【短編】王宮の茶会で恋が成就するまで もちろん仮

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/12 📚 シリーズ: 短編・番外編 📝 19,517文字 ✅ 全年齢

あらすじ

短編・番外編 - 【短編】王宮の茶会で恋が成就するまで もちろん仮

本文

石畳の中庭に、夜風が爪先でそっと弄ぶように吹き抜けるたび、その冷たさが絹のヴェールのように肌を撫でていく。

 わたし――ミツル・グロンダイルは、夜空に咲いたような淡い月を見上げながら、胸の奥底に沈む六年前の記憶をそっと掬い上げていた。

 まだ身体の輪郭も曖昧で、心の隅々まで子供じみていたあの頃に比べると、今では背丈は空に向かって伸びた若木のようであり、心も幾重にも重なる年輪のように深みを増したと思う。

 そんなわたしが今日、王宮という華やかな舞台に呼ばれた理由は、――成長した姿を人々の目に焼き付ける、“お披露目”の儀式と言っても過言ではないだろう。

 王宮でひっそりと、しかし確実に幕を開ける「花婿候補との茶会」に、まるで舞台の中心に立つ主役のように、わたしが招かれているのだ。

 言葉だけを拾い上げれば、どこか他人事のように聞こえるかもしれないが、これはわたしの未来を左右する正真正銘の一大イベント。胸の奥底では小さな波がざわめき、気乗りしないと言えば嘘になる。落ち着かない、まるで嵐の前の静けさのような、そんなざわめきが正直な感想だった。

 主催者は、慈愛に満ちた眼差しでわたしを見守ってくれる祖父である先王グレイハワードと、太陽のように明るい笑顔の王女シンシアリーナ。彼らは、複雑な家庭環境で育ったわたしにとって、紛れもない家族であり、幼い頃から温かい光で照らしてくれた。

 もっとも、わたし自身に王位を継承する血筋があるわけではない。それでも、王家の血をわずかでも引く者として扱われる以上、一度「婿取り」という言葉が囁かれ始めると、周囲の思惑が蜘蛛の巣のように張り巡らされるのは、必然の流れなのかもしれない。

 わたしは王家に近しい身分でありながら、その根を深く見れば見るほど、家庭環境は複雑な迷宮のようだ。

 父はかつて、銀翼騎士団右翼翼長という栄光の座にあったユベル・グロンダイル。中央大陸最強の“閃光の騎士”と呼ばれていたその剣は、一閃すれば夜空の星さえも切り裂くと言われたらしいが、過去には国を裏切った“大罪人”という汚名を着せられたこともあったという。

 母――グレイハワードお祖父様の愛娘メイレアは、聖剣白きマウザーグレイル探索という茨の道を選び、父とまるで夜の帳に溶け込むように、駆け落ち同然の形でそれまでの生き方を捨ててしまった。

 そんな二人の血を受け継ぎ生まれたわたしも、王族の庇護のもと離宮という名の鳥籠の中で、“王家の養女”という曖昧な立ち位置のまま、周囲の好奇の視線と、時に隠しきれない蔑視の刃を受けながら生きてきた。

 ただ、第二次魔族大戦という激動の時代において、“精霊の巫女”として、まるで暗闇に一条の光を灯すように成し遂げた功績――白きマウザーグレイルをその手に握り、クロセスバーナの野望と、封印されていたラオロバルガスの復活という悪夢を阻止したことが、凍てついていたわたしの境遇を一変させた。

 祖父グレイハワードは、その功績を温かく認め、グロンダイル家の名誉回復を静かに、しかし着実に進めてくれた結果、今やわたしは子爵という爵位を与えられ、豊かな実りをもたらすエベロール地方の所領を任される身となった。

 領主としての毎日は、忙しさの中にも確かに充実感で満たされていたが、その間に、幼い頃から私の成長を見守ってくれた後見役であるヴィル・ブルフォードとの交流が、まるで遠い星のように疎遠になってしまったのが、心の片隅で小さな雨音のように寂しく響く点だ。

 ヴィルは、父ユベルが剣を交わし、魂を語り合った唯一無二の親友であり、現在世界最強の騎士と謳われる“雷光の騎士”――その手には、白銀の輝きを放つ“ガイザルグレイル”が宿り、その名は大陸中に轟いている彼は、齢五十という歳を重ねてもなお、圧倒的な実力を誇り、国中の人々から畏敬の念を一身に集めている。

 なぜ、この「婿取り話」に私の心が重く沈むのか。その理由は、胸の奥底に秘めた、誰にも言えない願いにある。正直な話、もし結婚という未来を選ぶのならば、私の心はヴィル以外の誰の隣にも想像することができないのだ。

 自分自身でも、父の親友をそのような特別な眼差しで見つめるようになるなど……と、戸惑いを覚える時期もあった。年齢という名の深い河は、私たち二人の間に横たわっている。けれど、彼はいつだって私という名の小さな船を支え、導いてくれた。辛い時、堪えきれずに涙が溢れた時、彼の広い胸に抱きしめられた温もりは、私の魂に深く刻まれ、一生忘れ去られることはないだろう。

 もちろん、彼にとって見れば「親友の、まだ幼さの残る娘を恋愛対象として捉える」など、倫理という名の壁に阻まれ、到底受け入れがたいことだろう。そして、私自身も六年前は、まだ無垢で、頼りなく、ただ“守られるべき存在”でしかなかった。たとえ前世の記憶という名の羅針盤を持っていたとしても、その事実だけは、時の流れの中でも決して覆すことはできなかった……。

 けれど、十八歳という節目を迎え、身体も心も成長した今ならば、私もようやく一人の大人として、彼の隣に立つことを許されるかもしれない。彼に隣り立つ相手として相応しいかどうかは、まだ自信がないけれど、胸の奥底では、ひょっとしたら、凍てついていた関係が、春の陽射しのように温かく変化するかもしれない……という、小さな期待の蕾が、確かに燻っている。

 そんな、胸の奥に渦巻く様々な想いを振り払うように、私は冷たい石畳が敷かれた回廊をゆっくりと進む。閉ざされた扉の向こうからは、まるで宝石を散りばめたような華やかな光が漏れ出し、楽しげな談笑の声が、遠い波の音のように聞こえてきた。

