となりの席の彼
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
大学2年生の橘ひなたは、ごく普通の女子大生。ある日、学校一のイケメンと噂される九条蓮と同じゼミになったことで、自然と彼を意識するようになる。 しかし蓮は恋愛に全く興味がなく、女の子から告白されても断り続けるクールな男。ひなたが話しかけても素っ気ない態度ばかり。 それでも一緒にいる時間が増えるうちに、ひなたは彼の不器用な優しさに少しずつ惹かれていく。 恋愛に無関心なイケメンが、初めて「恋の病」にかかるまでのドキドキラブコメ!
本文
四月の風がキャンパスを吹き抜ける中、橘ひなたは講義棟の廊下を小走りで駆けていた。
「やばいやばいやばい……!」
時計を見れば、講義開始まであと三分。新学期早々、担当教授の鬼島は講義中の遅刻を絶対に許さないと有名だった。昨日の夜、「明日こそ余裕を持って行く」と自分に誓ったはずなのに、気づけばいつも通り滑り込みギリギリだ。我ながら学習能力がない、とひなたは走りながら思った。
ドアに手をかけ、勢いよく教室へ滑り込む。
「……セーフ」
小さくガッツポーズをしたひなたは、空いている席をざっと見渡した。前の方はほぼ埋まっていて、残っているのは窓際の一列だけ。その端の席にゆっくりと腰を下ろし、ようやく息をついた。バッグからテキストとノートを取り出し、ペンを構えたところで鬼島教授が入室してきた。
細身で白髪交じりの初老の男性だが、目つきだけは妙に鋭い。教壇に立つなり眼鏡の奥の目でざっと教室を見渡し、「では始める」と低く言った。教室がしんと静まり返った。
講義が始まって十分ほど経った頃だった。ひなたはふと、隣の気配に気づいた。
いつの間にか、隣の席に人が座っている。少し遅れて入ってきたのだろうか。鬼島教授が遅刻に気づかなかったのが不思議なくらい、静かな存在感だった。
何気なく視線を向けて——ひなたは思わず固まった。
整った輪郭。さらりと流れた黒髪。伏せた目元には長いまつ毛。ノートにペンを走らせるその横顔は、まるで雑誌のページから切り抜いてきたみたいに端正だった。ひなたはしばらく瞬きを忘れた。
すごい人がいるもんだな、とぼんやり思っていると、その人物がふと顔を上げた。
目が合った。
「……なに」
低くて静かな声だった。怒っているわけでも、驚いているわけでもない。ただ、こちらを見る目が「用があるなら早く言え」と無言で語っていた。
ひなたは慌てて前を向いた。耳まで熱い。心臓がうるさい。怖いな、とちょっと思った。
な、なんなの今の。普通に怖いんだけど。
隣の男子は静かに視線を戻し、何事もなかったようにペンを動かし始めた。まるでひなたのことなんて最初からいなかったみたいに。
気まずい。ものすごく気まずい。でもひなたの中では、すでに「なんか感じ悪い人だった」という結論に達していた。こっちはただ見ただけなのに、あんな目で見返さなくてもいいじゃないか。
ひなたはノートに視線を落としたまま、教授の声だけを必死に追った。でも頭には何も入ってこない。隣の気配がずっと意識の端にひっかかっていて、どうしても集中できなかった。
結局講義が終わるまで、ひなたは一度も隣を見なかった。かわりに教授の話を必死に書き取ったせいで、今日のノートはいつもより丁寧だった。それだけが今日の収穫だった。なんでだろう。
教授が「今日はここまで」と告げると、教室がざわりと動き出した。ひなたがテキストをバッグに押し込んでいると、隣の男子がすでに席を立ち、すっと廊下へ出ていくのが視界の端に映った。音もなく、誰とも目を合わせず、ただ静かに消えていく。
廊下に出ると、同じ講義の友人、村上さくらが小走りで駆け寄ってきた。さくらは入学当初からの付き合いで、ひなたの数少ない気の置けない友人だ。
「ひなた!隣の席、林くんじゃなかった?」
「え?林?」
「林武君だよ。うちの学部で知らない人いないくらい有名な人。顔がいいのに全然愛想ないから近寄りがたいって噂で、告白してきた子を全員断ってるって話も聞いたことある」
「愛想なさそうだった」
さくらは眉をひそめた。
「なんかあったの?」
「ちょっと目が合っただけで、『なに』って言われた。普通に感じ悪くない?」
さくらが微妙な顔をした。「……それだけ?」と恐る恐る聞いてくる。
「それだけだけど、言い方がもう感じ悪くて」
「うーん……まあ、林くんってそういう人らしいよ」とさくらは苦笑した。
ひなたはため息をついて歩き出した。来週もあの席が隣だったらどうしよう。感じ悪い人の隣で一時間半は、正直しんどい。そう思うと、少し憂鬱だった。
ていうかなんで私が憂鬱にならないといけないんだ。
理不尽だ、とひなたは思った。完全に、そう思っていた。そして、また来週どうしよう。同じ席だったら気まずすぎる!!