アバンタイトル
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
空が、青かった。
十一月の、冷たい青空。
それがひどく遠くに見えた。いや、違う。自分が地面に倒れているのだ。背中の下に、アスファルトの硬さと熱さが同時に伝わってくる。
背中が熱い。相当な火傷を負ったのだろう。血もたくさん出ているような、嫌な感覚がある。身体が動かない。
事故だった。
バイクで撮影に向かう途中、目の前で車が横転し、激しく炎上する現場に遭遇した。運転席には人影があったが、身じろぎ一つしない。もう助からないと、一目で分かった。
だが、後部座席で、小さな影が動いていた。
子供だ。
考えるより先に、身体が動いていた。
歪んだドアに手をかけ、力任せに引き開けた。ガソリンの臭いがした。
——早く。
シートベルトを引きちぎるようにして外し、子供を抱え上げた。
車から離れる。一歩、二歩。
背中に、熱を感じた。
振り返る余裕はなかった。
次の瞬間、爆発が世界を叩いた。
背中を炎が叩いて、身体が地面に叩きつけられた。
少し失神したが、すぐに目が覚めた。
——子供は?
朦朧とする意識の中で、それだけを考えた。
腕の中が、空だった。いつの間にか、誰かに引き離されていた。
遠くから、泣き声が聞こえた。
子供の声だった。どうやら無事だったようだ。
(よかった)
それだけで、十分だった。
全身から、力が抜けていくのが分かった。
誰かの声が、上の方から聞こえた。俺の名前を呼んでいた。必死な声だった。だが、うまく聞き取れなかった。空の青だけが、妙にはっきりと見えた。
(……俺は、このまま死ぬのか)
静かに、そう思った。
驚くほど、穏やかな気持ちだった。怖くはなかった。ただ——惜しかった。
(まだ、やりたいことが、たくさんあるんだよ……)
言葉にすれば、たったそれだけだ。
でも、その「たくさん」の中身は、走馬灯のように次々と浮かんでは消えていった。
やりたかった仕事。行きたかった場所。食べたかったもの。言いたかった言葉。
言葉。
そうだ、俺はいつも、言葉が足りなかった。
身体で示すことは得意だった。どんな高さから飛んでも、どんな炎の中をくぐっても、身体だけは言うことを聞いた。
でも——言葉で誰かの心に触れることが、どうしてもうまくできなかった。
伝えたいことが喉の奥で固まって、いつも出てこないまま終わった。
ずっと、そうだった。
「……ミホちゃん」
気づいたら、口に出していた。
声になっていたかどうかも、分からなかった。
空の青が、白くなっていく。
足先から、感覚が消えていく。
(まだ、やり残したことが——)
何かを思った気がした。
だが、言葉にならなかった。
いつもそうだ。大切なことほど、最後まで言葉にできない。
(…母さん……熱い……なぁ……………… )
シュピーン。
どこかで、あの音が聞こえた気がした。
撮影の前、いつも自然と口をついて出ていた、あの音。
あの音を発すると、世界がクリアになった。恐怖が消えた。身体が、思い通りに動いた。
最後にもう一度だけ、その音が鳴った。
世界が、クリアになった。
恐怖が、消えた。
ただ——温かかった。
「羽月流星」
彼は二十五年の生涯を終えた。
* * *
それから、四十年が過ぎた。