鐘楼の影
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
鐘楼の影は、朝市の端まで届く。
届くけど、踏まれない。踏むと縁起が増える。縁起が増えると人が増える。人が増えると、また混ざる。
だからみんな、影を避けるみたいに、今日も生活を避けない。
避けない生活の真ん中で、音がした。
からん。
小さい。
けれど、朝の声より先に耳に入る種類の音。
「……鳴った」
ハルが小さく言った。
鐘楼の上ではない。
鐘楼の“下”だ。
結び家が朝市へ向かう途中、いつもの欠けの線の近くで、誰かが小さな鈴を鳴らしていた。
鳴らすのは一回。
一回なのに、視線が集まる。視線が集まると、口が動く。口が動くと、合図が増える。
「合図、いいね!」
ミナギが元気に言った。
「いいって言うな」
ユリネが即座に刺す。
「でも助かるじゃん! 声出さなくていい!」
「声を減らすと、別が増える」
「別?」
「合図」
レンカが鈴の音に吸い寄せられて、目をきらっとさせた。
泣かせない係の目だ。危ない。
「合図、いっぱいあったら、もっと助かる!」
「増やすな」
ユリネが短く切る。
「えええ」
「助け方が増えると、迷い方が増える」
鈴を鳴らしていた人が、困った顔で手を上げた。
「すみません、声が枯れてて……これ、落とし物なんですけど」
手のひらの上に、小さな木札みたいなもの。札と言っても紙じゃない。硬い木片。紐がついてる。
持ち主はたぶん、すぐ近く。すぐ近くなのに、呼べない。呼べないと、今日の朝市は飲み込む。
ここで、「合図があると助かる」が生まれる。
生まれる瞬間がいちばん危ない。
生まれると、育てたくなる。育てると、増える。
「鐘楼なら、届くよね」
誰かが言った。
言い方が軽い。軽い提案は増えやすい。
「鳴らす?」
別の誰かが言った。
鳴らすは、もっと軽い。軽いは危ない。
ミナギが顔を輝かせた。
「鳴らそう! 朝市の合図だ! 落とし物だ!」
「鳴らすな」
ユリネが刺す。
「えっ、でも鐘は合図じゃん!」
「合図は一個でいい」
「じゃあ鐘が一個!」
「一個でも増える」
タケルが真顔で、鐘楼の方へ視線をやった。
鐘楼の根元に、古い板が一枚立っている。
板は何も書いてない。
書いてないのに、釘がいくつか打ってある。
釘があると、人は掛けたくなる。掛けたくなると、合図板が生える。
「……あれ、使うか」
タケルが言った。
「板?」
レンカが首を傾げる。
「掛けるだけ。鳴らさない」
鳴らさない。
その一言で、朝市の空気が一段だけ落ち着く。
鳴らすと全員が向く。
向くと全員が来る。
来ると全員が混ざる。
混ざると、生活が詰まる。
声が枯れている人が、木片を握り直した。
「掛けるって、どうやって……」
「一回だけ」
ユリネが言う。
「一回だけ?」
「合図も順番だ」
順番。
それを言えば、生活になる。
コトがすっと前へ出た。
にこっとして、でも声は増やさない。
「この紐、ここに掛けましょう。木の音、鳴らせる?」
声が枯れている人が、こくりと頷いた。
板の釘に木片が掛かる。
かたん、と小さい音。
小さい音でも、目立つ場所にあると、助かる。
「これ、落とし物だって合図になる」
レンカが嬉しそうに言いかけて、口を押さえた。えらい。
えらいが、目が「もっと掛けよう」になっている。危ない。
助かるのは、すぐ起きた。
通りの向こうで、同じ木片の紐を探していた人が、板を見つけて駆け寄ってくる。
「あっ、それ、うちの!」
声が弾む。弾む声は増える。
増える前に、コトが欠けの石を顎で示した。
「受け取るのは欠けまで。持ち主が持つ」
持ち主は木片を取り、胸を撫で下ろした。
礼は小さい。小さい礼は増えない。助かる。
助かった。
助かったから、次が来る。
それが生活の罠だ。
「じゃあ、うちのも掛けていい?」
小さな袋を持った人が言った。
「これも」
「これも」
言葉が重なる。重なると混ざる。混ざると、板が紙になる前に板が詰まる。
ミナギが元気に言う。
「掛ければいいじゃん! 全部掛けよう!」
「全部って言うな」
ユリネが刺す。
「でも板、空いてるし!」
「空いてるのは今だけだ」
今だけ。
今だけを守るのが、結び家の仕事。
板の前に人が溜まりはじめた。
溜まると、合図が早くなる。
早くなると、内容が混ざる。
「落とし物です」
「直してほしいです」
「量ってほしいです」
「探してます」
「返したいです」
全部、板に掛けたくなる顔をしている。
掛けたら助かる気がする。
助かる気がすると、勝手に増やす。
「混ざる」
シノがぼそりと言った。
ぼそりが刺さる。
刺さると、手が止まる。止まると、板が息をする。
けれど、ここで増えるのが子どもだ。
増えるというより、真似る。
「みて! ぼくも合図!」
小さい子が、なぜか自分の木の実を紐に通して、板に掛けようとする。
