焦れったさを“間”として抱きしめる

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/3 📚 シリーズ: ちゃんと戻る、っていう希望 📝 2,675文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

主人公の「俺」と同居恋人の千紗が、毎日のモヤモヤや刺さった気持ちを、合言葉と小さな合図で、暗くならないようにほどいていく連作です。 仕事の失敗、待たされる焦れ、二択の迷い、理不尽、家族の距離、言えない「好き」みたいな“よくあるけど地味に重い”出来事を、会話と行動でちょっとずつ整えて、最後はちゃんと前に進める形にしていく、生活系の短編つながり。

本文

返事が来ない。

それだけで、人はこんなに忙しくなれるんだなと、俺は自分に感心する。

スマホを見て、画面を閉じて、また見て。

たった一往復でいいはずの連絡が、永遠に伸びる麺みたいに、生活の隙間に絡みつく。

『明日、空いてる?』

昨日の夜、俺が送ったメッセージ。

既読はついた。

でも返事がない。

既読って、便利な機能のくせに、ときどき刃物みたいな顔をする。

キッチンから、湯気と一緒に声が飛んできた。

「ねえ、スマホの画面、穴あくよ」

同居恋人の千紗だった。

白湯をマグに注ぎながら、こっちを見ないで言う。こっちを見ないのに、全部見えてるのが千紗の怖いところだ。

「穴あけたいわけじゃない」

「じゃあ、何してる」

「……待ってる」

言った瞬間、自分でダサいと思った。

待ってるって、主語が弱い。

待ってるって言葉は、相手の時間を勝手に握ろうとする感じがある。

千紗はマグを二つ持ってきて、テーブルに置いた。

質問より先に湯。うちの作法。

「誰の返事?」

「母」

答えたら、千紗の手が一瞬止まった。

止まったけど、止めたのは“動揺”じゃなく“受信”だ。

母という単語は、俺にとって、いつも少しだけ温度が高い。

「明日、空いてる? って送った」

「うん」

「既読は?」

「ついた」

「返事は?」

「ない」

千紗は淡々と確認して、俺の親指の腹を軽くつまんだ。

ささくれを探すみたいに。

“刺さりどころ”の確認。

「ジレてる?」

「……うん。ジレてる」

言葉にしただけで、胸の奥の熱が少し逃げる。

焦れったさは、隠すと濃くなる。

醜態と同じだ。

「凹凸」

「凹凸」

合言葉を交わすと、呼吸がひとつ整う。

千紗は次に、冷蔵庫からりんごを出してきた。

最近のうちの武器。食感。

「噛む?」

「噛む」

「シャクシャクで割る」

「割れるかな……この焦れ」

俺が言うと、千紗は小さく笑った。

ギャグに寄せない程度の、救命具。

りんごを一口。

シャク。

音が、部屋に小さな穴を開ける。

その穴から、焦れったさが少しずつ抜けていく気がした。

でも、完全には抜けない。

抜けない焦れ。

むしろ、抜けないからこそ、じわじわ育つやつ。

「ねえ」

「ん」

「焦れってさ、何に似てると思う?」

「……信号?」

「いいね。青にならない信号」

千紗は頷いて、俺のマグに白湯を足した。

湯気が上がる。

信号が青にならないとき、人は立ち止まる。

でも、立ち止まってる間にも、時間は進む。

その“進んでるのに止まってる感じ”が、焦れだ。

「で、あなたは今、どこの信号で止まってる」

「母の返事」

「その信号、あなたが変えられる?」

「……変えられない」

千紗は頷いた。

頷き方が、“じゃあ次”のそれだ。

「じゃあ、変えられる方をやる」

「変えられる方?」

「あなたの足」

千紗は立ち上がって、棚の上の小さな鈴を取った。陶器のやつ。

うちの“始める合図”。

「鳴らす前に言って」

「……さぁ」

ちりん。

音が鳴る。

千紗は床に養生テープを二本貼った。最近、家の床が体育館化してる。

「でか歩?」

「今日は“待ち歩”」

「新語きた」

