落とし物箱
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
箱は、置いた瞬間に箱になる。
置く前はただの木箱で、置いた後は「とりあえず」の受け皿になる。
受け皿になると、人の手が集まる。手が集まると声が集まる。声が集まると詰まる。
詰まるのは悪じゃない。回し方が要る。
朝、結び家の戸の前がやけに明るかった。
明るいと言っても日差しの話じゃない。人が三人も立っている明るさだ。
「……来た」
ハルが小さく言った。
言い方が静かなのに、なんとなく増える予感を含む。
先頭にいるのは、昨日から「箱、置くらしい」を撒き散らしていた近所の人だ。
その横に、木箱を抱えた運び手がいる。ミナギではない。背中が真面目な人だ。
そして最後に、ミナギがいる。いるだけで分かる。顔が元気すぎる。
「おーい! 来たぞ!」とミナギが言いかけて、
「声、増やすな」
ユリネが戸の内側から先に刺した。
戸が開く。
ユリネは箱を見る前に、まず足元を見る。
欠けた石。いつもの線。
そこに、今日の主役がどん、と置かれた。
木箱。
ふた付き。
木目が素直。
そして角が一つだけ、ほんの少し欠けている。
「欠けてる」
レンカが目を輝かせた。
「かっこよくするな」
ユリネが即座に言う。
「でも目印!」
「目印は一つでいい」
近所の人が胸を張った。
「ほら! 箱! これで落とし物が迷子にならない!」
「迷子は箱で増える」
ユリネが淡々と言った。
「えっ」
「置いた瞬間から、とりあえずが増える」
とりあえず。
その言葉を聞いた瞬間、レンカの顔が「とりあえず助ける」になる。危ない。
「でも困ってる人が!」
「困ってる人は分かる。順番だ」
ユリネは指を二本立てた。
「一、置く。二、戻す」
「置く、戻す」
レンカが復唱して、口を押さえた。増やさない努力はえらい。
木箱の上には、紙が一枚だけ置かれていた。
紙は厚め。角が丸い。穴はない。札じゃない。札にすると増えるからだ。
大きな字で、短く。
拾ったら、入れる前に持ち主を呼ぶ。
それだけ。
それだけなのに、余計なことが百個ぶら下がって見える。
見えるから怖い。怖いから手が伸びる。伸びるから詰まる。
「読んだ?」
コトが近所の人ににこっと訊いた。
「読んだ読んだ! だから箱を持ってきた!」
「……箱、持ってきたのは誰」
タケルが真顔で言った。
真顔が刺さる。
運び手が、木箱を指で軽く叩いた。
「頼まれたから運んだだけ」
「頼んだの誰」
「……みんな」
みんな。
みんなは便利で危ない。
みんなが出たら、責任が増える。責任が増えると、善意が硬くなる。硬い善意は折れる。
ユリネは叱らない。
叱る代わりに、箱のふたを開けた。
からん。
空っぽの音がする。
空っぽは、今だけの平和だ。
「置く場所は?」
コトが訊く。
ユリネは欠けた石を、とん、と叩いた。
「欠けまで」
「欠けまで!」
レンカが復唱する。復唱は手順になる。
箱は、欠けの石のすぐ横に置かれた。
置かれた瞬間、近所の人が一歩前へ出た。
そして、掌の上の小さな飾りを箱へ近づける。
「これ、預けるね」
「預けるな」
ユリネが即座に刺す。
「えっ、でも箱だし」
「箱は預かり所じゃない。置き所だ」
説明じゃない。言い換えだ。言い換えは増えない。
近所の人が困る顔をした。困る顔は刺さる。
レンカの手が動きそうになる。動くな。
コトがすっと間に入った。
「欠けまで置いて、持ち主が来たら持ち主が持つ。昨日と同じ」
「……じゃあ、入れるのは?」
「入れるのは、持ち主がいない時だけ」
コトは短く言った。短いと助かる。
近所の人は飾りを箱の縁に一度置きかけて、やめた。
やめられるなら勝ち。
代わりに欠けの石の横へそっと置いた。
「じゃあ箱、要らないじゃん!」
ミナギが元気に言った。
「声、増やすな」
「えっ」
「声を増やすと箱が喜ぶ」
