第5話:最終決戦

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📅 公開日: 2026/6/13 📚 シリーズ: 召喚士 📝 19,126文字 ✅ 全年齢

あらすじ

遠くの空が白み始めたころ。焦点の合わないエリナの顔を、消えかけのかがり火が赤々と照らしていた。――ライムが死んだ。

本文

遠くの空が白み始めたころ。

焦点の合わないエリナの顔を、消えかけのかがり火が赤々と照らしていた。

――ライムが死んだ。

その事実にひとしきり嘆き、叫び、喉を枯らしたエリナをリッドは無理やり抱えるようにして廃墟の奥へ連れ戻した。

「水……いるか?」

「……いりません」

掠れきった糸のような声。リッドはため息をついて小窓から外を仰ぐ。

青白い空が無慈悲に朝を連れてくる。焚き火が弾ける音だけが、耳に痛いほどの静寂の中に響いた。

リッドが揺れる火を見つめていると、エリナの震える声が彼を呼んだ。

「……ねぇ、リッド様」

「どうした?」

「……リッド様は……どこかへ逃げてください」

吸い込まれそうな黒い瞳は、ただ一点火の粉を追い続けている。

「……エリナ?」

問いかける声に、彼女の肩が小さく揺れた。

「……ライムが言ってたんです。逃げろって……でも、私は……」

「逃げるなら、一緒だ」

リッドの言葉を遮るようにエリナは小さく首を横に振った。その瞳に、再び涙が溢れる。

「……私、最低な人間です。ライムにもう二度と会えないと思ったら、胸が裂けそうなのに……

どこかで、ホッとしてる自分がいる。あの頭の中に流れ込んでくる声がもう聞こえない……。

あの子のおかげで一人じゃなかったのに、あんなに不器用で優しかった弟をそんな風に思ってしまう自分が、おぞましい……っ」

一筋の涙が、煤けた頬を伝い落ちる。

「こんな酷い人間が、逃げるなんてしちゃいけない。きっとリッド様を困らせるだけです。

だから……あなただけでも逃げてください」

リッドは、その震える横顔に、静かに微笑みかけた。

「……どうしてお前だけを置いていける」

「え?」

「お前も十分すぎるほど優しいよ、エリナ。……俺は二度とお前を一人にはしない」

大きな手がエリナの頭をそっと撫でる。その温もりに耐えかねたように、彼女は自分の膝に顔を埋めた。

返事のない代わりに、幼子のような嗚咽が部屋を満たした。

同じ朝日が、カムイたちのリビングにも差し込んでいた。

いつもなら朝食の香りに包まれるはずの空間は、今朝はひどく澱んでいた。

「はぁ……気が重い」

「あんたがこの空気作ってどうすんのよ!」

リビングの机に突っ伏すカムイの頭を、エプロン姿のナイルが容赦なく叩く。

「…悪い…たださ…昨日の報告がな……血生臭くて、な」

「……一睡もしてないんでしょ」

ナイルの言葉に、カムイはゆっくりと身を起こした。

「ああ、できなかった……もう二度と同じ轍は踏みたくない」

目線の先でかつて救えなかった「あの部屋」を視ているかのようなカムイの横顔にナイルは踵を返し、

キッチンで鍋に火をかけた。

「ねぇ……ちょっとは吹っ切れた?」

「……さあな…」

「…ねぇ、カムイ……ひどい顔してるよ。私たち」

対面キッチンからナイルが笑いかけると、カムイも少しだけ困ったように笑う。

「おはよう」

目を擦りながらクレハが下りてくる。二人は即座に居住まいを正した。

過去の亡霊に引っ張られている場合ではない。

カムイは自らの顔を両手で叩き、気合を入れ直した。

「用があって呼び出したの。あなたたちも来なさい。ライムは教会よ」

例の女が再び現れたのは、日が高くなり、食料を求めて外に出ようとした時だった。

相変わらず蔑むような眼。冷ややかに笑う口元。

「エリナがまだ本調子じゃない」

リッドが庇うように前に出るが、女は鼻で笑った。

「どうでもいいわ。言われるまま動けばいいのよ」

踵を返して去る女の背中を見つめ、リッドは鋭い眼光でエリナの元へ急いだ。

「逃げよう、エリナ……あいつらの言うことなんて、ロクなことにならない」

「……どこに?」

「わからない。だが、ここよりはマシだ」

しかし、エリナは動かなかった。

「……ライムが、騙されたって…なら、私たちも騙し殺す気なんでしょうね」

「……ああ。そうだろうな」

「……私、ライムに会いに行きます」

「まて、ライムは……」

「あの人たち、私たちが事実を知っていることを知らない。なら、ただ殺されに行くんじゃなくて、

ライムの分までこっちから騙して、反撃しに行くんです」

死を覚悟した者の、鋭い光がエリナの瞳に宿っていた。

「せめて、自分の爪痕くらいは残したい……。あわよくば反撃して、

ライムの分までやり返してきたよって…あの子に報告したい」

「……何、終わる前提で話してやがる」

「だって、勝ち目なんて……」

「わかんねぇぞ。意外と、助けに来てくれるヒーローが現れるかもしれねぇ」

リッドの軽い口調に、エリナは困ったように笑った。

「……それは、ないです。そんなのがいたら、私たち、こんな場所まで落ちてきてないでしょ?」

自嘲気味な言葉に、リッドも目を伏せた。

(そうだ。俺たちはもう、街の明かりの中には戻れない。影の中で生きるしかないんだ)