 すでに茶会は、静かに、しかし確実に始まっているのだろう。裾が床を滑るドレスの感触を確かめながら、慎重に足を運ぶと、まるで無数の視線という名の小さな針が、私の全身にそっと突き刺さるのを感じる。どこかで、格式高い装いの貴族の男性たちが、「あれが、噂のミツル・グロンダイル殿か」「伝説のメービス王女の再来……」と、ひそひそと囁き合っているのが聞こえた。

 身に纏うドレスは、かけがえのない親友である王女シンシアリーナから、私のために選んで貸し出された、朝焼けのような淡いピンク色のもの。胸元には、熟練の職人の手によって繊細な刺繍が施され、まるで咲き誇る花々のように美しい。腰のラインを優雅に引き立てるそのデザインは、まるで私という未熟な蕾を、そっと包み込んでくれているようだ。侍女たちが、まるで春の陽光のような笑顔で「とてもお似合いですよ」と囁いてくれたけれど、このような華やかな衣装は、まだ私の日常には馴染みが薄く、一歩踏み出すたびに、心臓が小さく跳ね上がるような緊張を覚える。

――もう、あの頼りなかった子供の私ではない。胸を張り、落ち着いて……

 私はそう心の中で何度も繰り返し言い聞かせ、背筋を天に向かって伸ばしながら、光り輝く大広間へと足を踏み入れた。

◇◇◇

 大広間には、まるで夜空の星々を閉じ込めたような、まばゆいシャンデリアがいくつも吊り下がり、その無数の光が、まるで降り注ぐ雪のように辺りを白く、そして優しく包んでいる。

 視線を向けると、右側の豪華な椅子に、祖父グレイハワードが、老練な王者の風格を漂わせながら静かに腰掛けていた。その隣には、まるで一輪の白い百合のように佇む王女シンシアリーナが、私の姿を認めると、微笑みを湛え、優しく手招きをしてくれた。

 広間の中央付近には、まるで磨き上げられた剣のように凛々しい騎士や、格式高い家柄を物語る貴族の青年が数名、まるで彫像のように整然と並んでいる。どの人も、背筋が一本の糸で吊られているかのようにピンと伸び、幼い頃から上流階級の礼儀作法という名の厳しい鍛錬を叩き込まれてきたことが、その立ち姿からありありと見て取れた。年代は、未来への希望に満ちた二十代半ばから、落ち着いた思慮深さを感じさせる後半くらいだろうか。

 彼らは、私の姿を捉えると、まるで風に靡く麦穂のように、一斉に深々と頭を下げ、恭しい礼をとった。

「本日は、このような華やかなお茶会にお招きいただき、身に余る光栄に存じます」

「ミツル殿、あなたの麗しいお噂は、かねがね、私たちの耳にも届いております」

 一人ひとりが、まるで磨かれた宝石のような美しい言葉をかけてくるから、私も、微笑みのヴェールをまといながら、小さく、しかし丁寧に会釈を返す。

 すると、シンシアリーナ王女が、まるで鈴が転がるように朗らかな声で、私に優しく話しかけた。

「ミツル、今日はあなたにとって、未来を共に歩むかもしれない“真剣に結婚を考えるお相手”を見定める、大切な機会なの。どうか、肩の力を抜き、ありのままのあなたで、自由に言葉を交わしてちょうだいね」

 祖父グレイハワードも、まるで静かな森の奥で響くような、落ち着いた口調で言葉を添えた。

「今日、ここに集まっているのは、私が長年の経験と眼識をもって推薦した、将来有望な若人たちだが、まずは君自身の澄んだ瞳で、彼らの内面をじっくりと見極めることが肝要だ」

 私は、二人の温かい言葉に、感謝の気持ちを込めて小さく礼をし、静かに答えた。

「はい。皆さま、本日はどうぞよろしくお願いいたします」

 そう言葉を発しながらも、私の瞳は大広間全体をざっと見回していた。私の心の中で、最も大切な人の姿を探していたけれど、どこにも見当たらない。ヴィルは? いつもならば、私の背後、もしくは隅の方で、まるで静かな影のように控えているはずなのに、今日は一体どうしてここにいないのだろう。胸の奥に、小さな石が落ちたような、ざわめきが広がる。

――……仕方がないか。今は、せっかく集まってくださった来客の皆さまに、失礼のないように努めよう

 そう心の中で自らに言い聞かせ、私は、未来の花婿候補たちのほうへと、ゆっくりと向き直った。

◇◇◇

 しばらくの間、候補者たちと穏やかな会話を交わしていると、騎士団の精鋭と紹介された男性は、自身の磨き上げられた剣技をまるで誇りの勲章のように語り、「ぜひ、近いうちに一度、剣を交え、稽古のお相手をしていただきたい」と、熱のこもった言葉で強く勧めてきた。

 一方、格式高い貴族の青年は、古今東西の文学に深く精通しているらしく、美しい詩や、心を揺さぶる戯曲の話題で、まるで春の小川のせせらぎのように、穏やかながらも尽きることなく言葉を紡いでいる。

 さらに、知的な雰囲気を漂わせる魔術研究に長けた学者風の青年は、私が過去に王立魔術大学で示した精霊魔術の理論に、まるで底なしの泉のような興味を持っていると言い、いつか時間を取って詳しく話を聞かせてほしいと、真摯な眼差しで申し出てきた。

 どの男性も、それぞれに異なる魅力という名の光を放っており、まるで王宮の一室が、多種多様な才能を集めた見本市のようになったようだ。彼らが、私の未来の伴侶となり得る可能性を秘めていると考えると、畏れ多い気持ちと、どこか他人事のような、やれやれという気持ちが、心の中で複雑に絡み合った。

「ミツル殿、もしよろしければ、近いうちに王都近郊にひっそりと佇む美しい植物園へ、私がご案内いたしましょう。先日、そこで、今まで見たこともないような、神秘的な新種の花が発見されたそうですよ……」

「わたくしは、古の詩や物語を愛しております。いつかミツル殿の比類なきご功績と、その内なる美しさを称える、魂を込めた詩をあなたに捧げたいと願っております。きっと、あなたの心に深く響くものと信じて……」

 このように、それぞれが趣向を凝らした誘いをかけてくれるのは、素直に有り難いと感じるし、私も、まるで社交界の仮面のように、穏やかな微笑みを浮かべ、相槌を打つ。だが、心の奥底では、まるで小さな魚の骨が喉に引っかかったように、どうにも拭い去れない違和感が残っている。そもそも、本当に、この場にいる誰かを結婚相手として真剣に探そうという気持ちに、どうしてもなれないのだ。

