洗濯の回収が“間違わない工夫”
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
干し場の朝は、風が先に来る。
風が先に来ると、布が先に揺れる。
布が先に揺れると、みんなの胸が勝手に「今日は回収できる」になる。
勝手になる日は、だいたい危ない。
「……今日は、取り込みたい日」
レンカが言いかけて、口を押さえた。えらい。
「言うな」
ユリネが即座に刺す。
「……胸の中で取り込みたい」
「胸の中なら勝手にしろ」
干し場は壁際が長い。
長い壁に沿って、紐が一本、ずっと続いている。
続いているから、みんなが同じ場所に集まる。
集まると、誰かが良い顔をする。
良い顔は善意だ。善意は、ときどき混ざる。
すでに何人かが、壁際の前でしゃがんでいた。
乾いた布が、ふわっと軽い。
軽いから早く終わりそうに見える。
終わりそうに見えると、先に終わらせたくなる。
先が増えると、事故も増える。
「今日は風が良いから、先にたたんであげるよ」
近所のおばさんが笑って言った。
言い方は優しい。優しいのに危ない。
たたむ、は触る、だ。触るが増えると、間違う。
「触るな」
ユリネが短く言った。
短いから刺さらない。刺さらないのに、しゃがむ背中が一つ止まる。
「えっ、でも善意だよ?」
「善意は増える」
「増えるって言いすぎじゃ」
「言いすぎるくらいで止まる」
タケルが真顔で壁際を見た。
干されている布は似ている。似ている布が三枚並ぶと、みんな同じに見える。
同じに見えると、手が同じに動く。
同じに動くと、違う人の布が自分の束に混ざる。
「……今日は、間違う日」
タケルが言いかけて、
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で、間違えそう」
「胸の中なら勝手にしろ」
勝手にしろ、の間に、事件は起きる。
事件と言っても、朝の事件はだいたい小さい。
ぱさ。
誰かが外した布が、風で一枚だけ膨らんで、となりの束の上に落ちた。
落ちた布は白い。白い布は、だいたいみんなの家にある。
あるから、分からない。
「それ、うちの……?」
外した人が言って、言い切れない。
言い切れないと、周りが言い切ってしまう。
「うちのも白いよ」
「こっちも白い」
「じゃあどれが誰の」
口が増えかけた瞬間、レンカの肩が上がった。
泣かせない係の肩だ。動くな。
レンカは息を吸って止めた。えらい。止まれると場が戻る。
「……本人の手だけ」
レンカが小さく言った。
自分で言い直したのが偉い。泣かせない係が、増やさない係もできてる。
「本人の手だけ」
ハルが小さく復唱した。
復唱は作法になる。作法になると、手が引っ込む。
コトが、落ちた布を指で示す。指先だけ。増えない。
「これ、いまは“どれでもない”。戻す」
「戻す?」
「戻す。外した人の場所に」
場所。
場所があると、布は迷子にならない。
迷子にならないと、責任が生えない。
責任が生えないと、喧嘩が生えない。
タケルが真顔で、壁際の紐を見上げた。
紐には、端にぽつんと“空ばさみ”が残っている区間がある。
布が無いのに、洗濯ばさみだけが一つ、挟まっている。
「……あれ」
タケルが指を差す。
「あれ?」
おばさんが首を傾げる。
「空ばさみ。境目」
タケルが真顔で言った。
境目。
境目が見えると、間違いにくい。
見える境目は、合図の一種だ。増えない合図。
「誰か、わざと残してたのか」
おばさんが笑って、でも声は増やさない笑い方をした。
「賢いねえ」
「賢いって言うな」
ユリネが刺す。
「……助かる」
おばさんが言い直して、また笑った。刺さらない笑いは、干し場に効く。
落ちた白布は、その“空ばさみ”の手前に戻された。
戻すと、誰の束にも入らない。
入らないから、間違いが増えない。
ところが、増えないはずのところに、増えるのが子どもだ。
「見て! 空ばさみ!」
子どもが来た。
来て、空ばさみを指で弾こうとした。
弾くと落ちる。落ちると境目が消える。消えると間違う。最悪。
「触るな」
ユリネが短く言った。
「えっ、でも遊び」
「遊びでも境目は触るな」
子どもは口を尖らせた。
尖らせたまま、シノを見る。シノは、止め方が静かだ。
シノがぼそりと、子どもの手首の近くで言う。
「……空ばさみ、守る」
守る、は強い単語だ。強いけど、子どもには効く。
子どもが目を丸くして、言い直す。
「守る!」
「増やすな」
ユリネが刺す。
「……守るだけ!」
子どもが言い直して、背中に手を回した。えらい。早い。
干し場は少しだけ落ち着いた。
落ち着いたところで、次の混線が来る。
“手伝い”だ。
「じゃあ私、取ったやつ、ここにまとめとくね」
若い人が籠を出した。
籠は便利に見える。便利は増える入口。
籠に入れると混ざる。混ざると、また白布が迷子になる。
「入れるな」
ユリネが短く言った。
「えっ、でも風で飛ぶし」
「飛ぶのは分かる。だから工夫だ」
工夫。
今日の題名が、ここで必要になる。
コトが籠の縁に、洗濯ばさみを一つだけ挟んだ。
布じゃなく、ばさみだけ。
ばさみの口が、かちん、と小さく鳴る。
小さい音は呼び笛にならない。けど見える。
「この籠は“置き場”じゃなくて“呼び場所”」
「呼び場所?」
「呼ぶのは一回。持ち主だけ呼ぶ」
呼ぶ。
増える入口にもなる。
でも今日は、声を増やさない呼び方にする。
タケルが真顔で補助する。
「籠に入れない。入れると混ざる。籠は“ここにいる”の目印だけ」
「目印だけ」