「だから、リッド様だけでも逃げて……」

「嫌だね……一人より二人の方が、反撃の成功率は上がるだろ?」

リッドの笑顔にエリナは驚いて背けた。少しだけ照れたようなはにかんだ笑顔を作って。

「……で。こっからどうするんだよ、リーダー」

カムイ隊は重苦しい沈黙の中で頭を突き合わせていた。

ビンス村とスラム街を見下ろす小高い丘。

湖へと緩やかに落ちていく斜面の先に、村の全景と――あの不気味な教会が、はっきりと浮かんでいた

「もう一度村に行く。教会はその後だ」

カムイの言葉に、ロイが眉をひそめる。

「……正気? 村人は教会側よ。私たち偽物扱いされてるんじゃないの?」

アイが忌々しげに付け加える。

「ああ、だから正面からは行かない……ナイル、アオイ。潜れ。姉妹のふりをして情報を拾ってこい」

「……わかった。任せて」

2人が旅人に見えるよう身なりを整える。それを横目に、岩に腰掛けていたロイが立ち上がり、

剣の帯を締め直してカムイの前に立った。

「俺たちはどうする? 」

「…村の周りが異常に静かすぎる。あれは…」

「警備じゃないわね。警戒よ」

アイの言葉にカムイもロイも目を細め村を見下ろす。白い服を着た武装集団が入口と出口を固めていた。

「……行ってくる。頼んだわよ」

「ああ、気をつけてな」

ナイルたちは村への一本道を下り、武装集団に軽く声をかけられる。

だが、足を止めることもなく、そのまま村の中へと溶け込んでいった。

残された面々はそれをじっと見守る。

――その時だった。

「……ねぇカムイ。あれは何?」

クレハが声を潜めて指をさす。

森の影から、教会に向かって猛烈な勢いで駆け抜けていく二つの影があった。

カズキが双眼鏡を覗き込む。

泥にまみれ、死に物狂いで教会へと突っ込んでいくリッドとエリナの姿をはっきりと捉えた。

「あいつらだ」

「あいつら?」

ロイが眉を顰めるがカズキはただひとりごとのように疑問を投げかけた。

「なんで、あんなに急いでるんだ?」

「さぁ……だが、あの女の共犯者だろ? 何か起こるのか……」

カムイは岩肌に置いた手を強く握り込んだ。

今ここで自分たちが飛び出せば、村の中にいるナイルたちが武装集団に囲まれてしまう。

――だが

その向こうで追っていた奴らが、まさに今教会に踏み込もうとしている。

現場を押さえる絶好の機会だというのに、身動きが取れない。

「……クソッ、タイミングが悪すぎる!」

カムイは地面を拳で叩いた。

「カズキ、無線でナイルたちに合図を送れ! 急ぎで情報を引き上げさせて、教会へ突入するぞ!

今度こそアイツらを捕まえる!」

カムイの強い語気に、全員の間に張り詰めた緊張が走った。

一方、リッドとエリナは教会にたどり着くと、お互いの顔を見て力強く頷いた。

「いいか」

「はい」

いつも以上に重く感じる扉を押し開ける。

扉を開けた瞬間、二人は足を止めた。静かすぎたのだ。

いつもなら、どこかで聞こえる足音。

祈りの声。錆びた鉄の擦れる音。それが何一つない。

「……誰も、いない?」

エリナが呟く。空気が妙にぬるい。鼻につく鉄臭さだけが、やけに濃かった。

普段なら椅子が敷き詰められているはずの修道場はもぬけの殻。

――しかし

「ライム!」

だだっ広い空間の中央に、見慣れた姿の人間が一人横たわっている。

「待てエリナ!!」

「……っ」

エリナの呼吸が止まる。見間違えるはずはない。

小さな肩。泥で汚れたているが、見覚えのある服装。

「ライム……?」

返事はない。微動だにもしない。だが、エリナは一歩踏み出した。

「待て、近づきすぎるな」

「でも……!」

「……罠かもしれない」

「…わかってます」

無我夢中で歩き出そうとするエリナの腕をつかみリッドは冷静に言葉を紡ぐ、しかしにエリナは震える声で答えた。

「でも……もし、生きてたら……」

その言葉に、リッドは何も返せなかった。

生きていてほしい。そう願うエリナの背中にリッドはつかんでいた腕をほどき、その背中の後ろを歩いた。

しかし、妙だった。

近づいても、ライムの呼吸音がしない。胸のあたりも上下してはいない。

ただ青白い顔に近づいていくだけ。

「ライム……?」

エリナが膝をつきかけた瞬間。

「フフッ、ハハハッ……!」

どこからともなく高笑いが響く。

二人が足を止めると、奥の祭壇から一人の男が姿を現した。

「ノコノコ現れたか! この餌め!」

不気味に笑う男を、二人は鋭く睨みつける。

「餌……?」

リッドが眉をしかめるが、エリナは前方を睨みつけたまま、さらにライムに手を伸ばす。

「エリナ!」

「わかってます……でも、ライムがそこに……!」

突如、祭壇から呪文が響き渡り、床が青白く光り始めた。

「なんだ、これは……」

「魔法陣っ!」

エリナの脳裏に、精算の記憶がフラッシュバックする。煌々と赤く光る魔法陣。肉を裂くナイフ……。

エリナは弾かれたように踵を返すと、リッドを思い切り突き飛ばした。

「逃げて! この魔法陣から出てください!」

(せめて、リッド様だけでも…)

エリナの力の限り叫びにリッドが走り出す。

踵を返し、ライムに近づこうとした次の瞬間、床を這う瘴気がエリナの方へと迫った。

「お前も行くんだよ!」

突き飛ばしたはずのリッドがエリナの腕をつかみ走らせようとする。

「っ……!」

瘴気の勢いに、考えるより先に『フライング』を発動する。宙へ逃れた直後、魔法陣が轟音と共に爆ぜた。

魔法陣の外に着地すると轟音と共に魔法陣からドス黒い瘴気が噴き出す。

「ライム!」

エリナが悲鳴がこだまする。瘴気に持ち上げられたライムの体は宙が漂った。

「ライムを返してッ!!」

エリナが瘴気に向かい炎魔法を投げつけた。しかし黒い霧は揺らぐだけで霧の奥で、ライムの腕が沈んでいく。

指先がゆっくりと完全に呑まれるのをエリナの漆黒の瞳がとらえる。

「いや……」

ひざから崩れ落ち、言葉にならないほどの悲鳴を上げた。

逃げろと叫んだ不器用に優しい弟の言葉。むかつくほどに嫌味しか言わないくせに助けを求めれば駆けつけてくれるその姿。

走馬灯のようによみがえる記憶は憎くてどれも愛おしい。

「返してよ……」

エリナの声が震えた。たった一人の弟を。どれだけ悪態をついても、自分だけは見捨てなかった優しい弟を。

「返して……!」

霧の中へ腕を伸ばし、鋭い眼光でにらみつける。目にはあふれそうなほど涙がたまった。

届かない手が空をつかむ。悔しさに喉が切れるほど叫びが轟音よりも大きく鳴り響く。

「ライムを返してぇぇぇぇッ!!」

絶叫と共に放たれた『フレイア』は瘴気に触れた瞬間、呆気なく掻き消えた。

『逃げろ、姉貴』ライムの声がエリナの頭をかすめる気がした。

霧の中央に赤く光る眼光が二つ灯り、牙を剥く巨大な口が形成される。

狼にも似たその魔獣は低く唸ると霧を纏ったまま辺りを睥睨した。

『……餌は……餌はどこだ……』

地面を揺らすような声。

二人は圧倒的なプレッシャーの前に呆然と言葉を失う。

「お前の目の前だ!! そいつらを喰らえ!」

魔導士が歓喜の声を上げる。リッドは苦虫を噛み潰したような顔をした。

(やはり、そういうことか……)

「何十年……何十年待ったと思う!!ついに成功したんだ!行け! 喰らえ! この村を喰らい尽くせ!!

