第34話 遠すぎる柱
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あらすじ
1907年、ウィーン美術アカデミー受験に失敗した若きアドルフ・ヒトラーは、 絵画の才能ではなく建築的構成力に向いていると指摘される。 史実では、その助言は彼の人生を救うほどの導線にはならなかった。 しかしこの世界では、面談した学長または教授が、彼の水彩画に見える建築物の描写力、正面構成、装飾への執着を見抜き、ウィーン市内の設計事務所や建築装飾工房への紹介状を書く。 「君は画家ではない。少なくとも、人物を描く画家ではない。 だが建物を見る目はある。 絵筆ではなく、定規と図面で食う道を探しなさい」 この一言が、歴史をわずかにずらす。 ヒトラーは政治集会の演壇ではなく、製図台へ向かう。 大衆を煽る言葉ではなく、式典会場の正面構成、店舗内装、建築透視図、仮設壇上、展示空間の意匠で生計を立てていく。 やがて第一次大戦には史実同様に従軍するが、戦後に戻る場所がある。 完全な漂流者ではない。 敗戦と混乱に怒りを抱えながらも、彼は政治運動の中心にはならず、設計と意匠の仕事へ戻る。 そして1920年代、ミュンヘンに小さな事務所を構える。 Adolf Hitler Entwurfsbüro アドルフ・ヒトラー意匠事務所 ここから始まるのは、世界征服ではない。 納期と外注と広告屋と若手所員に振り回される、偏屈な意匠家の職業人生である。
本文
暗い案内板の追加見積もりが通った日の翌朝、アドルフ・ヒトラー意匠事務所の机には、また紙筒が増えていた。
フランツ・マイヤーは、入口脇の壁に立てかけられた紙筒を見て言った。
「昨日、少し減ったはずなんですが」
エルゼ・ホフマンは帳簿から顔を上げなかった。
「減った分、別のものが入ってきます」
「そういうものですか」
「そういうものです」
クララ・ユンゲは受付簿を開いていた。
そこには、朝一番の来訪者として、整った字でこう書かれている。
ハインリヒ・ヒムラー
防共協力広報展示修正の件
関連資料多数
ユンゲは「多数」のところで、少しだけペンを止めた。
多数という言葉は、事務所では良い意味で使われたことがない。
二階では、ハンネス・クレープスが古い展示板の寸法を測っていた。
アルベルト・ヨードルは予定表を睨んでいる。スキンヘッドの頭が曇った窓の光を鈍く返し、朝からすでに会議を一つ処刑したような顔をしていた。
ヴィルフリート・カイテルは外務省筋へ出す確認書を整え、ヴォルフラム・ブルクドルフは入口に積まれた木箱を、髭の威厳だけで押し戻しているように見えた。
ヒトラーは新聞を広げていた。
一面の隅に、小さな海軍記事がある。
装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペー、北海・バルト海合同演習を終えキールへ帰投。
海軍、バルト海通商路防衛訓練を実施。
東プロイセン連絡と海上輸送保護を重視。
ヒトラーはその見出しをしばらく見ていた。
「海軍はまだ、水の上に線を引いている」
フランツが言った。
「水の上に線は引けません」
「だから航路図が要る」
ブルクドルフが箱を動かしながら言った。
「船の展示でも来るんですか」
ヒトラーは新聞を畳んだ。
「来るな」
エルゼは静かに言った。
「所長がそう言う時は、だいたい来ます」
その直後、下で扉が開いた。
ユンゲの声がした。
「お待ちください。ただいま確認します」
少し間を置いて、聞き慣れた落ち着いた声。
「ヒムラーです。資料をお持ちしました」