――……結婚という、人生を左右する選択をするのならば、誰でもいい、というわけではない。決して、誰でも……

 そう、まるで堂々巡りのように頭の中で同じ言葉が繰り返されていると、ふと、私の視線の先に、腕をゆったりと組み、壁際に静かに佇んでいる男性の姿が、まるで夜空に浮かぶ満月のように、鮮明に飛び込んできた。その人こそ――私の心に深く刻まれた、ヴィル・ブルフォードだ。

――戻ってきていたんだ……

 いつのまにか、まるで静かな影のように、大広間に入っていたのだろうか。私が、まるで磁石に引き寄せられるように彼に視線を向けると、彼は、私の視線から逃れることなく、深く、そしてじっと、私の瞳を見返してくる。

 少し険しい表情に見えるのは、きっと私の気のせいではないはずだ。まるで、私の言葉の一つひとつ、仕草の一つひとつを、鋭い刃物で切り裂くように見つめている。ああやって、まるで監視するように私の話す様子を見ているということは、やはり、彼の心は穏やかな湖面のように静かではないのかもしれない。

――あなたは今、何を考えているの? その瞳の奥に隠された感情を、どうか少しでも私に教えてほしい……

 どちらかというと、今の私の心は、ヴィルの真意が気になって仕方がない。まるで、遠い故郷を想う旅人のように、彼の存在を強く求めている。しかし、まだ、目の前の花婿候補たちとの会話は、まるで終わりの見えない糸のように続いている。何とか、失礼のない範囲でこの応対を終えた頃には、まるで重い鎧を脱ぎ捨てた後のように、どっと疲労感が全身を覆ってきた。

◇◇◇

 花婿候補たちが、まるで潮が引くように静かに去っていき、宴の熱気が冷めた後、私は、王宮のひっそりとした回廊で、ヴィルと二人きりになる、まるで運命が与えてくれたような機会を得た。

 壁に掛けられた魔道ランプの柔らかな光が、古びた石壁を優しく照らし出す中、彼はいつものように、まるで動かない彫像のように腕を組んで立っている。二人の間には、言葉にできない、少し気まずいような空気が、まるで薄い霧のように漂っていて、私は、この沈黙をどう切り裂くべきか、言葉を探して迷っていた。けれど、やはり、私の心の中で渦巻く、どうしても拭い去れない疑問を、彼に直接ぶつけずにはいられない。

「ねぇ、ヴィル。今日、集まった花婿候補たちのこと……どう思った?」

 私が、まるで小さな石をそっと水面に投げるように、そう尋ねると、彼は、まるで苦虫を噛み潰したような、あからさまに言いづらそうな表情を浮かべ、諦めたように肩をすくめた。

「どう思うも何も……おまえが、心から幸せになれるというのなら、どの相手を選んだとしても、俺がとやかく言う筋合いはないんじゃないか」

 彼の、まるで他人事のようなその言い方が、私の胸の奥深くを、まるで鋭い爪で引っ掻かれたようにざわつかせる。彼ならば、私の将来を、もっと真剣に、まるで自分のことのように考えてくれると思っていたのに。

「なに、その投げやりな言い方は。これは、これからのわたしの人生がかかっているのよ?  後見人であるあなたなら……もっと、私の気持ちを理解してくれると思っていた」

 するとヴィルは、私の言葉をまるで遮るように、低い声で、しかし明らかに語気を強めて言った。

「そう、俺は、おまえの後見人だ。おまえの幸せを願わないはずがない。だが、おまえの人生を、俺が邪魔をするつもりもない。おまえが選んだ道を、好きに進めばいい」

 そこまで言い放つと、彼はまるで嵐の後の静けさのように、言葉を閉ざしてしまった。

 私の心には、まるで黒いインクが滲むように、悔しさが広がっていく。私は、深く息を吸い込み、震える声で言葉を紡ぎ出した。

「それだけ……? じゃあ、わたしが、心の底から“ヴィルと一緒にいることの方が、何よりも幸せだ”って思っているのは、少しも考慮してくれないの?」

 自分でそう言いながら、まるで太鼓のように、心臓が激しく脈打つ。この、胸の奥底に秘めていた言葉を、はっきりと口にするのは、生まれて初めてのことだ。彼にとって、この言葉は、まるで予期せぬ嵐のように、迷惑に感じられるだろうか。

 ヴィルは一瞬、まるで凍りついたように動きを止め、動揺の色を隠せないまま、大きく目を見開いたが、すぐに、まるで罪悪感に苛まれたように、私の視線から逃れてしまった。

「ミツル、お前な……一体、急に何を言い出すんだ」

「はっきり言って」

「俺はただ、おまえが、心からの笑顔でいられるのなら、それでいいと思っている。けどな、お前が今言ったことは、今の、このままの関係でいいって意味じゃないのか?  それじゃ、いつまで経っても、お前は結婚することなんてできなくなるぞ?」

「誰が、今のままでいいなんて言ったの? わたしは、ちゃんと、心から結婚したいと思っているし……その、隣に立つ相手が、あなたであるならば、それが、私にとって一番の幸せだって思っているの!」

 堰を切ったように、言葉が私の口から溢れ出す。心の中で何度も繰り返し、温めてきた言葉は、いざ口にしてみれば、まるで子供の告白のように単純だけれど、彼の表情からは、彼が今、何を考えているのか、まるで深い霧の中のように、何も読み取ることができない。

「くだらんことを言うな。俺なんぞに、そんな淡い期待を持つな……」

 まるで、私の言葉を嘲笑するかのように、呆れたような吐息とともに、ヴィルは踵を返し、薄暗いランプの光が揺れる回廊の奥へと、まるで逃げるように歩き去っていった。

「ヴィル……」

 私は、彼の遠くなる背中を追いかけようとしたけれど、まるで足に重りがついたように、一歩も動くことができなかった。結局、彼は私のことを、一体どう思っているのだろうか――彼の、あの冷たい態度からは、まるで砂漠に落ちた一滴の雨のように、何も読み取ることができない。

――どうして、そんな酷いことを言うの? 私のことなんて、あなたは、少しも想っていないの……?