……なに!?」

『……餌は……どこだ……』

興奮して叫ぶ男を、魔獣の赤い眼光が捉えた。黒い霧が伸び、男の体を軽々と持ち上げる。

「わ、私じゃない! 私は貴様を呼び出した魔導士だぞ! 貴様、主人に向かっ……わぁぁぁぁぁっ!!」

断末魔を上げ、魔導士が霧に呑み込まれた。 目を細め、舌なめずりをする魔獣。

主が消え、魔法陣の青白い光が消滅すると、魔獣は大きな唸り声を上げ、苦しむように自らの体を壁や床に打ち付け始めた。

「なっ……なにが起こってるんだ」

「……わかりません。ただ、一つ言えることは……これを外に出しちゃいけないってことです」

美しかった白い壁もステンドグラスも、魔獣が暴れるたびに粉々に砕け散っていく。

轟音と土煙の中、少し落ち着きを取り戻した魔獣の目が、ついに二人を捉えた。

――足が動かない。 赤い眼光に射抜かれ体が硬直する。逃げ出したいという本能と、

ここで食い止めなければ外の村が犠牲になるという理性が激しく交差する。

「……やるしかないのか」

「さ、差し違えてでも……止めてみせます!」

リッドは背中の大剣を抜いた。

エリナは悲鳴を上げる体の痛みを無視して、力強く大地を踏みしめる。

咆哮を上げた魔獣を挟み撃ちにするように二人は散開した。

獣の目がギロリとリッドを睨みつける。それに臆さず、リッドは剣を上段に構えて飛びかかった。

目線はこちら。後ろのエリナの攻撃が直撃するよう、あえて大きく振りかぶり、魔獣の意識を引き付ける。

「フレイア!」

魔獣の瘴気の向こうで大きく声が響く。

――一撃!!

リッドが思った瞬間、その炎が瘴気を貫通しリッドめがけて飛んでくる。

「嘘だろ!?」

間一髪で炎を避けると今度は目の前の魔獣が巨大な口を開け待ち構える。

(よけられねぇ!!)

「フレイア!!」

再度放ったエリナの炎が今度は軌道をずらして魔獣の横顔を掠める。魔獣は炎が横顔を掠めたことに興味を持ち

リッドを飲み込もうとした牙を閉じると、ゆっくりとエリナの方に赤い眼を向けた。

エリナは意図せず魔獣に当たらずその顔の横を掠めてたことに苦い顔をする。

(駄目だ、コントロールが効かない……っ)

昨日の傷が癒えていない上、恐怖が魔力の制御を乱している。

(もう一度!!)

「フレイア!!」

今度は的の大きい腹部を狙った。

「…そんな…」

腹部の瘴気に飲み込まれ炎そのものが消えてしまう。

(何!?何が効くの!?…)

エリナの目が泳ぐ。動きも読めない。急所もわからない。巨大な敵相手に今までの戦法などまるで役に立たない。

しかし視界の隅、魔獣の足の間からでリッドが尻尾の方へ移動し、跳びかかろうとするのが見える。

「ウインディア!!」

放たれた風は魔獣の視界を奪うのには有効だった。しかし、その巨大な体はびくりともしない。

風がやむころには口元から牙をむき出しにし、その目がゆっくりと開くと笑うようにエリナを見据える。

その表情にエリナは魔獣を見つめ固まる。

(逃げられない…)

リッドは低く姿勢を落とした。いくら巨大な的だといえど、獣は獣。

相手の視線は魔法を打ち込むエリナに向いている。重心は前足、魔獣の癖は攻撃で読みきった。

次は左を振り上げ、エリナを狙う。

スラムで何百回も繰り返した”殺されないため”の呼吸。

そう確信して地を蹴った。

「でぇぁぁぁぁ!!!」

――しかし

足は振りあがらなかった。

その代わりに黒い霧そのものが、リッドの真横から牙を形成し、襲い掛かる。

「なっ!?…」

読みが成立しない。間合いが存在しない。

「フロスト!!」

魔獣の視線がずれたわずかなスキを突きエリナが別の魔法を試みる。

しかし魔法は牙を凍らせることなく牙に吸収され、牙もまた再びリッドを攻撃することなく消えてしまう。

魔獣は忌々し気にエリナとそのそばに降り立ったリッドを見据えた。

口から息を漏らすたびに黒い瘴気が吹く。

「…これ…どうしたらいいんですか…」

「…さっさあな…」

「魔法も効かない。気配も筋も読めない…」

「ああ…剣も効かねぇ。太刀筋も全く読めねぇよ…」

「…私たち…何をさせらてたんですか」

「…さあな……ただ」

「…ただ?」

「んなこと考える前に、こいつを何とかしないとな!!!」

リッドが闇雲に大地を蹴り上げる。

エリナは剣を振り上げ魔獣に突っ込んでいくその背を見つめて震える手を前に突き出した。

「…フレイア!」

放たれた炎が魔獣ではなく天井を破壊した。 瓦礫が魔獣の瘴気の体を貫通し足元にいたリッドに降り注ぐ。

リッドはその中で剣を振るう。

実態を持たない魔獣の鋭い爪がリッドを狙った。

「っだめ。制御できない!……」

エリナの顔から血の気が引き焦りが生まれ、思考が絶望の淵に立たされた。

今までの戦術が効かない以上、魔法以外に戦う術をエリナは持っていなかった。

「お願い!当たって!……ウインディア!!!!」

放った風がリッドを追いかける鋭い爪めがけて放たれる。実態を持たなかったそれは風に散らされ霧となる。

散らされた瘴気は再び集まるのに時間を有した。

「……え?」

エリナが違和感に眉をひそめた。

(今の…蹴散らした…)

爪だと思った実態が魔法で霧散した現状にエリナは動揺した。

『……グルルルル』

低く思い唸り声が響き、赤い眼が、ゆっくりとエリナへ向く。

「……え?」

リッドが息を呑んだ。今まで無差別に暴れていた魔獣が、初めて“敵”を認識したように見えた。

エリナを見つけると忌々しそうに咆哮を上げ、巨大な”本当の爪”で彼女のいた空間を薙ぎ払う。

鋭い風切り音と共に振り下ろされた爪を、エリナは本能で飛び躱す。

間一髪で体勢を立て直し、もう一度『ウインディア』を投げつけた。

しかし、今度は予想よりも優しいそよ風が生まれ、魔獣とは全く関係のない虚空へと消えていく。

「お願い……言うことを聞いて!!」

悲痛な叫びを嘲笑うように、魔獣が吠えた。

「エリナ!! 下がれ!!」

リッドが地を蹴る。魔獣の吠えた衝動で壁が崩れる。エリナをかばう様に魔獣に正面から切りかかった。

狙いは討伐じゃない。視線を奪うこと。

あの化け物の意識をエリナから剥がすことだった。

「こっち見ろぉぉぉ!!」

大剣が瘴気を裂く。その後ろからエリナの「ウインディア」が声を上げる。

先ほどのそよ風とは比べ物にならない突風がリッドの剣の軌道を変えてしまう。

面白がるように魔獣の爪が空を薙ぐ。リッドは風に煽られながらも、その爪を受け止め跳ね返す。

(…どっどうして…いうことを聞いて!!)

