文化祭当日① 入口が多い
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
学校の片隅に置かれた「応援ポスト」。 HELP(困ってる)とTHANKS(助かった)を、誰でも匿名で入れられる。 返事も誰でも書ける。極稀に先生も書く。ただし、ひとつだけルールがある。 “追伸だけは必ず書くこと。” 中学も、高校も、大学も。 頑張り方に迷う誰かの紙に、知らない誰かの言葉が届く。 励ましじゃなくて、明日を軽くする「やり方」が、追伸に残る。 学園青春×短編連作 匿名お悩み相談(手紙) じんわり回復+時々クスッ 更新:週1は守ります。基本14時に届きます。たまに増えます。
本文
中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。
どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。
返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。
共通しているのはひとつだけ。
“追伸だけは必ず。”
文化祭当日の朝、学校には入口が増える。
校門はひとつなのに、入口はひとつではない。
受付の入口。
企画の入口。
教室へ入る入口。
声をかける入口。
手伝う入口。
知らない人の列に並ぶ入口。
うまく楽しそうにするための入口。
どれも同じ校舎の中にあるのに、朝の光を浴びると、それぞれ別の門みたいに見えた。
前日まで【入口用】と貼られていた段ボールは、教室の前に出されていた。赤い紙が上、青い紙が下。遠くから見ると赤が目立って、近くに来ると青が落ち着いて見える。三人で廊下の端から確認して決めた入口だ。
ちゃんと入口になっていた。
それなのに、入口の前にはすでに少し迷いが溜まっていた。
「ここ、入っていいの?」
「受付って先?」
「パンフレット、ここでもらう?」
「中に友だちいるか見てから入りたい」
「見てから入るって、もう入ってない?」
「入口哲学やめて」
受付係は仮のままだった。
本決定ではない。けれど、パンフレットを渡すだけならできる人が二人。質問は箱へ回していい。そう決めていた。
でも当日は、決めた言葉が少し揺れる。
人が来る。
本当に来る。
紙の上で想定していた「来場者」が、靴音と荷物と声を持ってやって来る。
応援ポストは、文化祭の日も廊下の端にあった。いつもより少し横へ寄せられて、通行の邪魔にならない場所に置かれている。その横に、朝いちばんでHELPが貼られた。
【HELP】
文化祭当日です。
入口に立つだけで緊張します。
パンフレットを渡すだけ、と決めていたのに、人が来ると何か言わなきゃいけない気がします。
入口にいる人が固まっていたら、だめですか。
その横に、別のHELP。
【HELP】
文化祭、行きたい教室があるのに入口で止まります。
中が見えすぎても怖いし、見えなさすぎても怖いです。
入っていいのか、声をかけていいのか分からなくなります。
楽しみたいのに、最初の一歩で疲れます。
さらに下に、小さい紙。
【HELP】
入口が多くて、どこから見ればいいか分かりません。
全部回れないのに、全部逃した気がします。
文化祭って、楽しいはずなのに、選ぶところから難しいです。
当日のHELPは、前日までのHELPと少し違った。
準備の紙ではなく、人の前で止まる紙だった。
文化祭は始まると、紙の問題が人の問題になる。いや、紙の問題も残っている。残っている上に、人が来る。だから入口は多い。物理的にも、気持ちの上でも。
最初の返事は、太い字で貼られた。
【返事】
入口の人は、全部を案内しなくていい。
最初の言葉を一つだけ決める。
「こんにちは、パンフレットどうぞ」
これで入口の仕事は始まっています。
質問されたら、
「確認します」
「聞く箱に回します」
「少し待ってください」
でいい。
追伸:入口は完璧な説明所ではなく、最初の一歩を軽くする場所です。
最初の一歩を軽くする場所。
受付係の一人が、その紙を読んでから、手に持ったパンフレットを少しそろえた。パンフレットの角がそろうと、声も少しそろう気がする。
次の返事は、丸い字だった。
【返事】
入りにくい教室は、「入る前の小さい手順」を作る。
・入口の貼り紙だけ読む
・中を一秒だけ見る
・受付に「見てもいいですか」と聞く
・合わなければ一回離れる
入ったら最後まで楽しむ、じゃなくていい。
追伸:入口で戻れると分かると、入る足が軽くなります。
戻れる入口。
その言葉で、板の前にいた子が小さくうなずいた。
入口は、入るためだけの場所だと思っていた。でも、戻れると分かっている入口は入りやすい。入ったら最後、楽しそうにしなければならない。買わなければならない。話さなければならない。そう思うと、入口は門ではなく罠になる。