ヒトラーは新聞を机に置いた。
「やはり来た」
ヒムラーは、以前よりも薄い鞄を持って上がってきた。
だが、紙筒は三本あった。
薄い鞄は信用できない。紙筒がその分を補っている。
「所長、お時間をいただきます」
「いただく前に、置くものを減らせ」
「今回は修正案件です」
「修正は、前に何かを間違えた時に来る」
「まさにその件です」
ヒムラーは一本目の紙筒を開いた。
出てきたのは、防共協力広報週間の展示配置図だった。
三本柱は、すでに消されている。
ドイツ、イタリア、日本を同じ高さの柱で並べた案は、ヒトラーが潰した。
だが、図面の右側、日本の区画には、まだ強い線が残っていた。
旭日を思わせる放射。
赤い円。
東方。
対ソ牽制。
満州。
国境。
軍の規律。
日露戦争の古い写真。
ヒトラーはすぐに言った。
「まだ光っている」
ヒムラーは頷いた。
「日本区画です。ノモンハン方面の戦闘結果を受け、表現の調整が必要となりました」
フランツは聞き返した。
「ノモンハン」
カイテルが説明した。
「満州とモンゴルの国境方面で、日本軍とソ連・モンゴル軍が大規模に衝突した件です。夏以降、かなり大きな戦闘になっています」
ヒムラーが続けた。
「対ソ牽制としての日本の扱いを、従来のままにできるかという問題です」
ヒトラーは図面を見下ろした。
「できん」
「やはり、そうお考えですか」
「柱にするなと言った」
「三本柱は削除しました」
「削除したのに、まだ柱のつもりで置いている」
ヒムラーは図面上の日本区画を指した。
「こちらは、東方における反共協力の遠方事例として」
「遠方なら遠方らしく置け。なぜ正面に光を飛ばす」
「視認性を」
「遠いものを強く光らせるな。近く見える」
ヨードルが予定表の端にメモした。
日本区画、縮小
ヒトラーはそれを見た。
「縮小ではない。移動だ」
「どちらへ」
「中心から外せ。対ソ極東情勢だ。防共の柱ではない。遠い報告だ」
クレープスは配置図を回転させながら言った。
「では、右奥の資料壁へ移しますか。地図、新聞切り抜き、短い解説。模型類はなし」
「模型を置くな」
「はい」
「軍帽も置くな」
「はい」
「刀も置くな」
「用意されていません」
「用意する者がいる」
ヒムラーは静かに頷いた。
「日本側の印象を損ねすぎない配慮は必要です」
ヒトラーは鼻を鳴らした。
「配慮ではない。嘘を減らす」
ユンゲは記録した。
日本展示
対ソ極東情勢へ移動
三本柱表現、再使用不可
放射表現、不可
模型・軍装飾、不可
ヒムラーは二枚目の資料を出した。
今度はイタリアだった。
アルバニア。
アドリア海。
地中海。
バルカン。
古代ローマ風の柱、月桂冠、演説台。
ヒトラーは一目で顔をしかめた。
「また柱か」
ヒムラーは、少しだけ言いにくそうにした。
「イタリア側の資料提供に、古代ローマ風意匠が含まれております」
「含ませるな」
「先方の希望です」
「希望は、悪い意匠の母だ」
フランツが小さく笑った。
ヒトラーはイタリア区画を指した。
「アルバニアを大きく飾るな」
ヒムラーは言った。
「イタリアの影響圏拡大として、反共上の意味を」
「小国の戸口を踏んだことを、柱に彫るな」
少しだけ、部屋が静かになった。
ヒトラーは続けた。
「ムッソリーニは、戸口でローマを名乗る。だが、やっていることは戸口を押し開けることだ。展示にすると、余計に小さく見える」
カイテルが資料を見ながら言った。
「地中海・バルカン情勢として、扱いを分けますか」
「そうしろ。協力の柱ではない。情勢だ。情勢は動く。柱は動くと倒れる」
ユンゲは書いた。
イタリア展示
地中海・バルカン情勢へ移動
