豆まき前夜

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/20 📚 シリーズ: 追伸は必ず。 📝 4,103文字 ✅ 全年齢

あらすじ

学校の片隅に置かれた「応援ポスト」。 HELP(困ってる)とTHANKS(助かった)を、誰でも匿名で入れられる。 返事も誰でも書ける。極稀に先生も書く。ただし、ひとつだけルールがある。 “追伸だけは必ず書くこと。” 中学も、高校も、大学も。 頑張り方に迷う誰かの紙に、知らない誰かの言葉が届く。 励ましじゃなくて、明日を軽くする「やり方」が、追伸に残る。 学園青春×短編連作 匿名お悩み相談(手紙) じんわり回復+時々クスッ 更新:週1は守ります。基本14時に届きます。たまに増えます。

本文

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”

教室の隅、掃除用具入れのとなりに、段ボール箱が置かれていた。

油性ペンででかでかと「応援ポスト」。生徒会の字は、なぜかいつも元気がいい。

横の紙には二つだけ。

HELP:いま困ってること。

THANKS:助かったこと。

※返事は誰でも書いていい。追伸だけは必ず書く。

「追伸って、なんだよ……」

私は小声でつぶやいて、プリントの山に目を落としたふりをした。

節分まで、あと四日。

うちの中学は、なぜか節分に妙に気合いが入る。体育館で学年ごとに豆まき。各クラスから「鬼」役が出る。保健室の先生は毎年、「豆、喉に詰まらせないでね」と本気の顔で注意する。

