札が増える前に
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
箱は、置いた翌日に性格が出る。
昨日は「空っぽでいい」顔をしていたのに、今日は「何かしてほしい」顔をしている。
してほしい顔に、人は弱い。弱いから、紙が増える。
朝。
結び家の戸を開けた瞬間、レンカが息を吸った。
「……紙、増えてる」
箱のふたの上に、紙が三枚。
欠けの石の横にも、紙が二枚。
紙は薄い。薄いのに存在感が強い。存在感が強いと、人の口が動く。口が動くと噂が走る。
ユリネは箱を見る前に、紙を見た。
紙の角が、夜露で少し丸まっている。
丸まると読みにくい。読みにくいと、声が増える。声が増えると、また紙が増える。
「……書いたやつ、誰だ」
タケルが真顔で言った。
「言い方」
コトが笑う。
「でも気持ちは分かる」
笑いながら、コトも紙を覗き込んだ。
一枚目。大きい字。
探しています。
銀の輪っか。
二枚目。これも大きい字。
拾いました。
入れておきます。
三枚目。小さい字。ぎゅうぎゅう。
箱の使い方、教えてください。
預かりですか、置きですか。
返す人は誰ですか。
「質問が増えてる」
レンカが言った。
「質問は紙だと増える」
ユリネが淡々と返す。
「じゃあ答えも紙で」
レンカが言いかけた。
「書くな」
ユリネが即座に刺す。
「えええ、でも読めないじゃん!」
「読めないなら、口で回せ」
「口、増えるじゃん!」
「一回だ」
一回。
その一語が出ると、レンカの肩がすっと落ち着く。
落ち着くと、紙に手を出さない。えらい。
ハルが小さく息を吐いた。
「……これ、増える」
シノがぼそり。
「……紙、好き」
「好きとか言うな」
ユリネが刺す。
「でも、書くの、楽しい」
「楽しくするな」
楽しいは危ない。楽しいは増える。
増えると、箱が掲示板になる。掲示板になると、生活が詰まる。詰まると泣く。今日は泣かせない係が働きすぎる。
そこへ、戸の前に足音が来た。
足音が軽い。軽い足音は、だいたい善意だ。
「おはようございます。箱、できたって聞いて」
若い人が立っていた。手に紙を一枚持っている。
持っている紙には、すでに文字が書いてある。書いてあるのが一番危ない。
「これ、貼ってもいい?」
紙を差し出す。
レンカの目がきらっとした。貼るのは簡単。簡単は事故の入口。
「貼る!」
「貼るな」
ユリネが即座に刺す。
「えっ、でも貼れば分かりやすいし」
「分かりやすいは、増える」
「増える?」
「増える。紙が増える」
若い人は困った顔をした。
困った顔は刺さる。刺さるとレンカが動く。止めろ。
コトがすっと前へ出た。
声を増やさない笑顔で。
「貼るより、言いましょう。声は一回。欠けまで」
「欠けまで?」
「欠けまで。置く場所はここ。箱は、口を整えるだけ」
「口を整える……?」
言葉が難しくなると、また紙が増える。
ユリネは短く言い換えた。
「紙は増える。だから書くな」
言い換えは強い。
強いのに、刺さる前に終わる短さがある。
若い人は紙を握り直して、でも引っ込めない。
引っ込めない紙は、貼りたい紙だ。
「でも、探してる人が居るって見たから」
若い人が箱の上の紙を指す。
銀の輪っか。
探しています。
ユリネは箱のふたを開けた。
音を立てない。音を立てると注目が増える。注目が増えると詰まる。
中には、小さな布包みが一つ。
そして、銀色の輪っかが一つ。
「……ある」
レンカが言った。
言い方が嬉しそうで危ない。嬉しいは増える。
「あるなら、返せる?」
若い人が言った。
「返すのは持ち主」
ユリネが言う。
「じゃあ持ち主、呼べばいい?」
「声は一回」
「一回!」
レンカが復唱して、自分の口を押さえた。増やさない努力が板についてきた。
タケルが真顔で、朝の通りへ向けて一回だけ声を出した。
「銀の輪っか、落とした人!」
声は一回。
一回だけだと、通りが止まりきらない。
止まりきらないのが、今日の勝ち方だ。
少し先で、年配の人が振り向いた。
振り向いた顔が、焦りの顔だ。焦りの顔は分かりやすい。分かりやすいと、戻るのが早い。
「それ、俺の! 昨日から探してた!」
「どうぞ」
コトが銀の輪っかを、箱からではなく、欠けの石の上にそっと置いた。
置く。
手渡しにすると礼が増える。礼が増えると紙が増える。今日は増やさない。
年配の人が輪っかを取って、胸を撫で下ろす。
「助かった……。貼り紙、書いといて良かった」
言った。
言った瞬間、レンカの顔が「よし次も貼ろう」になる。危ない。
「書くな」
ユリネが刺した。
「えええ」
「今回たまたま当たっただけだ」
「でも当たった!」
「当たったは増える」
増える。