アルバニア表現、縮小
古代ローマ風柱、不可
月桂冠、削除
ヒムラーは三本目の紙筒を開けなかった。
その代わり、鞄から新聞の束を取り出した。
「そして、北方です」
「北方」
「フィンランドです」
新聞には、フィンランド国境での緊張が大きく載っていた。
ソ連が領土交換を求め、交渉が難航している。
レニングラードの安全保障。
国境線。
基地。
湖。
森。
寒さ。
ヒトラーは新聞を読んだ。
「また線か」
フランツは小声で言った。
「今度は北ですね」
「線は方角を選ばん」
ヒムラーは資料を並べた。
「フィンランド情勢を、防共展示に追加する提案が出ています。ソ連の圧力を示す事例として」
「事例」
「はい」
「人の家の玄関を、事例と呼ぶな」
ヒムラーは少し目を細めた。
「では、どのように」
ヒトラーは新聞から目を離さなかった。
「まだ侵攻ではない」
「現時点では、圧力と交渉です」
「なら、圧力と交渉として置け。戦争にしたい者のように地図を赤く塗るな」
「世論喚起には、ある程度の」
「喚起で国境線を太らせるな。太らせた線は、あとで痩せない」
エルゼが下から上がってきた。
「ヒムラーさん、追加案件の契約範囲を確認します。展示修正は承りますが、募金、義勇兵募集、政治集会動員、参加者名簿管理は含みません」
ヒムラーは穏やかに言った。
「今回は修正展示が中心です」
「今回は、ですね」
「念のため、北方支援者区分表の案も」
「含みません」
ヒトラーも言った。
「寒い場所の人間まで分類するな」
「支援効率のために」
「寒さは分類表で減らん」
ブルクドルフが言った。
「毛布の数なら減りますが」
ヒトラーは振り向いた。
「お前は髭で暖を取るな」
ブルクドルフは髭を撫でた。
「この髭なら一人分くらい」
「展示に出すな」
ユンゲは、今のやり取りを書かないことにした。
その午後、修正会議が始まった。
ゲッベルス広告社からは、代理の若い男が来ていた。
本人は来ない。
だが、来なくても分かる。
送られてきた案は、いつものように、声が大きかった。
日本区画は、赤い放射を弱めたと言いながら、まだ光っていた。
イタリア区画は、柱を細くしたと言いながら、まだ立っていた。
フィンランド区画は、新規追加のはずなのに、雪原の上に巨大な黒い影が伸び、ソ連を怪物のように見せていた。
ヒトラーは、三枚を見て言った。
「全部、距離を間違えている」
代理の男は困惑した。
「距離、ですか」
「日本は遠い。なのに近すぎる。イタリアは近い。なのに大きすぎる。フィンランドは小さい。なのに叫ばせすぎている」
「印象を強めるために」
「印象を強めるな。位置を正せ」
ヒムラーは興味深そうに聞いていた。
「位置が正しければ、印象は弱くてもよいと」
「弱いのではない。正しい」
代理の男は、日本の案を出した。
「日本区画は、日露戦争以来の対ロシア戦勝国としての実績を示し、現在の対ソ国境情勢も」
ヒトラーは遮った。
「日露戦争は古い写真だ。ノモンハンは新しい新聞だ。古い写真で新しい新聞を隠すな」
「しかし、日本への配慮が」
「配慮ではない。配置だ」
クレープスが新しい配置を描いた。
右奥。
資料壁。
地図一枚。
新聞切り抜き数点。
見出しは小さく。
対ソ極東情勢
満州・モンゴル国境方面の衝突
日露戦争以後の対ロ認識
ノモンハン戦闘後の情勢修正
ヒトラーは見た。
「日本の旗は小さく」
代理の男は言った。
「小さすぎると、協力国として」
「協力国ではない。遠方の相手だ」
ヒムラーは補足した。
「政府方針としても、同盟表現は避けるべきとの意見があります」
ヒトラーはヒムラーを見た。