「箱、喜ぶの?」
「喜ぶ。とりあえずが増える」
とりあえずが増えるのは、すぐ起きた。
通りを歩いていた人が、箱を見て足を止めた。
止め方が「助けたい」だ。
助けたいは優しい。でも今日は危ない。
「これ、落とし物?」
その人は、布の切れ端を持っている。布の切れ端の端に、糸のほつれがある。
ほつれは、持ち主が泣くやつだ。泣かせない係が反応する。
「入れていい?」
「呼べ」
ユリネが言う。短い。
「えっ」
「持ち主を呼べ。声は一回」
レンカが一歩出そうになったが、タケルが腕で道を作った。
道ができると、手が勝手に増えない。
「すみません、布、落ちてました!」
タケルが一回だけ声を出した。
通りの先で、振り向く人がいた。顔が青くなる。
「あっ、うちの!」
その人が走りかけて、止まる。止まれるのが偉い。
布が戻る。戻ると、場が少し軽くなる。
その“軽くなる”を見てしまった人が、二人いた。
一人は、返したい顔。
もう一人は、預けたい顔。
返したい人は、掌に小さな鈴を乗せている。
鳴らしたらすぐ分かりそうなのに、鳴らすと目立つ。目立つと詰まる。詰まると、また落ちる。
預けたい人は、布袋を抱えている。布袋は大きい。大きい袋は、とりあえずが入りやすい。
「ここに入れたら、あとで誰かが返してくれるんだよね?」
預けたい人が言った。
「返さない」
ユリネが即答した。
「えっ」
「返すのは持ち主だ。うちは、止めるだけ」
止めるだけ。言い方が硬いのに、刺さらない硬さ。
だが、硬さは聞かない人にはただの壁だ。
預けたい人は「じゃあ……」と呟き、布袋を箱へ近づけた。
「とりあえず入れとく」
とりあえず、が出た。
出たら増える。
「入れるな」
ユリネが言った。
「でも、ここ箱だし」
「箱は、口を整えるためだ」
説明じゃない。短い言い換え。
それでも手が止まらない時がある。
止まらない手は、善意の手だ。
レンカが息を吸いかけて、
「声は一回」
コトが先に言った。
レンカは口を押さえた。えらい。えらいが、目が泣きそうだ。
返したい人が、小さく鈴を鳴らした。
りん。
音は一回。音が一回なら、まだ増えない。
「この鈴、落ちてたんです」
その声に、少し先の露店の人が振り向いた。
「うちの! さっき鳴らないって探してた!」
鈴が戻る。
戻ったら、預けたい人の布袋がさらに箱へ近づく。
「だから、これも誰かのものかもって」
言い方が、善意の正論。
正論は刺さる。刺さると人は折れる。折れさせない。
ユリネは箱のふたを、半分だけ開けた。
開け方が中途半端なのがポイントだ。中途半端は増やさない。
そして、箱の横に紙を二枚、そっと置いた。
大きな字で、短く。
返す / 置く
札じゃない。札にすると増えるからだ。
ただの紙。紙は弱い。でも弱いから、強くならない。
「返すは、先」
ユリネが言った。
「置くは、欠け」
コトが続けた。
「箱に入れるのは?」
誰かが聞いた。
「持ち主が来ない時だけ」
タケルが真顔で答えた。真顔の短文は強い。
箱の前の人が、二つに割れた。
返す側は前へ。
置く側は欠けへ。
それだけで、詰まりが一回ほどける。
ほどけた瞬間、また来る。
来るのが朝市の口だ。
軽くなったところに、次が来る。
次は、返したい人だ。
「昨日の髪留め、ここにあるって聞いて」
若い人が箱の前で言った。
言い方が半分期待だ。期待は刺さる。
欠けの石の横を指すと、髪留めはまだそこにあった。
「これ?」
「これ! これです!」
返す。
返せると、人は箱を信じる。
信じると、預けたくなる。
預けたくなると、とりあえずが増える。
まるで合図みたいに、別の人が現れて小さな匙を差し出した。
「これも入れていい? 拾ったの。家で困ってて」
困ってるのは分かる。家で困ってるは、たぶん優しい嘘じゃない。
でも箱は、困りの置き場じゃない。
「入れるな」
ユリネが言った。
「えっ」
「持ち主を呼べ」
