秤屋
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
朝市は、音で目が覚める。
声が先、つぎに袋の擦れる音、最後に小銭の跳ねる音。
そして今日だけ、もう一つ。
カチン。
硬いのに小さい音が、一定の間隔で鳴っていた。
一定は安心だ。安心は人を寄せる。寄ると列が伸びる。伸びると作法が揺れる。
「……音、気持ちいい」
レンカが言いかけた。
「気持ちよくするな」
ユリネが即座に刺す。
「えええ、でも、カチンって! 勝った音!」
「勝ち負けにするな。数だ」
「数?」
「数は増える。列が」
結び家が朝市に着いた時点で、列はもう一本できていた。
列の先には台。台の上には小さな皿が二つ。皿の間に棒。棒の真ん中に支点。
片方に袋、片方に分銅みたいな小石。
釣り合うと、ほんの少しだけ棒が落ちて、そこで鳴る。
角の秤屋の台から、カチンと音がした。
ミナギが顔を輝かせる。
「これ、量ってるやつだ! 便利! これで揉めない!」
「便利って言うな」
ユリネが刺す。
「でも揉めないって!」
「揉めないは嘘だ。揉め方が変わるだけ」
「えええ」
「揉め方が変わると、列が揺れる」
コトが列の横を見た。
列の横には、列に入りたい人が溜まっている。
溜まっている人の手には、袋がある。小さい袋、大きい袋、ちょっと濡れた袋、乾いた袋。
袋は生活だ。生活は優しい。優しいと譲る。譲ると列が崩れる。
「……あ、来た」
ハルが小さく言った。
列の中ほどで、年配の人が後ろを振り向いて、手を上げた。
「うちは少しだけだから、先にどうぞ」
先にどうぞ、は善意だ。善意は好きだ。でも今日は危ない。
「ありがとうございます!」
小さい袋を抱えた人が、列の横からすっと入る。
入った瞬間、後ろの人も同じ顔になる。
同じ顔は連鎖する。連鎖すると、列の線が消える。
「えっ、私も少しだけで……」
「いや、うちも、ほんの少し……」
「じゃあ、うちも……」
少しだけ、が増える。
少しだけが増えると、少しじゃなくなる。
少しじゃなくなると、誰も少しを守れない。
守れないと、言い方が刺さる。
「それ、横入りじゃない?」
誰かが言った。
横入り、は刺さる。刺さると空気が固くなる。固くなると、音が聞こえなくなる。
カチン。
台の上は落ち着いているのに、列だけが揺れていた。
揺れる列は、台に寄りたくなる。寄ると肩がぶつかる。ぶつかると台が揺れる。揺れるとカチンが消える。
消えると不安が増える。不安が増えると、また寄る。悪循環。
「寄るな」
ユリネが短く言った。
寄ってないのに言う。予防の言葉は増えない。助かる。
レンカが一歩出かけた。
泣かせない係の足だ。止めろ。
「並べる! 私、並べる!」
「並べるな」
「えええ、でも列が! 泣きそうな顔が!」
「泣きそうなのは列だ」
シノが、ぼそりと言った。
「……困ってるの、列」
列が困ってる。言い方が静かなのに刺さる。
刺さると、手が引っ込む。引っ込むと、線が戻る。
戻りかけたところへ、今度は別の善意が来る。
小さい子を抱えた人が、列の外から声を上げた。
「すみません、すぐ終わるなら先に……この子、重くて」
重い。重いは本当だ。本当だと譲りたくなる。譲ると、また崩れる。
レンカが息を吸った。
「先にどうぞ!」
と言いかけて、自分の口を押さえた。えらい。えらいが、目が苦しい。
ユリネの胸の奥で、別の言葉が立ち上がりかける。
所定人数。
紙の上に並ぶ、小さな枠。
数だけが先にある枠。
枠の数に合わせて、人を数えるやつ。
数えれば整う気がする。
整う気がすると、枠を増やしたくなる。
増やすと、また足りなくなる。
「……」
ユリネは息を吐いた。
ここは紙じゃない。ここは朝市だ。
枠で勝つんじゃない。生活で勝つ。
ユリネは口を開きかけた。
