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特盛でよかった?

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/14 📚 シリーズ: 八百万の内緒の仕事 📝 1,856文字 ✅ 全年齢

あらすじ

神様も妖怪も、普通に隣にいる。 それが当たり前の現代東京で、 音源オタクの柏木蒼が上野公園で拾ったのは、 硬水を飲んで腹を壊して倒れていた、やたらきれいな男だった。 「軟水……いろはすでいい……頼む……」 なし崩しで同居することになった相手の名は、闇龗神。 飛沫感染担当の龍神で、毎日どこかの湿度を調整しながら、 台風を沈めて帰ってきては冷蔵庫の水をチェックしている。 神様の「仕事」は、人間には内緒だ。 でも蒼は知っている。 こいつ、すごくいい音がする、と。 八百万の神々と妖怪が跋扈する上野を舞台に、 感染症と戦う神様たちのほのぼの日常コメディ。

本文

 ピンポン、ピンポン、と音がする。

 最初、蒼はそれを夢の中の音だと思った。一定の間隔で鳴る電子音。四秒に一回、几帳面なくらいに正確で、それがかえって耳の奥に残る。録っておきたいな、と寝ぼけた頭の隅で考えた。誰かが、すごく律儀に、何かを知らせようとしている——

 ピンポンピンポンピンポンピンポン。

 連打だった。

 そこでようやく、現実の音だと気づく。

 まぶたを開けると、天井がやけに明るかった。枕元の時計は、午前九時を指している。蒼にとっては、眠りについてまだ数時間しか経っていない時刻だった。明け方まで音を組んで、ようやく意識を手放したところを、真上から叩き起こされた格好になる。死んだ顔のまま、しばらく動けなかった。

 部屋の隅に、くらの姿はない。朝のうちはいつもどこかをふらついていて、昼前にならないと帰ってこない。つまり、この理不尽な電子音をどうにかできる者は、今この部屋に蒼ひとりしかいなかった。

 居留守を、と思う。思うだけで、体が勝手に起き上がってしまうのが蒼だった。来られたら応じてしまう。押し返す力が、生まれつきどこかに欠けている。連打はやむ気配がない。蒼は寝癖を引きずったまま、玄関までふらふらと歩いていった。

 ドアを開ける。

 朝の光が、まず目を刺した。その光の中に、女がひとり立っている。

 きれいな人だ、と最初に思った。くらとは、整い方の種類が違う。くらが「気づいたら整っていた」顔なら、この人は「整えることを知り尽くした」顔だった。黒い髪が緩く結われて、後れ毛が首筋にかかっている。目が合っただけで、なぜか喉の奥が詰まった。蒼は、それ以上どこを見ていいかわからず、視線を足元に落とす。

 たぶん、人間ではない。

 そのくらいは、もう察しがついた。くらで一度、学習している。やたら整った顔で、こちらの調子を狂わせてくる手合いは、だいたいそっち側だ。一年前の蒼なら腰を抜かしていたかもしれないが、今はもう、驚くより先に納得がきてしまう。

 女の手には、半透明のビニール袋が提げられていた。蒼の、処理の追いつかない頭は、それでも勝手に予想を立てようとする。こういうきれいな人が朝に提げているのは、きっとおしゃれなカフェの白い紙袋で、中身は横文字のついたサンドイッチか何かで——いや、違う。どう目を凝らしても、ぶら下がっているのは、ただのレジ袋だった。

「牛丼。特盛でよかった?」

 女が、ビニール袋を軽く掲げた。底のほうに、見覚えのあるオレンジ色のロゴ。チェーンの牛丼屋の、あのレジ袋だった。口の隙間から、つゆだくの匂いがしっかり漏れている。

「……は」

 予想と現物の落差で、蒼の言葉は最初の一音だけで止まった。

 女は、蒼の返事を待たなかった。「入るわよ」と言って、当たり前のように靴を脱ぐ。くらの時と、同じだった。この部屋のドアは、人外に対してだけ、妙にゆるくできているのかもしれない。

 女はずかずかと上がり込むと、散らかった床を一瞥し、それから蒼を上から下まで眺めた。ガリガリの体。落ちくぼんだ目。寝癖。

「やっぱりね」と、女は言った。「あんた、ろくなもの食べてないでしょ」

 初対面のはずだった。なのに、女は蒼の食生活を、最初から知っている口ぶりだった。否定する材料が、ひとつも思いつかない。蒼は黙ったまま、また視線を逃がした。

 女が紙袋から容器を取り出す。発泡スチロールの蓋が、かぱ、と乾いた音を立てた。蒼の指が、無意識にデスクのレコーダーへ伸びかける。いい音だ、と反射的に思ってしまう。慌てて、手を引っ込めた。今は、どう考えても、そういう場合ではない。

 女はそれを見逃さなかったらしい。片方の眉を上げて、面白そうにこちらを見る。見られると、また喉が詰まる。蒼は牛丼の容器に視線を固定して、やり過ごした。

 玄関が、また開いた。

「ただいまー。あ、たま来てたん」

 くらだった。近所をひと回りしてきたらしく、機嫌のいい顔で、手にはいろはすを一本提げている。女——たま、と呼ばれたその人は、振り返りもせずに答えた。

「来てたんじゃないわよ。来たの。あんたが拾われた子、どんな子か見にきたんじゃない」

「拾われてないって。俺が介抱されたの」

「どっちでも一緒でしょ」

 二人のやりとりには、ずいぶん長い付き合いの気安さがあった。くらが当たり前のように水を飲み、たまが当たり前のように箸を割る。その輪の中で、蒼だけが、牛丼の湯気の前で固まっている。

 なんで朝から、美人と牛丼なんだろう。

 寝起きの頭に浮かんだのは、それだけだった。

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灯屋いと

灯屋いと

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