『返してなかった音』

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/7 📚 シリーズ: 短編集 📝 4,106文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

短編が気が向いた時に繁殖します

本文

駅前の古い貸しスタジオは、昼間でも少しだけ夜の匂いがする。

防音材にしみついた汗と埃、アンプの熱、使い込まれたケーブルのゴムの匂い。高校生のバンドも、社会人の趣味も、解散しかけのユニットも、みんな同じ狭い部屋で音を鳴らしてきたせいだろう。

重たい防音扉を開けた瞬間、三好朔は、十年くらい時間が巻き戻ったみたいな気分になった。

床の隅に、黒いギグバッグが立てかけてある。

スタンドマイクは一本。

丸椅子が二脚。

それから、壁際のアンプの前で、パーカーの袖を無造作にまくった男がしゃがんでいた。

「やっぱ来たな」

振り返りもせず、その男が言う。

「来るか迷った」

「来る顔してた」

そう言って、ようやく顔を上げた。

神谷健吾。三十三歳。

高校の同級生で、昔、朔と二人で曲を作っていた相手だ。

朔は三十三歳。

町工場向けの部品商社で営業をしている。

見積り、納期、現場の愚痴、急ぎの手配。仕事はきついが、慣れた。向いていないとも思わない。

ただ、その“慣れた”の中には、ずっと触らないでおいたものも混ざっている。

ギター。

作曲。

健吾と組んでいた、名前もなかった二人組。

高校から二十五まで、何だかんだ続いていた。

インディーズのオーディションを受けたり、ライブハウスの昼枠に出たり、CD-Rを十枚だけ焼いて友達に配ったり。売れる気配はなかったが、やめる理由もなかった。

でも朔の父親が倒れ、家の都合で就職を優先したころから、練習の回数が減った。

健吾は「まあ今はしょうがない」と言い、朔も「落ち着いたらまた」と返した。

その“落ち着いたら”は、結局八年続いた。

「で、何」

朔は壁にもたれたまま言った。

「急に連絡してきて」

「片づけ」

「何の」

「俺の」

健吾は立ち上がった。

「来月、福岡行く」

「は?」

「音楽の仕事じゃないぞ」

「それは見れば分かる」

「施工管理」

朔は一瞬だけ言葉を失った。

健吾は高校のころからずっと、将来は音で食うとか、食えなくても音のそばにいるとか、そういうことを平気で言う人間だった。

現実が甘くないのは誰だって知っている。

でも、その“知っている”の上で、なお言い続ける役をやっていたのは健吾のほうだった。

その健吾が、施工管理。

「そういう顔するなよ」

健吾が笑う。

「別に死ぬわけじゃない」

「いや」

朔はようやく口を開く。

「何も聞いてなかったから」

「言ってないし」

「何で」

「何でって」

健吾はアンプの電源を入れながら言った。

「言うほどのもんでもなかった」

「あるだろ」

「いや、最終的に決まったの先週だし」

「そういうことじゃなくて」

そこで朔は言葉を切った。

何に腹が立っているのか、自分でも少し曖昧だった。

健吾が福岡へ行くこと。

その話を今まで知らなかったこと。

それとも、自分の知らないうちに、あの頃の続きを本当に終わらせる段取りまで進んでいたことか。

「スタジオ、二時間取ってる」

健吾が言う。

「片づけって言ったのは嘘じゃない」

「何片づけるんだよ」

「なあなあで終わってるやつ」

その言い方が、妙にまっすぐだった。

朔は少しだけ顔をしかめた。

「急だな」

「急じゃないよ」

健吾はギグバッグを足元へ引き寄せる。

「八年分、ずっと遅いだけ」

そこまで言われると、反論しにくい。

朔は黙って丸椅子の一つへ腰を下ろした。

防音扉の向こうで、誰かがドラムを叩き始める。鈍いキックの音が壁を通して伝わってくる。

高校のころ、この音が聞こえるだけで少し胸が熱くなった。

今は、懐かしいのに少し腹が立つ。

まだ自分の中に、そういう反応が残っていることに。

「覚えてる?」

健吾がギターを取り出しながら聞く。

「何を」

「最後まで形にならなかった曲」

「多すぎる」

「その中でも、サビだけ妙に良かったやつ」

「知らん」

「絶対覚えてる」

健吾は笑って、小さなICレコーダーを卓へ置いた。

「データ、整理してたら出てきた」

再生すると、ノイズの多いデモ音源が流れた。

安いマイクで録ったギターと仮歌。

テンポは少し走り、コード進行も今聞くと若い。

でもサビに入った瞬間、朔は思わず顔を上げた。

覚えている。

健吾の作ったメロディに、自分が言葉を乗せかけて、途中で放り出した曲だ。

確か、ライブで一回やろうとして、歌詞が最後まで出来なくてやめた。

「これ」

健吾が言う。

「今日、終わらせようと思って」

「今さら?」

「今さら」

「お前さ」

朔は思わず笑ってしまう。

「相変わらずそういうとこあるな」

「ある」

健吾はあっさり認めた。

「今さらでも、片づけたいものは片づけたい」

その言い方が、少しだけ羨ましかった。

朔は今の仕事でも、終わっていないメールや、返していない見積りの催促や、そういうものを放っておくのが嫌いだ。

なのに、人生のもっと大きいところでは、なあなあのままにしたものがいくつもある。

バンドも、その一つだった。

「朔」

健吾が言う。

「別に、今から売れようとか、バンド再開しようとか言ってるんじゃない」

「……」

「ただ、あのとき“また今度”で置いたやつに、一回ちゃんと終わりか続きをつけたい」

朔は視線を床へ落とした。

分かる、と思った。

分かるから余計に面倒だった。

自分だって、本当は何度も考えた。

仕事が落ち着いたら。

父のことがひと段落したら。

生活がもう少し整ったら。