「たまには役に立つことを言う」
「恐縮です」
「褒めていない」
次にイタリア案。
古代風の柱の上に、鷲と月桂冠。
アルバニアの地図が、実際よりもやけに大きく描かれていた。
ヒトラーはその地図を指で叩いた。
「この国を大きく描くな」
「見えにくくなります」
「見えにくいものを、見えにくいまま扱う勇気を持て」
「広告としては」
「これは広告ではなく展示だ。広告にしたいなら、外で叫べ」
代理の男は黙った。
ヒトラーは言った。
「柱を消せ。月桂冠も消せ。バルカンの地図、港、鉄道、新聞記事。それでよい」
「ムッソリーニ閣下の写真は」
「小さく」
「小さく、ですか」
「写真の中で本人が大きい。こちらでさらに大きくするな」
ブルクドルフが咳払いで笑いを隠した。
ヒトラーは睨んだ。
「髭で笑うな」
ブルクドルフは真顔に戻った。
最後にフィンランド。
雪原。
針葉樹。
赤い矢印。
ソ連の巨大な影。
小さなフィンランド兵の絵。
ヒトラーは、しばらく黙っていた。
部屋の空気が変わった。
ゲーリングの持ってきた航空展示講演会、スペインの壊れた町の写真を前にした時と、少し似ていた。
しかし、彼は同情を語る男ではなかった。
語ったのは、やはり配置のことだった。
「小さい国を、大きく描くな」
ヒムラーが聞いた。
「小国の抵抗を示すには、ある程度の強調が」
「小さいまま置け」
「それでは目立ちません」
「目立たせるために大きくすると、別の嘘になる」
ユンゲはその言葉を書いた。
小さい国を大きく描くと、別の嘘になる
ヒトラーは続けた。
「ソ連の矢印も太すぎる。太い矢印は、もう侵攻した後の顔をしている」
カイテルが新聞を確認した。
「現時点ではまだ、交渉と国境圧力です」
「なら、そう書け」
ヒムラーは静かに言った。
「もし侵攻が始まった場合は」
「その時に直す」
「展示準備が遅れます」
「先に戦争を描くな。展示が戦争を待っているように見える」
その言葉には、誰もすぐには返せなかった。
数日後、新聞が変わった。
ソ連軍、フィンランドへ侵攻。
国境地帯で戦闘。
ヘルシンキ空襲。
フィンランド政府、抵抗を表明。
国際連盟、対応を協議。
事務所の朝は、いつもより静かだった。
フランツは新聞を持って二階へ上がってきた。
「所長」
ヒトラーは受け取った。
紙面には、雪と煙の写真があった。
壊れた家。
雪道。
逃げる人。
兵士。
黒い雲。
ヒムラーも来ていた。
ゲッベルス広告社からは、すでに追加案が届いている。
早すぎる。
こういう時だけ、広告屋は速い。
ヒトラーは追加案を見た。
フィンランドを白い盾として大きく描き、赤い巨人が踏みつけようとしている。
募金箱用の小型掲示。
講演会の大見出し。
「北方の自由を守れ」
ヒトラーはそれを机に投げた。
「飾るな」
ヒムラーは言った。
「侵攻が始まりました。防共展示としては、非常に強い訴求力を」
「壊れた町を入口に置くな」
フランツは、スペインの時のことを思い出した。
ヒトラーは新聞写真を指した。
「写真は資料だ。入口の看板ではない。募金箱の隣に置くな。泣かせてから金を取るな」
ヒムラーは言った。
「支援活動そのものは別組織が」
エルゼが遮った。
「当事務所の業務外です」
「承知しています」
「念のためです」
ヒトラーはフィンランド区画の修正図を描いた。
北方情勢
ソ連・フィンランド戦争
国境要求と交渉決裂
侵攻開始
国際連盟協議中
地図は大きすぎない。
矢印は太すぎない。
写真は奥の資料壁。
入口には置かない。
募金箱の隣にも置かない。
白い盾も、赤い巨人も使わない。
代理の男は不満そうだった。