リッドはエリナの前に立ちはだかり、真っ赤な目で後ろのエリナを面白そうに見つめる魔獣に立ち向かう。

(…一歩間違えば…)

背筋が凍った。

(私が……殺す?…)

喉の奥に何かがせりあがる。それをぐっとこらえて、エリナは怯えた目で魔獣を見つめた。

(…つっつぎは…必ず…)

当てようと思うのに心は不安を掻き立てる。

狙った場所に飛ばない。威力も定まらない。次はリッドに当たるかもしれない。

その思いに喉が震えた。魔獣より先に、自分がリッドを殺す。

その想像だけで指先から力が抜けていく。

だというのに。

目の前の化け物はまるで遊ぶように大きく口をゆがませ笑う。

勝ったも同然、そういうように魔獣の目がエリナを捕らえ、大きく口を開け襲いかかった。

魔獣の赤い眼がエリナだけを捉えた。目を見開いて成す術なく立ち尽くすエリナの反対側で、

リッドは魔獣の背後から飛びかかった。高く飛躍し、頭から真っ二つに大剣を振り下ろす。

――しかし

「嘘……だろ?」

手応えは全くなかった。実体のない黒い霧が一時的に二つに裂けただけで頭部も瞬く間に元通りに結合していく。

為す術がない。リッドの意識も恐怖の底に沈みかける。

ゆっくりと振り返った魔獣の眼はまるで脆弱な虫を蔑むようだった。

そこからは、ただ逃げ惑うだけの蹂躙劇だった。

魔獣の放つ咆哮と鋭い爪の連撃。

狭い教会の中をところ狭しと駆け回るが、数日前の傷も癒えていないエリナの体力は限界に近かった。

魔力の制御も利かない焦燥感が彼女を追い詰め、剣が通じないリッドも完全に防戦一方に陥っている。

魔獣がおもちゃで遊ぶように二人を追い立てる。

ついにエリナの足が縺れ、床に倒れ込んだ。その頭上に魔獣が大きく爪を振りかぶる。

――もう駄目だ!

