
「でも」
彼女が純の腕に自分の腕を絡めながら続ける。
「あの旅が本物だったって、確かに思える」
誰も何も返さなかった。焚き火だけが静かに燃えていた。
「じゃあそろそろ寝よっか。明日の朝ごはんも楽しみだし」
トラブルメーカーが大きく伸びをしながら立ち上がった。切り替えの早さは彼の数少ない長所である。
「だな。案内してもらえますか?」
振り返ると、少し離れた場所に忍者ばりの気配のなさで控えていたコンシェルジュが深々とお辞儀をした。
「かしこまりました。どうぞ、ゆっくりとお休みください」
ロッジの中は、外観以上に心地よかった。梁が剥き出しの天井、大きな暖炉、柔らかいランプの光。それぞれの部屋に分かれ、純たちはふかふかのベッドに沈み込んだ。
「おやすみ、純」
「おやすみ」
夜の森の静寂の中、5人はそれぞれ目を閉じた。
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【目覚め、あるいは朝が来なかった朝】
最初に気づいたのは、純だった。
眠りから浮かび上がる感覚の中で、まず鼻が反応した。腐葉土と花の蜜と、微かに塩が混じったような、嗅いだことのない匂い。日本の高級ロッジのルームフレグランスにしては、あまりにも前衛的すぎる匂いだ。
純はゆっくりと目を開けた。
天井が……ない。
いや、正確にはあった。しかしそれはロッジの梁ではなかった。頭上に広がっていたのは、巨大な葉が折り重なった巨樹の天蓋だった。直径が数メートルはあろうかという葉の一枚一枚が、青白い光を帯びて静かに揺れている。その隙間から差し込む光は太陽光ではない。柔らかく、しかし鮮明な、見たことのない色の光だった。
純は上半身を起こした。
ベッドがない。自分は苔の絨毯の上に寝ていた。あのふかふかの感触を返してほしい。
仲間たちも同じように苔の上にいる。すでに目を覚ましていた無口が周囲を静かに観察していて、純と目が合うと小さく頷いた。「異常なし。ただし状況は完全に異常」という意味だと、純は即座に理解した。無口のアイコンタクトの圧縮率は相変わらず凄まじい。
「みんな起きろ」
「ん……今日の朝ごはん何かな……」
「起きろ、トラブルメーカー」
「…………ん?」
目を開けて一秒の間があった。
「………………え?」
綺麗に段階を踏んだフリーズだった。
オタクは目を覚ました瞬間にメガネを探して苔の上を這い回り、見つけるや即座にかけ直して周囲の観察に切り替えた。彼女は純の声より先に、森の匂いで気づいていた。
5人は揃って立ち上がり、周囲を見渡した。
グランピング施設の痕跡は、どこにもなかった。
焚き火台も、ロッジも、ジャグジーも、砂利道も、コンシェルジュも。
あるのは、どこまでも続く見たことのない巨大な樹海。
木々の幹は優に10メートルを超えている。根元だけで家一軒ほどの太さがある。その幹の表面には文字のような模様が刻まれていて、ぼんやりと青白く発光している。地面の苔は踏むたびにふわりと光の粒子を舞い上げた。エフェクトとしては非常に美しいが、状況としては最悪である。頭上の葉の隙間から見える空は、オレンジでも青でもない。淡い翡翠色をしていた。
「また……」
純はゆっくり深呼吸した。
「また、異世界か」
「また」で済まされる状況ではないのだが、経験値があるだけに妙に冷静な自分がいた。
「今度はトンネルも通ってないし車も壊れてないよ!? 寝てたら来てたって、どういうこと!?」
オタクが眼鏡の奥で目をパチパチさせる。
「コンシェルジュが怪しいと思ってたんだ俺は」
「さっきまで普通に寝てたじゃないですか」
「心の中で怪しんでた」
「それを言うなら俺も!」とトラブルメーカー。後出しジャンケン大会の開催である。
「お前が連れてきたんだろ」と純。
しばらく誰も何も言えなかった。翡翠色の空の下、5人は苔の上に立ち尽くしていた。
やがてトラブルメーカーが、5人の顔を順番に見渡してから口を開いた。
「でも俺たち、一回経験してるじゃん。異世界」
誰も反論しなかった。それが妙に頼もしかった。普通なら絶望する場面だが、我々の「異世界耐性」はいつの間にかカンストしていたらしい。
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【翡翠の樹海と、水の民の事情】
まずオタクが情報収集を開始した。
「木の発光パターンが一定のリズムを刻んでる。何かの言語体系だと思う。あと地面の苔の粒子、前の世界の魔力と似てるけど成分が違う」