「これでは、通行人の足が止まりません」
ヒトラーは言った。
「足を止めるな。読ませろ」
「しかし、展示には引きが必要です」
「引くな。押すな。置け」
ゲッベルス本人がいれば、もっと大きな声で反論しただろう。
だが代理の男は、そこまで強くなかった。
ユンゲは記録した。
フィンランド情勢欄、追加
被害写真、入口配置不可
募金箱隣接不可
ソ連侵攻地図、過度拡大不可
赤い巨人表現、不可
白い盾表現、不可
12月半ば、また新聞が変わった。
ソ連、国際連盟より除名。
見出しは大きかった。
だが、見出しの大きさほど、世界が動いたようには見えなかった。
事務所の窓の外では、馬車が通り、店の看板が揺れ、フランツが新しい案内板を運び、ヨードルが予定表を書き直していた。
ヒトラーは新聞を読んだ。
「国際連盟が、まだ椅子を動かせたのか」
フランツが言った。
「椅子、ですか」
「追い出す椅子はあった。止める扉はなかった」
エルゼは帳簿をめくりながら言った。
「国際連盟除名の記事は、展示に入れますか」
ヒトラーは少し考えた。
「入れる」
ヒムラーが言った。
「大きく扱えば、防共世論の」
「小さく」
「小さく、ですか」
「除名は記事だ。勝利ではない」
「象徴的な意味はあります」
「象徴は、実物の代わりになると腐る」
ユンゲは記録した。
国際連盟除名記事
資料展示
大見出し化不可
勝利表現不可
その日の午後、海軍関係の小さな資料が届いた。
防共展示とは直接関係がない。
しかし、国際情勢資料の端に、海軍の近況として添えられていた。
装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペー、北海・バルト海合同演習を終えキールへ帰投。
海軍、バルト海通商路防衛訓練を実施。
東プロイセン連絡と海上輸送保護を重視。
航空母艦グラーフ・ツェッペリン、艤装工事なお継続。
海軍航空運用をめぐり、調整続く。
フランツは最後の見出しを読んだ。
「グラーフ・ツェッペリンというのは、空母ですね」
ヒトラーは顔を上げた。
「まだ飛ばない飛行場だ」
「船です」
「だから困る」
カイテルが資料を見ながら言った。
「海軍内でも扱いに迷っているようです。バルト海なら陸上航空基地で足りる、しかし将来の遠洋運用には必要だ、と」
ブルクドルフは髭を撫でた。
「船に飛行場を載せるなら、どこが入口になるんですかね」
ヒトラーは少しだけ考えた。
「入口が二つあるものは、展示で迷う」
フランツが言った。
「未来の艦、という扱いでしょうか」
「未来を模型にすると、たいてい大きく作りすぎる」
「では小さく?」
「今は置くな」
「海軍展示が来たら」
「来るな」
エルゼは静かに言った。
「所長がそう言う時は」
「言うな」
資料は机の端へ置かれた。
グラーフ・シュペーは、今の海の線を示していた。
グラーフ・ツェッペリンは、まだどこにも置けない線を示していた。
ヒトラーは防共展示の新しい全体図を見た。
中央から、三本柱は消えている。
代わりに、壁は四つの情勢に分けられた。
ドイツ周辺の共産主義運動と国内警戒。
地中海・バルカン情勢。
対ソ極東情勢。
北方情勢。
それぞれに、地図と新聞と短い解説。
どれも同じ屋根を支える柱ではない。
距離も違う。重さも違う。温度も違う。
日本は遠い。
イタリアは騒がしい。
フィンランドは小さい。
ソ連は近くないが、線を押してくる。
ドイツはそれらを同じ大きさの飾りにしたがる者たちに囲まれている。
ヒムラーは全体図を見て言った。
「三本柱より、かなり静かになりました」
「静かでよい」