戻れるなら、門に戻る。
三枚目の返事は、少し実務寄りだった。文化祭のパンフレットの裏に書かれている。
【返事】
全部回れない日は、「入口を三つだけ」にする。
①今いる場所から近い入口
②人が少ない入口
③あとで戻りたい入口
全部を逃さないのは無理。
でも、三つ入口を選べば、文化祭は始まります。
追伸:全部入れない日も、ひとつ入れたら当日です。
ひとつ入れたら当日。
それは当たり前のようで、かなり救いだった。
文化祭当日は、全部を楽しむ人が強く見える。パンフレットに丸をつけて、友だちと回って、写真を撮って、食べて、笑って、次へ行く人。そういう人は、文化祭の扱いが上手そうに見える。
けれど、ひとつの入口で止まる人もいる。
その人にも、当日は来ている。
受付の仮係は、深呼吸をした。
最初の来場者は、知らない大人だった。たぶん誰かの保護者。校内の案内図を見ながら、少しきょろきょろしている。
受付係は、パンフレットを持ち上げた。
「こんにちは、パンフレットどうぞ」
言えた。
声は少し高かった。けれど出た。
大人は「ありがとう」と受け取った。
それだけだった。
それだけで、一人目が通った。
入口は爆発しなかった。
次に来たのは、小学生くらいの子を連れた人だった。小さい子は入口の赤い紙を見上げている。赤と青の飾りが少し揺れて、朝の光を拾っていた。
「ここ、何をやってるんですか?」
来た。
質問だ。
受付係の頭の中で、決めていた言葉が少し散った。
何をやってる。
何を。
説明。企画名。中の流れ。注意事項。混雑時。質問は箱へ。どこまで言う。どこまで言えばいい。
短い負けだった。
手の中のパンフレットが少し曲がる。
でも、負けたまま固まらなかった。
「確認します。えっと、ここは展示と、短い体験です。詳しくは中の係に聞いてもらって大丈夫です」
完璧ではない。
けれど、大人は「分かりました」と言った。小さい子は「赤い」と言った。赤い、だけで入口が一つ仕事をした気がした。
受付係は、心の中で小さく丸をつけた。
確認します。
使えた。
廊下の反対側では、入口で止まっていた子がいた。
行きたい教室はある。
友だちが「あとで行こう」と言っていた場所だ。でも、その友だちはまだ来ていない。先に見ておいてもいい。いいはずなのに、入口の前に立つと足が重くなった。
中は少し見える。
見えるから怖い。知らない人の背中。机の配置。受付の人。壁の飾り。笑い声。全部がもう始まっている。自分だけ、開始のタイミングを逃したように見える。
その子は、応援ポストの返事を思い出した。
入口の貼り紙だけ読む。
中を一秒だけ見る。
受付に「見てもいいですか」と聞く。
合わなければ一回離れる。
最初から入らなくていい。
貼り紙だけ読む。
【本日の展示】
手順で助かったもの展
星の修理コーナー
聞く箱のしくみ
入口の色、赤と青
変な展示だった。
いや、文化祭の展示はだいたい少し変だ。変でいい。変だから、少し入りやすいこともある。
中を一秒だけ見る。
一秒は短い。
でも、一秒見ると、入口の近くに「見るだけOK」と書かれた紙があるのが分かった。
見るだけOK。
その五文字は、強かった。
その子は受付に言った。
「見るだけでもいいですか」
「大丈夫です。見るだけOKです」
返事は、すぐ来た。
中に入った。
一歩だけ。
入ってみると、さっき外から見えていた背中は、ただ展示を見ている人の背中だった。知らない人ではある。けれど、敵ではない。笑い声も、自分を置いていく音ではなく、紙コップ保護の競技結果を見た誰かの笑いだった。
黒板の端には、こう書かれていた。
【本日の競技結果】
紙コップ保護:勝ち
箱の名札貼り:勝ち
廊下を走らない:だいたい勝ち
休憩係:仮採用
その子は、少し笑った。
入口を一つ越えた。
全部はまだ分からない。でも、一つ越えた。
大学の掲示板でも、入口の話が広がっていた。
【HELP】
友人に誘われた展示が三つあります。
全部行ける気がしません。
ひとつ選ぶと、ほかを断ったみたいでしんどいです。
どこから入ればいいか決められません。
返事は短かった。
【返事】
誘われた入口が多い日は、順番ではなく「戻れる言葉」を先に作る。
「今日は一つだけ見て、あとで感想を聞かせて」
「途中で抜けるかも」
「全部は無理だけど、ここから行く」
断るではなく、入口を減らす。
追伸:行けない入口にも、あとで聞く窓を残せます。
あとで聞く窓。
その言い方は、文化祭の午後に少し合っていた。
行けなかった企画は、完全に消えるわけではない。誰かの感想で聞ける。写真で見られる。片付けのときに残りを触れる。全部をその場で体験できなくても、あとで窓を開けることはできる。
昼過ぎ、入口の混雑が一度増えた。
パンフレットを持った人が立ち止まる。
