スポーツの日、走らない勝ち方
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
学校の片隅に置かれた「応援ポスト」。 HELP(困ってる)とTHANKS(助かった)を、誰でも匿名で入れられる。 返事も誰でも書ける。極稀に先生も書く。ただし、ひとつだけルールがある。 “追伸だけは必ず書くこと。” 中学も、高校も、大学も。 頑張り方に迷う誰かの紙に、知らない誰かの言葉が届く。 励ましじゃなくて、明日を軽くする「やり方」が、追伸に残る。 学園青春×短編連作 匿名お悩み相談(手紙) じんわり回復+時々クスッ 更新:週1は守ります。基本14時に届きます。たまに増えます。
本文
中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。
どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。
返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。
共通しているのはひとつだけ。
“追伸だけは必ず。”
スポーツの日の学校は、走っていないのに息が上がっていた。
祝日なので、いつもの授業はない。
それでも文化祭前の校舎には、ぽつぽつと人が来ていた。部活の人。実行委員。昨日までに終わらなかった飾りを少しだけ直しに来た人。家に持ち帰った紙を、結局学校で見たくなった人。
グラウンドでは、部活の声がしていた。
短い笛の音。靴が砂を蹴る音。誰かが「もう一本」と言う声。
その声だけ聞いていると、スポーツの日らしい。けれど、文化祭準備の教室では、走るよりも、走らないことの方が大事になっていた。
「廊下、走らないで」
実行委員が言った。
「急いでる」
「急いでても走らないで」
「文化祭前だから?」
「文化祭前だから余計に」
抱えていた段ボールが、少し傾いた。中には直した星と、赤と青の紙が入っている。角が出ていて、走ったら確実に何かを落とす。落としたものを拾うために、結局もっと時間がかかる。
走らない。
それは、ただの校則みたいで、今日は作戦に近かった。
応援ポストの前には、昼前からHELPが貼られていた。
【HELP】
スポーツの日なのに、走るのも運動も苦手です。
文化祭準備でも、動きが遅い気がします。
テキパキ動ける人を見ると、自分は役に立っていない感じがします。
速く動けない人の勝ち方ってありますか。
その隣に、別のHELP。
【HELP】
急いで準備しようとして、廊下で人とぶつかりそうになりました。
急いでいるのに、止められるとイライラします。
でも、走ったら危ないのも分かります。
急がないと間に合わない気がするとき、どうすればいいですか。
もう一枚は、大学の掲示板から回ってきたものらしく、紙の端に小さな折り目があった。
【HELP】
「効率よく動こう」と思うほど、頭の中だけ走ります。
体は動いていないのに疲れます。
今日はスポーツの日だけど、たぶん休むのも下手です。
走らないで勝つ方法が知りたいです。
走らないで勝つ。
スポーツの日にその言葉は少し変だった。けれど、文化祭前の廊下では、かなり実務だった。
板の前にいた子が、貼り紙を読みながらうなずいた。
「速い人って、全部できる感じする」
「でも速い人、たまに全部こぼす」
「段ボール持って走るのは負け」
「中身が星なら流星群になる」
「文化祭前に縁起よさそうでだめ」
「拾う人が泣く」
笑いが起きた。
笑えると、速さの圧が少し下がる。速く動ける人が悪いわけではない。ただ、速さだけを勝ちにすると、遅い人も、丁寧な人も、確認する人も、全部負けに見えてしまう。
最初の返事は、太い字だった。
【返事】
速く動けない人の勝ち方はあります。
・落とさない
・ぶつからない
・数を間違えない
・次の人が分かるように置く
・戻る場所を決める
準備では、速さより「やり直しを減らす」が勝つ日があります。
追伸:走らない人が、作業の床を平らにしていることもある。
作業の床を平らにする。
その言い方で、板の前の空気が少し変わった。目立つのは、走る人だ。大きな声で指示を出す人。段ボールを一度に二つ運ぶ人。決める人。貼る人。
でも、床を平らにする人は目立ちにくい。
落ちたテープを拾う人。
通路に出た箱を壁際に寄せる人。
紙の向きをそろえる人。
数を数え直す人。
走らないまま、現場の転びやすさを減らしている。
次の返事は、少し細い字だった。箇条書きの前に、小さく「急ぐとき用」と書いてある。
【返事】
急ぐときは、走る前に三つ聞く。
①誰が待ってる?
②何分以内?
③それ、落としたら何分増える?