「訴求力は落ちます」
「嘘の訴求力なら落ちろ」
「協力の印象も薄くなります」
「印象で屋根を支えるな」
代理の男が、小さく言った。
「しかし、柱がないと、不安定に見えませんか」
ヒトラーは、その男を見た。
「柱が遠すぎる時は、支えにしない方が安定する」
部屋の中で、ヨードルのペンだけが音を立てた。
ユンゲも、それを書いた。
遠すぎる柱は支えにしない
その夜、フランツは展示板の仮配置を確認していた。
日本区画は、以前より奥へ下がった。
赤い放射は消えた。
旗も小さい。
ノモンハンの地図は淡く、新聞の見出しは過度に大きくない。
イタリア区画では、柱も月桂冠も消えた。
アルバニアは地図上で本来の大きさに近くなり、港と鉄道と新聞記事が並んでいる。
ムッソリーニの写真は小さかった。写真の中の本人は、それでも十分に大きな顔をしていた。
フィンランド区画は、白と黒と薄い青で作られた。
雪を飾らない。
煙を入口に置かない。
壊れた家の写真は奥に置く。
国際連盟除名の記事は、壁の下の資料列に収まっている。
フランツは言った。
「これで、伝わりますかね」
ヒトラーは会場の中央に立っていた。
「何が」
「ソ連の危険とか、日本との距離とか、イタリアの扱いとか、フィンランドのこととか」
「全部を伝えようとするな」
「では、何を」
ヒトラーは壁を見た。
「同じ大きさではない、ということだ」
フランツは少し黙った。
会場にまだ人はいない。
だが、壁の上の地図と見出しは、すでに互いに距離を取っていた。
三本柱のように肩を組んでいない。
無理に同じ屋根を支えていない。
ヒトラーは言った。
「遠いものは遠く置け。小さいものは小さく置け。動いているものを柱にするな」
フランツは頷いた。
「作業指示ですね」
「そうだ」
「ユンゲさんに記録してもらいます」
「もうしている」
ユンゲは、入口脇で記録帳を閉じた。
防共協力展示修正
三本柱表現、再使用不可
日本展示、対ソ極東情勢へ移動
ノモンハン関連、過度な装飾不可
放射表現、不可
イタリア展示、地中海・バルカン情勢へ移動
アルバニア表現、縮小
古代ローマ風柱、不可
フィンランド情勢欄、追加
ソ連侵攻地図、過度拡大不可
被害写真、入口配置不可
国際連盟除名記事、資料展示
海軍関連記事、参考資料扱い
航空母艦グラーフ・ツェッペリン、展示主題外
遠すぎる柱は支えにしない
外では、冬の風が通りを抜けていた。
ミュンヘンの街灯は、灯火管制の訓練以来、少しだけ暗く見えるようになっていた。
暗い案内板は、いくつかの会館で採用され始めている。
通りの角では、白い短い文字が、夜にも読めた。
新聞の紙面では、遠くの戦争と近くの不安が、同じ大きさの活字で並んでいる。
だが、現実には同じではない。
遠い柱は、倒れる音も遅れて届く。
大きすぎる柱は、屋根より先に自分を見せる。
小さな家は、柱ではなく壁で寒さに耐える。
ヒトラーは会場の中央に置かれていた、使われなくなった柱型の模型を見た。
ゲッベルス広告社が最初に持ち込んだものの一つだった。
三本の柱のうち、日本の柱は、他の二本と同じ高さに作られていた。
彼はそれを持ち上げ、木箱に戻した。
フランツが聞いた。
「捨てますか」
「捨てるな」
「残すんですか」
「失敗は残す。次に同じものを作らないためだ」
フランツは、少しだけ笑った。
「失敗の保管ですね」
ヒトラーは、箱の蓋を閉めた。
「そうだ」
その箱は、入口ではなく、奥の棚に置かれた。
柱は、もう正面にはなかった。
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