湯屋の順番が“呼ばれる”必要

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/26 📚 シリーズ: 泣かせない係のおねぇちゃん、世界を盛りすぎる 📝 3,356文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。

本文

湯屋は、湯気が合図のはずだった。

湯気が出ている。中が温い。開いている。

それで足りる、はずだった。

今日は足りない。

足りないって言うな。胸の中で足りない。

夕方、湯屋の前。

入口の釘に、湯札が揺れている。でかい数字。短い字。いつものやつ。

それなのに、入口が詰まっていた。

「……止まってる」

ハルが小さく言った。

「言うな」

ユリネが即座に刺す。

「……胸の中で止まってる」

「胸の中なら勝手にしろ」

詰まりの正体は、列じゃない。

“待ち方”だ。

湯札を取った人が、入口から離れない。

離れないから、次の人も離れない。

離れない背中が三つ重なると、入口が入口じゃなくなる。

「いま、四だったよね?」

「いや、五が先じゃない?」

「え、でも五、どこ?」

「見えない」

見えない。

湯気のせいで、釘の札が見えにくい。

見えにくいと、不安になる。

不安になると近づく。近づくと見えない。最悪の循環。

レンカが息を吸って、口を押さえた。えらい。

「……呼んだ方がいいのかな」

「言うな」

ユリネが刺す。

「……胸の中で、呼びたい」

「胸の中なら勝手にしろ」

呼びたい、は危ない。

呼ぶと声が増える。

声が増えると、湯屋は湯屋じゃなくなる。

でも今日は、呼ばないと戻らない。ここが詰まりの芯だ。

入口の端で、湯屋番のおばさんが腕を組んでいた。

顔が「分かってる」。分かってる顔は強い。強いけど刺さらないとき、すごく助かる。

「近い近い」

おばさんが短く言った。

「すみません、札が見えなくて」

若い人が言う。言い方が確認。断定じゃない。助かる。

「見えないなら、呼べばいいんだよ」

おばさんが言った。

呼べばいい。

簡単な言葉ほど、増える入口になる。

案の定、別の人が食いついた。

「じゃあ呼んでください! 番号で!」

「番号ならいいよね」

「名前はやめてね」

「じゃあ、鐘みたいなの鳴らせば」

「鳴らすな」

ユリネが反射で刺した。

鳴らす、は効きすぎる。

効きすぎる合図は、人を丸ごと動かす。

丸ごと動くと、また詰まる。

タケルが真顔で言った。

「呼ぶのは一回」

「一回」

ハルが小さく復唱する。復唱は作法になる。

「呼ぶ人は一人」

「一人」

レンカが口を押さえながら復唱した。言えるなら止まれる。

おばさんがにやっと笑った。

「そうそう。呼ぶのは一人。呼び声は一回。返事は……」

返事、が出ると増える。返事が増えると、また湯屋が口だらけになる。

「返事は、手」

ユリネが短く言った。

「手?」

「手を上げる。声は増やすな」

おばさんが頷いた。

「よし。じゃあ私が呼ぶ」

呼ぶ人が決まると、背中が少し離れた。

離れると入口が息をする。息をすると、湯気が逃げない。逃げない湯気は勝ちだ。

おばさんは釘の札を見て、短く言った。

「次、五」

一回。

一語。

それだけ。

五の札を持っていた人が、黙って手を上げた。

声は出ない。出ないから、湯気の中でも刺さらない。

おばさんが顎で示す。

「どうぞ」

五が入る。

入口が一歩空く。

空いた入口に、四が寄りかける。寄るとまた詰まる。ここで止める。

「近い」

おばさんが短く言った。

四が一歩下がる。下がれるなら勝ち。

次。

「次、六」

六が手を上げる。

声は出ない。

それだけで、入口の背中が一本になる。

……一本になった瞬間に、別の混線が来た。

“呼ばれたい”が増えると、“呼ばれたくない”も出る。

脱衣所の奥から、ひそひそ声。

「番号呼ばれるの、恥ずかしい」

「分かる」

「でも見えないし」

恥ずかしい、は刺さる。

刺さると、呼ぶ声が強くなる。強くなると増える。

だから、恥ずかしいは増やさないで沈める。

コトが小さく言った。

「呼ぶのは番号だけ。誰かは言わない」

「番号でも誰かだよ」

ひそひそが返る。

「だから返事は手。声を出さないと、誰か分かりにくい」

コトの言い方が、生活の逃がし方だ。刺さらない。

シノがぼそり。

「……湯気、味方」

「味方にするな」

ユリネが刺す。

「……胸の中で、隠れる」

シノが言い直す。言い直せるなら勝ち。

湯気は隠してくれる。隠れるなら恥が減る。減ったって言うな。胸の中で減る。

湯屋の中は、いつも通りの湯だった。

ふわ、と熱い。

熱いと、肩が落ちる。

肩が落ちると、早い顔が抜ける。