答えが曖昧なら、走らない。
急いでいる気分と、急ぐ必要は別です。
追伸:急ぐ理由を一回言葉にすると、足が勝手に走りにくくなる。
急いでいる気分と、急ぐ必要は別。
その一文は、文化祭準備の廊下に刺さった。
締切が近い。
当日が近い。
紙が鳴る。
誰かが呼ぶ。
そういうものが重なると、全部が今すぐに見える。でも、よく見ると、今すぐでなくていいものも混ざっている。明日でいいもの。当日その場で見るもの。聞く箱に入れればいいもの。
三枚目の返事は、少しふざけていた。
【返事】
スポーツの日なので、文化祭準備にも種目を作ります。
短距離:今すぐ先生に確認
長距離:当日まで続く係
リレー:次の人へ分かるように渡す
休憩:倒れないための作業
審判:危ない動きを止める人
全部を短距離にしない。
追伸:今日はリレーで勝てばいい日かもしれません。
リレー。
その言葉で、廊下のざわめきが少しだけ前向きになった。
文化祭準備は、たしかにリレーに似ている。走る速さより、渡し方で失敗することがある。バトンがどこにあるか分からない。誰に渡せばいいか分からない。渡したつもりで伝わっていない。
だから、勝ち方は走ることだけではない。
渡すこと。
置くこと。
止めること。
休むこと。
その日の教室では、段ボールの移動が始まっていた。
入口に使う飾りを、教室の後ろから廊下側へ移す。距離は短い。短いからこそ、みんな油断する。短い距離は、つい走りたくなる。すぐそこなら大丈夫だと思う。
最初のHELPを書いた子は、段ボールを一つ持とうとして、やめた。
重そうだった。
でも、重いと言うのが少し恥ずかしい。隣の子は、同じ箱を軽そうに持っている。自分だけ持てないと言うと、弱いみたいに見える。
そこで、返事を思い出した。
落とさない。
ぶつからない。
次の人が分かるように置く。
その子は、段ボールではなく、箱の横に貼る紙を持った。
【入口用】
【まだ使わない】
【当日朝に出す】
三枚の紙。
軽い。
軽いけれど、ないと困る。
段ボールを運ぶ人が、廊下側に箱を置いたあと、その紙を貼る。すると、箱がただの箱ではなくなる。誰かが開けて全部出してしまうことも減る。どこへ置けばいいかも分かる。
「紙、助かる」
段ボールを持っていた子が言った。
「持てなくてごめん」
「いや、貼ってくれた方が助かる。これ全部同じ箱に見えるし」
「同じ箱に見える」
「見える。箱、無言だから」
「箱も名札ほしいよね」
笑いが小さく出た。
箱に名札を貼る。
それは速い作業ではない。けれど、速い人が迷わなくなる作業だった。自分が走らなくても、現場の足を軽くできる。
短い勝ちだった。
派手ではない。拍手もない。でも、さっきより少し立てる。
廊下では、急いでいた子が止められていた。
「走らないで」
「でも、先生に確認しないと」
「誰が待ってる?」
「実行委員」
「何分以内?」
「えっと、今日中?」
「それ、落としたら何分増える?」
持っていたのは、紙コップの袋だった。袋は軽い。軽いけれど、走ると中で潰れる。潰れた紙コップは、当日だいたい悲しい顔をする。
「……走らない」
「歩いて勝とう」
「勝つの?」
「紙コップを守ったら勝ち」
「競技名、紙コップ保護」
「地味すぎる」
「でも大事」
走りかけた子は、少しだけ口を尖らせた。でも、歩いた。歩きながら、紙コップの袋を抱え直した。抱え直すと、袋の端が壁に当たりにくくなる。
急ぐ理由を言葉にすると、足は少し遅くなる。
それでも進む。
進んでいるなら、遅いわけではない。
大学の掲示板にも、スポーツの日の返事が増えていた。
【返事】
頭の中だけ走る日は、体に「止まっている証拠」を作る。
・椅子に座る
・足の裏を床につける
・ペンを一本だけ持つ
・今やる一個を書いてから動く
焦りは、見えない運動です。
見える手順に変えると、少し息が戻ります。
追伸:頭の中の全力疾走にも、給水所が必要です。
給水所。
その言葉に、誰かが「脳内マラソン」とつぶやいた。
文化祭前の人は、よく脳内マラソンをする。体は机の前にいるのに、頭の中では先生のところへ行き、道具を確認し、明日の天気を見て、当日の入口を考え、まだ決まっていない係を心配している。
走りすぎだ。
その人は、返事の通り、椅子に座った。
足の裏を床につける。