エリナが固く目を閉じた瞬間、鼓膜を劈くような硬い金属音が響いた。

同時に、エリナの頬に生温かい液体が落ちる。

目を開けると、真上に迫る巨大な爪を、リッドが大剣で必死に押し返していた。

しかし、彼の肩には深く爪の先が食い込み、鮮血がボタボタとこぼれ落ちている。

「っうぉぉぉぉぉぉ!!」

リッドがありったけの力を込めて剣を弾き返す。魔獣の体勢がわずかに崩れるとリッドはその場に膝をついた。

「リッド様!」

「大丈夫だ……俺は、平気だ」

肩からの出血が止まらない。涙目で寄り添うエリナにリッドは息を切らしながらも努めて笑いかけた。

次の瞬間、地面を揺るがすほどの遠吠えと共に魔獣が天井を仰いだ。

周囲の黒い霧が魔獣の口元に収束し、禍々しく輝く「漆黒の光球」を生み出していく。

「何をするの……」

圧倒的な死の気配。これ以上ないほどの恐怖が二人を縛り付ける。

「エリナ、お前は逃げろ!」

「嫌です!! 私はどうなってもいい! ここに来るって決めたのは私! だから、あなたを守る!!」

エリナが両手を前に突き出し、呪文を叫ぶ。光球が極限まで膨れ上がった。

「バリアッ!!」

残された全生命力を振り絞った黄金の盾が展開されると同時に巨大な光球が瘴気を纏って二人を飲み込んだ。

時を同じくして。

合流したナイルたちと共に教会へたどり着いたカムイ隊は、変わり果てた建物の姿に息を呑んだ。

ヒビだらけの白い壁。崩落し中が丸見えになった天井。

美しかったステンドグラスはそのほとんどが割れ落ち、内部からは黒い霧が絶え間なく溢れ出している。

「なんなんだ……これ……」

カズキの漏らす声が、微かに震えていた。恐怖心を煽る地鳴りのような唸り声と、時折響く獣の遠吠え。

裏からの侵入を試みていたカムイ隊だったが、中で起きている事態の異常性に、正面突破を決断する。

「俺がやる」

ロイが背中のロングソードを抜き放ち、重い木の扉ごと両断した。

バラバラと崩れ落ちる破片、立ち込める土煙の先。

その向こうに見たこともない化け物が鎮座していた。

黒い霧で構成された肉体。狼のように尖った耳と鼻。赤い眼光が鋭く光り剥き出しの牙から瘴気が噴き出す。

「なんだ…あれ…」

ロイが息をのんだ。

その後ろから、カズキが目を細める。

「……おい…あの女」

崩れた壁際。雨の日に見た女が光の障壁を張っている。

その後ろには、血まみれの牧師の男。

「どうなってんだよ……」

カムイが剣に手をかけて、その光景を見つめつぶやいた。

「お願い……持って……っ!」

エリナの張った障壁がピシピシと音を立てる。

傷だらけの腕を前に突き出し、必死に光球の圧力を押し留めた。

腕の筋肉が悲鳴を上げ、激痛が体を駆け抜ける。

「ダメだ!壊れる!!」

カズキが叫んだのと同時。

パァンッ!と耳をつんざく甲高い音を立てて障壁が粉々に砕け散る。

エリナは両手を広げ光球の衝撃を真正面から喰らった。

「がっ……あぁっ!」

凄まじい衝撃波に吹き飛ばされ、リッドと共に後方の壁へと激突する。

リッドの視界は急速に暗転し魔獣の嘲笑うような遠吠えと、血の味が口の中を支配する。

――負けた。

力なくその場に崩れ落ちると、リッドとエリナは完全に意識を手放した。

「待て待て……これが街なんかに下りたらマズくねぇか!?」

「マズいどころじゃねぇよ! 何人犠牲にする気だ!」

「で、でも……どうするのよこれ!!」

アイが悲痛な声で叫ぶ。

「戦うしかねぇだろ……」

混乱を語る仲間を前にカムイは鋭く前に出た。

「ナイル、クレハは少し下がってろ! アオイ、お前は倒れた二人に被害が及ばねぇよう傍で臨戦態勢をとれ!」

淀みない指示が飛ぶ。

「どうなるか分からねぇが……こんな化け物、野放しには出来ねぇ。だったら、俺たちで片付けるしかねぇだろうが!!」

カムイが力強く叫んだ。

同時に魔獣がゆっくりと振り向きカムイ隊を捉える。

大きな口から瘴気を吐き出し、長い舌で口の周りを舐め回す。

教会内に魔獣の咆哮が響き渡った。

実体を持たない黒い霧が鎌首をもたげ、カムイ隊へと襲いかかろうとした瞬間。

カズキが音叉を投げつけ魔獣の足元、教会の石床に強く叩きつける。

「現場の保存、防音壁展開。……現場周辺は静かにしてもらおうか、デカブツ」

音叉から放たれた周波数が、魔獣の咆哮と完全に干渉し合い、衝撃波を無効化する。

同時に教会の入り口には目に見えない『音の結界』が張り巡らされ、外部への被害と騒音を完全に遮断した。

「座標固定完了! ……対象の魔力構造、解析を開始するわ」

アイが冷たい瞳のまま空中に大量の数式を展開させる。

彼女の指先が空間をなぞるたび、ホログラムのような化学式が魔獣の周囲を囲い、警察の規制線のようにその動きを一時的に拘束した。

――しかし

「……? 何よ、これ」

数式を読み解くアイの表情が、驚愕に変わる。

「構成式が滅茶苦茶よ……!」

空中の数式が激しく乱れ崩壊する。それを目にしたアイに戦慄が走った。

解析式が途中で反転し、意味を成さなくなる。

「待って……何よこれ……式が固定できない……!」

魔獣が咆哮した瞬間、空中の数式そのものが黒く侵食され、展開した拘束式が砕け散った。

「っな!?…」

「アイ!!」

「…ダメ…解析そのものを書き換えられる……どうしたら…いいのよ、こんなの」

視線だけが忙しなく泳ぎ、喉の奥がからからに乾いていく。

唇を噛みそれでも考えようとするたびに、思考は途中で途切れた。頭の中に次の一手さえまともに浮かんでこない。

「 ……だったら、まずはその醜い霧をひっぺがしてやる!」

ロイの剣撃で霧が吹き飛ぶ。その身体をばらばらに割いたように見えた。

「効いたか!?」

――次の瞬間。

吹き飛んだ霧が、壁や床から再び滲み出す。

「はぁ!?」

ゆっくりと再構築され元の巨体へと形を変える。

「冗談だろ……」

ロイが唖然として魔獣を見つめた。真っ赤な目が面白そうに後がない二人を見据え笑う。

悔しそうに眼を光らせたロイがもう一度剣を構えると飛び上がった。

実体のない胴体を切り裂き、剣にまとわせた風が瘴気を蹴散らせる。

――次こそは!

地上に降り立ったロイの目が魔獣をにらみつける。しかし、その身体はまた元に戻っていく。

「なんなんだよ!!!」

苛立つロイの横でその光景を見つめるカズキの目だけがわずかに細くする。

(……違う…今のは…)

黒い霧が床や壁から滲み出し、裂けたはずの身体が、無理やり縫い合わされるように戻っていく。

「…存在を、繋ぎ止めてる…」

「……え?」

アイが振り向く。カズキは眉を寄せたまま、魔獣の胴体を睨み続けていた。

「召喚魔獣の召喚は禁術だ。文献もほとんど残ってねぇ。」

低い声が目の前の魔獣をリアルに語る。

「それだけこいつらが危険で、対峙する事自体が危険だからだ」

魔獣が咆哮する。教会全体が揺れた。

「…対処法が…ないってことか?」

「いや…ないというより、残ってねぇんだよ…」

「残ってない!?」

「禁術の為に書物からその存在をほとんど消されてる。だが安心しな。それに類似するものなら覚えがある」

「もったいつけんな早くいえ!」

カズキは音叉を取り出し、手でもて遊ぶ。

魔獣が舌なめずりをするその顔の下にそれを投げつけた。

音の波動が広がり、魔獣が天を仰ぐ。耳をつんざくような咆哮。

その音から逃げるように前方の壁に激突する。

「本来この規模の召喚獣はもっと安定した肉体と核を持つ。だが今のコイツは違う」

霧が飛び散り、壁が崩れ落ちる。

暴れる魔獣を見据えて、カズキはつぶやいた。

「魔獣としての核は存在している。だけど、体を維持できてねぇんだ。無理やり存在を保ってる」

刹那、カムイの目が鋭く光り、口元が微かな笑みを刻んだ。

「……歪んでる、ってことか」

「ああ」

カズキが頷く。

「完璧な召喚じゃねぇ。失敗した存在が力ずくで現実に縛りつけられてるだけだ」

「核がある……なのに、存在が定まってないってこと?……」

アイの声が震え、怯えるまなざしがカズキを見つめた。

「そんなの…どうやって構造を暴けばいいのよ…!」

「ここで終わんな。まだやれることはある。」

言い切ったカズキの口元がニヒルに笑う。何かを確信したような目がアイの視線とぶつかった。

「供給経路として見れば固定できるはずだ……アイ、本体の構成を狙うな。魔力の供給源を突き止めろ」

カズキの言葉にアイがのどを鳴らした。

「…なるほど…そういうこと!」

空中に新しい数式が走る。

音はいつの間にかやみ、こちらを睨みつけながら低い唸り声をあげる魔獣の姿がアイの視界に入る。

(このまま負けてたまるもんですか)

その目が光をとり戻す。

空中に並ぶ数式を見つめ、アイは苦しげに目を細めた。

「なんて、ことなの…」

その声は、怯えではなく痛みに近かった。

「……構成式が、泣いてる……」

さっきは崩壊した数式がきれいに並び始める。

散った瘴気。床から染み出す黒い霧。バラバラだった構成式が一本の経路として繋がり始めた。

「…この魔獣、再生してるんじゃない……散った自分を…無理やり集め直してるのよ……!」

ロイが振り返る。

「集め直す……?」

「ええ。」

アイの声が震え、魔獣を悲し気に見つめた。

「核だけじゃ存在を維持できないのよ……だから周囲に漏れた自分を回収してる……!」

空中の数式が激しく明滅する。

魔獣が苦しむように咆哮した。教会中の瘴気が脈打つ。

「…瘴気の構成式がバラバラなの…戻るたびに同じ構造を維持できていない……無理やり召喚されたせいで、

自分の存在を繋ぎ止めるだけで精一杯なのよ……」

アイの声がかすれ、そこにかぶさるように魔獣が再び咆哮する。

今度は怒りではなく、悲鳴のようだった。

その姿を全員が見つめた。

「……苦しがってる…今も…」

苦しみながらもここにとどまり、召喚された使命を果たそうとする目の前の魔獣。

(魔獣だけじゃねぇ…全てが狂ってる)

