奢られときなさい
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
神様も妖怪も、普通に隣にいる。 それが当たり前の現代東京で、 音源オタクの柏木蒼が上野公園で拾ったのは、 硬水を飲んで腹を壊して倒れていた、やたらきれいな男だった。 「軟水……いろはすでいい……頼む……」 なし崩しで同居することになった相手の名は、闇龗神。 飛沫感染担当の龍神で、毎日どこかの湿度を調整しながら、 台風を沈めて帰ってきては冷蔵庫の水をチェックしている。 神様の「仕事」は、人間には内緒だ。 でも蒼は知っている。 こいつ、すごくいい音がする、と。 八百万の神々と妖怪が跋扈する上野を舞台に、 感染症と戦う神様たちのほのぼの日常コメディ。
本文
夕方になって、玉藻前が「外、行くわよ」と言いだした。
「あんたたち、どうせ家でぐだぐだしてるだけでしょ。たまには飯くらい、ちゃんとしたの食べなさい」
反論する間もなく、蒼はまた連れ出される。くらも「メシ? 行く行く」と気軽についてきた。食事は必要ではなく娯楽、というのがこの龍神の立場だった。
三人で、不忍池のほとりを歩く。
夕方の池は、いつもの面子だった。草むらのどこかで、小豆洗いがショキショキと洗っている。池の真ん中では、河童がぷかぷかと浮いていた。蒼が通りかかると、河童がこちらへ寄ってきて、足元に手を伸ばそうとする。
「やめろ」
くらが、軽く足で払った。河童は、ぽちゃんと水へ戻っていく。慣れたものだった。
蒼は、反射的にレコーダーを向けていた。小豆を洗う音、水のはねる音、遠くの噴水。何度録っても、この池の音は飽きない。
「あんた、ほんと録ってばっかりね」と玉藻前が笑う。
「これ使えるんで」
たどり着いたのは、駅前のサイゼリヤだった。
蒼にとって、ここは贅沢の基準だった。ハンバーグとドリアを頼んで、それで腹が満ちれば、その日は上等な日になる。千円も出せば足りる。ふだんは値下げ弁当で済ませる身には、十分すぎる贅沢だった。
玉藻前は、メニューも見ずに次々と頼んだ。蒼が値段をちらちら気にしているのを見て、軽く手を振る。
「いいから。ここはあたしが出すわよ」
「いや、悪いんで」
「奢られときなさい。若いんだから」
有無を言わせない口ぶりだった。蒼は、結局それに甘えた。甘えるしかなかった、と言ってもいい。運ばれてきたドリアは、熱くて、チーズが伸びて、ばかみたいにうまかった。
くらは、ドリンクバーの水だけを飲んでいる。ひと口含んで、満足げにうなずいた。
「ここの水、いいな」
「……水道水でしょ」
「いい水道水だ」
基準が、どこまでも水だった。
店の窓から、上野公園のほうが見えた。ベンチに、ころころした影がいくつか並んで、赤い顔で何か飲んでいる。例のじいさんたちだった。玉藻前が小さく手を振ると、向こうも気づいて、手を振り返してくる。
「知り合い?」
「まあね。あのへんの顔役よ」
それ以上は、聞かなかった。この街には、蒼の知らない繋がりが、あちこちに張りめぐらされているらしい。
ひとりだったら、絶対に来なかった店だ、と蒼は思う。値下げ弁当を買って、部屋でひとりで食べて終わる夕方。それが、ついこの間までの自分の普通だった。
今は、向かいで九尾の狐がワインを飲み、隣で龍神が水道水を褒めている。
変な夕飯だった。悪くなかった。