ペンを一本だけ持つ。
今やる一個を書く。
【今やる一個】
紙コップの数を数える。
それだけ書くと、頭の中で走っていた人影が一人だけになった。全部の競技に同時出場しなくてよくなる。
紙コップを数える。
一、二、三、四。
数えているとき、人は少しだけ今に戻る。未来の文化祭当日ではなく、手元の白い紙コップに戻る。白い紙コップは、積むと小さな塔になる。塔は少し頼りない。でも、数え終わると箱に戻せる。
放課後前、応援ポストにはTHANKSが貼られた。
【THANKS】
段ボールを持つのは無理でした。
代わりに箱の名札を貼りました。
「入口用」「まだ使わない」「当日朝に出す」。
貼ったら、運ぶ人が迷わなくなりました。
走らなくても、床を平らにできる感じがしました。
その下に、別のTHANKS。
【THANKS】
急いで走りそうになったけど、紙コップを守りました。
「誰が待ってる」「何分以内」「落としたら何分増える」を聞かれて、走る必要はないと分かりました。
競技名は紙コップ保護です。
地味だけど勝ちにします。
さらに、大学の掲示板からのTHANKS。
【THANKS】
頭の中だけ走っていたので、座って足の裏を床につけました。
今やる一個を「紙コップの数を数える」にしたら、少し息が戻りました。
焦りが見えない運動、というのが分かりました。
給水所を作ります。
紙コップが、やたらと主役になった日だった。
誰かがそれを読んで笑った。
「スポーツの日、紙コップ大活躍」
「走らず守る競技」
「優勝は誰」
「潰れなかった紙コップ」
「物が優勝する文化祭準備」
「平和」
笑いながら、教室ではもう一つ手順が増えた。
【走らない勝ち方】
・重いものは二人で持つ
・廊下は歩く
・急ぎは理由を言う
・名札を貼る
・次の人へ置き場所を残す
・休憩も係に入れる
最後の一行で、少しざわついた。
「休憩も係?」
「係にしないと消える」
「休憩、すぐ未になる」
「当日前に倒れたら負けだし」
「じゃあ休憩係、いる?」
「休憩を取らせる係?」
「審判っぽい」
文化祭準備に、また変な係が生まれた。
休憩係。
仕事は、走っている人に水を飲ませること。ずっと立っている人に座る場所を作ること。五分だけ手を止めるタイミングを黒板に書くこと。
スポーツの日らしいと言えば、かなりらしい。
体を動かす日ではなく、体を壊さないために動き方を考える日。
夕方、最後の返事が貼られた。字は落ち着いていて、少しだけ丸い。
【返事】
走らない勝ち方は、たくさんあります。
落とさない。
壊さない。
迷わせない。
渡しやすくする。
休ませる。
危ないところで止める。
急ぎと焦りを分ける。
スポーツの日は、速さだけを祝う日ではありません。
体が明日も動けるように、今日の動き方を選ぶ日にもできます。
追伸:走らない足が、明日の入口まで道を残すことがあります。
明日の入口。
その言葉で、教室の奥に置かれた入口用の箱が少し目立った。
【入口用】
名札の貼られた箱は、静かにそこにあった。走っていない。急いでいない。でも、当日へ向かう道の途中にちゃんと置かれている。
文化祭は、もう近い。
近いからこそ、走りたくなる。
でも、今日走って全部を落としたら、明日の入口が遠くなる。歩いて運ぶ。名札を貼る。数を数える。休む人を座らせる。紙コップを守る。そういう地味な勝ち方が、当日の足元を作っていく。
帰り際、誰かが黒板の端に小さく書いた。
【本日の競技結果】
紙コップ保護:勝ち
箱の名札貼り:勝ち
廊下を走らない:だいたい勝ち
休憩係:仮採用
だいたい勝ち。
そこに、誰かが丸をつけた。
完璧ではない。
走りかけた人もいた。焦った人もいた。頭の中だけ全力疾走した人もいた。段ボールを持てなくて、少し悔しかった人もいた。
でも、紙コップは潰れなかった。
箱には名札がついた。
廊下でぶつかる人はいなかった。
休憩係は、仮だけど生まれた。
スポーツの日の校舎は、走っていないのに、ちゃんと一日を越えた。
それなら、今日だけはこれでいい。
追伸:速くない足にも、守れる勝ち筋はちゃんとある。
頑張る人ほど、追伸に救われる。
追伸は週1以上、基本は14時更新
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。