ハルが小さく復唱した。復唱は作法になる。
若い人が籠を持ったまま止まる。
「じゃあ、どうやって渡すの」
「指で示す」
ユリネが短く言う。
「本人が外す」
続けて言って、増やさない。
結局、こうなった。
干してある布の束の前に、空ばさみが一つ残る。
それが境目。
境目の前で、持ち主が自分の布を外す。
外したら、自分の抱えに入れる。
他人の抱えに入れない。
手伝いは指で示すだけ。
声は一回だけ。
それだけで、間違いが減る。
減ったって言うな。胸の中で減る。
◆(神界・短カット)
申請受付審査室。
チヨが机に突っ伏していた。泣いてない。泣いてないのが怖い。
「……欄じゃなくて、合図が増えた気がするんですぅ……」
「気がするって言うな」
ナギが淡々。
「でも、気がするんですぅ……」
マドカが廊下から刺す。
「合図を欄にするな」
「してないですぅ……! してないけど……書くところが無いんですぅ……!」
「だから欄にするな」
三人で言って、三人で疲れた顔になった。
チヨは結局、紙の端っこに小さく書いた。
合図(増えた気がする)
括弧が多い。括弧は増える入口。増やすな。
◆
干し場に戻る。
空ばさみが“境目”として働き始めると、もう一つ良いことが起きた。
誰がまだ取り込み中か、見て分かる。
空ばさみが残っている区間は、まだ終わってない。
空ばさみが無い区間は、もう終わった。
終わったなら、人は寄らない。
寄らないと、背中が詰まらない。
「……見える一言、これだ」
レンカが言いかけて、口を押さえた。えらい。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で見える一言」
「胸の中なら勝手にしろ」
ところが、境目が見えると、境目を増やしたくなる人が出る。
増やすな。
「じゃあ空ばさみ、もっと増やせばもっと分かりやすいんじゃ」
ミナギが言いかけた。
「増やすな」
ユリネ即答。
「えっ、でも……」
「一個で足りる」
ユリネが切る。
「足りる」
ハルが小さく復唱した。足りるは強い。強いけど静かだと効く。
その時、また小さい事件が起きた。
子どもが背中に回していた手をほどいてしまって、空ばさみの下に落ちていた小さい布切れを拾ったのだ。
布切れは雑巾の端。
端は端で似ている。似ているとまた迷子になる。
「それ、どこから」
誰かが言いかけて、口を押さえる。
言いかけは増える入口。止まれるなら勝ち。
シノがぼそり。
「……端」
端、と言うだけで、みんなの目が壁際へ向く。
壁際の端っこに、小さい雑巾が一枚、落ちかけている。
落ちかけているのを、持ち主が見つけて、自分で取った。
自分で取ると終わる。終わると増えない。
干し場の回収は、昼前には終わった。
終わったのに、誰の束も混ざってない。
混ざってないと、午後が軽い。
軽い午後は、飯の準備が早い。早いって言うな。胸の中で早い。
◆(神界・短カット)
にこにこ怖い院代が通りがかって、机の端のメモを一瞥した。
合図(増えた気がする)
「括弧を増やさないでください」
一言だけ。
チヨが机に額を当てた。
「括弧が無いと、断定になっちゃうんですぅ……」
「断定しないでください」
にこにこで去っていった。
去り際に、ゲンの朱肉の匂いだけが残った。
印は押されない。押されないのが助かる日もある。
◆
夕方、結び家の台所は、干し場の軽さのまま回っていた。
濡れ布が残っていない。
取り込みの山が小さい。
小さい山は、誰も焦らせない。
焦らないと、湯屋までの道が柔らかい。
レンカが布をたたみながら、ぽつり。
「今日、間違わなかった」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で間違わなかった」
「胸の中なら勝手にしろ」
ミナギが空ばさみを指でつまんで、言いかける。
「これ、便利」
「便利って言うな」
「……助かる」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
「助かるのは一個だけの方だ」
ユリネが短く釘を刺す。増やさないための釘。
鍋が鳴る。湯気が上がる。
湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。
ミナギが椀を取ろうとして、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
タケルが真顔で言った。
「空ばさみ、境目、効いたな」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で、効いた」
「胸の中なら勝手にしろ」
ハルが小さく頷く。
「……手が増えなかった」
シノがぼそり。
「……匂い、混ざらなかった」
レンカが小さく宣言して、すぐ自分で口を押さえた。
「今日、善意で混ぜなかった!」
「混ぜかけた」
ミナギが真顔で言いかけて、
「未遂って言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で未遂」
「胸の中でも言うな」
刺さらない笑いが湯気に混ざって、台所が軽くなる。
工夫は増やさない。
一個で足りる。
それが今日の回収だった。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」
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