「でも持ち主、分からない」
「なら、欠けに置け」
欠けに置く。
箱を置いたのに、欠けが働く。欠けは強い。
匙が欠けに置かれた。
置かれた瞬間、通りの別の手が動いた。
「じゃあこれも、とりあえず」
とりあえず、が出た。
出たら増える。
その手が箱に入れようとしたのは、革ひもだった。
革ひもは、誰のでもありそうで、誰のでもない顔をしている。いちばん混ざる。
「とりあえず、入れるな」
コトが笑顔で言った。笑顔なのに止まる声。
「え、でも箱だし」
「箱だからこそ、口の順番」
口の順番。
札の順番じゃない。口の順番が滲む。
「入れたい人は、まず言う」
コトが続ける。
「返したい人は、先に言う」
レンカが思わず言った。
「言ったら?」
「言ったら、誰が持ち主か分かる時がある」
説明じゃない。やって見せる。
ユリネが箱の前に立った。
立ち方が「線」だ。線が立つと、人は並ぶ。
「返す人、先」
ユリネが言った。
たった五文字で、足が二つほど引っ込んだ。引っ込むのが偉い。
返す人が前に出る。
小さな布袋を持っている。
「これ、落ちてた。中に銅貨」
「呼べ」
「すみません! 銅貨、落ちてました!」
すぐに持ち主が見つかった。持ち主は礼を言う。
礼が増えると箱が喜ぶが、礼は生活だ。ここは許す。
次に、置く人が前に出る。
革ひもを持っている。
「これ、誰のか分からない」
「欠け」
ユリネが言った。
革ひもは箱に入らず、欠けに置かれる。
「箱、空っぽのまま?」
ミナギが不満そうに言った。
「空っぽでいい」
ユリネが即答する。
「えー」
「空っぽは、混ざってないってことだ」
混ざってない。
その一言で、箱前の空気が少しだけ落ち着いた。
落ち着くと、とりあえずが減る。減ると道が戻る。
ところが、善意は減ると別の形で増える。
「じゃあ、欠けのところがいっぱいになったら?」
誰かが言った。
言った瞬間、レンカの顔が「いっぱいになったら整理する」になる。危ない。
「いっぱいになる前に、戻る」
ユリネが短く言った。
「戻る?」
「持ち主が来るまで、増やさない」
「でも来ない時もある」
「来ないものは、来ないまま終わる」
終わる。
終わりが言えると、箱が生活の形になる。
生活の形になると、噂は勝手に丸くなる。
箱のふたが、ぱたん、と閉まった。
閉まる音は、終わりの合図だ。
終わりの合図があると、人は散れる。
散る前に、レンカが小さく言った。
「……箱、置いたのに、箱に入れないんだね」
「箱は、入れるためじゃなく、止めるためだ」
コトが笑った。
「止める?」
「とりあえずを止める」
タケルが真顔で頷いた。
「噂も止まるかな」
「止まらない」
ユリネが即答する。
「えっ」
「でも棘は抜ける」
棘が抜ければ、泣かない。
泣かなければ、生活は回る。
夕方、結び家が戸を閉めるころ、欠けの石の横に置かれた革ひもが消えた。
持ち主が来て、持って行ったのだ。
誰も見ていないのに、ちゃんと戻る。
レンカがそれを見て、胸を張った。
「今日、泣かせなかった!」
「泣かせないのはいい。増やすな」
「増やさない!」
家の中へ戻ると、鍋が待っていた。
湯気が上がる。湯気は増えてもいい。
ミナギが勝手に椀を手に取ろうとして、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
コトが椀を並べる。
ハルが匙を配る。
シノが湯気を小さく吸って、ぼそり。
「……あったかい」
タケルが真顔で言った。
「箱、今日働いたな」
「働いたのは欠けだ」
ユリネが返す。
「欠け、万能」
「万能にするな」
「……推測で、万能っぽい」
「推測の使い方が雑だ」
笑いが起きる。
笑いが起きると、今日の詰まりがほどける。
ほどけたら、湯が待っている。
湯は逃げない。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」