「触らない方がいい?」
彼女が確認する。
「逆。少し触れてみると——ほら、光が増す。敵意のある対象には反応しないタイプだと思う。たぶんだけど」
「たぶん、ね」
純が苦笑しながら一歩踏み出すと、苔がふわりと光り、足形の輪郭を優しく照らした。歩くたびに足元が光る演出は、なんとなくテーマパークのようで悪くない。
無口はすでに斥候よろしく周囲の木々の間を確認して戻ってきて、無言で東の方角を指した。
「何かある?」
無口が頷く。
5人は東へ向かって歩き出した。巨樹の根の間を縫うように進むと、次第に水の音が聞こえてきた。最初はかすかに、やがてどんどん大きく。
根の隙間を抜けた先に、息をのむ光景が広がった。
巨大な瀑布が頭上から絶え間なく流れ落ちていた。水は途中から白い霧となり、その霧の中にいくつもの虹が生まれていた。ただしその虹は七色ではない。翡翠、金、深紅、銀、名前のつかない色が複雑に混ざり合った、見たことのない色の帯が霧の中に静かに架かっていた。
瀑布の周囲に、集落があった。
木の根や岩盤を巧みに利用した住居が点在していて、住人は人型だった。しかし体の至る所に半透明の鱗のような膜が張り付いており、毛髪の代わりに細い触手状の器官が生えている。目は大きく、瞳孔が十字型だ。SF映画のオーディションなら一発合格のビジュアルである。
彼らはすでに純たちの存在に気づいていた。
集落全体が息をのんで、5人を見つめている。
「敵意は……感じない」
純が静かに言うと、隣で彼女が頷く。
「怯えてる感じ。でも攻撃しようとはしていない。どちらかというと……期待してる?」
その観察は正確だった。住人たちの目は確かに怯えてはいたが、その奥にある感情は恐怖ではなく、切実な何かだった。未知の言語を喋る人間5人組に期待の眼差しを向けられるのは、なかなかにプレッシャーである。
純は手を上げた。とりあえず友好のポーズだ。
住人たちがざわめいた。その中から一人の老齢の住人がゆっくりと前に出てきた。他の住人より鱗が多く、触手も長い。額に紋章のような模様が刻まれていた。いかにも「村長」という風格の持ち主だ。
老齢の住人は純たちの前に立ち、複雑な音の連なりを発した。
オタクがすかさず首を傾けた。
「……音の高低と長さに規則性がある。さっきの木の発光パターンと連動してる! この世界の言語、音と光がセットになって意味を成してるんだ!」
「解読できるか?」
「今すぐは無理。でも——」
オタクはスマートフォンを取り出した。カメラで木の発光パターンを録画しながら、同時に音声も録音し始める。異世界に来てもスマホを使いこなす現代人の鑑である。
「こうやってパターンを蓄積しながら分析すれば、早ければ数時間で基礎語彙が掴める」
「頼む」
その間にも、身振り手振りによる大まかな意思疎通が始まっていた。純が地面を指して首を傾げると、老齢の住人は周囲の巨樹を広げた両手で示してから、胸に手を当て、顔を曇らせた。
「何かが起きてる、この森で」
彼女が静かに相手のジェスチャーを読んだ。
「そして、それが彼らを困らせてる」
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オタクの分析は驚異的な速さで進んだ。テスト勉強の時もこの集中力を発揮してほしかったものだ。
木の発光と音の対応関係をひたすらスマートフォンに蓄積し、パターンを洗い出していく。「これはおそらく数詞、これは方角、この音の揺らぎは感情の強さを表してる」と独り言をこぼしながら、普段の彼とはまた別の顔で没頭していた。
その間、無口とトラブルメーカーは住人たちと身振り手振りで交流を試みていた。
無口は座って住人の子どもたちと同じ目線になり、自分の手の甲を見せたり、相手の手の甲を見せてもらったりしている。言葉がなくても、子どもたちは徐々に無口の周囲に集まってきた。無口の持つ「実家のような安心感」は異世界でも健在らしい。
トラブルメーカーは大人の住人に缶の残り一本を差し出してみた。住人は恐る恐るそれを受け取り、匂いを嗅いで、ちびりと一口飲んで、目を丸くした。周囲の住人たちがどよめく。
「なんか喜んでもらえてる! 炭酸、初めてだったっぽい!」
「飲み物の外交か」
純が苦笑すると、彼女がくすっと笑った。まさか日本の缶ジュースがファーストコンタクトの決定打になるとは。
やがてオタクが顔を上げた。
「大体わかった。聞いて」
全員が集まる。
