幕間 記録帳の書き方
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
祓い師見習いの蓮は、怖がりだ。 怪異を前にすれば足は震える。 札を握る指は汗ばみ、喉は乾く。 それでも、目を逸らすことだけはできなかった。 先輩祓い師の沙耶とともに、蓮は各地に残る怪異を訪ねていく。 灰をまとった狼。 雨の降らない町に増え続ける赤い傘。 誰もいない駅で鳴る鈴。 消えない灯り。 閉じた家に残る声。 だが、怪異はただの化け物ではない。 怒り。 悲しみ。 後悔。 待ち続けた想い。 言えなかった言葉。 見て見ぬふりをされた痛み。 人が受け取れなかった感情は、やがて形を持ち、夜の中を歩き出す。 蓮が使うのは、怪異の奥にある感情を観る札。 沙耶が鳴らすのは、届かなかった声を届ける鈴。 二人の祓いは、怪異を殺すためのものではない。 形になってしまった痛みを、もう一度、人が受け取れるものへ戻すためのものだ。 怖いまま、見る。 震えながら、聞く。 消すのではなく、ほどく。 これは、見習い祓い師・蓮と、過去に向き合い続ける祓い師・沙耶が、各地の怪異と未処理の感情をめぐる連作怪異譚。 祓うべきは、怪物か。 それとも、誰かが見なかったことにした痛みか。
本文
深夜のファミリーレストランは、不自然なくらい明るかった。
天井の蛍光灯が、プラスチックのテーブルと、冷めたハンバーグの乗った鉄板を白々しく照らしている。
俺はドリンクバーのアイスコーヒーを一口飲み、テーブルの上に広げた大学ノートに目を落とした。
祓い師の仕事には、報告書が存在する。
どんな怪異と遭遇し、どんな手順を踏んで、どう処理したのか。
灰ヶ谷村での初仕事を終えた俺は、その最初の記録を書くためにペンを握っていた。
「……沙耶さん」
対面の席で、タブレットのニュース記事を無言でスクロールしていた沙耶さんが、顔を上げずに「何」とだけ返した。
彼女の前のコーヒーカップは、とうの昔に空になっている。
「怪異の最期って、なんて書けばいいんですか?」
「なんてって?」
「その、俺が詠札で処理した後、怪異が消えたじゃないですか。あれを『灰狼、消滅』みたいに書けばいいんですかね」
沙耶さんは、スクロールしていた指を止めた。
ゆっくりと顔を上げ、俺のノートを見る。
「消滅って書くと、最初からいなかったみたいになる」
フラットな声だった。
怒っているわけでも、指導しているわけでもない。ただの事実の指摘だった。
「最初からいなかった、って……でも、俺たちが消したんじゃないんですか」
「村の人間が長い時間をかけて生み出して、私たちが形にして、あなたが言葉で終わらせた。それは『最初からいなかったもの』とは違うでしょ」
俺は、ノートに書かれた『灰狼』という文字を見つめた。
朝炊きの米の匂いが、まだ鼻の奥にこびりついている気がした。
「じゃあ、解決……ですかね」
「あなたが、あれで解決したと思えるなら、そう書いてもいいよ」
沙耶さんの目は、静かだった。
俺はペンを握り直した。
「……書けないです」
俺がペンを置くと、沙耶さんは空になったコーヒーカップの縁を指でなぞった。
「なら、書けないって書いて」
それだけ言って、彼女は再びタブレットに目を落とした。
俺はもう一度ペンを持った。ノートの白い欄に、黒いインクで一行だけ書いた。
『書けない。』
沙耶さんはもうこちらを見ていなかった。
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