直し屋
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
匂いは、朝にいちばん正直だ。
木くずと油と、濡れた布の端。
その混ざり具合で「今日は忙しい」を先に言ってくる。
路地の奥の作業台は、いつもより音が多かった。
こり、こり。
すっ。
きゅっ。
とん。
直す音が増えると、人も増える。
増えた人は、だいたい顔が「直したい」でできている。
直したい顔は、順番より先に手が出る。そこが今日のパニック。
「……来てる」
ハルが小さく言った。
作業台の前に、すでに列ができていた。
列、と言っても、線はない。線がないと、列は息を吸って膨らむ。
膨らむと、横に広がる。横に広がると、台に寄る。寄ると、手が出る。
「直し屋、初稼働、って感じだね」
コトが笑う。
「言うな」
ユリネが刺す。
「え、でも今日からだって、噂で」
「噂で来るな。来るのは勝手だが、増やすな」
レンカが列の端で、うずうずしていた。
泣かせない係のうずうずは、だいたい善意で危ない。
「私、並べる! 順番、作る!」
「作るな」
ユリネが即座に刺す。
「えええ、でも……ほら、みんな、直したい顔!」
「直したい顔は、直せない」
「えっ」
「直すのは物だ」
台の向こう側。直す人は、手を止めていなかった。
止めないのに、奪わない。
差し出された壊れ物を、引っ張らない。
指の間から、そっと受け取って、そっと返す方向へ置く。
置く場所が小さいから、置く前に詰まる。
そして、今日の新顔が見えた。
手元の脇に、小さな札束。
厚めの紙。角が丸い。穴が空いている。
数字だけがでかい。
1
2
3
4
それだけ。
「……番号札」
タケルが真顔で言った。
「数字だけなら増えにくい」
コトが頷く。
「増えないじゃない。増えにくい」
ユリネが釘を刺す。
増えにくい、の直後に増えるのがミナギだ。
「俺、直すやつ小さいから、1でいい?」
「1は取るな」
ユリネが刺す。
「えっ、でも小さいし、すぐ終わるし!」
「小さいは免罪符じゃない」
「免罪符! かっこいい!」
「かっこよくするな」
列の真ん中で、先走りが起きた。
若い人が、壊れた金具を台の上へ置いてしまう。
置いた瞬間、隣の人も置く。置くと、置き場が増える。増えた置き場は混ざる。
「待って、これ……」
直す人が小さく言った。声が小さい。小さいから届かない。
届かないと、手が動く。
「先に置いとけば、楽でしょ?」
「これも、ここに」
「落としたくないから、預ける」
預ける。
その言葉が出ると、空気が一段硬くなる。
硬くなると、奪い合いみたいに見えてしまう。見えるだけで嫌だ。
「置くな」
ユリネが短く言った。
短いから刺さらない。刺さらないのに止まる。
止まった瞬間、レンカが息を吸った。動くな。
ユリネは、作業台の手前に指を二本立てた。
「渡す順」
指を一本折る。
「受け取る順」
それだけ。
「……え?」
列の人が首を傾げる。
「渡すのは番号の順。受け取るのは呼ばれた順」
ユリネはそれ以上言わない。言うと増える。
タケルが真顔で補助する。
「台に置くな。番号札を取れ。札を取ったら持ち主が持つ」
「持ったまま?」
「持ったまま。落とすなら戻る。預けるな」
預けるな。
その一言で、半分の手が引っ込む。
引っ込むと、台が息をする。
直す人が、手を止めずに、札を一枚つまんで前に出した。
数字は「1」。
列の先頭の人が、札を受け取ろうとして、手を止めた。
止めたのは偉い止め方だ。奪わない。
「……受け取る順?」
その人が訊く。
「今は渡す順」
コトが笑って頷く。
「札を受け取って、渡す。終わったら返す。返す順は呼ばれた順」
呼ばれた順。
言葉が短いと、場が軽い。
軽いと、泣かない。泣かないと、手が落ち着く。
1の札を持った人が、壊れた皿を抱えたまま一歩前へ出る。
台の端に、皿を置く。
置く、のはここで初めて。
