ふたりの形は一つじゃない
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
主人公の「俺」と同居恋人の千紗が、毎日のモヤモヤや刺さった気持ちを、合言葉と小さな合図で、暗くならないようにほどいていく連作です。 仕事の失敗、待たされる焦れ、二択の迷い、理不尽、家族の距離、言えない「好き」みたいな“よくあるけど地味に重い”出来事を、会話と行動でちょっとずつ整えて、最後はちゃんと前に進める形にしていく、生活系の短編つながり。
本文
帰宅したら、テーブルの上にマグが二つ並んでいた。
白湯と紅茶。いつもの二人。
でも今日は、並び方が少しだけ“よそよそしい”。
距離がある。
同じテーブルなのに、真ん中が空いてる。
空いてるのに、詰められない。
「ただいま」
「おかえり」
千紗の返事は丁寧で、顔もちゃんと笑ってるのに、温度が半度だけ低い。
受信機が、ピッと点灯する。
「刺さった?」
千紗はすぐに否定しなかった。
その“否定しない”が答えだ。
「……刺さったというか、揺れた」
「揺れた」
「うん。“ふたり”って言葉に」
俺は靴を揃えて、椅子を一脚引いた。
立つか座るかの二択にしないための動き。第三の動きの前段。
「誰に言われた?」
「帰り道。カフェの店員さん。
『ふたりで素敵ですね』って」
「良いじゃん」
「良い言葉なのに、揺れた」
千紗は紅茶のマグを両手で包んだ。温度を確かめる仕草。
でも飲まない。飲めない。いまはまだ、何かが喉に引っかかってる。
「なんで揺れた?」
千紗は少し考えて、言葉を探すみたいに視線を彷徨わせた。
その間に、俺の中の五人が勝手に席に着く。
白湯が「落ち着け」と湯気を立てる。
紅茶が「言葉を整えろ」と指を立てる。
ほうじ茶が「焦げる前に火を弱めろ」と眉を下げる。
コーヒーが「結論を出せ」と腕を組む。
炭酸が「ぷしゅっ!」と勝手に開いて「ふたり最高!」と泡を飛ばす。
……炭酸、今日は静かにしてくれ。
「“ふたり”って言われると、私、急に“役割”が増える気がする」
千紗が言う。
役割。ラベル。値札。はないちもんめの空気。
似た匂いがする。
「役割?」
「うん。
“彼女としてこうあるべき”とか、“恋人はこう”とか、
勝手に“ふたりの正解”が押し付けられる」
チッが舌先まで来た。
俺は歯の裏で止める。
チッ=ブザー。凹凸。
「……それ、分かる」
「分かる、って言わないで」
千紗の言い方はきつくない。
きつくないからこそ、刺さる。
“分かったフリ”が嫌な日だ。
「ごめん。分かるじゃなくて、受信する。
千紗の小さな叫び、拾う」
千紗は少しだけ頷いた。
その頷きが、スリット。薄い隙間。そこから呼吸が入る。
「じゃあ、今日の課題は“ふたりの正解”を作らないこと」
「作らない?」
「うん。
ふたりって、ひとつにならなくていい。
でも、離れすぎても寂しい。
その間に、椅子を置く」
「椅子」
千紗はようやく紅茶を一口飲んだ。
香りが戻って、目が少し柔らかくなる。
「椅子って、何」
「第三の動き。
“べったり”か“距離”か、じゃなくて、
“隣にいるけど、それぞれ”の形」
俺はテーブルの真ん中に、小さな鈴を置いた。ちりん。
武器。背中を押す合図。
「さぁ。ふたりの取扱説明書、今夜だけ作ろう」
「取扱説明書、好きだね」
「好き。
ラベルが嫌なら、手順で守る」
俺はメモ用紙を出して、太い字で書く。
『ふたり(再定義)
・正解を一つにしない
・温度を揃える
・役割を増やさない
・第三の動きを置く(椅子)
・刺さったら凹凸
・合図は鈴さぁ』
千紗はメモを見て、少し笑った。
笑いが沈まない。ここ大事。
「でもさ、外で“ふたり”って言われるの、避けられないよ」
「避けない。
“ふたり”って言葉を、俺たちの中で別物にする」
「別物?」
「うん。“ふたり”って、他人の目線で言うと“ひとつの塊”になりがち。
でも俺たちの“ふたり”は、二つの呼吸が同じ部屋にあること」
千紗が眉を上げる。
「呼吸」
「うん。
同じ速度じゃなくていい。
でも、どっちも息してるのが分かる距離」
千紗はしばらく黙って、それから言った。
「じゃあ、外で言われたときの返し、作ろう」
「いいね。返しがあると、揺れが小さくなる」
千紗はペンを取って、メモに書き足した。
『外用:
“ふたりで素敵ですね”→「ありがとうございます。調整中です」』
「調整中?」
「バランスのやつ。
ふたりも、バランス取るもの」
千紗の言葉が、俺の中でピタッと合った。
ふたりは完成形じゃない。作業。運用。
だから崩れても、戻せる。
「いい」
俺は冷蔵庫からりんごを出してきた。
今日も万能なやつ。
「食感で割る?」
「割る」
千紗がかじる。
シャク。
俺もかじる。
シャク。
二つの音が、同じテンポになった瞬間、テーブルの真ん中の空白が“余白”に変わった。
詰める必要がない。
空いてることが、正しい。
千紗がぽつりと言う。
「ねえ。私さ、“ふたり”って言われたとき、
あなたに“彼氏っぽい反応”を求められてる気がした」
「彼氏っぽい反応」
「うん。笑って、手を繋いで、照れて、みたいな」
「……できなくはない」
「でも、やらなくていい。
やりたくないわけじゃない。
“求められる形”になると、急に息が苦しくなる」
受信機が、しっかり拾った。
小さな叫び。
千紗が“ふたり”を嫌いになりたくないっていう叫び。
「じゃあ、合図決めよう」
「合図?」
「外で“ふたり”が重くなったときの合図。
短くて、二人だけが分かるやつ」
千紗はりんごをもう一口。シャク。
それから、少し照れた顔で言った。
「……『椅子』」
「椅子?」
「うん。
『椅子』って言ったら、第三の動きに逃げる。
手を繋ぐ代わりに、肩を軽く当てるとか。
笑う代わりに、鈴を鳴らすとか」
俺は笑って、鈴を鳴らした。ちりん。
「最高。合図“椅子”」
「椅子」
「凹凸」
「凹凸」
「さぁ」
「さぁ」
テーブルの真ん中の空白は、埋めなくていい。
そこは、ふたりの呼吸が行き来する通路。
ふたり、って言葉が押し付けの塊になりそうなとき、
俺たちはその通路に椅子を置いて、足場を作る。
ふたりの形は一つじゃない。
だから今日も、明るいまま、ちゃんと一緒でいられる。
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