プロローグ ヒーローの歴史はキックから始まる
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
本作は、往年の特撮ヒーローや特撮作品への深いリスペクトと愛をベースに描かれる、熱く切ない青春ジュブナイルストーリーです。 過去の傷やコンプレックス、そして「記憶喪失」という過酷な運命に直面しながらも、己の「好き」という純粋な気持ちを武器に立ち上がる少年少女たちの姿を描きます ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
冬の入り口。空気は乾ききって、夕暮れの色だけが妙に鮮やかだった。
俺は自転車のペダルを踏み続けていた。隣町まで、あと何分あるか。考えたくもない。
「やばいぜ……あと十分しかない!」
吐き捨てた言葉が、冷たい風にさらわれて消えた。
遅れた理由なんて、情けなくて言いたくもない。
スマホを開いたのがいけなかった。少しだけのつもりが、気づけば一時間。
タイムラインというやつは、人間の時間を音もなく食い尽くす。まんまとやられた。完全に自業自得だ。
本来なら、塾の前に寄り道をする。それが俺の習慣だった。
あの古本カフェ。カウンターの向こうに見える、あの横顔。
(せめて一目だけでも……いや、今日は無理か…)
未練をペダルに変換して、俺はハンドルを切った。大通りは捨てる。
商店街の裏、地元民しか知らない迷路のような路地の「最短ルート」だ。
左、右、また左。体が覚えている道を、無心で駆け抜ける。
表通りへ飛び出そうとした、その瞬間だった。
「待て! 泥棒! 誰か捕まえて!」
空気を切り裂くような怒号だった。
ブレーキを握る。前方の駐輪場付近は、人の波が乱れていた。その中心から大きなボストンバッグを抱えた男が突っ込んでくる。邪魔なものは全部はね飛ばす勢いで一直線に。
「どけ! 邪魔だぁッ!」
そいつの目に、迷いはなかった。そして、その逃走経路の先に、小学校低学年くらいの子供たちが数人、状況も飲み込めないまま、ぽかんと立っていた。
まずい。
頭より先に、体が動いた。自転車を乗り捨てて地面を蹴る。
俺の正義感と勇気が一気に燃え上がる。
(行くぜ)
火薬が弾けるような熱が、全身を貫いた。
一歩、二歩、三歩。加速する。左脚を踏み込んで、跳んだ。
宙に浮いた一瞬、世界が静止した。
脳裏に焼き付いているのは、あの赤いマフラーの戦士。夕焼けを背に描く、必殺の放物線。
「ライダーッ!キック!!」
右足が、唸りをあげた。
ドゴォッ!!
重く鈍い音が、商店街に響いた。蹴りは犯人の胸元に、寸分の狂いもなく叩き込まれた。男は見えない壁にでもぶつかったように吹っ飛び、アスファルトに叩きつけられて動かなくなった。
(見よう見まねでやったが……うまくいったぜ)
着地は完璧だった。もう一度やれと言われても再現は難しいであろう、完璧すぎるスーパーキックだった。
周囲が動き出した。被害者、通行人、野次馬。声が四方から押し寄せてくる。
「すごい! 君、強いな!」
「大丈夫か!? 怪我はないか!」
「誰か警察を!」
内心では、静かに一言決めるつもりだった。
「正義のためにやっただけです」と。
だが実際に口から出たのは、
「あ、いや……その……」
それだけだった。
冷静さが戻ってくると、別の現実が頭を占領し始めたからだ。
(まずい。また正義感にかられてやっちまった。事情聴取なんてされたら塾に遅れる。親や学校にバレて騒ぎになるのは絶対にごめんだ)
答えは一秒で出た。
「僕はこれで! 速やかに退散しまーす!」
人混みの隙間を縫い、路地へ消えた。しばらく走ってから自転車を置いてきたことに気づき、舌打ちして戻る。
呆気にとられた人々の顔を背に、俺はその場からソッコーで離脱した。
「ふう……いつもと違う道で良かったぜ」
息を吐く。鼓動は荒い。右足がじんじんと痺れている。しばらくあの道は通れないかも。
割に合わない話だ。それでも、気づけば口の端が上がっていた。自分でも驚くほどに満足していた。
だが俺はまだ知らなかった。
自動販売機の影で、一人の少女が息を呑んでいたことを。
夕日の中を舞う俺の姿が、彼女の瞳の中で、テレビの向こうのヒーローと重なっていたことを。
その残像が、静かに、確かに、彼女の胸の奥へと刻まれていったことを。
その時の俺には、知る由もなかった。
作品統計
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