「この世界には、『根の巨神』と呼ばれる存在がいる。森全体を支配する意志を持つ巨大な樹で、世界中の生命力を管理していた。住人たちは長年その声を聞いて暮らしてきた。でも最近、その声が弱まってる。森の発光が薄れ、水の流れが変わり、生き物が姿を消しつつある」
「要するに——」
「この世界の根幹のシステムが、ダウンしかけてる」
純はため息をついた。
「前の世界と、また似たような構図か」
「違う違う!」
トラブルメーカーが割って入る。
「前回は俺たちが生贄にされるところだったじゃん! 今回は、助けてほしいって雰囲気だよ! 全然違う!」
「……それはそれで、ハードルが高い可能性もある」
「まあね!」そこは否定してほしかった。
純は老齢の住人の目を見た。恐怖でも策略でもない。ただ静かな、切実さがそこにあった。
「わかった。根の巨神がどこにいるか、案内してくれるか?」
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【根の巨神の眠りと、5人の作戦】
老齢の住人に案内され、5人は樹海の奥へと進んだ。
瀑布の裏側に洞窟があった。中に入ると、壁の苔と鉱石がほのかに光っていて、暗いのに不思議と視界が確保できた。天然のLEDライトといったところか。通路は緩やかに下降しており、進むにつれて光が強くなっていく。
そして洞窟の最深部に、それはあった。
巨大な、という言葉では足りなかった。
根だった。直径が優に50メートルを超える、漆黒の巨大な根が、洞窟の床から天井へ、壁から壁へと縦横無尽に張り巡らされていた。その表面には幹と同じ文字のような模様が刻まれているが、発光がほとんどない。所々で弱々しく明滅しているだけだった。まるで寿命を迎えかけた古いネオンサインのようだ。
「これが……根の巨神の、根の部分か」
「本体はもっと上にあると思う。この根が世界中に張り巡らされてて、そこから生命力を供給してる……前の世界の神のシステムと、構造は似てるな」
オタクが呟きながら、スマートフォンのカメラで根の発光パターンを解析し始めた。
「問題はここだ」
根の一部を指差す。そこだけ、表面の模様が崩れていた。文字がぐちゃぐちゃに乱れ、まるで何かに上書きされたかのように形が歪んでいる。
「この崩れたパターン、虫食いみたいに広がってる。放っておけば全部に波及する」
「原因は?」
「わからない。でも——」
オタクが顔を上げた。
「構造は把握できた。要するにここ、バグってる。で、俺、バグは直せる」
流石は情報系のオタク、異世界の神のシステムすら「ただのバグ」として処理する構えだ。純は一拍置いてから口を開いた。
「どうやって」
「根の発光パターンは言語体系と同じ構造をしてる。つまり正しいパターンを外から書き込んでやれば、崩れた部分を上書きできるはず。問題は、ここに近づくためには根の防衛反応をどうにかしないといけない」
「防衛反応?」
「巨神は今、弱ってはいるけど死んではいない。外部からの干渉に反射的に反応する機能は残ってると思う。オタクが作業してる間、その反応を抑えてくれる人が要る」
全員の視線が、自然と無口に集まった。「物理担当、よろしく」のサインである。
無口は特に驚いた様子もなく、頷いた。頼もしすぎる。
「あと、根に近づく経路を確保しないといけない。あの崩れた部分、根の奥側にあるから、手前の健全な根を伝って回り込む必要がある。足場が不安定だし、落ちたらまずい」
「それは俺の得意分野じゃん!」
トラブルメーカーが無駄に自信満々に手を挙げた。いつもトラブルを跳び越えている男の身体能力が、ここで活きるらしい。
「あと経路を確保する時間を稼ぐために、巨神の注意を引きつける役割が要る」
「純と私でやる」
彼女が純を見た。純は頷いた。
「作戦は決まった」
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【根の洞窟、渾身の大作戦】
5人が洞窟の入口に戻り、最終確認をしていた頃、根の一部がぴくりと動いた。
弱っているとはいえ、外部の存在を感知する機能は確かに残っていた。無数の細い根の先端が、まるで触覚のように空中をゆっくりと揺れ、5人の方向を向き始める。ちょっとしたホラー映画の開幕だ。
「来た」
純が静かに呟いた。
「行くぞ、みんな」
トラブルメーカーが最初に動いた。