 私の瞳には、堪えきれない涙が、まるで星屑のように瞬いていたが、必死でそれをこらえ、その場に、まるで抜け殻のように立ち尽くすしかなかった。

◇◇◇

 そんな、失意の底に突き落とされた数日後、王宮では、再び茶会が開かれることになった。今度は、前回のような顔見せの場ではなく、より正式な、――“誰を、生涯の伴侶として選ぶのか”という、重大な決断を下すための集まりであり、祖父グレイハワードと、シンシアリーナ王女も、その重要な場に列席している。

 私は、控え室の鏡に映る自分の姿を、まるで他人事のように見つめながら、深く、重い溜息をついた。

 せっかく、王女が選んでくれた美しいドレスを身に纏っても、胸の奥深くにある、まるで鉛のような不安は、一向に晴れることはない。ヴィルは、きっと、今日のこの場には来ないのではないだろうか。もし、彼が私の前に姿を現さないのなら、私は、この中にいる誰か、別の男性を、未来の夫として選ばなければならないのだろうか? そんな想像をするだけで、胸の奥が、まるで鋭い刃物で抉られるように痛む。

 けれど、優柔不断なまま、時間だけが過ぎていく。いよいよ、会場へと向かう時間が、足音を立てて近づいていた。私は、重い足取りで控え室を出て、光り輝く大広間へと、まるで運命に導かれるように歩を進めた。そこには、祖父グレイハワードとシンシアリーナ王女、そして、前回と同じ顔ぶれの、未来の花婿候補たちが、まるで絵画のように整然と並び、私の到着を静かに待っていた。

 彼らは、私の姿を認めると、まるで儀式のように深く頭を下げ、王女が、まるで春の陽光のような穏やかな笑顔で、私に優しく促した。

「では、ミツル。あなたは、この中にいらっしゃる、どなたを、生涯の伴侶としてお選びになるの?」

 候補者の男性たちが、まるで一点を見つめるように、一斉に私の瞳を見つめてくる。彼らは皆、私にとって、大切な未来を共に歩む可能性を秘めた選択肢――本来ならば、そうであるはずだ。だけど、私の胸の中には、まるで空白のキャンバスのように、明確な“答え”はまだ描かれていないし、何よりも、あの日のヴィルの冷たい横顔が、まるで焼き付いたフィルムのように、頭から離れない。

――どうしよう……私は、一体どうしたらいいの……この、押し寄せる不安の波に、私はどう立ち向かえばいいの……

 結局、言葉は、まるで喉に詰まった小石のように出てこず、私は、その場でまるで石像のように立ち尽くしてしまう。ほんの短い、数秒にも満たない沈黙が、まるで永遠のように重く感じられ、周囲からの、まるで無数の針が突き刺さるような視線が、私の肌を痛いほど焦がしていた。

 その時だった。大広間の重厚な扉が、まるで雷鳴のように、大きく開く音が、静まり返った室内の空気を一変させた。

「お待ち下さい!」

 まるで、凍てついた空気を切り裂くような、鋭い声が、広間に響き渡る。

 そこに立っていたのは、ひときわ堂々とした体躯の金色の髪を持つ男――ヴィル・ブルフォードだった。彼は、勢いよく扉を開け放ち、息を切らしながら、まるで嵐のように、私に向かって力強い足取りで歩を進めてくる。

「ヴィル……!?」

 思わず、彼の名を呼んだ私の声は、小さく震えていた。彼は、大理石の床に、まるで雷のような足音を響かせ、ぐいと、広間の中心まで踏み込んできた。

「申し上げます! わたくし、ヴィル・ブルフォードは、この世界に存在する誰よりも、ミツル・グロンダイルを深く、そして熱烈に愛しております! そして、ここに断言いたします。彼女を、わたくし以外の誰かが、心から幸せにすることなど、断じてありえません!  加えて言う。文句のある者はこのヴィル・ブルフォードに、いつでもかかってこい!!」

 一瞬にして、広間の喧騒は、まるで時間が止まったかのように静まり返った。彼の、凛とした、まるで雷鳴のような声、そして、迷いのない、力強い宣言が、私の耳を、そして、私の魂を、まるで稲妻のように貫いた。

 喜びと、まるで予期せぬ奇跡に遭遇したような驚きのあまり、私の涙腺は、まるで決壊したダムのように、あっという間に溢れ出した。全身が、まるで激しい嵐に巻き込まれた小舟のように震え、視界は涙で滲み、足元はまるで雲の上を歩いているように、おぼつかないほど混乱する。

 ふらふらと、まるで夢遊病者のように、彼の元へ歩み寄る私を見て、ヴィルは素早く駆け寄り、私の体を、まるで壊れやすい宝物を扱うように、しかし力強く抱きしめてくれた。

「だ、大丈夫か? すまん。いきなり、こんなことを言われたら、驚くよな。迷惑だだよな」

 彼の声は、少し焦っているようで、申し訳なさそうな響きも混じっている。でも、私は、ただ首を横に振ることしかできず、溢れる涙でぐしゃぐしゃになった顔を彼の胸に押し付け、まるで子供のように声を上げて叫んだ。

「迷惑なわけないじゃない……やっと、やっと届いた。やっと応えてくれた。わたし、ずっと、あなたのことが好きだった。初めて出会ったあの日からずっと、ずっと、あなたのことを……」

 息も詰まるような、嗚咽まじりの私の告白に、ヴィルは、私の髪をまるで慈しむようにそっと撫で、少し照れたような、しかし温かい苦笑いを浮かべながら、言葉を返してくれた。

「俺だって、同じ気持ちだった。ずっと、お前のことが心に残って離れなかった。なのに……こんなにも、長い間待たせてしまって、本当に、すまなかった……」

「ううん。そんなこと、もうどうでもいいの。好きよ、ヴィル」

「俺もだ。愛している、ミツル」

 その瞬間、まるで運命に導かれるように、私たち二人の唇が、熱い想いを込めて重なり合った。

 まさか、王宮という公の場で、こんなにも情熱的な接吻を交わすなど、自分自身でも驚いているけれど、それ以上に、喜びという感情が、まるで太陽のように私の心を照らし、満たしていく。私にとっては、まるで長い冬の後に訪れた春の陽光のように、待ち焦がれた瞬間だったから――。

 最初に聞こえてきたのは、シンシアリーナ王女の嬉しそうな拍手の音だった。それに続くように、祖父グレイハワードも、満足そうに手を叩き始め、驚きと祝福の入り混じった表情の花婿候補たちまでもが、一斉に、温かい拍手を送ってくれた。

