別れを“終わり”にしない言い方

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/9 📚 シリーズ: ちゃんと戻る、っていう希望 📝 2,564文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

主人公の「俺」と同居恋人の千紗が、毎日のモヤモヤや刺さった気持ちを、合言葉と小さな合図で、暗くならないようにほどいていく連作です。 仕事の失敗、待たされる焦れ、二択の迷い、理不尽、家族の距離、言えない「好き」みたいな“よくあるけど地味に重い”出来事を、会話と行動でちょっとずつ整えて、最後はちゃんと前に進める形にしていく、生活系の短編つながり。

本文

別れの言葉って、軽い方が難しい。

「さようなら」より、「またね」より、

「それじゃあバイバイ」は、手のひらで押し返せる分だけ、心の奥に残る。

その日の夕方、俺は駅前のベンチでコーヒーを握りしめていた。

待ち合わせは、母。

“夕方なら”の約束で会うことになっていた。

昨日の焦れが、今日は別の形で胸にいる。焦れじゃない。緊張だ。

改札から出てきた母は、思ったより小さかった。

いや、母が小さくなったんじゃない。俺が勝手に、昔のサイズで覚えてただけだ。

「久しぶり」

母の声は、相変わらず短い。

短いのに、体温がある。

俺は返事を探して、ちょっと遅れて言った。

「久しぶり。……元気?」

「まあね。あなたは」

質問を返されると、逃げ道が塞がる。

でも今日は塞がない。スリットで通す日だ。

「元気……って言うと雑だな。忙しいけど、ちゃんと寝てる」

「ちゃんと寝なさい」

母は、やっぱり母だった。

その一言が、懐かしくて、少し刺さる。

刺さるけど、痛いだけじゃない。

“守り方”の癖が、まだ残ってる。

駅前の小さな喫茶店に入った。

席に座ると、母はメニューを見ずにホットを頼んだ。

俺も同じにした。合わせたくなった。

「……話したいって、姉ちゃんから聞いた」

「うん」

母はカップの縁を指でなぞりながら言う。

その指が、ほんの少し乾いて見えた。

ささくれの匂いがした。生活の棘。

「何を話すの」

「何でもない」

出た。

母の「何でもない」。

姉が嫌がる黙り方の入口。

俺の胸の奥に、「そりゃないぜ」が芽を出しかけた。

(凹凸)

