朝市が“配り市”になる
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
朝市は、匂いが先に来る。
声はその後。小銭は最後。
その順番が崩れると、だいたい“混ざる”が来る。
今日は、匂いの中に、別の匂いが混ざっていた。
甘い。
甘いのに、落ち着かない匂いだ。
善意の匂い。
「……甘い匂い、こわい」
シノがぼそりと言って、すぐ口を押さえた。押さえなくていいのに押さえた。癖だ。
「言うな」
ユリネが短く刺す。
「……胸の中で、こわい」
「胸の中なら勝手にしろ」
朝市の入口に着く前から、声が立っていた。
「おまけ出るって!」
「まとめると安いって!」
「配るって!」
配る。
危ない単語。
配るは優しいのに、足が増える。足が増えると背中が斜めになる。斜めになると、匂いより先に口が来る。
結び家の面々は、入口でいったん止まった。止まったって言うな。胸の中で止まった。
タケルが真顔で、露店の列を見た。
列が列っぽい。列っぽいのが一番厄介だ。
その横から、いつもの音が聞こえる。
カチン。
秤屋の音だ。
音が一定だと安心する。安心すると、人は勝手に「正しく分けたい」を増やす。増やすな。
「……秤の音、今日は目立つ」
ハルが小さく言った。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で目立つ」
「胸の中なら勝手にしろ」
配りの中心は、粉屋の前だった。
粉屋は袋の口を結ぶ手が早い。早いって言うな。胸の中で早い。
袋を二つ買った近所のおばさんが、袋を抱えて笑っている。
「はいはい、うち一袋いらないから、半分ずつ持ってきな」
出た。
善意の直球。
直球は、受け取り方を間違えると殴る。
「えっ、いいの?」
「ありがとう!」
「じゃあ私も……うちも……」
口が増える。
増えると、配りが配りじゃなくなる。配り市になる。
配り市は、買う人を押しのける。押しのけると暗くなる。暗くしない。
レンカが息を吸って、口を押さえた。えらい。
「……配ると、列が壊れる」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で壊れる」
「胸の中なら勝手にしろ」
ミナギは押さえる前に口が開く。危ない。
「じゃあさ、配るなら、列の外で配ればよくない?」
言い方が珍しく正しい。正しいって言うな。胸の中で正しい。
でも正しさは、次を呼ぶ。
「外ってどこ?」
「ここでいい?」
「いや、邪魔」
「じゃあ道の真ん中に…」
「するな」
ユリネが短く切った。
「道を増やすな」
タケルが真顔で一歩だけ前へ出た。
一歩だけ。
一歩だけなら、背中が詰まらない。
地面をさらさら、と棒でなぞる。
一本線。
列の前じゃない。道の端。
“配る線”を置く場所だけを示す線だ。
「買う線は内。配る線は外」
タケルの短文が落ちる。
落ちた瞬間、秤屋のカチンが一拍だけ聞こえた。
その一拍が、妙に効く。
“内と外”が決まると、人は勝手に動ける。
粉屋の人が、ほっと息を吐いた。
息が吐けると、袋の口が結べる。
結べると、匂いが立つ。
匂いが立つと、朝市が朝市に戻る。戻るって言うな。胸の中で戻る。
……なのに配りは止まらない。
配りは優しい。優しいのに止まらない。止まらないと混ざる。
「半分ずつって、どうやって半分?」
誰かが言った。
半分。
危ない単語。
半分は秤を呼ぶ。秤は公平を呼ぶ。公平は揉める。やめろ。
「秤る?」
誰かが口にした。
その瞬間、秤屋のカチンが妙に大きく聞こえた気がした。気がするって言うな。
「秤るな」
ユリネが短く刺す。
「えっ、でも公平に」
「公平って言うな」
「……胸の中で公平」
「胸の中でも言うな」
コトが笑顔のまま、粉の袋を見た。
そして、粉屋の升を指先だけで示す。
指先は増えない。
「半分は“正しさ”じゃなくて“気持ち”でいいよ。升一杯を何回、ってだけにしよう」
「回数」
ハルが小さく復唱した。復唱は作法になる。
「手はひとつ」
シノがぼそり。昨日の粉屋が言ったやつを拾った。拾い方が静かで助かる。
粉屋の人が笑って言った。
「お、分かってるね。升はひとつ。数えるのはひとり」
数えるのはひとり。
ここで“配り”が、やっと形になる。
形がない配りは混線だ。形がある配りは、まだ生活にできる。
近所のおばさんが、腕まくりをして宣言した。
「はい、私が数える! 文句は増やさない!」
「増やすな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で増やさない!」
おばさんが笑って言い直して、周りが少し笑った。刺さらない笑いは場を軽くする。
配る線の外側に、受け取る人が並びかける。
並ぶって言うな。胸の中で並ぶ。
並びかけた背中が、また危ない。
並びが列に見えると、買う列と混ざるからだ。
「一人ずつ、でいい?」
若い母親が恐る恐る言った。確認。断定じゃない。助かる。
「一人ずつ」
おばさんが頷く。
「でも子どもは二人いる」
「増やすな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で二人」
「胸の中なら勝手にしろ」
ここで揉めると暗くなる。暗くしない。
だから“順番”で勝つ。
勝つって言うな。胸の中で勝つ。
ユリネが短く言った。
「配るのは最後」
「えっ」
「買うが先。配るはあと」
この二行が、露店の空気を救う。
買う人が買って、匂いが立って、朝市が朝市のまま回る。
回るって言うな。胸の中で回る。