友だちを待つ人が入口の前に固まる。
中から出る人と、外から入る人がぶつかりそうになる。
「入口、詰まってる」
「入口が入口じゃなくなってる」
「人だまり」
「どうする?」
実行委員が、少し焦った顔をした。
走らない。
前回決めた言葉が、ここで戻ってきた。
急いでいる気分と、急ぐ必要は別。
入口は急いで解決しようとすると、さらに詰まる。
受付係が、聞く箱の横にあった紙を一枚取った。
【入口用】
入る人:右
出る人:左
待つ人:壁側
昨日までの名札貼りが、当日の導線になった。
紙を貼る。
声を出す。
「入る人は右、出る人は左でお願いします。待つ人は壁側で大丈夫です」
大丈夫です、まで言えたのがよかった。
命令だけだと角が立つ。大丈夫です、がつくと、少し床が柔らかくなる。
人の流れが、少しだけほどけた。
完璧ではない。
でも、ぶつからなくなった。
廊下の端に、休憩係の札をつけた子が立っていた。仮採用だった係が、当日も仮のまま生きている。手には紙コップと小さい水筒。競技名がそのまま仕事になったような姿だった。
「受付、一回水」
「今?」
「今。声、細くなってる」
受付係は、言われて初めて喉の乾きに気づいた。
「でも人が」
「二分だけ代わる」
「受付できる?」
「こんにちは、パンフレットどうぞ、だけなら」
休憩係が受付に入った。
少しぎこちなかった。でも、パンフレットは渡せた。
文化祭の係は、本決定でなくても、仮のまま支え合うことがある。
二分の水は、思ったより効いた。水を飲むと、入口の音が少し下がる。人の声、紙の音、足音、笑い声。全部が大きかったことに、飲んでから気づく。
午後、応援ポストにTHANKSが貼られた。
【THANKS】
受付で固まりました。
でも「こんにちは、パンフレットどうぞ」は言えました。
質問されたときも「確認します」が使えました。
入口が完璧な説明所じゃなくていい、が助かりました。
その下に、別のTHANKS。
【THANKS】
入りたい教室の前で止まりました。
貼り紙だけ読んで、中を一秒だけ見て、「見るだけでもいいですか」と聞きました。
見るだけOKと言われて、一歩だけ入れました。
入ったら、紙コップ保護が勝っていて笑いました。
さらに、来場者らしい字のTHANKSもあった。
【THANKS】
入口が分かりやすかったです。
赤が見えて、近くに来たら青が見えました。
「入る人は右、出る人は左」も助かりました。
待つ場所があると、入口で邪魔になってない気がしました。
待つ場所がある。
それは、入口にとって大事だった。
入る人だけではない。出る人だけでもない。まだ入らない人、誰かを待つ人、迷っている人、戻る人。入口には、そういう人たちも来る。だから入口には、流れる道と、立ち止まる場所の両方がいる。
最後に、白い返事が一枚増えた。
【返事】
入口が多い日は、全部の入口を正しく使わなくていい。
入る入口。
戻る入口。
見るだけの入口。
待つ入口。
聞く入口。
あとで感想を聞く入口。
文化祭当日は、楽しむ人だけの日ではありません。
入り方を探している人も、もう当日の中にいます。
追伸:入口で迷った時間も、文化祭の外ではなく、ちゃんと文化祭の一部です。
文化祭の一部。
その一文を読んで、入口で一度戻った子が、もう一度前を見た。
戻った時間も無駄ではなかった。見るだけも、待つだけも、聞くだけも、当日の外ではない。入口にいるだけで、当日に触れている。
夕方に近づくと、入口の赤と青の紙は少し疲れていた。
端が一箇所だけ浮いている。
誰かが透明テープで直した。
「また紙、鳴ってる」
「前夜ほどじゃない」
「今日は入口の音」
「入口にも音あるんだ」
「ある。人が来る音」
廊下には、朝よりたくさんの足音があった。
入る人。
出る人。
待つ人。
戻る人。
もう一度来る人。
見るだけの人。
質問する人。
水を飲む受付係。
紙コップを守る休憩係。
壁側で友だちを待ちながら、パンフレットの端を折らないように持っている人。
入口は、ひとつではなかった。
でも、多すぎて壊れたわけでもなかった。
赤と青の飾りの下で、誰かが言った。
「ここ、入っていいですか」
受付係は、少し笑って答えた。
「はい。見るだけでも大丈夫です」
見るだけでも大丈夫。
その言葉が、今日の入口を少し広くした。
文化祭当日は、まだ続く。
中には、迷う人もいるだろう。出る場所が分からなくなる人もいるだろう。友だちと離れる人も、戻りたい教室を見失う人もいるかもしれない。
でも今は、入口が一つ、ちゃんと開いている。
それなら、今日の前半はこれでいい。
追伸:入口は、入る人だけでなく、迷って立つ人のためにも開いている。
頑張る人ほど、追伸に救われる。
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