映像修復師
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
一話完結・オムニバス(好きな所からお読みください)
本文
佐藤 純 の仕事場は、古びた映画資料館の地下にある。
そこには、誰にも見られなくなった古いフィルムが山のように積まれている。純は映像修復師として、ひたすらそれらの傷を消し、失われた色彩を呼び戻す作業を繰り返していた。
同僚たちは、純の仕事を「魔法だ」と呼ぶ。画面の中で途切れた風景に、彼がそっと指先を触れるだけで、まるで最初からそうであったかのように色彩が繋がり、銀幕の中で季節が呼吸を始めるからだ。
「純、どうやってるんだ。その光の差し方の計算、まるで現実に光を当ててるみたいだよ」
純はいつも苦笑いをして、自分の指先をポケットへ突っ込む。
「感覚だよ。向こうで、ずっとやってたからさ」
その日の夜、純が地下室でモニターに向かっていると、階段を降りてくる足音がした。彼女だった。差し入れのコーヒーを両手に持って、純の手元をしばらく黙って見ていた。
「また光、溢れてる」
モニターから滲み出した色が、地下室の埃を金色に染めていた。純は気づいていなかったらしく、少し慌てて手を止めた。
「集中してた」
「見てればわかる」
彼女はコーヒーを純の隣に置いて、椅子を引いて座った。モニターの中では、モノクロの俳優たちが踊っていた。純が修復した部分だけ、かすかに色がついていた。
「これ、いつの映画」
「五十年くらい前。フィルムが劣化して、真ん中の十分が丸ごと消えてた」
「消えてたのに、直せるの」
「前後のコマから光の流れを読めば、だいたいわかる。ここでこの角度から光が当たってたなら、次のコマではこう動くはずだって」
彼女はモニターをしばらく見ていた。
「あなたがやると、修復した部分の方が綺麗に見える」
純は何も言わなかった。
「聞いていい」
「なに」
「向こうって、どんなところだったの」
純の手が止まった。彼女が向こうの話を自分から聞くのは、初めてだった。純はコーヒーを一口飲んで、モニターから目を離さないまま、少しだけ話した。
「言葉がなかった。記録する手段が、光しかなかった。だから俺の仕事は、人が忘れていく幸福な瞬間を光の欠片としてすくい上げて、空に焼き付けることだった」
「空に」
「あっちには巨大なスクリーンみたいなものがあって、そこに焼き付けると、街中の人間が同時に見ることができた。映画館みたいなもんだよ、街全体が」
彼女は膝の上で手を組んで、続きを待った。
「ある夜、二つの月が重なった。街中の人間が広場に集まって、祈りながら虹色に光り輝いた。俺はそれを永遠にしたくて、焼き付けようとした」
「それで」
「欲張りすぎた。永遠にしたいという気持ちが、時間をねじ曲げた。広場にいた人たちが光の粒子になって空へ溶けていって、二つの月が一つになって、世界が崩壊し始めた」
地下室が静かだった。モニターの中の俳優たちだけが、音もなく踊り続けていた。
「俺はその中で、燃え残った火種みたいなものを一つだけ胸に抱えて、気づいたらこっちのベッドの上にいた。時計は十秒しか進んでいなかった」
「十五年が、十秒」
「そう」
彼女はしばらく黙っていた。純もしばらく黙っていた。
「顔を思い出せない人たちって」
「向こうにいた人たち。光の粒子になって溶けていった人たち。俺が欲張ったせいで」
彼女は何も言わなかった。それでよかった。謝れとも、気にするなとも言わなかった。ただそこにいた。
しばらくして、純がまたモニターに向かった。指先がフィルムの傷をなぞっていく。光が滲み出した。
「だから修復師になったの」
「まあ、そういうことかな。失った光の代わりに、忘れられた光を直す。釣り合いが取れてるかどうかはわからないけど」
「取れてると思う」
純は少し笑った。
「あと」と彼女が続けた。
「休日に街でやってることも、同じ理由?」
「似たようなもん」
「あの祭りの夜を、もう一回やろうとしてるの」
純は答えなかった。答えないことが、答えだった。
彼女は立ち上がって、純の肩にそっと手を置いた。それだけで、また仕事に戻った。
モニターの中で、修復されたフィルムが流れ始めた。五十年前の俳優たちが、純が取り戻した光の中で踊っていた。
純が鼻歌を歌うと、地下室の埃が黄金色に舞い上がった。胸の奥の琥珀色の火種が、少しだけ温かくなった。
映像修復師の仕事は、今日もまだ終わらない。
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