抜けた顔は、呼ばれても慌てない。慌てないと詰まらない。

ところが、呼び方の作法は、入口だけじゃ足りない。

上がり湯の桶が、通路の真ん中に出た。

誰の桶か分からない。分からないと触れない。触れないと避ける。避けると狭い。狭いとまた詰まる。

「桶、どなたの」

おばさんが一回だけ声を出した。

一回で止まる声。

端のほうで手が上がる。声は出ない。

持ち主が自分で桶を引く。

終わり。終わると増えない。

レンカが湯の縁で、息を吐いた。

「……呼ばれると、離れられるね」

「言うな」

ユリネが刺す。

「……胸の中で、離れられる」

「胸の中なら勝手にしろ」

離れられる、は大きい。

入口から離れられる。

釘から離れられる。

離れられるから、湯屋が湯屋のまま。

でも、作法は油断すると崩れる。

“呼ばれる”が便利に見えてしまうからだ。便利って言うな。

若い人が、湯の縁で言いかけた。

「じゃあさ、札じゃなくて、最初から呼び順を……」

「増やすな」

ユリネが短く切った。

「えっ」

「決め事が増えると守れない」

「……胸の中で、守れない」

若い人が言い直して、湯に沈んだ。沈むのは増えていい。湯の沈みは生活だ。

おばさんが、湯気の向こうで笑った。

「札は札。呼びは“見えないときだけ”」

見えないときだけ。

それくらいの雑さが、湯屋にはちょうどいい。

その頃、別の場所でも“呼びたさ”が芽を出していた。

---

申請受付審査室。

チヨが机に突っ伏している。

突っ伏しているのに、今日は泣いてない。泣いてないのが怖い。

「……呼び出しが欲しい」

チヨが言った。

「何を」

ナギが淡々。

「欄が増えそうになったら、呼び出し……」

「増やすな」

マドカが廊下から刺す。

「呼び出すと、人が集まる」

ナギが淡々。

「集まると、欄が増える」

チヨが机に額を当てた。

「……呼ばれるの、便利なのに……」

「便利って言うな」

三人同時に言って、なぜか少し笑った。刺さらない笑いだけが救命具。

---

湯屋に戻る。

上がり口の釘に札が戻される、かたん、の音がする。

音がすると、次が分かる。

分かるのに、湯気で見えない時がある。

見えない時だけ、呼ぶ。

それで足りる。足りるって言うな。胸の中で足りる。

ところが、最後のひと詰まりが来る。

“出るときだけ”が、脱衣所の手前で渋滞を作る日がある。

今日はその日だった。

脱衣所の入口で、みんなが同じタイミングで動いてしまう。

同時は詰まる。詰まると湯気が濡れ布に落ちる。濡れ布が床を湿らせる。湿ると滑る。滑ると焦る。焦ると声が増える。

「すみません!」

「ごめん!」

「ちょっと!」

声が増えかけた瞬間、レンカが息を吸った。

止まれる呼吸。最近の救命具。

「……出るときだけ」

レンカが小さく言った。

言い方が震えてない。強い。

おばさんがすぐ拾う。

「出るときだけ。呼ぶのも一回」

「呼ぶ?」

「“出ます”は一回でいい」

出ます、が一回。

返事は手。

それだけで、人の足が半歩ずれる。

半歩ずれると道が太る。太ると出られる。出られると渋滞がほどける。

タケルが真顔で壁際を指した。

「止まるなら壁。道は一本」

一本。

一本と言われると、人は勝手に一本になる。不思議だが、生活はそういうものだ。

結び家が湯屋を出るころ、入口の空気はもう柔らかかった。

呼ぶ声は一回。

手が上がる。

札が戻る。

湯気が逃げない。

レンカが夜風を吸って、ぽつり。

「呼ばれるって、助かるね」

「助かるって言うな」

ユリネが刺す。

「……胸の中で助かる」

「胸の中なら勝手にしろ」

家に戻ると、鍋が鳴っていた。

湯屋の湯気とは違う、飯の湯気が上がる。

湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。

ミナギが椀を取ろうとして、

「順番」

ユリネが一言。

「……はい」

ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。

タケルが真顔で言った。

「今日、呼ぶのが必要だった」

「言うな」

ユリネが刺す。

「……胸の中で必要」

「胸の中なら勝手にしろ」

ハルが小さく頷く。

「……見えないときだけ、で止まった」

シノがぼそり。

「……湯気、隠れた」

コトが笑う。

「合図欲しい、って言うより、呼ばれたい、ってこともあるんだね」

「言うな」

「……胸の中で、呼ばれたい」

コトが言い直して、刺さらない笑いが湯気に混ざった。

ユリネが短く言う。

「飯! 湯!」

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