カムイの目は歪みそのものを捕らえ剣を握る。

――斬れる。

しかし。

「…じゃぁ、どこ狙えって言うんだよ…散っても結局また再生しちまうんだろ」

ロイの声が震える。額に汗をにじませながらも剣を持つ手には力がみなぎっていた。

「霧そのものを斬るな」

「はぁ!?」

「魔力が散るだけだ、核の維持に使ってる“流れ”を断て」

「流れぇ!?」

魔獣の前脚が床を砕く。

「うおっ!?」

ロイが跳び退く。その足元を黒い瘴気が蛇のように這い、

跳んだ先で大きな牙がロイを狙う。

「やっべ!!!」

逆手で剣を振る。真っ二つに切れた牙はロイを捕らえることなくその形をなくす。

「瘴気が濃く集まる場所があるだろ!そこが核との接続点だ!」

カズキの声を聴きながら、魔獣を見つめる。

(んなこと言われてもよ…)

低いうなり声が、教会の壁をボロボロと崩していく。

魔獣は目を見開き、咆哮を上げながら手当たり次第に爪を振るう。

崩れ落ちる壁の向こうで、ロイは必死にその動きを追った。

「…ロイ!頭よ!頭狙いなさい!!」

アイの叫びにロイの視線が動く。

眉間のあたり、渦を巻くように瘴気が集まる。

「よし来た!」

床を蹴り上げ、ロイのロングソードが高密度の魔力を纏わせて真正面から跳躍した。

魔力を込めた剣撃は霧を通り抜けることなく、物理的な衝撃として魔獣の顔を真っ二つに切り裂いた。

青白い核が露出する。

「見えた!!」

即座に剣を持ち直す。襲ってきた大きな牙を足場に踏み込むと。核にまっすぐに剣を下した。

「ぶっ壊れろぉぉぉ!!」

全力の斬撃。しかし

――ギィン!!

「なっ……!?」

剣が止まる。核の周囲を覆う黒い膜が、刃をはじき返した。

ロイの体が衝撃で宙を舞い、瘴気をまとった巨大な爪が襲い掛かる。

(嘘だろ!?)

衝撃を覚悟した瞬間、その身体がふわりと誰かに抱えられ仲間たちのもとへと舞い戻る。

「…大丈夫か」

「ああ…ありとう、カムイ」

まっすぐに魔獣を捕らえたカムイの顔がロイに語る。

ロイは一瞬安堵を現すが、すぐに剣を構えなおした。

「まだ防壁があったの……!?」

アイが息を呑んだ。

魔獣が咆哮した瞬間、再び瘴気が集まり始めた。

「…閉じる…」

黒い瘴気が核を覆いなおす。

カムイはそれをじっとみつめる

ただ、集まっただけ。

そこにただ、存在するように…。

カムイの目はそれを修復とはみなかった。

無理やり継ぎ接ぎされた構成式。

崩壊を拒むためだけに縫い留められた存在。

――歪だ。

なら、斬れる。

絶望にもにた空気が流れた。魔獣の重い息遣いと黒い瘴気が、カムイ隊を襲った。

「…もう一度だ。」

「カムイ?」

「今度は俺が斬る…ロイ、もう一度あれを斬れ。核の歪みは、理ごと俺が断つ」

まっすぐ前を射抜く瞳に炎が宿り、口元は揺らぎなく一筋の線を描いていた。

「…おまえら援護しろ」

その言葉にカズキ、アイ、ロイは魔獣に向き直る。

両足を地につけ、その目に魔獣を捕らえた。

耳をつんざく咆哮が鳴り、大きく爪が宙を薙いだ。

その風圧を受けても、誰も微動だにしなかった。

――いける。

確信へと変わる。指示もなく、ロイは再び地を蹴った。

魔獣は注意をロイへと向け、巨大な爪を振り下ろす。

それをロイが避けた先、意識を失ったリッドとエリナが視界の隅に入る。

「やっべっ!」

「させないッ!」

ナイルたちの傍で臨戦態勢をとっていたアオイが体術と魔力を融合させた蹴りで滑り込むと魔獣の爪を横から弾き返す。

ロイは着地するとアオイに向かって笑いかけた。

「ナイスフォロー!」

「私が守る! みんなはアイツを片付けて!」

アオイのサポートに支えられ、アイのカウントダウンが始まった。

「対象の魔力コア、位置特定! 10秒後に魔力の綻びを共振させるわ! ……

カズキ、周波数を合わせて、周囲を固定!! ロイ、もう一度一撃入れて、注意を引いて!」

アイの声に、チームが完璧に連動する。

ロイが再び突撃し魔獣の注意を引いた。

カズキが音叉の周波数を特定し、アイが展開した数式へと魔力を流し込む。

「……3、2、1、ゼロ!」

アイの化学魔法の爆発と、カズキの音波の共振が同時に魔獣の眉間に直撃した。

パァンッ!

