終わりの気配を抱く

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/28 📚 シリーズ: ちゃんと戻る、っていう希望 📝 2,140文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

主人公の「俺」と同居恋人の千紗が、毎日のモヤモヤや刺さった気持ちを、合言葉と小さな合図で、暗くならないようにほどいていく連作です。 仕事の失敗、待たされる焦れ、二択の迷い、理不尽、家族の距離、言えない「好き」みたいな“よくあるけど地味に重い”出来事を、会話と行動でちょっとずつ整えて、最後はちゃんと前に進める形にしていく、生活系の短編つながり。

本文

コートのポケットに、去年のレシートが残っていた。

折り目が固くて、指先に冬の乾きが引っかかる。

俺は玄関でその紙を広げて、笑った。

「……冬、まだいる」

「いるね」

千紗は靴を揃えながら、いつもより軽い声で言った。

軽いのに、嬉しい軽さじゃない。

“軽くしようとしてる”軽さ。

受信機が、ピッと点灯する。

「刺さった?」

千紗は一瞬だけ目を逸らして、それから頷いた。

「うん。刺さったというか……終わりが来た感じ」

「終わり?」

「冬の終わり。

今日、職場で『送別会の候補日出して』って言われた」

送別会。

それだけで、部屋の温度が半度だけ下がる。

別れの匂いって、まだ起きてないのに先に来る。

チッが舌先まで来た。

俺は歯の裏で止める。

チッ=ブザー。凹凸。

「誰が?」

千紗はマグを二つ出しながら言った。

白湯と紅茶。いつもの二人。

「部署の人。四月で異動。

……人の異動って、季節みたいに来るね」

千紗は紅茶の袋を指で揉んだ。

くしゃ、と鳴る。

音が、心の中の雪を踏む音に似てる。

「千紗、異動するの?」

「私じゃない。

でも、その人と組んでたプロジェクト、終わる」

終わる。

“終わる”は、冬に似ている。

白い息。固い地面。歩幅が小さくなる。

俺はテーブルに小さな鈴を置いて、ちりんと鳴らした。

武器。背中を押す合図。

「さぁ。冬の終わりを、暗くしないで扱う」

千紗が少し笑った。

「難易度高い」

「でもできる。

終わりは、沈むだけじゃなくて、軽くなることでもある」

俺はコートを脱いで、椅子にかけた。

その動作が、今日の“第三の動き”みたいに見えた。

身につけたものを、いったん椅子に預ける。

「ねえ」と千紗が言った。「終わりってさ、悪いものじゃないのに、怖い」

「うん。

終わりは“空白”を作る。リオの空白じゃなくても、空白は怖い」

「空白、嫌いじゃないはずなのに」

「嫌いじゃない。でも、空白に風が入ると寒い」

千紗は紅茶を淹れながら、湯気を見つめた。

湯気が上がると、冬が少し薄まる。

「今日はさ、帰り道で思ったの。

私、ずっと“冬を着てた”んだなって」

「冬を着る?」

「うん。

ちゃんとしなきゃ、っていうコート。

崩れないように、っていうマフラー。

バランスよく、っていう手袋」

言いながら、千紗は自分の首元を触った。

そこに何もないのに、あるみたいに。

受信機が拾う。

千紗の小さな叫びは、「脱いでもいい?」だ。

「じゃあ今日は、脱ぐ練習」

「何を?」

「冬を。

全部じゃなくて、ボタンを一つ外す練習」

俺は冷蔵庫からりんごを出してきた。

今日の道具。食感で割る。

「割る?」

「割る」

千紗がかじる。

シャク。

その音が、雪を踏む音じゃなく、氷が割れる音に聞こえた。

割れると流れる。

流れると春が近づく。

「送別会の候補日、って言われたとき、何が刺さった?」

千紗は少し考えた。

指が無意識にマグの縁をなぞる。

円を描く癖。自分を落ち着かせる儀式。

「“ちゃんとしなきゃ”が刺さった。

送別会って、気持ちを言葉にしなきゃいけない場でしょ。

私はそういうの、うまく言えないのに、言わなきゃいけない」

千紗が“うまく言えない”と言うとき、それは“言いたいけど形が怖い”の意味だ。

ひとつになっちゃえ、のときと同じ。

言葉が正解になりそうで怖い。

「じゃあ、正解にしない手順」

俺はメモを出して書く。

『冬の終わり手順

1) うまく言おうとしない

2) 事実+ひとつだけ温度

3) スリットを作る(余白を残す)

4) 鈴で“さぁ”

5) 凹凸で手すり』

「事実+ひとつだけ温度?」

「うん。

『一緒にやれて助かりました』は事実。

そこに温度を一つ足す。

『寂しいです』とか、『嬉しかったです』とか。

全部言わない。ひとつだけ」

千紗は目を丸くする。

「それなら言えるかも」

「言える。

言えなくても、手順がある。

鈴を鳴らして、息を整えて、凹凸」

千紗は小さく鈴を鳴らした。ちりん。

「さぁ」

「さぁ」

その合図だけで、冬の終わりが“敵”じゃなくなる。

終わりを扱うための道具がある。

千紗はりんごをもう一口。シャク。

そして、ぽつりと言った。

「……でもさ。終わりって、楽になるのに、楽になったら罪悪感も来る」

「来るね。

『寂しい』と『ほっとする』が同居する。

それもバランス。釣り合わない日の釣り合い」

千紗が笑った。

沈まない笑い。

“同居”という言葉が、今日の救いになる。

「じゃあ、二つ言っていい?」

「いい。二つなら、ひとつにならない」

千紗は深呼吸して、言った。

「一緒にやれて助かりました。……寂しいです。

でも、終わるって、ちょっとほっともします」

言えた。

その瞬間、部屋の空気が半度だけ上がった。

春の予告みたいに。

俺はコートのレシートを折りたたんで、ゴミ箱に捨てた。

去年の冬の証拠を、今日の夜に置いていく。

「ねえ」と千紗が言う。「冬の終わりって、あったかいんだね」

「うん。寒さが薄くなると、余白が増える。

余白は怖いけど、呼吸はしやすい」

千紗はマグを持って、ソファに座った。

今日はちゃんと座れた。第三の動きが「休む」に寄る。

「明日、送別会の候補日、出す」

「出せる?」

「うん。

うまく言おうとしない。事実+温度ひとつ。

凹凸。さぁ」

俺は鈴を鳴らした。ちりん。

「さぁ」

冬の終わりは、終わりじゃなくて、ボタンを一つ外すこと。

コートが軽くなること。

息が白くなくなる予感を、ちゃんと明るいまま抱くこと。

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