 私は、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、「ありがとうございます」と、何度も何度も頭を下げた。ヴィルも、多少戸惑いながらも、私をしっかりと胸に抱きしめたまま、決して離そうとはしない。

「ヴィル……これからもずっと、わたしのそばにいてくれる?」

 しゃくり上げそうになる声で、彼に問いかけると、彼は、まるで誓いを立てるように、まっすぐな瞳で私の目を見つめ、はっきりと、力強く言ってくれた。

「あたりまえだ。誰が、こんなにも大切な――いや、世界で一番大切な人を、一人になんてさせるものか。二度と、離してなるものか」

 その、力強い言葉だけで、まるで全身に温かい光が広がるように、幸福感が満ち溢れていく。かつて、ただ守られるだけの子供だった私が、今、こうして彼の深い愛情を受ける、一人の女性へと成長できたことが、まるで夢のようで、胸がいっぱになった。

 周囲の拍手と歓声は、まるで祝福の歌のように、ますます盛り上がり、王宮の大広間は、温かい祝福の渦に包まれる。シンシアリーナ王女が、「ほんと、よかったわね」と、まるで秘密を共有する友人のように、小声で囁いてくれ、祖父グレイハワードも、「これで、私も安心して余生を楽しむことができるというものだ」と、上機嫌に、まるで子供のように笑っている。

 花婿候補たちも、「やはり、心に決めたお相手がいらっしゃったのですね」と、潔く身を引き、「いつか、また別の良きご縁があれば、その時は、ぜひお話を」と、温かい言葉を残して、一人、また一人と、静かに去っていく。彼らの、寛大で温かい対応にも、心から感謝したい気持ちでいっぱいだった。

◇◇◇

 儀式が恙なく終わり、王宮の一室に、私たち二人だけで移動する頃には、ようやく、激しく鼓動していた心臓も、何とか落ち着きを取り戻してきた。けれど、彼の存在を意識するだけで、まるで春の陽射しを浴びた花のように、頬が熱くなるのは、どうしようもない。

 ヴィルは、私の手をそっと握り、まるで自分の犯した罪を告白するように、申し訳なさそうな眼差しで、ゆっくりと視線を落とした。

「すまなかったな、ミツル。俺は、お前の気持ちを、本当は心の奥底では分かっていたのかもしれない。だが、ずっと、『ユベルの娘』だと思い込んでいた。父親代わりでいなきゃならないと、勝手にそう思い込んで、俺なんかじゃお前に釣り合わないんじゃないかって、ずっと心の奥底で、小さな棘のように引っかかっていた。なんて、俺は馬鹿なんだ……」

「いいの。仕方がないわ。でも……勇気を出してくれて本当にありがとう。わたし、今、すごく幸せよ」

 そう言って、微笑むと、彼の手が、まるで小さな鳥の羽のように、かすかに震えているのを感じる。私も、彼と同じくらい、いや、それ以上に緊張しているのだろうけれど、彼が、こんなにも動揺している姿を見るのは、まるで珍しい星を見つけたように、どこか愛おしい。

 たとえ、前世の記憶という名の枷を抱え、どんな波乱万丈な運命を歩んだとしても、今、この世界で、あなたと巡り合うことができたことこそが、何よりも奇跡なのだと、心の底から感じられる。

 ユベルとメイレアの娘として生まれ、ミツル・グロンダイルとして生きてきた私。そして、ずっと私を守ってくれていた存在であった彼。今、ようやく二人は魂の伴侶となる、真なるパートナーへと――すべての、喜びも悲しみも、出会いも別れも、その流れのすべてが、この、かけがえのない瞬間のためにあったのかもしれない。

 ヴィルは、そっと照れ隠しをするように、しかし、その瞳には、一片の曇りもない、真剣な眼差しを私に向けた。

「これからは……恋人同士、いや、いずれは、夫婦になるんだよな?」

 彼の、その少し戸惑ったような問いかけに、私の頬は、まるで夕焼け空のように、一気に熱くなる。

「何言ってるの?  今すぐにでも、結婚するに決まっているじゃない」

「ええっ!?」

 ヴィルは、まるで背後から強風に吹かれたように、急に後退りするように上体を仰け反らせた。

「わたしたち、今まで長い時間寄り添ってきたんだし、もともと、恋人同士のようなものだったでしょう? ただ、お互いの気持ちを、言葉にできなかっただけで……」

「ま、まぁ……その、一緒にいるのが、あまりにも当たり前すぎて、だな……」

「そう、それが私にとって何よりも自然で、一番居心地の良い場所なの。それに、私はあなたの良いところも、少しばかりのそうでないところも全部知っているし、それらすべてをひっくるめて、あなたのことが心の底から大好きで、これからもずっと、あなたの隣で生きていきたいの。結婚って、そういうものじゃない?」

「はぁ……まさか、ここまで話が早く進むとは……」

「今さら、尻込みしたって、もう絶対に逃がさないんだから」

 私が、少しばかり意地悪な笑みを浮かべながらそう言うと、ヴィルは、軽く頭を抱えるような仕草をして、それから、まるで太陽が顔を出したかのように、明るい笑顔を浮かべた。

「それは、こっちの台詞だ。お前こそ、もう絶対に逃がすもんかよ」

 まるで、子供のような、少しばかり意地の張り合いのような言い合いに、私たち二人は、顔を見合わせ、くすくすと笑い合ってしまう。

「ずっと、お前を守りたいと思っていた。だが、ただ守るだけじゃ足りなくて、どうしようもなく、お前のことが好きだったんだ。ミツル、これから末永くよろしくな」

「うん。ヴィルとなら、どんな困難な道のりでも、きっと乗り越えていける。こちらこそ、幾久しくよろしくお願いいたします」

 私たちは、まるで誓いを立てるように、軽いキスを交わし、温かいソファに、まるで寄り添う小鳥のように並んで腰かけた。お互いの存在を、肌で、心で感じながら、さっきまでの、まるで夢のような騒ぎを思い出しては、抑えきれない笑みがこぼれる。

 こうして、守護者と、守られる娘だった頃から数えて、長い長い六年。前世の記憶という名の星屑を抱えていた子供だった私が、“真のパートナー”となる、かけがえのない相手と、ついに結ばれる物語は、ここで一つの美しい区切りを迎えた。