洞窟の壁を素早く登り、天井近くに張り巡らされた太い根の上に飛び乗る。根はぐらりと揺れたが、トラブルメーカーはバランスを取りながら、奥へ奥へと伝っていく。その身のこなしは、日頃の悪ふざけで培われたものに違いなかった。崩れた部分へ向かう経路を、体で確かめながら切り開いていった。
同時に純と彼女が動いた。
「こっちだ!」
純が洞窟の反対側へ走り、根の先端群がそちらへ向く。彼女は逆方向へ回り込み、二人の動きが根の注意を引きつけながら左右に分散させていく。まるであぶり出しのように、根の意識が二方向に揺れた。根の巨神も、まさか人間二人にここまで翻弄されるとは思っていなかっただろう。
無口はその隙に、根の束の中心へと一直線に踏み込んだ。
根の先端がいくつか無口に向かって伸びてきた。しかし無口は流れるような体捌きでそれをいなし、掴まれる寸前に身体をずらしてかわし続ける。格闘ゲームの達人のようなフレーム単位の回避劇で、防衛反応を引きつけながら、同時にオタクの作業する空間を守っていた。
「入れる!」
トラブルメーカーが奥から声を上げた。経路が開通した合図だ。
オタクが根の上を走った。トラブルメーカーが手を伸ばして引き上げ、二人は崩れた部分の真上にある太い根の上に辿り着いた。
「やった。ここだ」
オタクはスマートフォンを構えた。解析したパターンデータを元に、正しい発光配列を算出して、崩れた部分の表面へ指先で直接なぞるように書き込んでいく。
一画一画、根気強く。
「反応してる……!」
崩れていた模様の一部が、ゆっくりと正しい形に戻り始めた。かすかな光が、再び宿っていく。
しかしその瞬間、根の防衛反応が急に強くなった。
「マズい! 巨神が覚醒しかけてる! 外部干渉を感知して、本格的に弾き出そうとしてる!」
洞窟全体が低く唸り始めた。無口が受け止める根の動きが激しくなり、純と彼女を追う先端の数も増していく。
「急げ、オタク!」
「わかってる! でもあと半分——」
「純!」
彼女が叫んだ瞬間、純は見た。洞窟の天井から、巨大な根の束が一気に降下してくるのを。
「伏せろ!」
純が彼女を庇って低く構えると、真横で無口が跳んだ。その巨大な掌で降下してきた根の束を受け止め、全体重をかけて押し戻す。人間を辞めているとしか思えないパワーだった。筋肉が軋む音がするほどの力だった。
「今だ!」
トラブルメーカーが叫び、オタクの肩を押した。
「最後の一画、行け!」
オタクが指先に力を込めた。
「エンターキーをッ、ッターン!!」と叩きつけるような勢いだった。
次の瞬間、洞窟全体に、静寂が訪れた。
唸り声が消えた。根の先端が、すべてゆっくりと引き戻されていく。そして崩れていた模様が完全に修復され、漆黒の根の表面に、鮮やかな青白い光が、端から端へと波のように広がっていった。
光が洞窟を満たし、天井から床まで、壁から壁まで、輝き渡る。まるで最新のプロジェクションマッピングのようだ。
しばらく誰も動かなかった。
やがてトラブルメーカーが根の上から飛び降り、着地してから大きく息を吐いた。
「……直った?」
オタクがスマートフォンの画面を確認する。
「直った」システム復旧完了。
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【帰還、そして朝ごはん】
洞窟の外に出ると、樹海が変わっていた。
木々の幹に刻まれた模様が、全部、鮮やかに発光している。地面の苔から舞い上がる光の粒子が増え、空気がきらきらと輝いた。翡翠色の空が、心なしか明るくなっている。世界がHD画質にアップデートされたかのようだ。
集落の住人たちが洞窟の外で待っていた。
光が戻ったのを見て、その場で歓声が上がった。老齢の住人が5人の前に進み出て、深く深く頭を下げた。周囲の住人たちも次々と頭を下げる。
「どういたしまして、って伝わってるかな」
トラブルメーカーが照れたように頭をかいた。
子どもたちが無口に駆け寄ってきて、その大きな手を両側から引っ張る。無口は困ったような顔をしながら、でもどこか嬉しそうだった。無口の保育園が開園していた。
「あとは帰れるのか、という問題が残ってるんだが」
純が周囲を見渡した瞬間、スマートフォンが振動した。この極限状態の異世界で、まさかのプッシュ通知である。差出人は「月の森グランピングリゾート」。
『ご一行様、おはようございます。朝食のご準備が整っております。ロッジへどうぞ』
5人は顔を見合わせた。
「え」
「え?」
「朝食……?」
純がスマートフォンの画面を凝視した。確かに通知が来ている。Wi-Fiすら飛んでいるかもしれない。