心の中で手すりを掴む。

千紗の声が脳内に来る。

“『何でもない』の横に別の質問を置け”。

「……今日、何食べた?」

「え?」

母が一瞬、顔を上げた。

その反応だけで、俺は半分成功した気がした。

生活の質問は、妙に強い。

「何食べた。昼」

「……うどん」

「うどん。いいね。あったかい?」

「普通。ぬるい」

ぬるい、の言い方が少しだけ笑えた。

母が笑わせようとしてないところが、余計に。

「ぬるいうどん、悲しいな」

「悲しいね」

母が小さく笑った。

笑った、だけで、喫茶店の空気が少し動く。

空気が動くと、話が通る。

「母、さ」

「うん」

「“何でもない”って言うとき、だいたい何かあるよね」

「……ある」

認めた。

母が認めるときって、決まって声が小さくなる。

小さい声は、受信機じゃないと拾えない。

「姉ちゃんには、言いにくい?」

「言いにくいっていうか……面倒かけるのが嫌」

「面倒、って言い方は刺さる」

「じゃあ……心配させたくない」

母の言い換えが、ちょっとだけ柔らかい。

俺はそれを拾って、返す。

「心配は、するよ。でも、心配のままでも生きられる」

「あなた、変なこと言うね」

「千紗の影響」

言ったら、母は「そう」とだけ言って、カップを持ち上げた。

湯気が揺れる。

その揺れが、母の気持ちの揺れみたいに見えて、俺は目を逸らさずに見た。

「……母、体調どう」

「まあまあ」

「まあまあ、の内訳が知りたい」

「……最近、階段がね」

階段。

たった三文字で、生活の重さが見える。

俺の胸の奥に、焦れが戻ってきた。

でも焦れは敵じゃない。間を持つ。

「膝?」

「膝じゃない。息」

「息……」

「上がるのが早い」

母は言って、すぐに視線を落とした。

恥ずかしいんだと思う。Nobilityの恥ずかしさ。

弱さを見せるのが、照れるタイプの。

「病院、行った?」

「行ってない」

「……そりゃないぜ」

口から出た。

思ったより自然に。

母が目を丸くした。

「なにそれ」

「最近、うちで流行ってる。理不尽に対して言うやつ」

「理不尽?」

「母が自分の体を後回しにするの、理不尽」

言ってから、言い方の角を自分で感じた。

でも、母は怒らなかった。

その代わり、少しだけ眉を寄せた。

「……あなたに面倒かけたくないって言った」

「面倒じゃない。順番」

「順番?」

「母が先。俺たちは後。今日は、その順番を守る話」

言い切ると、母の手がカップの取っ手を強く握った。

その握り方が、ささくれみたいに小さな抵抗だ。

「……じゃあ、どうすればいい」

「まず、予約取る。俺が一緒に行く日、作る。夕方なら、作れる」

「あなた、忙しいんじゃないの」

「忙しいけど、線を引く。ここは生活側」

母は黙った。

黙り方が、姉が嫌がる黙り方とは少し違った。

これは、考えてる黙り方だ。

「……分かった。考える」

「“考える”は保留?」

「うん。保留。でも、ゼロじゃない」

俺はほっとした。

ゼロじゃない。

スリットが通ってる。

時計を見ると、もういい時間だった。

母はカップの底を見て、立ち上がる。

「じゃあ、そろそろ」

「うん」

店を出て、駅まで歩く。

母の歩幅は小さい。

でも今日は、俺が合わせる。でか歩じゃなく、待ち歩。

改札の前で、母が振り返った。

いつもなら「じゃ」と言って終わるところで、母は少しだけ口を開いた。

「……姉には、言わないで」

「言わない。母が言う」

「うん」

母が頷いた。

その頷きが、今日の一番大きな一歩だった。

そして、母は言った。

「それじゃあ……バイバイ」

言い方が、軽い。

軽いのに、こっちの胸に残る。

押し返せる分だけ、手のひらに熱が残る。

俺も同じ言葉を返した。

「それじゃあ、バイバイ」

母は改札を通って、振り向かずに歩いていった。

背中が小さい。

小さい背中は、守りたい気持ちを呼ぶ。

でも守るのは、抱え込むことじゃない。順番を守ることだ。

帰宅すると、千紗が玄関で俺の顔を見た。

湯気の匂いがして、白湯が待っていた。

「おかえり。どうだった」

「短く、通せた」

「スリット?」

「スリット。『何でもない』の横に『何食べた』置いた」

「えらい」

「褒めると恥ずかしい」

「恥ずかしいのは材料」

千紗がいつもの文句を言って、少し笑った。

俺は棚の鈴を手に取った。

鳴らす前に言う。

「……さぁ」

ちりん。

音が、今日の別れに丸い印をつける。

終わりじゃない印。

「ねえ」

「ん」

「“それじゃあバイバイ”って、いいね」

「終わらせない別れだから」

「終わらせない、か」

「うん。続きがある前提の言い方」

俺は白湯を飲んで、息を吐いた。

別れは寂しい。

でも、終わりにしない言い方があるなら、寂しさは“間”になる。

明日、母に病院の予約の話をもう一度する。

そのときも、重くしすぎず、軽くしすぎず。

押し返せる手のひらの距離で。

「凹凸」

「凹凸」

合言葉を交わして、俺は母の背中を思い出した。

小さい背中に向けて、心の中でだけ言う。

(それじゃあ、またね)

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