でも、そうやって条件を並べているうちに、音楽は「今の自分には関係ないもの」の顔をしてしまった。

関係ないふりをしているだけで、ずっとどこかにあるのに。

「で」

朔は聞いた。

「俺に何しろって」

「サビの先、書け」

健吾はギターを抱え直す。

「お前しか書けなかっただろ」

その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。

昔もそうだった。

健吾はメロディが先に来る。

朔は言葉が遅い。

遅いくせに、健吾は妙に待った。

その待たれ方が重い時もあったし、救いの時もあった。

「今さら書けるわけないだろ」

「じゃあ今の言葉で書け」

「今の言葉?」

「三十三歳のやつ」

健吾は言う。

「二十五で放り投げた曲を、二十五のまま終わらせる必要ないだろ」

その発想はなかった。

昔の続きを、昔のままやらなければいけないと思っていた。

だから余計に手を出せなかったのかもしれない。

戻れないと分かっているから、最初から近づかない。

でも、戻れないなら戻れないなりの形があるのだと、健吾はあっさり言う。

「なあ」

朔が言う。

「何」

「お前、音楽やめたの」

健吾は少しだけ黙った。

それからギターの弦を一本ずつ軽く弾いて、音を確かめる。

「やめてない」

「でも仕事」

「仕事する」

「福岡」

「行く」

「それでも?」

「それでも」

健吾は顔を上げた。

「飯食う方法と、やめるかどうかは、別だろ」

その言い方が、あまりにも健吾らしくて、朔は少しだけ笑った。

この人は昔から、現実に負けないのではない。

現実と自分の好きなものを、無理やり別の棚に置くのがうまいのだ。

だから続く。

そして、その雑さに何度も救われてきた。

結局、二人は一時間以上、サビの続きをいじった。

健吾がコードを鳴らし、朔が言葉を考える。

最初は出ない。

笑えるくらい出ない。

高校生みたいな青さはもうないし、二十五の焦りもない。

代わりにあるのは、途中でやめたことへのみっともなさとか、安定した仕事に乗ったあとの鈍さとか、もう若くないくせにまだ残っている未練とか、そういう見栄えの悪いものばかりだ。

でも、だからこそ書ける言葉もあった。

「それ、いい」

健吾が言う。

「どこが」

「格好悪いとこ」

「褒めてる?」

「褒めてる」

それで少しだけ、朔は肩の力を抜いた。

昔の自分に戻らなくてもいい。

今の自分のだささごと持っていけば、曲はちゃんと前に進むのかもしれない。

二時間の終わり頃、曲は一応の形になった。

録音し直すには時間が足りない。

でも、最後まで通して一回演奏はできた。

サビの先まで言葉があり、健吾がギターを鳴らし、朔が歌う。

声は昔より低くなり、息も続かない。

それでも、途中で止めなかった。

その事実だけで、十分な気がした。

「で」

朔がマイクを置いて言う。

「これ、どうすんの」

「どうしような」

健吾はICレコーダーを拾い上げる。

「俺は持ってく」

「福岡に?」

「うん」

「聞くの?」

「たまに」

「気持ち悪」

「ひでえな」

健吾は笑った。

「でも、今日やっと“また今度”じゃなくなった」

その言葉に、朔は少しだけ頷いた。

たしかにそうだった。

再開でもない。

成功でもない。

でも、投げたままだったものを、一回ちゃんと手に取って、自分たちなりの位置へ戻した感じがした。

スタジオを出ると、外はもう夜だった。

駅前の居酒屋の灯りと、コンビニの白い光が路面を濡らしている。

別れ際、健吾が言う。

「なあ」

「何」

「福岡、来る?」

あまりにも唐突で、朔は目を細めた。

「何しに」

「知らん」

「雑」

「でも、お前そういうの嫌いじゃないだろ」

嫌いじゃない。

昔なら、その誘いに軽く乗ったかもしれない。

今は、すぐには頷けない。仕事もある。生活もある。

でも、それを言い訳にして全部を閉じるのも、今日は少し違う気がした。

「……考える」

朔が言うと、健吾は笑った。

「ちゃんと前向きなやつだな、それ」

「前までの俺なら?」

「“無理”って言ってた」

それはたぶん本当だった。

昔の自分は、動けない理由を先に固めることで、自分を守っていた。

「じゃあ」

健吾が言う。

「また今度、は無しな」

朔は少しだけ息を吐いて、それから頷いた。

「うん」

今度の“うん”は、先延ばしの音ではなかった。

それだけで、今夜は十分だった。

駅へ向かう途中、朔は久しぶりに胸の奥が少し軽いのを感じた。

夢を追いかけ直すわけじゃない。

会社を辞めるわけでもない。

でも、なあなあで終わった夢も、なあなあで終わった関係も、そのまま置いておくしかないわけではない。

少なくとも、名前をつけ直すことくらいはできる。

それを知った夜だった。

ポケットの中で、さっき録ったデータの入ったUSBが少しだけ固く当たる。

昔なら、そういう小さい手触りひとつで、しばらくは生きていける気がした。

今もたぶん、少しだけそうなのだ。

だからこそ、まだ全部を捨てなくていいのかもしれないと、朔は思った。

駅のホームに電車が入ってくる。

ドアが開く。

その先にあるものが何かはまだ分からない。

でも、なあなあのままよりは、少しだけましな場所へ向かっている気はした。

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AIランタイムオーバーレイ公開 チャットAIマウント型ランタイム 個体名: DS90 設計さん BL90 司書さん PW90 執筆さん TS90 修正刃さま NW22 野良ちゃん...

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