 しかし、それは同時に、新たな物語の始まりを告げる鐘の音でもある。ヴィルと私――“夫婦”としての、まだ見ぬ未来への、希望に満ちた幕開けだ。

 精霊の巫女と、雷光の騎士。白きマウザーグレイルと、白銀のガイザルグレイルという、二振りの特別な剣を携えて、私たちはこれから、どんな道を、二人で手を取り合って歩んでいくのだろう。楽しみという名の期待と、未来へのほんの少しの不安が、胸の中で、まるで小さな波のように揺れている。

 窓の外を見ると、夜の空には、丸い月が、まるで私たちを祝福するように、優しく、温かい光を投げかけている。窓を開ければ、少し肌寒い夜の風が流れ込んでくるけれど、隣にヴィルがいるだけで、私の心は、まるで温かい毛布に包まれたように、安らぎに満ちている。

――ずっと一緒。ただ、それだけのことが、こんなにも幸せだなんて……

 私は、胸の奥深くでゆっくりと広がる、このかけがえのない幸せを、そっと噛みしめながら、静かに瞳を閉じて、深く息を吸い込んだ。ヴィルの温かい肩にそっと寄り添い、ふと、シャンデリアの揺れる灯りを眺めると、まるで走馬灯のように、様々な出来事があった過去の日々が、鮮やかに蘇ってくる。

「ねぇ、ヴィル。わたし、すごく幸せだよ」

 その、たった一言の言葉だけで、私の心のすべてが、彼に伝わったような気がした。

 ヴィルは、少し照れたように苦笑しながら、私の手を、まるで大切な宝物を扱うように、ぎゅっと握り返し、その大きな手のひらに、ほんのわずかな震えがあるのを感じて、私はまた、幸せな笑みをこぼしてしまう。

「おれもだ、ミツル……愛してる。何度でも言う。おまえが望むなら、世界中どこへだって駆け回って、この想いを叫んでやってもいい」

 少しばかり大袈裟な彼の台詞を聞いて、私は思わず吹き出しそうになる。でも、それでいい。この、少しばかりのユーモアこそが、私たち二人の、ちょうどいい距離感なのだから。

 私たちは、お互いの指先をそっと絡め合い、まるで魂と魂が触れ合うように、確かめ合うように手を重ねると、心の奥底まで、温かい光で満たされるような、深い安心感に包まれた。

◇◇◇

 翌朝、まるで天使の羽のように柔らかな陽射しが、静かに差し込む王宮の一室で、大きく開け放たれた窓からは、かすかに、潮風のような、懐かしい香りが舞い込んできた。海からの風がここまで届くには、まだ少し距離があるはずなのだけれど、もしかすると、それは精霊たちの気まぐれないたずらか、あるいは、ただ単に、風向きが変わっただけなのかもしれない。

 そんな、穏やかで、まるで時間がゆっくりと流れるような昼下がり、私は、ヴィルと二人きりの、静かで、温かい時間を過ごしていた。

 ふと、この心地よい風に、まるでそっと背中を押されるように、私の胸の奥に、小さな、けれど確かな期待が芽生えるのを感じた。久しく、心の奥底にそっと封印していた、“あの特別な感覚”が、まるで眠っていた妖精が目を覚ますように、わずかに疼くのを感じたのだ。

「ねぇ、ヴィル?」

 何気ない、まるで日常の挨拶のような優しい声で、けれど、心の奥底では、抑えきれないほどの、小さな、けれどキラキラと輝くようなわくわく感を隠しきれずに、彼の名前を呼んだ。私の声に応えるように、彼の穏やかな瞳が、ほんのわずかに揺れた。そこに、一瞬、戸惑いの色が浮かんだのがわかるけれど、それが、今の私には、どうしようもなく愛おしく思える。

「ん、なんだ?」

 低く、まるで深い森の奥で響くような、落ち着いた声。とはいえ、その奥に、ほんの少しだけ、隠しきれない動揺が潜んでいるのが、私にはしっかりと伝わってくる。私は、まるで小さな子供が宝物を見つけた時のように、思い切って口を開いた。

「帰りの馬車が来るまでまだ少し時間があるし、久しぶりに、ほんの少しだけ、空を飛んでみない?」

 言葉にしただけで、私の胸は、まるで軽やかな鳥のように、高く弾んだ。いつもならば、「こんな時に、そんなことを?」と、理性という名の鎖で自分を諫めるところだけれど、広がる青空を思い出すと、どうしても、抑えきれないほどの高揚感が、まるで湧き上がる泉のように押し寄せてきて、止まらないのだ。

「飛ぶだと!?」

 驚きと、ほんの少しの呆れが混じった彼の声に、私は思わず、まるでいたずらを見つかった子供のように、小さく笑みを浮かべる。いつだって冷静さを失わない彼が、ここまで露骨に動揺してくれると、なんだか、彼の意外な一面を見たようで、とても嬉しい。

「うん、マウザーグレイルの、セカンドフェイズの力でね」

 彼はもちろん、私の持つ、“白い刃なき剣”に宿る、不思議な、常識を超えた力を知っている――第二次魔族大戦において、多くの人々の希望の光となった、あの力を。

 さらに、彼だって、私たち二人の魂を結ぶ、夫婦剣のもう片方、“斬れないものはこの世に存在しない”と言われる伝説の剣、ガイザルグレイルを自在に操る、王国最強の騎士なのだ。だけど、やはり私の突拍子もない提案に対しては、警戒という名の壁が先に立ってしまうらしく、心配そうに彼の精悍な眉が、ほんの少しだけ寄せられている。

「おいおい、あの力は、もう、ご法度なんじゃなかったか?」

 まるで子供を諭すように、穏やかな口調で諫める彼。でも、私の心の奥底でまるで抑えられない衝動のように湧き上がってきた、この小さな願いをどうしても諦めることができない。

「そんなの、誰が決めたの? わたしは、人々の目に触れるような、目立つようなことはなるべく自粛すると言っただけよ。それに、今はどうしてもそういう気分なの。ほら、ちゃんとここに持ってきているし」