善意だ。善意はかわいい。かわいいは増える。増えたら混線。
「それ、合図じゃない」
誰かが言いかけた。
言い方が強くなると、子が泣く。泣かせない係が動く。動くと、別の混線が生まれる。
レンカが息を吸って、
「……」
吸って、止めた。えらい。
代わりに、コトが柔らかく言った。
「合図はね、今日は“困ってる物”だけ」
「困ってるもの!」
子が復唱して、木の実を引っ込めた。復唱できるなら勝ち。
ところが、引っ込めた子の隣で、別の子が別の真似をする。
板の釘を指で弾いて、
「カチン!」
って言う。
昨日の秤の音を、勝手に持ってくる。持ってくると、意味が混ざる。
「カチンは量りだろ」
タケルが真顔で言う。
「量りの合図!」
子が元気に言う。
元気が増える。元気が増えると、子どもが増える。
増えた子どもが、板を囲んで遊び始める。
遊びは楽しい。楽しいは増える。増えたら混線。
板の前が、少しだけ、わちゃっとした。
わちゃは明るい。
明るいけど、明るいまま混ざると、あとで誰かが困る。
「……合図が増えるほど、分からなくなる」
ハルが小さく言った。
小さいのに正しい。
正しいのに刺さらない。助かる。
ユリネは板を見た。
釘は五つ。
もう三つ埋まっている。
埋まるのが早い。早いと、次に「増やそう」が来る。
増やそう、が来る前に、ユリネが短く言った。
「合図の順番」
順番。
また順番。
けれど今日は、順番の種類が違う。
声の順番じゃない。
合図の順番だ。
ミナギが即座に反応する。
「当番作る?」
「当番って言うな」
「じゃあ誰が鳴らすの?」
「鳴らさない」
「えええ」
「掛けるだけ」
ユリネは指を三本立てた。
「一、掛けるのは一つずつ」
「一つずつ」
タケルが真顔で復唱する。復唱は作法になる。
「二、掛けたら声は一回」
「声は一回!」
レンカが復唱して口を押さえる。えらい。
「三、真似るのは遊びだけ。困りは増やすな」
子どもたちが「はーい」と返事をして、なぜか釘を弾くのをやめた。
やめられるなら勝ち。
勝ちが続くと、板はただの板に戻る。
ただの板に戻ると、道具化しない。これが大事。
板の前にいる人が、一人だけ前へ出た。
壊れた金具。小さなやつ。
「これ、直し屋へ持ってく人、探してて」
言い方が“預けたい”に近い。危ない。
「探すのは自分」
ユリネが即座に刺す。
「えっ」
「合図は道じゃない。道は自分で歩け」
刺さるけど、短いから痛くない。
コトが柔らかく補助する。
「でも“今ここに居ます”は助かるよね。掛けて、声一回」
掛ける。声一回。
それだけなら増えない。
金具が板に掛かった。
かたん。
それを見て、直し屋へ向かう途中の人が足を止めた。
「それ、私、行くから一緒に」
助かる。
助かるが、ここで「じゃあ私も」が増える前に、ユリネが言う。
「次」
次。
次があると、押さない。
押さないと、混ざらない。
板に掛けるものは、結局、三つで止まった。
三つで止まると、釘が残る。
残ると、増やしたくなる。
増やしたくなるけど、今日は増やさない。
増やさないで回る形だけ残す。
ミナギが不満そうに言った。
「でも鐘、鳴らしたら早いのに」
「早いは混ざる」
ユリネが言う。
「混ざるって言いすぎじゃない?」
「言いすぎるくらいで止まる」
「……たしかに」
ミナギが引く。引けるなら勝ち。
レンカが板を見上げた。
鐘楼の影が、板の足元に落ちている。
影は大きいのに、板は小さい。
小さい板で足りるなら、鐘はいらない。
いらないなら、鳴らさない。
鳴らさないなら、朝市は今日も生活の音で起きる。
帰り道、子どもがレンカの横で言った。
「合図、たのしい!」
楽しいは増える。増えるとまた混線。
レンカが息を吸い、止めて、言い直した。
「……遊びは楽しい。困りは増やさない」
言い直せるなら勝ち。
子どもが復唱する。
「こまりは、ふやさない!」
復唱できるなら勝ちが伝染する。いい伝染は、丸い。
家に戻ると、鍋が待っていた。
湯気が上がる。
湯気は増えていい。増える湯気は、生活の勝ちだ。
レンカが椀を持ち上げかけて、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。
タケルが真顔で言った。
「板、効いたな」
「板を道具にするな」
ユリネが返す。
「道具じゃなくて、影」
コトが笑う。
「影、いいね」
「いいって言うな」
「……助かる」
コトが言い直した。言い直せるなら勝ち。
ハルが小さく頷く。
「……混ざる前に止まった」
シノがぼそり。
「……音、増えなかった」
ミナギが箸を持ちかけて、
「順番」
ユリネが刺す。
「……はい」
今日の合図は、鐘じゃなくて板。
板は小さい。
小さいから、増やさないで済む。
増やさないで済むから、泣かない。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」