教会のステンドグラスが残らず粉砕されるほどの衝撃波と共に、

魔獣の体を構成していた黒い霧が一時的に霧散する。

その奥、剥き出しになった魔獣の胸元に、青白く不安定に点滅する“魔力の核”が完全に露出した。

核が露出したことにより、魔獣は苦痛に暴走した。

周囲の瘴気を一箇所に凝縮させ、これまでの光球とは比較にならないほど巨大で禍々しい『漆黒の光球』を生み出す。

その狙いは、アオイが守る、倒れたリッドとエリナがいる場所。

「……逃がすかよ」

カムイが静かに一歩を踏み出す。

彼の手には、以前と変わらぬ、何の魔力も感じられない古ぼけた大剣『クロニクル・レイヤー』が握られていた。

魔獣が『漆黒の光球』を放とうとした瞬間、カムイは避けることすらせず、魔獣の正面へと歩み寄る。

「歪な殺意、欠陥だらけの構成式……。お前の存在は、嘘で塗り固められている」

『クロニクル・レイヤー』を静かに上段に構える。

「……その嘘を、俺が斬る」

カムイが剣を一閃した。

物理的な手応えのある重い斬撃ではない。刃が魔獣の剥き出しになった『核(真実)』に触れた瞬間、剣身が黄金色に輝き出す。

『クロニクル・レイヤー』が、魔獣の歪な構成式そのものを、その理を、根本から「分解」したのだ。

アイの叩き出した数式が空中で止まる。

砕ける音すらない。

ただ、存在そのものがほどけていく感覚だけが、刃を通して伝わった。

目の前でヒビの入る核がゆっくりと割れる。

魔獣は悲鳴を上げる間もなく、魔法の構造式ごとパラパラとガラスのように砕け散り、霧散していった。

後に残ったのは、先ほどまでの瘴気が嘘のように晴れた、教会の静寂だけ。

カムイは剣を鞘に収めると、小さく息を吐いた。

「……執行、完了だ」

「それで·····あの二人はどうするの」

静まり返った廃教会の外。入口を出たすぐの場所でカムイ隊は待機をしていた。

アイが冷たく言い放つ。

「……事が事だけに、警察隊に引き渡すのが、正解なんだろうけどな……」

カムイの胸中に、重い疑念が渦巻いていた。あの時、男は身を挺して女を守ろうとしていた。それが果たして「非道な人体実験を行う狂人」の行動だろうか。クレハと語り合った『救済』という言葉が、彼らをただ検挙するという選択にブレーキをかける。

「当たり前でしょ!!」

アイが声を荒げた。

「人間を何とも思ってないような連中よ! こんな大事件を起こした奴らに情なんていらないわ! 何考えてんの、カムイ!」

正論すぎるアイの怒りに、カムイは言い返せず腕を組んで黙り込んだ。

そこへ、教会の奥を調べていたクレハとアオイが戻ってくる。二人の顔は、どこか沈痛な面持ちだった。

「……とりあえず、逃げられないように魔力感知の拘束バンドだけは着けてきた。でも、警察隊に引き渡す前に、僕らで……いや、救護隊にしっかりと診てもらったほうがいいと思うんだ」

「どういうこと?」

「男性の方は、肩の傷が深いだけで、たぶんあの衝撃で気を失っただけなんだと思う。……問題は、女性の方だ」

クレハの声が震えていた。

「全身、表面には傷がないのに、体内に深い損傷の跡がいくつもある。一部は内臓まで到達しているような……まるで、何度も刺されたような痕なんだ。そこが治りきらずにまた出血している····あの瘴気を真正面から受けたことで限界を超えたんだと思う。だから本当は今すぐ僕が治療を……」

「ぜーーーーーったい駄目!!」

アイが鋭く制止する。

「まだ警察隊も救護隊も到着してないのよ! 治療して意識を取り戻して、また反撃されたらどうすんの!」

アイの射抜くような疑いの目が、教会の片隅で折り重なるように倒れている二人に注がれた。

「教会内部の大量の血痕。消えたスラム街の住人。そして無理やり召喚された魔獣……。アイツらがスラムの人間を使って、何らかの非道な実験をしていたのは明白よ! きっと、自分たちが呼び出した魔獣が不完全で制御しきれなくなって、命を狙われて必死に戦ってただけね。……自業自得だわ」

「アイ……」

「とにかく、何もしない! 私が……私が、クレハを突き落としたあの女を必ず警察に突き出してやるんだから」

アイの語気がふっと弱まり、彼女はクレハの頭を庇うように撫でた。クレハの体にもう傷は見当たらないが、アイの瞳には、あの日彼を守れなかった強烈な後悔と執念が燃えている。

「にしても……主犯格の目的は何なんだろうな」

ロイが瓦礫を蹴りながら呟く。

「……王都の壊滅。だとしたら、次は王都本陣を狙うか」

「そのための、スラムを使った人体実験……」

カズキが険しい顔をした。

「……だとしたら最悪よ。これからどれだけの人間の命を犠牲にする気だったっていうの?」

アイの目が、ステンドグラスの枠だけが残った窓から、村へと続く木々の方へ向けられた。村からは人っ子一人出てこない。何も知らず、平和な日常を過ごせているのだろう。

カムイは深くため息をついた。

西の空が赤く染まり始めている。村の平和を守り抜いたはずなのに、なぜか酷く後味が悪かった。

(……本当に、こいつらを突き出すだけで『正解』なのか……?)

夕日に照らされた二人の姿を見下ろしながら、カムイは自らの内にある決断の重さと向き合っていた。

静寂が戻った廃教会。

リッドが目を覚ました。朦朧とした意識の中、崩落した天井から差し込む夕陽が目に飛び込んでくる。

(……魔獣は!?)

「っ……がぁっ!」

跳ね起きようとした瞬間、肩の深い傷から焼け付くような激痛が走り、リッドは思わず呻き声を上げた。

痛みを堪えてうっすらと目を開くと、すぐ傍に力なく倒れ伏すエリナの姿が視界に入る。

「……っ! リナ……エリナ!!」

這いずるようにして近づき、その身体を抱き起す。

だらりと垂れ下がった腕。まるで糸の切れた人形のように、意志を感じない冷たい身体。呼吸はしているが、あまりにも浅く、弱々しい。青ざめた顔に無数の傷を負ったエリナを見つめ、リッドはただ呆然とうなだれた。

