正解が二つある日の選び方

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/4 📚 シリーズ: ちゃんと戻る、っていう希望 📝 3,730文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

主人公の「俺」と同居恋人の千紗が、毎日のモヤモヤや刺さった気持ちを、合言葉と小さな合図で、暗くならないようにほどいていく連作です。 仕事の失敗、待たされる焦れ、二択の迷い、理不尽、家族の距離、言えない「好き」みたいな“よくあるけど地味に重い”出来事を、会話と行動でちょっとずつ整えて、最後はちゃんと前に進める形にしていく、生活系の短編つながり。

本文

ジレンマって、もっと重たい場面で出てくる言葉だと思ってた。

命とか、正義とか、世界とか。

でも実際は、冷蔵庫の前で発生する。

俺は朝っぱらから、右手に豆腐、左手に納豆を持って固まっていた。

テーブルには千紗のマグ。白湯の湯気が、のほほんと上がっている。湯気だけが平和。

「……どっちも、正しい」

呟いたら、背後から即ツッコミが飛ぶ。

「何の哲学」

同居恋人の千紗が、髪を適当に束ねたままキッチンに入ってくる。パーカーの袖をまくりながら、俺の手元を見た。

「豆腐と納豆で世界を救おうとしてる?」

「いや、朝飯。豆腐は軽い。納豆は強い。どっちも正しい」

「あなた今、“正しい”を盾にして決めるのサボってる」

「刺さる」

千紗は、俺の親指の腹をつまむみたいに言う。刺さるところを探すのが上手い人だ。

俺は観念して、両方冷蔵庫に戻した。

「凹凸」

千紗が合言葉を投げる。刺さったときの手すり。

「凹凸、了解……でもさ、こういうのが積もるとさ」

「うん」

「決める力、削れる」

「それ、今日の本題?」

千紗は白湯を俺の前に置いた。質問より先に湯、うちの作法。

俺は一口飲んで、喉の奥を温めた。温まると、言葉が出る。

「本題。仕事。今日、二つ来た」

スマホを机に置く。通知が二つ、同じくらいの温度で光っている。

一つは上司からのメッセージ。

『急で悪い。夕方、客先のトラブル対応、同行できる?』

もう一つは、後輩から。

『先輩、今日の夜、面接練習お願いできますか。明日が本番で…』

どっちも大事。

どっちも、断りたくない。

それが、ジレンマ。

「どっちか片方をやれば、片方に“ごめん”が生まれる」

「うん」

「“ごめん”が残るのが嫌」

「残るのが嫌なのは、優しいから?」

「……優しいっぽく見られたいから」

言った瞬間、自分で笑いそうになった。

でも笑えない。ここは、ちゃんと受信する場面だ。

千紗は頷いた。否定しない。

否定しないのが、いちばん怖い。

「事実:二つ来た。気持ち:どっちも大事。行動:まだ決めてない」

「うん」

「で、あなたの体は今どうなってる?」

「……肩が上がってる」

「じゃあ下げる。まず下げる」

千紗は俺の肩に手を置いて、軽く押した。

押す力は弱いのに、ちゃんと下がる。

こういうのが、刃物じゃない武器なんだと思う。

「ジレンマってさ」

「うん」

「“悪い選択”じゃなくて、“良い選択が二つある”ってことだよね」

「そう。良いが二つあると、片方を捨てるのが痛い」

「捨てない方法、ある?」

「ある。まず“捨てる”って言葉を捨てる」

千紗はさらっと言って、冷蔵庫からりんごを出してきた。最近のうちの武器。食感。

スライスを一枚、俺の皿に置く。

「噛む?」

「噛む」

シャク。

音が、頭の中の絡まりを割る。

割れると、間ができる。間ができると、選べる。

「ね、二択の間に椅子を置けばいい」

「椅子?」

「“第三の動き”。AもBも守る動き」

千紗は指で空中に小さな椅子を描いた。

椅子の脚が四本あるみたいに、話が少し安定する。

「例えば?」

「客先のトラブル対応、あなたが同行しないと詰む?」

「詰むかは……不明。でも上司は不安そうだった」

「面接練習、あなたじゃないと詰む?」

「詰まない。でも、俺だと安心するって言ってた」

「ほら。詰むか詰まないか。必要度の差がある」

必要度。

温度じゃなく、必要度。

千紗はいつも、判断の軸を生活寄りに戻してくれる。

俺はスマホを持ち直して、二人に同じ質問を投げた。

上司には「何時頃、どのくらいかかりそうですか」。

後輩には「面接練習、何分欲しい? オンラインでもいい?」。

送って、テーブルに置く。

既読の点滅に振り回されないように、りんごをもう一口。

シャク。

「で、あなたの内なる五人は何て言ってる?」

「出た、内なる会議」

俺の中のメンバーが、勝手に席につく気配がした。

白湯、紅茶、ほうじ茶、コーヒー、炭酸。

意思決定の班。

白湯「落ち着け。まず事実」

紅茶「相手への言い方を丁寧に」

ほうじ茶「焦ると焦げる。今日は温度管理」

コーヒー「時間割を切れ。数字」

炭酸「勢いで行け。どっちも取れ」

「炭酸がうるさい」

「炭酸はいつもうるさい。でも必要」

千紗は笑った。ギャグに寄せすぎない程度の救命具。

俺の肩の力が、ちょっと抜ける。

スマホが震えた。上司から返信。

『17時に出発。客先で1時間くらい。戻りは19時前後かな。』

