とりあえずやってみよ〜
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
誰もが魔法を使える世界で、セレンだけは生まれつきマナを持たなかった。 「欠陥品」と笑われ、魔法社会の中で不便と孤独を抱えながらも、彼女は幼馴染のケルヒャ・ガロンに支えられ、必死に日々を生きていた。 だが、世界を揺るがす異変をきっかけに、セレンは自分だけの道を見つける。 マナがないなら、理で組めばいい。魔力が足りないなら、仕組みを読み解けばいい。 これは、ゼロマナの少女が物理と理論で魔法を再発明し、やがて賢者と呼ばれるまでの成り上がり譚。
本文
老人の言葉が空気に溶け、再び世界に不快なノイズが流れ込んできた。崩れかけた建物の破片が風に舞い、鼻をつくのは焦げ付いた魔力の残り香と、瓦礫の奥底から漂う土の匂いだ。
セレンは自分の震える指先を見つめた。剣の柄を握りしめる手は、すでに数時間の緊張で硬く強張っている。マナを持たない者がこの地語を目指すということの重みが、彼女の意識を鋭く突き刺した。それは単なる「諦めないこと」への賛辞ではない。これから始まる道が、他者よりも遥かに険しく、より孤独な歩みになることを意味しているのだ。
(……笑っちゃうわよね。誰もいない場所ならあんなことも言えるけどさ)
内面で流れる皮肉な独白とは裏腹に、彼女の胸の内には確かな熱が宿っていた。これまで受けてきた「無能」「欠感品」「特別な才能がない」というレッテル。それらはすべて、魔法という便利なショートカットを知らない者を切り捨てるための都合のいい境界線だった。しかし、あの老人の言葉は、その壁に亀裂を入れた。世界からの拒絶ではなく、ただ別の地図を持って歩むべきだと言われた時、彼女の中の何かが静かに、決定的に変質したのだ。
「……理屈じゃないってことは、もう分かってる。でもね、これからは『やりたくないからやらない』んじゃなくて、『やるためにどうするか』を考えることになるってことでしょう?」
セレンの声は掠れていたが、先ほどまでの怯えや焦燥による震えは消えていた。隣ではガロンが眼鏡の位置を正し、わずかに頷いている。
「その通りだ。彼が見せたのは答えではない。君が自分の足で進むための、新しい方位磁石のようなものだろう。マナを持たないことがハンデであるという事実は変わらない。だが、それを補う術式を探すのではなく、独自の法を見出す道――それは非常に困難な道のりだ。しかし、少なくとも誰かの用意したレールの上を漫然と走るよりも、ずっと自由な道かもしれない。」
ガロンの冷静な分析が、空虚な空間に実感を伴って響く。彼は知っている。この世界において、平均的な魔法を使いこなせる者がいかに恵まれた環境に甘んじているかを。そして、特権を拒絶する代わりに自らの意思で道を切り拓こうとする者の孤独がどれほど深いかを。
背後では、ガロンが無言の圧迫感を持って立っていた。彼は何も語らなかった。ただ、盾を構える腕の筋肉を硬くさせ、妹の背中を守る壁としてそこに存在している。彼の視線には、弟分としての共鳴と、最愛の妹への不器用な誇りが混ざり合っているようだった。言葉による励ましよりも、その揺らぎない背中の重みが、セレンにとっては最も確かな支えとなっていた。
「とりあえず……やってみるわよ」
セレンは小さく笑った。それが彼女の口癖であり、同時に自分自身に対する誓いでもあった。
何かが変わったわけではない。まだ魔力も湧き出ないし、自分の体力が底をついていることも事実だ。しかし、明日から、あるいは数分後の戦闘において、彼女はもう「見放された者」として立ち振るまえることはない。誰かの同語を求めるためではなく、自分が選んだ道を進むために戦う。
この瞬間、彼女の心の中で「逃避」という選択肢が消滅した。
誰も見ていない場所で絶望に打ちひしれることや、他人の評価に合わせて自分の可能性を狭めることを拒絶する決意。それは非常に泥臭く、かつてないほど困難な挑戦だと理解しながらも、彼女はその覚悟を決めた。
(いいわよ、馬鹿にされるならそれだけ多くこなせばいい。効率が悪いのら、全力で非効率な方法で突破すればいいだけの話じゃない)
皮肉めいた思考と共に、彼女は再び剣を構えた。握り手の感触が手に馴染み、皮膚との境界が曖昧になる。その時、前方からの気配が変わった。
老人が去った後、空間に残されたのは静寂ではない。野獣――異形の存在が、変化を敏感に察知しているかのように、低く唸りを上げたのだ。空気が震え、周囲の瓦礫が微かに宙へ浮き上がる。魔法による制御を失った魔力が不規則に脈動し、大気を刺すような感覚を与える。
セレンは鋭い視線で獲物を捉える。数歩前までは恐怖に支配されていた瞳には、今はただ「超えなければならない障壁」としての意志が宿っていた。
ガロンの声が響く。
「来るぞ! 距離を詰めるな。強引に押し通すつもりなら、自分の重心をずらせ!」
彼のアドバイスを受けながら、セレンは地を踏ん張る。足元の石畳が崩れ、砂塵が舞う中、彼女は呼吸を整えた。肺に入る空気の一粒一理を意識し、次の瞬間の動きのために体内のエネルギーを引き出そうとする。それはマナを使えない者が行う、極めて原始的で徹底的な自己研鑽の結果だ。
獣が大きく身構える。その巨大な筋肉が軋み、大地が悲鳴を上げる。次の瞬間、怪異はその影を振り払うように地面を蹴り、弾丸のような速度で突き進んできた。
セレンは叫ぶことなく、剣を振るった。
しかし、その時だった。
背後の瓦礫の山から、激しい轟音とともに何かが崩落した。単なる落下ではない。まるで重厚な質量を持った何かが、猛烈な勢いでこちらへ向かってくるような衝撃。
(……っ!?)
セレンの思考が一瞬遮られた。直感的に、自分たちの位置とは別の方向からも「何か」が動いていることを察知する。それは前方の怪物によるものなのか、あるいはそれ以前の事態への反応なのか。
破片が飛び散り、灰色の煙が視界を遮る中、再び強烈な振動が地表を揺らした。
さらに奥の瓦礫の中から、低く、かつ鋭い風を切る音が聞こえた。
それが誰かの足音なのか、あるいは迫り来る新たな脅威の予兆なのか――。