千紗は真顔で言う。

「待ってると、体が縮むでしょ。歩幅が小さくなる。だから、待ちながら歩幅を広げる。信号が青になるのを待つ間、足踏みじゃなく“一歩”を作る」

「……待ち歩」

言うと、なんか妙に納得した。

焦れって、頭だけが前に走って、体が置いていかれる感覚だ。

体を動かすと、頭が戻ってくる。

俺はテープをまたぐ。

でか歩よりは小さい。

でも、普段よりは大きい。

「いい。今の、“待ってるのに進んでる”」

「詩みたいに言うな」

「生活は詩だよ。たまに」

千紗は鈴を置いて、俺の肩に軽く手を乗せた。

その重さが、焦れの熱を適温にする。

「ねえ、母ってさ」

「うん」

「返事が遅い人?」

「遅い。昔から」

「じゃあ、あなたが今焦れてるのは、“遅い”に驚いてるんじゃない」

「……」

「“今回は違う”って期待した分、焦れてる」

図星だった。

母はいつも返事が遅い。

なのに俺は、今回だけはすぐ返ってくる気がしていた。

明日、会うかもしれない。会えないかもしれない。

その可能性に、自分が勝手に夢中になっていた。

「期待、してたんだ」

「うん。期待は悪くない。でも、刺さる」

「凹凸」

「凹凸」

手すりを掴む。

俺は白湯を飲んで、息を吐いた。

焦れが、少しだけ“間”に変わる。

会社に行っても、スマホは気になった。

昼休み、もう一度画面を見る。返事はない。

でも、朝の“待ち歩”を思い出して、俺はコンビニの外に出た。

歩幅を少し大きくして歩く。

信号で止まる。

青にならない。

でも、足の裏を感じる。

焦れの熱は、足の裏に逃がせる。

午後、仕事が立て込んで、スマホを見る時間が減った。

減ると、焦れも薄まる。

焦れは、構って育つ生き物だ。

構いすぎると大きくなる。

放置しすぎると腐る。

ちょうどいい距離が、難しい。

帰り道、駅のホームでスマホが震えた。

通知。

胸が一回、跳ねた。

『明日ね。夕方なら。』

母からだった。

短い。

でも、ちゃんと“青”だった。

嬉しいのに、同時に、喉の奥がきゅっとなる。

“夕方なら”の一言に、母の生活が透ける。

空いてるわけじゃないけど、作ったんだろうな、っていう余白が見える。

その余白が、俺の焦れを、別の形に変えた。

焦れじゃなくて、申し訳なさと、ありがたさ。

家に帰ると、千紗が玄関で俺の顔を見て言った。

「青になった?」

「なった」

「よし。じゃあ、次。あなたの返事」

「返す。……でも、ちょっとだけ、焦れたのが恥ずかしい」

「恥ずかしいの、材料」

「またそれ」

「万能」

千紗は肩をすくめて、キッチンから小皿を出してきた。

セロリ。赤信号のやつ。

「止まって噛む?」

「止まって噛む」

「噛むと、急がないで済む」

シャク。

苦味が広がって、今日の終わりがちゃんと来る。

「で、明日どうする?」

「母に会う。夕方に」

「凹凸、忘れるなよ」

「うん。あと、待ち歩も」

「そう。信号が青になるまでの間を、敵にしない」

千紗の言葉は短いのに、ちゃんと残る。

残る言葉は、武器になる。刃物じゃない方の。

俺はスマホに母への返信を打った。

変に気取らず、短く。

『了解。夕方、会えるの楽しみにしてる。無理しないでね。』

送信。

既読は、まだつかない。

でも、もう焦れない。

焦れの熱は、今日、生活の中でほどけた。

俺は棚の鈴を手に取って、鳴らす前に言った。

「……さぁ」

ちりん。

音が、今日の“待ってる時間”に、優しい句読点を打つ。

「凹凸」

「凹凸」

合言葉を交わして、千紗が俺の肩にもたれた。

焦れは消えない日もある。

青にならない信号の日もある。

でも、その間に歩幅を作れるなら、焦れはただの罰じゃない。

“待つ”は、止まることじゃなくて、間を持つこと。

明日の夕方までの時間は、きっと、良い間になる。

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