その言葉を、今日だけで何回言うんだという空気になる。
なると、みんな少し笑う。笑いは刺さりを丸くする。丸くなると、止めやすい。
年配の人が、帰り際に言った。
「じゃあ、この紙、もう要らないな」
紙を箱の上から剥がそうとする。
剥がすと、次の紙を貼りたくなる。貼りたくなると、また増える。
「剥がすな」
ユリネが言った。
「えっ」
「剥がすなら、持って帰れ」
「……あ、そりゃそうか」
年配の人は自分の紙を折って懐に入れた。
自分の紙は自分で回収。
それだけで紙が増えない。
若い人が、まだ握っていた紙を見下ろした。
「……貼らないほうがいい?」
「貼らない」
ユリネが即答する。
「でも困ってる人に知らせたい」
「知らせるのは口」
「口は増える」
「一回だ」
また一回。
一回の制限があると、人は紙を諦められる。
諦められると、生活が軽い。
若い人が、紙をくしゃっとしそうになって、やめた。
やめて、折った。
折って、懐に入れた。
紙を持ち帰るのが偉い。
「じゃあ、言う」
若い人が言った。
「言う」
コトが頷いた。
「声は一回」
タケルが真顔で添える。
「一回」
若い人が復唱した。復唱があると、やらかさない。
若い人は通りに向けて、一回だけ声を出した。
「布袋、拾いました! 欠けまで!」
欠けまで。
それが出た瞬間、箱の前の空気が「掲示板」から「通り」へ戻る。
戻ると、詰まらない。詰まらないと、泣かない。
その声に、通りの端から「それ私!」が返ってきた。
持ち主が来る。
布袋が欠けの石の上に置かれて、持ち主が持っていく。
礼は小さい。小さい礼は増えない。増えないから助かる。
ここで終われば良かった。
だが、紙は最後にしぶとい。
箱の横の紙。
使い方を教えてください。
預かりですか、置きですか。
この質問紙が、今いちばん危ない。
答えたくなる。答えたくなると書きたくなる。書くと増える。増えると、次の質問が来る。無限。
レンカが紙を見つめて、唇を噛んだ。
「答えたい……」
「欲しいで止めろと同じだ」
ユリネが言う。
「えっ」
「答えたいで止めろ」
「……答えたい」
レンカが言い直した。言い直せるなら勝ち。
コトが笑った。
「じゃあ、答えは紙じゃなくて、箱の上の紙を減らす」
「減らす?」
「増やす前に、減らす」
タケルが真顔で言った。
「減らすの、気持ちいいな」
「気持ちよくするな」
ユリネが刺す。
ユリネは箱の上の紙を、二枚だけ残して、残りをまとめた。
残した二枚は、昨日置いたもの。
返す / 置く
それ以外は、箱の中へ入れない。
紙を箱に入れると、紙箱になる。紙箱になると、また紙が増える。
だから、紙は持ち主へ返す。持ち主が分からない紙は、今日だけ預からない。預からないのが、生活。
質問紙は、箱の縁に置き直した。
置き直しただけ。
書かない。
貼らない。
代わりに、ユリネが短く言った。
「預かりじゃない。置きだ。声は一回。欠けまで」
それだけでいい。
それだけがいい。
質問紙を書いた人は、昼に現れた。
恥ずかしそうに紙を取りに来て、ユリネの短文を聞いて、頷いて帰った。
紙は増えなかった。
増えなかっただけで、今日は勝ちだ。
夕方。箱の上は、二枚の紙だけになった。
返す/置く。
欠けの石の横には、何もない。
空っぽは平和。空っぽは勝ち。
レンカが胸を張った。
「今日、紙、増やさなかった!」
「増えたのは朝だけだ」
ユリネが言う。
「朝に増えたのを減らした!」
「減らしたのは偉い。増やすな」
「増やさない!」
レンカが口を押さえて笑う。笑いは増えない笑いだ。
タケルが真顔で言った。
「箱、掲示板になりかけたな」
「なりかけた」
コトが頷く。
「未遂」
タケルが言いかけて、ユリネが刺す。
「未遂って言うな」
「……推測で未遂」
「推測の使い方が雑だ」
笑いが起きる。
笑いが起きると、紙の角の丸まりまで愛嬌に見える。
見えるが、明日はまた増えるかもしれない。
だから、今日で勝つ。今日の分だけ勝つ。
台所では鍋が鳴った。
湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は、生活の勝ちだ。
シノがぼそり。
「……紙より、湯気が好き」
「好きとか言うな」
ユリネが刺す。
「でも湯気は、減らさなくていい」
コトが笑った。
レンカが椀を持ち上げかけて、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。
今日も回る。
箱も回る。
紙は増やさない。
増えたら減らす。
減らせば泣かない。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」