置く場所が決まると、置き方も決まる。
きゅっ。
直す人が布で拭く。
こり、こり。
木べらみたいな道具が動く。
とん。
軽く叩く。
その間に、直す人は札をもう一枚、指先で弾いた。
数字は「2」。
弾かれた紙が、ぱちんと鳴る。小さい音なのに、列の背中がそろって動く。
2の札を持った人は、鞄の口を必死に押さえていた。
鞄の口が開くと、中身が見える。見えると「ついで」が増える。
「これもついでに……」
「ついで、するな」
ユリネが先に刺す。
「まだ言ってないのに!」
「顔が言ってる」
その人は笑って、でもちゃんと一つだけ取り出した。
革の紐の先、金具が取れている。
直す人は、受け取る前に、布の上を指で二回叩いた。
ここ、の合図だ。言葉じゃない。増えない。
受け取ると同時に、返す場所が生まれる。
台の端に、空の木椀が二つ置かれた。
片方は“直す前”、片方は“直った後”。
誰も説明しないのに、置かれ方で分かる。
分かった気になる速度が、生活にはちょうどいい。
ところが、その“分かった気”に乗って、混線が来る。
3の札を持った人が、直った後の椀に手を伸ばした。
「それ、私のじゃ……?」
似ている。似ていると、心が先に掴む。掴むと間違える。
「触るな」
ユリネが短く言う。
短いから、手が止まる。
タケルが真顔で、椀の縁を指でちょんと叩いた。
「受け取る順。呼ばれてから」
「……はい」
3の人が引っ込める。引っ込められるなら勝ち。
直す人は、顔を上げずに、完成した金具を椀へ置いた。
かち、と小さい音。
その音で、持ち主が分かる。
分かる音は強い。強いけど増やさない。助かる。
数字の大きさが、安心になる。安心は増える入口でもある。今日は入口を閉める。
入口を閉めるのが、シノだ。
シノは列の横に立って、ただ、見ていた。
見ているだけなのに、指先が小さく震える。
糸の端、金具の端、割れ目の端。
端が呼ぶ。呼ばれると触りたくなる。触ると仕事が増える。増えると照れる。
「……シノ」
コトが小さく呼ぶ。
シノは小さく首を振った。行かない、じゃない。耐える、の首振り。
その耐えが、いちばん危ないところで役に立つ。
3番の札を取った人が、焦ってしまった。
「すみません、これ、すぐ直るなら、先に渡して……」
札を持ったまま、壊れた紐を台に伸ばす。
伸ばすと、2番の人が身を乗り出す。身を乗り出すと、1番の手元に影が落ちる。
影が落ちると、直す人の手が一瞬止まる。
止まると、皿がずれる。ずれると、割れ目が笑う。笑うと終わらない。
「……待つ」
ハルが小さく言った。
その一語が、列の肩を少しだけ戻す。
「渡す順」
ユリネがもう一度言った。短い。短いから効く。
「……はい」
3番の人が引っ込める。引っ込められるなら勝ち。
ところが、勝ちの直後に「先回収」が来る。
2番の札を持った人が、1番の皿を見て不安になった。
「それ、私のと似てて……混ざらない?」
不安は正直だ。不安は増える入口だ。
その人は、台の端に置かれていた自分の小箱を、反射で引っ張ってしまう。
引っ張ると、隣の人の布が一緒に動く。
動くと、誰のものか分からなくなる。
分からなくなると、声が増える。
「ちょっ……!」
「それ、私のじゃ……」
「いや、触ってない!」
「触った!」
刺さる言葉が出る前に、ユリネが言った。
「受け取る順」
渡す順と受け取る順。
今日は、その二本だけで押さえる。
タケルが真顔で、台の手前に手のひらを向ける。
「手、引け」
命令じゃない。指示だ。指示は生活だ。
手が引っ込む。
引っ込むと、台の上が静かになる。
静かになると、誰のものかが戻る。戻ると、泣かない。
直す人が、言葉を増やさずに動いた。
台の上に、小さな布を一枚敷く。
布の上に、いま触っていいものだけ置く。
触っていい、の線ができると、触らない手が増える。良い増え方だ。
シノが、そこで動いた。
布の端が、ふわっと浮く。
風じゃない。列の息だ。