「札、回せ」
と言いそうになって、飲み込む。
朝市で札を振り回したら札が増える。増えた札は紙になる。紙は増える。負ける。
代わりに、ユリネは短く言った。
「並び直し」
たった四文字。
短いのに線になる。
コトが、すぐに線を拾った。
「はい、いまの位置、覚えて。先にどうぞは一人だけ。次は戻る」
戻る、があると譲れる。譲れると暴走しない。
タケルが真顔で列の端に立った。
立ち方が「道」だ。道があると、横から入れない。
「今いる人は、そのまま一列。横からは入らない。困ったら俺に言う」
真顔の短文は強い。強いけど刺さらない。
ミナギがやらかす。
「じゃあ俺、二つ持ってきたけど軽いから先で!」
「先にするな」
ユリネが即答する。
「えー」
「軽い重いで順番を変えると、次から全員が軽いって言う」
「言わない!」
「言う」
ミナギが口を尖らせた。
尖らせたまま、ちゃんと後ろへ下がった。下がれるなら勝ち。
子を抱えた人は、列の横で困った顔をした。
困った顔は刺さる。刺さるとレンカが動く。止めろ。
コトがにこっとして、でも声は増やさず言う。
「先にするのは一人だけ。代わりに、場所を作ります。ここ、壁じゃない」
壁じゃない、と言われると呼吸が戻る。
タケルが一歩ずれて、道を少し広げた。
広げるのは増やすじゃない。通る場所を作るだけ。これは大丈夫。
「……ありがとうございます」
抱えていた人は頭を下げて、そのまま列の外側で待つ形になった。
待つ形ができると、譲らなくて済む。譲らなくて済むと列が保つ。
列が保つと、音が戻る。
カチン。
カチン。
量りに置かれる袋が、少しずつ変わる。
乾いたもの、粉っぽいもの、硬いもの、ふわっと軽いもの。
説明はいらない。皿の傾きと手の動きだけで生活が見える。
レンカが我慢できずに小さく言ってしまう。
「カチン……落ち着く」
「落ち着くはいい」
ユリネが珍しく刺さずに言った。
刺さないと、レンカの肩がぱっと軽くなる。軽くなると手が動く。危ない。
「でも、落ち着くって言ったら増える?」
「増える」
「えええ」
「落ち着く人が増えると、みんな来る」
「……じゃあ、胸の中で落ち着く」
レンカが言い直した。言い直せるなら勝ち。
しかし、勝ちの直後に事故は来る。
列の前の方で、誰かが袋を二つまとめて皿に置いた。
ぐらっ。
棒が揺れる。皿が揺れる。支点が鳴らない。
鳴らないと、みんなが息を止める。
息を止めると、覗く。覗くと寄る。寄るとまた揺れる。
「まとめるな」
量り手が小さく言った。声は小さい。小さいから届かない。
「早くしたかっただけで……」
置いた人が慌てる。慌てると手が滑る。
カチン、が来ない。
来ないと、レンカの顔が泣きそうになる。
泣かせない係が、泣きそうになるのが一番危ない。
「触るな!」
ユリネが言った。強めの短さ。強い短さは許される。
タケルが真顔で、列の背中に手のひらを向ける。
「後ろ、一歩下がれ」
言い方が命令じゃない。指示だ。指示は生活だ。
みんなが一歩下がる。
一歩下がるだけで、台が息をする。
息をした台の上で、量り手が袋をひとつずつ置き直す。
すっ。
手が滑らない音。
カチン。
戻った。
戻った瞬間、列の空気がふわっと緩む。
緩むと、誰かが拍手しそうになる。拍手は増える。増やすな。
レンカが両手を握って耐えた。偉い。
ミナギが口を開けかけて耐えた。えらい。
コトが笑って耐えた。耐えるのが今日は勝ち。
「ひとつずつ」
ユリネが言った。
「ひとつずつ」
タケルが真顔で復唱した。
復唱は作法になる。作法になると、説明が要らない。
列の中ほどで、さっき「横入りじゃない?」と言った人が、隣に小さく囁いた。
「……さっき、ごめん。言い方、強かった」
言い方を戻すのは、生活の勝ちだ。
勝ちが増えると、列は勝手に静かになる。静かになるとカチンがよく聞こえる。