次の瞬間、翡翠色の空が白く輝いた。
根の巨神が目覚めた余波なのか、修復された力が世界に満ちていく過程なのか、それとも全く別の何かなのかは、誰にも判断できなかった。ただ、白い光が5人を包んだ。
ふわりとした浮遊感。
そして、鼻に届いてきたのは、松の香りだった。
---
純はゆっくりと目を開けた。
梁が剥き出しの天井。大きな暖炉の残り火。柔らかいランプの光。
ロッジだった。
純はベッドの上にいた。枕は冷たく、シーツには皺が寄っている。普通に、一晩眠った跡だった。あの苔のベッドの硬さはどこへやら、文明は最高である。
純は起き上がり、スマートフォンを確認した。
時刻は午前7時02分。
グループLINEに次々とメッセージが届いていた。
オタク:「起きた 手がちょっと震えてる なんでかわからない」(※タイピングのしすぎではない)
トラブルメーカー:「朝ごはんって何?」(※通常運転)
無口:「.」(※生存確認)
彼女:「純、おはよう」
純は少しだけ笑った。
廊下に出ると、仲間たちが次々と部屋から出てきた。
全員、顔を見合わせた。
「……みんな見た?」
「見た」
「やっぱり見てたんだ」
「夢じゃないよな」
「夢にしては疲れすぎてる」
オタクが手のひらを眺めながら呟く。確かに、右手の人差し指の先端だけが、うっすらと赤くなっていた。根の表面に模様を書き込み続けた跡だ。異世界のシステムを人差し指一本でデバッグした証拠だった。
無口がそっとオタクの右手を見て、一度だけ頷いた。
「朝ごはん、行こうか」
純が言うと、全員が頷いた。
テラスに出ると、朝の森の空気が迎えた。昨夜と同じ、松の香り。テーブルには湯気の立つスープと、焼きたてのパンと、スクランブルエッグ等 の見慣れたモーニングセットが並んでいた。コンシェルジュが何事もなかったかのような100点満点の笑顔で深々とお辞儀をして、各自の椅子を引いてくれた。
「よくお眠りになれましたか?」
「……おかげさまで、色々と忙しかったです」純は曖昧に答えた。
5人は椅子に座り、白い朝の森を眺めながら、ゆっくりと朝食を取った。
「なあ」
パンをちぎりながら、トラブルメーカーが口を開く。
「次の懸賞も当選したら、また行く?」
「行かない」と純。
「行かない」とオタク。
「行かない」と彼女。
無口が音速で首を横に振った。
「……まあそうだよな!」
トラブルメーカーはけらけらと笑い、スープを一口すすった。
森の奥で鳥が鳴いた。朝の光が、木立の隙間から柔らかく差し込んでいた。
どこか遠くで、根の巨神が「ありがとう」と静かに息をしている気がした。
---
帰りの高級車の中は、行きよりずっと静かだった。
全員がシートに深く沈み込み、窓の外を流れる景色を眺めている。BGMは相変わらずジャズ。
眠りかけていたオタクが、ふと顔を上げた。
「ねえ、コンシェルジュさん。一つ聞いていいですか」
「何でございましょう」
「この施設、いつ開業するんですか?」
「ご縁があれば、またいつかご案内できるかと」
「……それ、答えになってないですよね?」
「おやすみなさいませ」
「寝かしつけないでください」
コンシェルジュの強制スリープモード発動に、後部座席でくすくすと笑いが起きた。純は隣で目を閉じかけていた彼女の肩に、そっと自分の肩を寄せた。
車は、山道を静かに走っていった。
---
駅前ロータリーに降り立つと、コンシェルジュは深々とお辞儀をして、一言だけ告げた。
「またのお越しを、お待ちしております」
高級車は走り去り、5人は朝の駅前に取り残された。
通勤客がちらほら歩いている。コンビニの自動ドアが開閉している。どこかで踏切が鳴っている。いつもの、何でもない日常の風景だった。数時間前まで巨神の根をデバッグしていたのが嘘のようだ。
「解散?」
「解散」
「腹減った。コンビニ寄っていい?」
「朝ごはん食べたじゃないか」
「あれは異世界でエネルギー使いはたした!」
「食べたのはこっちの世界でだろ!」
純がキレのあるツッコミを入れると、トラブルメーカーはもうコンビニに向かって走り出していた。オタクが「僕もなんか飲みたい、炭酸以外で」と続き、無口が黙って後に続く。
純と彼女は、二人で少しだけ笑ってから、その後を追った。
空は青かった。とりあえず、怪しいDMを開くのはやめようと、純は心に誓った。
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