13話 軽トラの助手席

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/13 📚 シリーズ: 風待町シリーズ ~寺~ 📝 2,550文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

風待町シリーズ ~寺~ - 13話 軽トラの助手席

本文

軽トラの助手席は、日向に置くと少しぬるい。

 山門をくぐってきた車が車庫の前で止まり、志波恒一が運転席から降りた時、志波湊が最初に見たのはそこだった。ドアが半分だけ開いていて、助手席のビニールの面が夕方の光を受けている。つるっとして、少しだけ沈みそうで、何より高さがちょうどよさそうに見えた。

 湊はすぐに駆け寄った。

「のる」

 言うのが早い。

 恒一は荷台のほうへ手をかけながら、振り返りもせずに返す。

「まだ降ろしてへん」

「のる」

「同じことを二回言うても、軽トラは増えんよ」

 増えないが、湊はもう助手席のドアに手をかけていた。金具がかちゃりと鳴る。指先へ伝わる冷たさは少しだけで、すぐ下のビニールのぬるい手触りのほうが勝った。

「これ、いい」

「見れば分かる」

 声がしたのは後ろからだった。智明が庫裏のほうから出てきて、軽トラと湊を見た瞬間、だいたい話を読んだ顔になる。

「何してる」

「助手席です」

 湊が答える。

「見れば分かる。そうじゃなくて、何でそこへ行く」

「のる」

「だめだ」

 早かった。けれど湊も早い。もう片足をステップへ乗せている。犬がその横で前足をかけ、どっちが先かみたいな顔で見上げていた。

 恒一がようやく荷台から手を離す。

「止まっとるし、ええやろ」

「よくない」

「動かん」

「そういう話じゃない」

 智明が言っているあいだに、湊は助手席へ半分入りこんだ。座る、というよりは、収まった、に近い。ビニールの面へお尻が落ちて、靴底がステップへこつんと当たる。座面の端に置かれていた軍手がずれて、ドアポケットの古い手ぬぐいが少し見えた。

 ひななら「何で家のものがそこにあるんですか」と言いそうな並びだった。智明も似たような顔をした。

「だから、もう家の置き場にするなって言ってるだろ」

 たしかに助手席には、軍手と手ぬぐいのほかに、空になった紙袋まで押しこんである。荷台へ積むほどではない、でも外へ置きっぱなしにもしたくないものが、しれっと寄っている。

 湊はそれを別に変だと思っていない顔で、助手席の前を見た。

「いい」

「何が」

「ここ」

 短い。けれど湊の中では十分だったらしい。高い。ぬるい。正面が広い。犬が見える。門も見える。家なのに少し違う。そういうもの全部をまとめて「いい」で済ませている顔だった。

 犬が下から前足をもう一度かける。助手席の端へ鼻先を伸ばし、湊の膝を嗅いで、それからビニールの匂いを嗅ぐ。

「犬まで乗る気か」

 智明が言う。

「こいつも、ええ席やと思っとるんやろ」

 恒一が笑う。

「笑いごとじゃない」

 そう言いながらも、智明は先に犬を下ろした。首輪はないので、胸の前へ手を入れて押し戻すだけだ。犬は素直に降りる。素直に降りるぶんだけ、余計に面倒だった。

「湊、降りろ」

「まだ」

「まだ、じゃない」

「のってる」

「見れば分かる」

 そこで恒一が吹き出した。智明の眉が少し寄る。湊は助手席の前の取っ手へ手をかけて、しっかり収まる姿勢になっている。もう乗る前の顔ではなく、乗っている顔だった。

 茶の間から、湯のみを置く音がした。こ、と小さい音。たぶん文江か美琴だろう。家の中はもう夕方の流れに入っているのに、車庫の前だけが少し引っかかっていた。

「湊」

 智明が言う。

「軽トラは席じゃない」

「席ある」

「あるけど、そういう意味じゃない」

「でも、座る」

「座るな」

「座ってる」

 言い返しの速さだけで、もう半分負けている。恒一はそこで口を挟まず、荷台の端へもたれて様子を見ていた。最初に動かした人間ほど、途中で手を引く顔をする。

 湊は助手席のビニールを掌でなでた。

「つるつる」

 その一言で、智明は少し黙った。触ったのだろう。たしかに、日向の助手席は少しぬるくて、つるつるしている。軽トラそのものの話ではなく、そういう手触りの話へ行かれると、止める言葉が少し細くなる。

「……動く時はだめだぞ」

 先に出たのが、その線だった。

 湊はすぐに顔を上げる。

「じゃあ、とまる」

「止まってる時だけでも、勝手に乗るな」

「のっていい?」

「聞くな」

「だめ?」

「今は、降りろ」

 そこだけは戻した。戻したが、きれいには勝てない。湊は少し考えてから、ようやく助手席から降りた。靴底がステップへ触れて、こつ。次に地面へ降りて、砂利がしゃり、と鳴る。

 犬がその空いた席を見た。

「おまえもだめ」

 智明が先に言うと、犬は耳だけ動かした。

 そのあと、茶の間へ入っても話は少し続いた。卓の端に湯のみが三つ並び、台所から味噌の匂いが来る。湊は座布団へ座ったまま、まだ助手席のほうを見ている顔だった。見ていないのに見ている時の顔だ。

「そんなに良かったか」

 智明が聞く。

「いい」

「何がいい」

「高い」

「それだけか」

「つるつる」

 それも足された。

 恒一が湯のみを持つ。

「前、見えるしな」

「だから乗せるなって言ってる」

「乗せるいうても、今は家の前や」

「そこがだめなんだよ」

 智明は言って、少しだけ疲れた顔になる。軽トラが家の前にあるから、家のものみたいに扱われる。助手席へ軍手が入り、手ぬぐいが入り、紙袋が入り、子どもが乗りたがる。そういう混ざり方が嫌なのだろう。嫌なのは分かるが、もう混ざり始めてもいる。

 台所から美琴が声をかけた。

「ごはん前に荷台のだけ下ろしてくださいね」

「ほら」

 智明がすぐに言う。

「車は仕事だ」

「うん」

 湊はうなずいた。

「でも、助手席」

「切るな」

 そこで恒一がまた笑う。いつもの揉め方だった。大きくならない。けれど収まりもしない。家の真ん中で、少しだけ転がり続ける。

 夕飯のあと、外はもう少し暗くなった。軽トラのドアは閉まり、車庫の前は昼より静かだ。智明は最後に車の鍵を持って台所へ入った。流しの横、小さい器の並ぶ端へ、鍵を置く。

 こと。

 金属が器に当たる、小さく硬い音だった。

 湊がその音で振り向く。

「かぎ」

「そうだ」

「またのる」

「乗らない」

「また」

「だめだ」

 すぐ返ってくる。

 智明は器の中の鍵を一度だけ見た。小さい器へ入ると、軽トラの鍵まで家のものみたいな顔になる。それがまた少し気に入らないらしく、指先で向きを直す。

「置き場まで決まってきたな」

 恒一が後ろから言う。

「決めてない」

「決まっとる」

「決めてない」

 同じやり取りのまま、台所の灯りが鍵へ落ちる。小さい器の底で、金属がもう一度だけ、かすかに鳴った。

 誰もまだ、その鍵を奥へしまわなかった。

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