そういう行事は、楽しいはずなのに。

「入れる?」

斜め前の七海が、私の視線の先を見てニヤッとした。

「入れない。私、困ってないし」

言い終わった瞬間、胸の奥がちくっとした。困ってない、じゃない。困ってるって言うのが、嫌なだけ。

持久走の記録が落ちた。

部活で、走り込みの最後に私だけ置いていかれた。

「最近元気なくない?」と、優しい言い方で刺された。

家では弟の前だけ平気なふりをして、夜になるとスマホで他人の“頑張ってる”を見て勝手に息が苦しくなる。

豆みたいにころころして、拾いきれない。

昼休み、プリントを配り終えた担任が言った。

「節分当日、体調悪い人は早めに言えよー。あと、今年も“追伸ルール”は守ってくれ。投げっぱなしはだめだぞ」

言い方がやけに慣れている。担任の佐久間先生は、去年別の学年で受け持ってたらしい。

追伸ルール、学校公認なんだ……。

私は机の中からメモ帳を一枚ちぎった。

HELPのほうに近づく。心臓が、ばかみたいに騒ぐ。

書いたのは、ほんの一行。

『豆まきの日、休みたい』

それだけ書いて、箱の隙間に滑り込ませた。

入れた瞬間、世界が少しだけ静かになった気がした。

追伸だけは必ず。

迷って、最後に小さく付け足す。

『追伸:休みたいのは、私が弱いからですか』

自分の字が震えていて、私は笑った。

笑えたのが、ちょっと悔しかった。

*

放課後。

部活のミーティングは、言葉が全部、石みたいに重かった。

「次のタイム測定、全員更新ね」

先輩は悪くない。期待されているのは嬉しい。なのに、嬉しさが怖い。

帰り道、風が冷たくて、制服の袖口が痛い。

コンビニの前で七海に追いつかれた。

「ねえ、あのポストさ」

「……何」

「追伸ルール、好き。なんかさ、最後に本音が出るじゃん」

七海は笑うと、目尻がやわらかくなる。私はその顔を見て、勝手に息が楽になるのが悔しい。

「七海は、入れたの?」

「入れた入れた。昨日、HELP」

「え、何」

「それは秘密。返事きたら見せる」

小走りで先に行ってしまう背中が、軽い。ああいう軽さが、いまの私には遠い。

家に着くと、弟が玄関で豆を振っていた。

「ねえ姉ちゃん! 今年の鬼はだれ?」

「知らないよ……」

「俺、鬼やりたい!」

「小学生は体育館入れないし」

「じゃあ家で鬼やる!」

弟は勝手に盛り上がっている。私はその勢いに押されて、少しだけ笑った。笑えるなら、まだ大丈夫。そう思いたい。

夜、布団に入ると、スマホが光った。部活のグループ。先輩がランメニューを送ってきている。

既読をつけるだけで、胸がきゅっとなる。

休みたい。

でも休んだら、次が怖い。

その“次”がどんどん増えて、今の自分を押しつぶす。

私はベッドの上で、ポストに入れた紙のことを思い出した。

返事は誰でも書ける。

だから、怖い。

だから、少しだけ期待してしまう。

*

次の日の朝。

教室に入ると、応援ポストの横に小さな箱が増えていた。「返事用」と書いてある。生徒会、仕事が早い。

ポストの横には、返事の紙がクリップで留められていることがあるらしい。七海が言っていた。

私の机に座っても、心はポストの前に置きっぱなしだ。

休み時間、誰もいないのを見計らって、ポストの横をちらりと見た。

クリップが一つ。

心臓が跳ねた。

でも、その紙の端に書いてある名前が違う。

『七海へ』

七海のだ。私じゃない。私は勝手に、ほっとして、勝手に、がっかりした。

昼休み。七海は返事の紙を持って戻ってきた。

「見て見て」

紙には丸い字でこう書いてある。

『HELP:授業中、眠すぎる。どうしたらいい』

『返事:寝ろ(でもたぶん無理だから、目薬)』

『追伸:先生にばれない範囲でね』

「誰これ、雑!」

七海が笑い転げる。私もつられて笑ってしまった。

笑うと、胸の奥の石が少しだけ転がる。

「返事って、こういうのもありなんだ……」

「ありでしょ。追伸が優しいじゃん」

七海は紙を大事そうにたたんで、筆箱の裏に入れた。

その仕草が妙に真剣で、私はふと、七海も七海なりに“助かった”んだと気づく。

放課後。

私はまたポストを見た。クリップが二つに増えている。

一つは誰かの。もう一つは……。

『豆まきの日、休みたい へ』

私のだ。

手が震えて、紙がうまくつかめない。

周りには誰もいない。なのに、見られている気がして、顔が熱くなる。

私は紙を机の陰に隠すようにして、そっと開いた。

『返事:休みたい日は、休んでいい』

あまりにまっすぐで、思わず笑ってしまった。そんなの、知ってる。知ってるのにできないから困ってるんだ。

でも、その次の行で、笑いが止まった。

『ただ、「休む」を“逃げ”にしない方法があるよ。

休む理由をひとつだけ、言葉にしておく。

それができたら、休んだ日は“準備の日”になる』