ところが、静かになると、別の“良いこと”が増える。
今度は誰かが言い出した。
「番号、ふった方が早いんじゃない?」
番号。
提案した人が、懐から短い木炭を取り出した。
取り出した瞬間、レンカの目がぎくっとする。
木炭は紙を呼ぶ。紙は札を呼ぶ。札は増える。
「書くな」
ユリネが即座に言った。
「えっ、でも地面にちょっとだけ……」
「ちょっとだけが増える」
「増えるって言いすぎじゃない?」
「言いすぎるくらいで止まる」
タケルが真顔で補助する。
「番号を作ると、番号の外が出る。外が出ると揉める」
「外?」
「並べなかった人。あとから来た人。たまたま迷った人」
真顔の列挙は怖い。怖いけど、想像しやすい怖さは止まる。
木炭を持っていた人は、ぽりぽり頭を掻いて引っ込めた。
「……じゃあ、どうやって覚える?」
「覚えない」
ユリネが言う。
「えっ」
「覚えないで回る形にする。並び直し、って言ったら戻る」
「戻れるの?」
「戻れる範囲で戻る」
戻れる範囲。
その言い方が生活だ。
完璧を捨てると、列が息をする。
列の端で、抱えていた人が小さく笑った。
「番号つけると、うちの子、数字言いたがって増えるかも」
増える、が今日の合言葉みたいになって、周りが少し笑う。
笑いは刺さらない。刺さらないから助かる。
ユリネの胸の奥で、また枠が光りかけた。
所定人数。
所定人数分。
所定人数の、外。
ユリネは、量りの音を聞いた。
カチン。
数は、ここにある。
ここでいい。
枠はいらない。
列が枠だ。列が生きてる方が強い。
「番号は要らない」
ユリネが言った。短い。短いから刺さらない。
「でも、覚えられないかも」
「覚えられないなら、並び直し」
また四文字。四文字で戻れるなら勝ちだ。
コトがにこっとする。
「番号じゃなくて、場所。ここに立ってた、でいい」
「……場所、か」
提案した人が頷いた。頷けるなら助かる。
レンカが列の端で、欠け桶の縁を指でくるっと回した。
癖が出ると危ない。けど今日は静かな癖だ。
静かな癖は、気持ちを落ち着かせるだけで増やさない。
「……並び直し、効いたね」
コトが小さく言った。
「効いたのは短さだ」
ユリネが返す。
「短いの、好き」
「好きとか言うな」
「……助かる」
コトが言い直して笑った。
朝市の用事が終わる頃、列は一本のままだった。
崩れそうになっても戻る。戻るなら勝ちだ。
抱えていた人も、最後はきちんと量ってもらえて、子を揺らしながら笑った。
笑いは増えない笑いだった。助かる。
帰り道、ミナギが悔しそうに言う。
「でもさ、横入り、譲ってあげたいじゃん」
「譲るなら一人」
ユリネが言う。
「一人だけ?」
「一人だけ。譲るのは優しい。増やすのは違う」
「……難しい」
「難しいから順番だ」
家に着くと、鍋の蓋が軽く鳴った。
湯気が上がる。
湯気は増えていい。増える湯気は、生活の勝ちだ。
レンカが椀を持ち上げかけて、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。
タケルが真顔で言った。
「今日のカチン、良かったな」
「良くするな」
「でも安心した」
「安心はいい。枠にするな」
「枠?」
「……なんでもない」
ハルが小さく頷いた。
「……線、戻った」
シノがぼそり。
「……音も、戻った」
ミナギが箸を持ちかけて、
「順番」
ユリネが刺す。
「……はい」
戻る。
戻るなら勝ちだ。
鍋の縁に匙が当たって、こん、と鳴った。
カチンじゃない。柔らかい音。
けれどユリネは、朝のカチンを思い出して、ほんの少しだけ肩を下げた。
数は、外じゃなくて生活の中にある。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」