 私は、腰のベルトに、そっと、まるで愛しいものに触れるように指先を這わせる。

 銀色の、静かに輝く鞘に、大切に収められたマウザーグレイル――それは、私が、“精霊の巫女”という、特別な使命を背負った存在であることを示す、唯一無二の証。王宮内という、ある意味では特別な場所で私がこの剣を帯びることを許されているのも、この剣がただの武器ではなく、私自身の象徴だからこそなのだ。

 ヴィルもまた、まるで空気のように自然に、常にガイザルグレイルを身につけている。私たちがこうして一緒にいる時、その二振りの剣は、まるで二枚の翼が互いを支え合うように、重なり合っているように思えるのだ。

「ねぇ、だめ……?」

 私は、少しだけ首を傾げ、まるで子猫が甘えるように、上目遣いで彼を見つめ、微笑んでみる。

 まだ昼下がりの、柔らかいまるで蜂蜜のような日差しが、私の淡いピンク色のドレスに、優しい光のヴェールをかけている。彼はそんな私を少し困ったような、しかし、その奥には深い愛情の色を宿した瞳で見つめ、最後にはまるで降参したように、小さく息を吐き出しながらも、その表情から、徐々に困惑の色を薄れさせていった。

「まったく、お前という奴は……いつだって、俺の想像の遥か斜め上を行くようなことを言い出す。だが、それがたまらなく楽しくもあるわけだがな。しょうがないよな、そんな予測不能なお前が、どうしようもなく好きなんだから」

 まるで、何気ない日常会話のように、さらりと“好き”などと言われると、私の胸は、まるで熱い鉄を押し当てられたかのように、一気に熱くなる。まるで、窓から差し込む日差しが、さらに強まったかのように、私の頬がほんのりと赤く染まっているのを、自分自身でもはっきりと自覚する。

「うん、わたしも、あなたのことが、世界で一番大好き」

 素直に心の奥底から湧き上がる言葉を返すと、ヴィルは満足そうに、ほんのわずかに頷き、ぐっと一歩私に近づいてきた。そして、次の瞬間、私の身体は、まるで重力から解放されたかのように、ふわりと宙に浮いた。

「じゃあ」

 一体、何が起こったのかと、私の思考が追いつくよりも早く、私は、彼に、まるで大切なお姫様のように抱きかかえられてしまっていた。

「ちょ、ちょっと、ヴィル!?」

 思わず、普段よりも高い、間の抜けたような声が、私の口から漏れ出す。まさか、白昼堂々王宮の中で、こんなにも強引な、しかもどこか優しい抱え上げ方をされるなんて、夢にも思っていなかった。恥ずかしさと、抑えきれないほどの嬉しさが、まるで二つの異なる色のインクのように私の心の中で混ざり合い、心臓の鼓動は、まるで祭りの太鼓のように、やたらと速くなる。

「こうすれば、お前は、術の制御に集中できるだろう?」

 彼の声は、どこか余裕を含んでいて、私の狼狽ぶりを楽しんでいるようだ。

 もちろん、マウザーグレイルが駆使する、IVGフィールドの、まるで魔法のような物理制御の特性を考えれば、わざわざ、こんな風に抱きかかえられなくても、空を飛ぶことは十分に可能なはずなのに、彼は私をしっかりと、まるで自分の大切な一部であるかのようにその広い胸元に引き寄せて、決して離そうとはしない。

「いや、そういうわけじゃないと思うんだけど……」

 彼のそんな少しばかり強引な、“くっつきたい”という、隠しきれない欲求が、今の私にはどうしようもなく愛おしくて、私は抵抗することなく彼の温かい腕の中に素直に身を委ねる。明るい昼の光が差し込む部屋の中で、私たち二人だけの温かい体温を確かめ合うのは、何とも言えず、くすぐったい。

「じゃあ、行きましょうか」

「ああ、行こう」

 ヴィルの、低く、私の鼓膜を優しく震わせる声が響き、私はゆっくりと目を閉じ、意識を集中し始める。まるで、研ぎ澄まされた刃物のように思考を一点に集め、心の奥底で、マウザーグレイルの優しい、けれど力強い呼び声に応える。

「精霊子ちからよ、精霊器たるミツルに集え。そして、汝に命ずる。マウザーグレイル、セカンドフェイズ起動……モード・デ・クロリス……」

 静かで、まるで古の呪文のような言葉とともに、剣の奥深くからまるで春のそよ風のような、優しく、温かい声が、私の意識に直接語りかけてくる。

了承します。お二人とも、末永く、お幸せに……

「あれ……?」

 まさか、かつて共に生きた大切な友人、“茉凜”を模して作られた代替AIが、こんなにも、まるで人間の感情を持っているかのように気の利いた祝福の言葉を贈ってくれるなんて、全く予想もしていなかった。なんだか少し照れくさいけれど、剣までもが、私たち二人の未来を心から応援してくれているのだと思うと、私の胸は温かい光で満たされていく。

 すると、まるで音もなく私の背中に純白の、まるで天使の羽のような美しい翼が広がり、眩いばかりの金色の燐光が部屋の空気を一瞬にして、まるで魔法がかかったように変えてしまった。散りゆく光を帯びた白い羽根が、窓から差し込む陽の光を反射し、昼間の王宮をまるで幻の国に迷い込んだかのような、幻想的な光景へと変貌させる。

「やっぱり、その翼はいつ見ても、息をのむくらい綺麗だな。お前に、とても良く似合っている」

「そう……?」

 私とヴィルの視線が、空中で、まるで二つの星のように重なり合った。彼の穏やかで深い愛情に満ちた眼差しと、純白の翼が織りなすまるで絵画のようなコントラストが、私の胸をまるで高鳴る鼓動のように激しく揺さぶる。

「飛ぶよ」

「ああ、行こう」

 温かい光に優しく包まれ、私たちはまるで重力という名の束縛から解放された鳥のように、ふわりと宙へと浮かび上がる。全身を包む自由という名の解放感は、まるで眠っていた細胞一つひとつが喜びに震えながら目覚めていくような、不思議な感覚だ。外に広がる眩しいばかりの昼の景色へと向かうかのように、私たちは、まるで滑るように、静かに窓の外へと移動する。

「これが、自由なんだね」

 ぽつりと、まるで独り言のようにこぼれた私の言葉に、ヴィルはまるで太陽のように優しく微笑んだ。彼の瞳が、「ああ、そうだな」と、言葉ではなく深い眼差しで、静かに語りかけてくれる。