文字は丁寧で、余白がきれい。

返事を書いた人の指先が見える気がした。

そして最後に。

『追伸:弱いから休みたい、じゃなくて、弱いまま頑張ってるから休みたくなる。

君はもう、頑張ってる側だよ』

私は紙を見たまま固まった。

誰が書いたのか、分からない。

同級生かもしれない。先輩かもしれない。極稀に先生も書く、と聞いた。字がきれいすぎて、先生っぽい気もする。

でも、名前がないからこそ、逃げ道がない。

これは“私”に向けた言葉だ。

頑張ってる側。

その言葉が、胸の奥でふわっとほどけた。

涙が出そうになって、私は慌てて鼻をすすった。泣くと暗くなる。今日の私は、暗くなりたくない。

私はメモ帳を開いた。

“休む理由をひとつだけ、言葉にする”。

書けるだろうか。

書けるとしたら、何だ。

『追伸:休みたい理由は、みんなの前で元気なふりをするのが下手だからです』

書いて、私は「うわ、下手って何」と自分に突っ込んだ。

下手って、技能かよ。

笑ってしまった。小さく、でも確かに。

その夜、私は母に言った。

「節分の日、体育館の前にちょっとだけ休める場所ない? 途中で気持ち悪くなったら、保健室行く」

母は驚いた顔をして、それから「言えたね」と言った。

私は「別に」と言いながら、心のどこかで小さく拍手した。

言えた。たったこれだけ。たったこれだけが、今日の前進。

*

節分当日。二月三日。

体育館は豆の匂いと、歓声の予告でむわっとしていた。

各クラスの鬼が整列している。段ボールの角を切って作った角は、なぜか毎年完成度が高い。

「おい、鬼、こっち向けー!」

男子がはしゃぐ。

私は笑っているふりをしながら、胸の内側に手を当てた。心臓はまだ騒がしい。でも昨日よりは、騒ぎ方が“知ってるやつ”になっている。

豆が配られた。

掌にころころと転がる小さな丸が、やけに頼りない。

「豆って、武器として弱すぎない?」

七海が真顔で言う。

「……確かに」

「せめて、もうちょい質量が」

「危険になるよ」

私は思わず笑った。七海も笑う。笑えると、空気が薄くならない。

開始の合図。

「鬼は外ー!」

「福は内ー!」

豆が飛ぶ。鬼がわざと大げさに倒れる。先生が「痛い痛い」と棒読みで言う。体育館が一気に明るくなる。

その瞬間だけ、私は自分の“頑張らなきゃ”を忘れられた。

……でも、途中で胸がきゅっとなった。

走り込みの最後の苦しさに似ている。

私は息を吸って、吐いて、七海にだけ小声で言った。

「ちょっと、保健室、行ってくる」

「うん。行ってら」

七海は軽く手を振った。

“重くしない”って、優しさだ。私はその優しさに救われる。

廊下は静かで、冷たい。

保健室の前で、私は立ち止まった。

ドアノブに手をかけて、思った。

休む理由をひとつだけ、言葉にする。

私はもう、それを書いた。

だからこれは逃げじゃなく、準備の日。

中に入ると、保健室の先生が顔を上げた。

「あら、豆アレルギー?」

「違います」

「じゃあ、鬼アレルギー?」

「それは……あるかもしれません」

先生が笑った。私も笑ってしまった。

笑えるなら、たぶん大丈夫。

ベッドに座って、私はスマホを見ないことにした。代わりに、ポケットから小さな紙を出す。

応援ポストの返事の紙。もう何度も読み返して、角が少し丸くなっている。

戻る前に、私はもう一枚、メモ帳をちぎった。

THANKSに入れる紙だ。

『THANKS:豆まきの日、休みたかった人へ返事をくれた人へ。助かりました。

今日は途中で一回、休みます。

追伸:豆は武器として弱いけど、言葉はけっこう効く』

最後の一行を書いた瞬間、自分で自分に笑ってしまった。

誰かに読まれたら恥ずかしい。けど、追伸ルールがあるから、仕方ない。

仕方ないことにして、私は書けた。

教室に戻ると、七海が豆を一粒、指先でつまんで差し出してきた。

「おかえり。福、残しておいた」

「それ、ほこりついてない?」

「福はほこりに強い」

「何それ」

二人で笑った。体育館のざわめきの中で、笑いがちゃんと自分の声になった。

豆は武器として弱い。

でも、弱いものだって、続けば形になる。

私は掌の豆を見て、そっと息を吐いた。

今日の私の“頑張り方”は、たぶんこれでいい。

——追伸。

帰りに、応援ポストを通りがかったら、段ボールの横に新しい紙が貼られていた。

「追伸だけは必ず書く。

※追伸が書けないときは、顔文字でも可」

誰だ、そんな改定をしたのは。

私は声を殺して笑った。

追伸ルールは、今日もちゃんと、私を軽くしてくれる。

頑張る人ほど、追伸に救われる。

追伸は週1以上、基本は14時更新

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