続けて後輩から。

『30分だけでも助かります!対面がいいですが、オンラインでも…!』

情報が揃うと、ジレンマは“手順”になる。

手順にできるなら、怖さは半分になる。

「客先、17時から19時。後輩、30分」

「うん」

「両方いける……? 19時帰宅、そこから30分…」

「あなたの体力は?」

「……ギリ。だけど、いける気もする」

「ギリのまま行くと、どっちにも雑になる」

「それが一番嫌」

「じゃあ、椅子を置く。椅子は“時間の質”」

千紗は冷蔵庫から炭酸水を一本出した。

しゅわっと開ける。音が小さく弾ける。

「これ、帰宅したら飲んで。切り替えの合図」

「武器だ」

「武器。刃物じゃない」

千紗は次に、棚の小さな鈴を取った。陶器のやつ。

鳴らす前に、俺の目を見る。

「言って」

「……さぁ」

ちりん。

音が、今日の判断に丸い印をつける。

「決める。上司の方は同行する。後輩はオンラインで30分、21時からにする」

「いい。で、“ごめん”はどう処理する?」

「……後輩に、対面じゃなくてごめん、ってなる」

「“ごめん”じゃなくて“守った”を言う。あなたが守るのは何?」

「約束の質。後輩の準備時間」

「そう。言い方、作って」

俺は後輩への返信を打った。

短く、でも角を丸く。

『OK。今日は客先対応が入ってて対面が難しい。代わりに21:00-21:30でオンライン練習やろう。質問も想定して一緒に整えよう。』

送信。

既読がつく前に、俺は白湯を飲んだ。

“待つ”を敵にしない。最近の学び。

夕方、上司と客先に向かう車の中。

上司はハンドルを握りながら、ぽつりと言った。

「助かる。君がいると、説明が落ち着く」

その言葉が、背中を押す。

俺は受信機として拾って、返す。

「落ち着く手順、作りましょう。事実→状況→次の一手、で」

客先は想像より荒れてなかった。

でも、荒れてないことが逆に怖い時もある。静かな不満が積もっているとき。

上司が謝罪し、先方が頷き、細かい確認が続く。

そこで俺は“勢い”じゃなく“手順”を選んだ。

メモを取り、確認し、次の手を提案する。

言葉の棘を作らないように、文末を整える。

ジレンマは、判断を荒くする。でも手順にすれば、言葉は丸くなる。

19時前に会社へ戻り、上司と別れた。

駅へ向かう途中、後輩から返信が来ていた。

『ありがとうございます!21時了解です!助かります!』

“助かります”が二回。

ああ、間に合った。

その感覚だけで、足の裏が少し軽くなる。

帰宅すると、千紗が玄関で俺の顔を見て言った。

「生きてる?」

「ギリ」

「ギリをギリのままにするな。まず炭酸」

言われた通り、冷蔵庫の炭酸水を開けた。

しゅわ。

喉に泡が入って、体の中の“仕事の空気”が少し剥がれる。

「切り替わる」

「でしょ。二択の間の椅子」

千紗はソファの端をぽんぽんと叩いた。座れ、の合図。

俺が座ると、千紗は小皿を出してきた。セロリ。赤信号のやつ。

「止まって噛む?」

「止まって噛む」

シャク。

苦味が広がって、今日の後半戦に向けて気持ちが引き締まる。

ジレンマの怖さが、別の形になる。

“やる”の怖さ。

でも、それは悪くない。

21時。

ノートPCを開いて、後輩とオンラインで繋ぐ。

画面の向こうの後輩は、緊張で肩が上がっていた。見ただけで分かる。

「先輩、よろしくお願いします!」

「凹凸」

「え?」

「刺さったときの手すり。今、刺さってるの何?」

「……落ちたら終わり、が刺さってます」

「いい。言えたら半分ほどける。じゃあ順番。事実、気持ち、行動」

後輩は笑いそうになって、でも真面目に頷いた。

俺は質問を投げ、答えを整え、言い直しを一緒に作る。

途中で後輩が噛んだ。

「えっと、御社の……きょ、きょきょ……」

そこで俺は、あえて軽く言った。

「今の、炭酸だった。しゅわってた」

「え、炭酸……?」

「炭酸は勢い。勢いは悪くない。次はほうじ茶でいこう。落ち着いて」

後輩が吹き出して、緊張が少し落ちた。

ギャグに寄せすぎない程度の救命具が、ちゃんと効く瞬間。

30分が終わる頃、後輩の表情が明るくなっていた。

“できるかも”の光が、顔に乗る。

「先輩、ありがとうございました。対面じゃなくても、めちゃくちゃ助かりました」

「よかった。明日、終わったら連絡して。結果じゃなくて、感触でいい」

「はい!」

通話を切る。

俺は椅子に深くもたれた。

ジレンマの日は、終わった。

千紗が台所から顔を出す。

「どっちも守れた?」

「守れた……と思う」

「なら、成功。ジレンマはね、“どっちかを捨てる問題”じゃなくて、“どっちも守る工夫をする問題”」

言葉が胸に落ちる。

俺は棚の鈴を手に取った。

鳴らす前に、言う。

「……さぁ」

ちりん。

音が、今日の終わりを丸くまとめる。

“ごめん”じゃなく、“守った”が残る。

「凹凸」

「凹凸」

合言葉を交わして、俺は豆腐と納豆のことを思い出した。

明日の朝、どっちを選ぶかはまだ分からない。

でも、選べる。

そして、二択の間には、ちゃんと椅子を置ける。

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