「……なんで。どうして……」

その時、教会の外から人の気配がした。話し声が微かに聞こえる。

ふと、ここに来る前にエリナと交わした会話が脳裏をよぎった。

――『わかんねぇぞ。意外と、助けに来てくれるヒーローが現れるかもしれねぇ』

ただの軽口だった。自分たちのような流れ者に救いなどあるはずがないと分かっていた。

だが、意識が遠のく直前、扉を破って飛び込んできた誰かの姿を目にした気がした。その腕に輝いていた金色の二本線を思い出す。

「……一か八かだ」

リッドはエリナを抱え上げる。肩の傷口が開き、鮮血が溢れ出したが、歯を食いしばって痛みをねじ伏せた。

フラつく足に鞭を打ち、重い足取りで教会の外へと歩みを進める。

「……おっせぇなぁ」

沈みかけている夕日が、湖の表面を赤く染めていた。

警察隊に応援の連絡を入れたものの、動きのない静かな時間に、ロイが苛立ちを隠せずにいる。

不意に、背後でバキッと木片を踏み折る音がした。

「……ちっ。リーダーがお人好しして躊躇するからだぜ」

「本当……どうしてくれんのよ」

ロイとアイが即座に剣の柄に手をかけ、振り返る。

カムイもまた、誰よりも早く身を翻し、警戒の姿勢をとった。

崩れた教会の入り口。逆光の中、エリナを抱えて立っていたのは、ボロボロになったリッドだった。

「お前たち……召喚士、なのか……?」

かすれた声。数日前にスラムで会った時の「若い牧師」の面影はどこにもない。

カムイは鋭い視線を向け、低く凄みを利かせた。

「……そうだ。何かの用か」

リッドはその場に崩れ落ちるように膝をついた。それで

もエリナを抱える両手だけは絶対に離さない。

肩の傷から流れ落ちる血が、石畳に赤い染みを作っていく。

「……お願いが、あるんだ……。俺たちを……いや、彼女を、助けてはくれないか……」

「なっ!?」

「バカじゃないの!」

激昂して踏み出そうとしたロイとアイを、カムイは無言で片手を挙げて制し、リッドを見下ろした。

「……俺たちが、お前たちにとって『敵』なのは理解してる……。

俺たちのしたことが、どれだけの罪になるのかも……分からない」

リッドは喘ぎながら言葉を絞り出す。

「だが! 何も知らなかったで済ますつもりはない! 俺たちがやったことが、

許されることじゃないのは分かってる……! 捕まることは、覚悟の上だ……!」

地面に額が擦れそうなほど頭を下げる。

「だから、お願いだ……。彼女を助けてはくれないか……。

お前たちが本物の召喚士なら、助けを求める人間を見捨てたりはしないんだろう!?」

「……」

カムイは沈黙したまま、リッドを見据えている。

「俺はどうなってもいい……! 許されないのは分かってる……!

でも……でも、彼女だけは……彼女の命だけは……っ!!」

リッドの目から、大粒の涙が溢れ落ちた。

「俺を庇ったんだ……! あのバケモノから、俺を守って……ほとんど息をしていない……!」

顔を上げるのが怖かった。誰の表情もきっとリッドを哀れみや怒りでしか見ていない。

――でも

「 頼む、お願いだ…俺が……こんな目に遭わせたんだ……

だから!俺を、俺を守ってくれた彼女を……助けてくれ……ッ!」

教会の白い壁が夕日で赤く染まる中、リッドの悲痛な叫びが木霊する。

腕の中で力なくうなだれるエリナ。

血に塗れ、なりふり構わず土下座をして懇願するリッドの顔は、あまりにも深く、救いようのない絶望に沈んでいた。

「……カムイ」

いつの間にか、医療道具の入ったバッグを抱えたクレハが隣に立っていた。

カムイは静かに目を閉じる。

頭の中でこれまでに得た情報を精査する。スラムでのやり取り。雨の日の出会い。教会の惨状。

そして今、目の前で必死に命乞いをする男の、嘘のない涙。

「クレハ……さっきの話、本当か」

「……本当だよ」

短く言葉を交わすと、カムイは再び目を開き、低い、威圧感のある声のままリッドに告げた。

「……お前たちの知っていること、洗いざらい吐いてもらうぞ」

「ちょっと! カムイ!」

背後からアイが悲鳴のような反論を上げる。

「……俺たちの知っていることが、役に立つかは分からないが……当たり前だ!

なんだって話す! 俺にできることなら、何でもさせてくれ……!」

アイの制止など意に介さず、カムイはまっすぐに生きようと足掻く男の瞳を真っ向から受け止めた。

「……クレハ。出来る限りでいい、助けてやれ。ナイル、アオイは援護を」

指示が下るより早く、クレハが動いた。エリナをリッドから慎重に引き取ると、平らな場所を見つけて寝かせる。

「本気かよ……」

ロイが呆然と呟く。

「ちょっと! 全員正気なの!? そいつらのしたことが私たちの予想通りなら、途轍もない凶悪犯よ!

なのに……それにクレハ! あんた、その女に突き落とされて怪我したじゃない!」

「……アイ」

いつもは穏やかなクレハの口から、想像もつかないほど低く、底冷えするような声が発せられた。

「なっ……なによ」

一瞬怯んだアイに、クレハは医療器具の準備をしながら静かに続ける。

「君の解釈と、僕の見た事実には、一つ致命的な誤解がある。……彼女は、僕を突き落としてはいない」

「え……?」

「確かに、彼女の起こした爆風が足場を弱らせて崩したんだろうけれど……あれは故意じゃない。

それに、彼女は僕を救おうと手を伸ばし、悲痛な声を上げたんだ。……だから僕は、彼女を『救済の対象』だと信じてる」

アイの顔を見ず、メガネを外したクレハが、エリナの体に治療魔法を展開しながら淡々と事実を告げた。

しかし、アイの怒りは収まらない。

「なっ……あんた、それがどういうことか分かってるの!? もしそいつらが『犯人』だったら……

私たちはおろか、村の住民にまで危害が及ぶかもしれない!今度は誰かがしぬかもしれないのよ!!

私は絶対に認めない!… たとえそれが事実だとしても!!」

「やかましい!!」

カムイの怒号が響き渡った。

「文句なら、後でいくらでも聞いてやる! 俺が『いい』と言ってるんだ!

黙って、こいつらの監視権を司法から引っ張ってこい!! 貴様ら、それでも市民の盾となるべき『召喚士』だろうが!!」

カムイがアイを鋭く睨みつける。アイも負けじとカムイを睨み返した。

「……おい、リーダー」

カズキが静かな声で割って入った。

「監視権を取ってくるのは構わない。……だが、もしこいつらが本当に黒幕で、

俺たちに牙を剥いた時、ただじゃ済まないぞ」

(…そうだ。これが本当に黒幕なら…隊に危険があるだけじゃない、町も、村も、

そこに暮らす人々の生活も奪うかもしれない……いや、それでも)

「……分かってるさ。全責任は俺が取る」

カムイの目の奥にある意志は、微塵も揺らいでいなかった。

「この二人は、俺たちの管轄――俺たちの隊で保護し、監視する。……俺の我儘に、付き合ってくれ」

静寂が訪れた。

アイとロイは納得しきれない顔のまま、少し離れた場所に腰を下ろす。

深いため息をついたカズキが、携帯通信機を手に取り、警察の担当部署へ連絡を入れるためにその場を離れた。

カムイは、暗くなり始めた空を見上げる。

夕闇の中で一番星が静かに瞬いていた。

ロイとアイは背を向けカムイたちを距離をとるように湖の方へと歩みを進める。

カズキが通信機で会話をする声、クレハの指示が耳に届く。

それらを感じながら、カムイは心でつぶやく、

(頼む…間違いで、終わるな。)

――カムイは星に強く祈った。

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作者について

Shiori-栞鈴-

Shiori-栞鈴-

はじめまして!しおりです! 『召喚士』という言葉を聞いたときから頭のなかでぐるぐるとキャラクターが動くのに、語彙力に欠けるせいで進まなかった物語が、AIとの共作で動き出しました! いい時代きた...

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