おばさんが一瞬だけ眉を上げて、すぐ笑った。
「そうか。私が先に買い終わってから配ればいいのね」
理解が早い。早いって言うな。胸の中で早い。
でもこの早さは助かる早さだ。
おばさんは粉屋で支払いを済ませた。
小銭が鳴る。ちゃり。
音が一定だと、場が落ち着く。
そして、おばさんは配る線へ移動した。
移動した瞬間、買う列と配る線が分かれる。
分かれると混ざらない。
混ざらないと、声が増えない。
相乗は一行でいい。今日はここだ。
“買う”と“配る”を分けたら、朝市が戻った。
……でも配りの難しさは、ここからだ。
配りは渡し方が雑だと、受け取る側が困る。
困ると口が増える。増やすな。
「これ、手渡し?」
「こぼれる」
「袋ない?」
「袋ならうちが…」
袋。
袋は便利だ。便利は増える入口。
増えた袋は、次の日も欲しくなる。欲しくなると常設になる。常設は欄を呼ぶ。やめろ。
レンカが息を吸って止めて、言い直した。
「……袋は増やさない。紙も増やさない」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で増やさない」
「胸の中なら勝手にしろ」
タケルが真顔で、木皿を一枚借りた。
粉屋の隅にある木皿。
“ここに置く”ための道具だ。
「箱を挟む、みたいに」
コトが笑って言った。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で挟む」
「胸の中なら勝手にしろ」
おばさんは升で粉を量って、木皿に小山を置く。
置いたら、手を離す。
受け取る人が自分で布で包む。布は自分の布。貸さない。増やさない。
自分で包むと、責任が生えない。
生えないから揉めない。
ところが、配り市は一人で終わらない。
粉が配られ始めると、別の露店も“優しく”なる。
「豆も、まとめならおまけ」
「皮も、端っこなら持ってって」
「野菜の葉、煮るなら」
善意が連鎖する。連鎖は明るいのに危ない。
危ないって言うな。胸の中で危ない。
ミナギが目を輝かせた。輝くな。
「うわ、朝市が配り市になってる!」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で配り市」
「胸の中でも言うな」
配りが増えると、受け取る人が“買わないで立つ”ようになる。
買わない背中は邪魔じゃないのに、邪魔になる時がある。
道を塞ぐからだ。
塞ぐと、洗い籠がぶつかる。ぶつかると豆が転がる。ころん。
最悪の定番が来る。
「拾う!」
ミナギが言いかけて、
「拾うな」
ユリネが刺す。
「えっ、でも豆!」
「本人が拾え。周りは動くな」
タケルが真顔で、豆の逃げ道だけ足で止める。
手を出さない。足だけ。足は偉い。
落とした人が拾う。拾ったら終わり。終わりがあると増えない。
豆の小事件が終わったところで、ユリネがもう一回、短い線を置いた。
「配るなら、外。買うなら、内」
同じ言葉を二回言う。二回目は増やす二回じゃない。戻す二回だ。
そして最後に、ひと言。
「配りは“余り”だけ」
余り。
余りは揉める単語のはずなのに、ここでは効く。
余りなら、正しさを言わなくて済む。
正しさを言わないと、秤が影のままで済む。
カチンは鳴っている。でも主役じゃない。影でいい。
露店の人たちが頷いた。
「うちの余りは、ここ」
「うちの余りも、ここ」
配る線の外側に、余りだけが集まる。
集まるのに、買う列は邪魔されない。
邪魔されないと、朝市は朝市のまま。
昼前、匂いがちゃんと先に来る朝市に戻った。
声が後。小銭が最後。
配り市は、余り市に縮んだ。縮むって言うな。胸の中で縮む。
でも縮むのは良い縮みだ。
結び家は、粉と豆と葉物を持って帰る。
袋の口は二回結ぶ。増やすんじゃない。転がさないため。
レンカが歩きながら、小さく言った。
「配るなら、最後」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で最後」
「胸の中なら勝手にしろ」
家に戻ると、鍋が鳴っていた。
今日の鍋は、朝市の余りが入る鍋だ。
余りは余りのままだと揉めるけど、鍋に入ると生活になる。
ぐつ、ぐつ。
湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。
ミナギが椀を取ろうとして、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
コトが笑って言った。
「今日の朝市、優しかったね」
「優しいって言うな」
「……胸の中で優しい」
「胸の中なら勝手にしろ」
タケルが真顔で言った。
「秤らなくても、回った」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で回る」
「胸の中なら勝手にしろ」
ハルが小さく頷く。
「……内と外があると、混ざらない」
シノがぼそり。
「……結ぶと、落ちない」
レンカが小さく宣言して、すぐ口を押さえた。
「今日、配りで列を壊さなかった!」
「壊しかけた」
ミナギが真顔で言いかけて、
「未遂って言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で未遂」
「胸の中でも言うな」
刺さらない笑いが湯気に混ざって、台所が軽くなる。
配りは悪じゃない。
でも順番がない配りは混ざる。
混ざるのは、結び家が一番嫌いだ。嫌いって言うな。胸の中で嫌い。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」