「お前と一緒なら、この世界のどこへだって、俺はついていくさ」

 まるで私の魂に直接語りかけてくるような、彼の温かい言葉。私は満面の笑みを浮かべ、彼の言葉に応えるように力強く頷いた。

「ありがとう、ヴィル。あなたと、こうして巡り合うことができて、本当に、本当によかった」

 遠くを見下ろせば、白い城壁とその向こうに広がるどこまでも続く青い海が、昼下がりの温かい陽光を受けて、まるで無数の宝石のようにきらめいている。

 私たちは、ゆっくりと高度を上げ、まるで空を舞う鳥のように、優雅に、そして自由に飛翔していた。翼をほんのわずかに動かすだけで、さらさらとどこか懐かしい潮の香りが、そっと私の鼻をくすぐる。

「見て、ヴィル! 海が、こんなにも近くにあるよ!」

 抑えきれない興奮で私は思わず声を張り上げ、彼の視線をまるで子供のように指さしたた方角へと誘う。眼下には、まるで生き物のように波立つ海原が眩しい光を反射してキラキラと輝いていて、遥か彼方の空と海の境目には、白い砂浜がまるで細い絹糸のように点在しているのが見えた。

「本当に、息をのむほど美しいな」

 ヴィルの、短く、しかし心の底から湧き上がるような言葉に、私はまるで太陽に向かって咲く花のように、満面の笑みを浮かべる。どこまでも広がる青い空とどこまでも続く青い海の鮮やかなコントラストが、私たち二人のこの特別な時間を、まるで絵画のように美しく演出しているのがはっきりとわかる。

「でも、こうして、あなたと二人で空を飛んでいると、自分が領主なんて立場にあることも、ほんの少しだけ忘れられるような気がするの」

 ふと、心の奥底に潜んでいた本音が、まるで小さな溜息のように私の口からこぼれ落ちてしまう。私が任されている広大な領地の執務は、想像以上に大変で、常に頭の中には様々な問題や課題が渦巻いていて、まるで終わりのない迷路の中にいるようだ。だけど今は、せっかくの穏やかな昼下がりを私の最も大切な人と、こうして一緒に過ごしている。せめてこの瞬間だけは、すべての重責から解放されて、ただこの喜びを二人で分かち合いたい。そう、心から願う。

「おいおい、今はこのかけがえのない瞬間を、ただ楽しむことが何よりも大切だぞ。面倒くさいことや先の心配なんて、今は考えるな」

 彼がまるで子供を優しく諭すように、穏やかな声でそう言う。その温かい言葉に、「そうだよね」と、心の中でそっと応えると、まるで喉に引っかかっていた小さな魚の骨が取れたように、胸のつかえがすっと消えていくのを感じた。

「うん、今はただ、この奇跡のような瞬間を心ゆくまで楽しもう」

 私はくすっと笑って、彼の温かい腕の中にもう少しだけ自分の体重を預ける。降り注ぐ温かい日差しが私の背中に広がる純白の翼を優しく照らし、まるで陽光を反射した眩いばかりの金色の燐光が、私たちの周りの空気にきらきらと、まるで魔法のように散っていく。

「さあ、ヴィル! もっと高く、あの雲の向こうまで飛んでみよう!」

 私は抑えきれないほどの喜びと興奮に思わず声を張り上げ、背中の白い翼にさらに意識を込めた。翼がまるで生きているかのように羽ばたき、私たちの身体はぐんぐんと、まるで天に向かって伸びる一本の木のように、加速しながら上昇していく感覚に包まれる。

「お気に召すままだ。お前に、すべてを任せるさ」

 ヴィルのどこまでも優しく、深い愛情に満ちた笑顔に、私はまるで太陽の光を浴びた花のようにさらに胸を弾ませる。どこまでも広がる、青く澄み切った空ならば、私たちはきっとどこまでだって飛んでいける。昼間の光が、まるで私たちを祝福するように眩しく、そして温かい。

 空の青と、海の青が、遥か遠くでまるで一つの絵筆で描かれたように溶け合い、繋がりつつある。私たちは、その青と青が交わるまだ見ぬ世界の境目へと向かい、これから始まる、私たちの輝かしい未来への無限の可能性にそっと想いを馳せる。

 そのまるで時間が止まったかのような、静かで穏やかな瞬間、ふわりと心の奥底から、淡く懐かしい記憶が蘇ってきた。そして、今はもうこの世界にはいない、大切な友人“茉凜”の優しく温かい声が、私の胸の奥で、まるでそよ風のようにそっと囁く。

あなたのしあわせが、わたしのたったひとつの願いなの……

たとえ、わたしがこの世界から消えてしまうとしても

それでも、ずっとずっと、あなたのことが大好きだから

遠くからでも、あなたのことを見守っているよ

あなたならきっと、だいじょうぶ。わたしには、ちゃんと見えるの

あなたの隣に、とても大きくて頼もしい木がしっかりと立っているのが

その木はきっと、あなたをいつだって守ってくれるから。だから、あなたはきっと、しあわせになれるよ

 懐かしく切なく、けれどどこか温かいまるで春の陽光のような声が、私の胸を優しくそして深く震わせる。まるで春風に揺れる生まれたばかりの若葉のように、希望という名の優しい緑色が、私の心の中にじんわりと滲んでいく。その言葉は、まるで途切れることのない光のように、私の背中をそっと、しかし力強く押してくれる。

――茉凜、あなたの願いは、ちゃんと叶っているよ。わたしは今、本当に、心からしあわせよ。

「行くよ!」

 私の声が爽やかな昼の大気に、まるで溶け込むように広がっていく。未来への期待に胸を膨らませ、彼の温かい体温を感じながら、背中の信頼できる翼と、隣にいるかけがえのない騎士を信じて、私たちはどこまでも広がる青い空を舞う。お互いの鼓動をまるで静かに語り合うように確かめ合いながら、“今”というこの何にも代えがたい至福の瞬間を、私たちは、心ゆくまで味わっていた。

 こうして私たちは、誰にも邪魔されない、自由でどこまでも広がる空へと、二人で仲良く羽ばたき、騎士と巫女、そして、何よりも深く、強い、二人の愛を確かめ合う、短い、けれど永遠に心に残るであろう冒険を始めるのだった。

 これが、私たち“ふたつでひとつのツバサ”の物語の一つの美しい終焉であり、同時に、希望に満ちた新たな始まりとなる。

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ひさちぃ

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