息で布が浮くと、小さな金具が転ぶ。転ぶと、台の下へ落ちる。落ちると探す。探すと詰まる。
シノは、落ちる前に、指を出した。
奪わない角度。
直す人の手を邪魔しない距離。
金具の端だけを、そっと押さえる。
すっ。
止まった。
「……助かる」
直す人が、ほとんど息だけで言った。
シノの耳が、少しだけ赤くなる。
赤くなっても、顔は無表情のまま。
無表情のまま、指を引っ込めない。
引っ込めないのは、奪ってないからだ。
奪ってないのに、褒められると照れる。照れるのに耐える。耐えるのがシノ。
「すご……」
レンカが言いかけた。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で、すごい」
レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。
直す人は、シノに視線だけを送って、また手元へ戻った。
視線だけ。言葉は増やさない。増やさないのが、ここでも作法になる。
列は、少しずつ回り始めた。
1が終わる。札が返る。2が進む。
数字が移るだけで、場が落ち着く。
落ち着くと、次の混線が起きる。起きないように、ユリネが短く釘を刺す。
「先渡し、するな」
「先回収、するな」
言い方が少しだけ強い。
強いけど短いから、刺さりきらない。
刺さりきらない強さが、今日はちょうどいい。
ミナギが、我慢できずに言う。
「でもさ、直したいじゃん! すぐ戻ってほしいじゃん!」
「だから順だ」
「順、好きだね!」
「好きとか言うな」
「……助かる」
ミナギが言い直して、なぜか自分で頷いた。言い直せるなら勝ち。
途中、子どもが列の横で、壊れた木の実の紐を掲げた。
「これも直して!」
増える。
増えるけど、可愛い増え方は危ない。
「今日は大人の困りが先」
コトが柔らかく言った。
「えー」
「代わりに、結び直すのは教える」
教える、は危ない。説明になる。だから一言だけ。
シノが、黙って、子どもの紐を二回だけ結んで返した。
きゅっ、きゅっ。
音だけで分かる結び方。
子どもが目を丸くして、すぐ笑う。
笑いは増えない笑いだ。助かる。
ユリネが刺す。
「今のは直しじゃない。結びだ」
線引き。線引きがあると増えない。
直し屋の列は、昼前には短くなった。
短くなったのに、誰も急いでいない。
札があると、急がなくていい。
急がないと、手が滑らない。
手が滑らないと、直る。
最後に、2番の札を持っていた人が、直った小箱を受け取って、深く息を吐いた。
「……助かった。勝手に触って、ごめん」
「謝るのは増えない」
ユリネが言う。
「増えない?」
「増えない。次を呼ばないから」
短い返しで終わる。終わると、場が軽い。
結び家は、直し屋を“預け先”にしないで、家へ戻る。
道だけ。線だけ。順番だけ。
帰り道、レンカが小さく言った。
「直す順と受け取る順、二本だけで回ったね」
「二本で足りるのが生活だ」
ユリネが言う。
「足りるって、いい」
「いいって言うな」
「……助かる」
レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。
家に戻ると、鍋が鳴っていた。
湯気が上がる。
湯気は増えていい。増える湯気は、今日が回った証拠だ。
レンカが椀を持ち上げかけて、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。
タケルが真顔で言った。
「シノ、今日、耐えたな」
「言うな」
ユリネが刺す。
シノは顔を動かさずに、箸を動かした。
耳だけが、少し赤い。
コトが笑う。
「照れても、奪わないのがいちばんえらい」
「褒めるな」
「……胸の中で褒める」
コトが言い直して、湯気の向こうで目を細めた。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」