自衛官
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
一話完結・オムニバス(好きな所からお読みください)
本文
【弾道】
佐藤 純は、ただ淡々と指を絞る。
的の中心。
もう一発。
同じ穴を弾頭が通り抜ける。
さらにもう一発。
完全に重なった。
周囲がざわついた。指導担当の曹長が、スポッティングスコープから目を離し、肉眼で純を見た。
「お前、前世でスナイパーでもやってたか」
「……似たようなものです」
「は?」
「なんでもありません」
異世界で十五年。音速で飛び交う即死魔法を相殺し、動くキマイラの眉間を撃ち抜いてきた男にとって、風も吹かない射撃場の固定標的など、物理現象として単純すぎる。
もっとも、その十五年は現代では十秒の空白に過ぎない。
気づいた時には入隊試験の会場だった。動転して答案用紙に「魔法適性:全属性」と書きかけ、慌てて消した過去を思い出す。
平和な世界に帰ってきた。だから純は自衛官になった。
守る対象は変わらない。守り方を変えただけだ。
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【索敵】
山間部での夜間演習。急激な前線の通過に伴い、濃霧が発生した。隊員が一名、未帰還。無線は完全に不通。
人目のない低木林の影で、純は静かに右手を下ろした。
『索敵』
半径千メートルの空間構造が、純の脳裏に三次元の座標データとして出力される。
日本の山林はノイズが多い。鬱蒼とした木々の水分、複雑な起伏、飛び交う野生動物の熱源。純はその膨大な情報をミリ秒単位でフィルタリングし、人間の「微弱な脳波」と「低下していく体温」だけを冷徹に抽出した。
捉えた。南南東、二百三。崖下。
純は何食わぬ顔で捜索班の列に戻る。
「なんとなく……こっちが気になります」
「なんとなく?」
「野生の勘です」
数秒の沈黙の後、班長が顎をしゃくった。
崖下の窪みで、足を挫いた隊員が低体温症の手前で震えていた。
「運が良かったな」と誰かが呟き、純はただ倣って頷いた。
曹長だけが、暗視ゴーグルを外しながら純の横顔を凝視していた。「お前の勘は、時々、気味が悪いほどに精密だな」と、それだけを言い捨てて。
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【地盤】
豪雨。山間部の集落が完全に孤立した。
主要道路は土砂崩れで寸断。視界不良と乱気流により、ヘリによる空輸も拒絶された。
深夜、純は「単独見回り」の名目で崩落現場に立った。
土質は最悪だった。大量の水を含んだ粘土層が、自重だけで崩落を続けている。単に土を盛って固めるだけでは、自衛隊の重機が乗った瞬間に再崩落を起こす。
純は両手を広げ、泥の濁流を見下ろした。
『空間固定』
異世界では敵の進軍を阻む城壁として展開していた魔法。
純は空間そのものを物理的に「凍結」させ、目に見えない強固なアンカーとして地盤の最深部、強固な岩盤層へと打ち込んだ。さらに斜面の表面へ薄い結界を滑り込ませ、雨水の浸透経路を完全に遮断する。流体力学と土質工学の計算を、異世界の理(ことわり)でねじ伏せる。
翌朝、先遣隊は「なぜか強固に安定している崩落斜面」を発見した。
「昨日まで動いてたよな……」
「なぜ崩れない?」
誰も理解できなかった。ただ一人、純だけが「土質が安定したんでしょう」と言いながら、重機でも動かせない崖に、カモフラージュ用のハンマーを叩き込んでいた。
数日後、救援活動の終了とともに空間固定を解除。
その道は、最初からなかったかのように跡形もなく崩れ落ちた。
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【流体】
大型台風の直撃。上流のダムが限界水位に達した。
放流すれば下流の町が呑まれる。放流しなければダムが決壊する。
午前二時、災害派遣要請。純は氾濫寸前の河川敷へ一人向かった。
王都が包囲された際の大規模魔法に比べれば、ただの川だ。容易いはずだった。
だが、二時間後、純は泥まみれの始末に舌を巻いていた。
「日本の河川工学、想定外に複雑すぎる……」
川は単なる水の塊ではない。流速、川底の摩擦抵抗、蛇行による遠心力。それらが絡み合う流体力学の怪物だ。ただ結界の壁を立てるだけでは、水は行き場を失い、別の堤防を破壊する。
夜空に巨大な魔法陣が展開される。認識阻害により、誰の目にも映らない。
純は結界の表面を「完全な流線型」に制御し、濁流のエネルギーを殺さず、徐々に受け流す。流れの乱れ方を示すレイノルズ数を頭の中で計算しながら、水が最も素直に動く角度を探り続けた。
氾濫するはずだった数百万トンの水が、見えない誘導壁に沿って滑らかに方向を変え、下流の遊水地へと滑り込んでいく。
町は、無傷だった。
翌朝のニュースは、あり得ない水位の急降下を「奇跡」と報じた。
専門家はテレビの向こうで首を傾げ続けている。
駐屯地の食堂。魔力を使い果たした純は、猛烈に飯を詰め込んでいた。
正面に曹長が座り、無言で純の空になった茶碗をひったくった。炊飯ジャーから、山盛りの白米が再びドンと置かれる。
「佐藤。ちゃんと寝てるか」
「今日は寝ます」
「そうしろ。お前が関わると、どうも奇跡の発生確率が上がる」
曹長はそれ以上、何も追求しなかった。
男同士のその距離感が、今の純には酷く心地よかった。
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休日。
純は駅前のコーヒーショップにいた。
窓の外を、平和な街並みが流れていく。それだけで十分だった。
店を出て、彼女と並んで歩く。
「ニュース見たよ」と彼女が言った。
「そうか」
「みんな無事で良かったね」
純は少しだけ、雲の切れ間を見上げた。
異世界では、どれだけ手を尽くしても守れなかった命があった。戦争の終わりは、いつも犠牲の後にしか来なかった。
だが、今は違う。目の前で消えようとする命なら、いくらでも物理法則を捻じ曲げて掴み取る。
それが、純にとっての平和の意味だった。
「運が良かったんだろうな」
純が呟くと、彼女は小さく吹き出した。
「そういうことにしておく」
彼女は、気づいている。正確には、純が「何か」を持っていることを察した上で、あえてその境界線に踏み込まない。ただ隣の歩幅を合わせてくれる。
「お腹空いた」
「さっきコーヒー飲んだだろ」
「関係ない。次」
「……はいはい。じゃあ、君が一番攻略したいファミレスに行こう」
平和な世界は、それなりに忙しい。
だが、悪くない。
佐藤 純はポケットに手を突っ込み、彼女と並んで歩き続けた。
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