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据え膳と氷姫

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/17 📚 シリーズ: ブリムストーンと、執事の少女。 📝 1,872文字 ✅ 全年齢

あらすじ

ブリムストーンと、執事の少女。 - 据え膳と氷姫

本文

「箱の大きさは」

「え……?」

「その荷馬車の箱だ。酒樽くらいか。それとも、簞笥くらいか」

「……簞笥、くらいだって。なんで、そんなこと」

「ん」

 ――またか。

 ヴィンセントは、腹の底が冷えていくのを感じる。またぞろ、番号を欲しがる連中が動いている。市の帰り。ふっつり。港。簞笥ほどの箱。――繋がる。嫌なほど、きれいに繋がりやがる。

 昨夜吊るしたあの豚は、しょせん買い手のひとりだ。買い手を狩ったところで、仕入れる者がいるかぎり、檻は空かない。──だが、その先にいる「頭」の顔だけは、まだ、誰にも言わない。確信が刃になるまでは、鞘の中だ。

 主は懐から銀貨を掴み出し、節くれだった大きな手で、女の細い手を包むように握らせた。今度は、笑わなかった。

「必ず、家に灯りを点けとけ。夜は、消すな」

「灯り……?」

「子供ってのは、灯りを目印に帰るもんだ」

「……帰って、くるのかい」

「掃除屋に、心当たりがある。任せとけ」

「そうじ、や……?」

「ゴルモアの夜間清掃業。……昔からある稼業だよ」

 ――ああ。この人は、もう嗅ぎ当てている。

 番号で呼ばれ始めた子供たちが、この街のどこで箱に詰められているのかを。そうクロエが胸の内で確信したとき──

 しなを作った女が、主の膝に、ぽすんと腰を落とした。

 娼館の女だった。紅い唇が、主の無精髭に触れそうな距離まで寄った。

「旦那ぁ、久しぶりぃ。今夜、上に来てくれる? あたし、ずっと待ってたのよぉ」

「おうおう、そう急かすな。据え膳は冷めてからが乙って言うだろ」

「言わないわよそんなの!」

「言うんだよ、通の間ではな」

「どこの通よ!」

「主に俺の間で」

「一人じゃないの、それ!」

 主が、へらへらと鼻の下を伸ばす。

 つい今しがた、子を攫われた母に「灯りを消すな」と告げた、その同じ喉で。──男の中では、この二つは矛盾しない。悲しみを数えた口で、次の瞬間には軽口を叩く。

 そうやって釣り合いを取らねば、この稼業は八年も続かない。重いものばかり抱えていたら、とっくに霧の底へ沈んでいる。だから、笑う。へらへらと、しまりなく。

 ……それが、この女たちにとっても、いっとき息のつける相手であることも、まあ、都合のいい言い訳のうちだ。

 ――が。

 クロエ・アルジェント、十三歳の内側で、何かが、ぎゅうと音を立てた。

 ……なんだ、あの、だらしのない顔は。

 気づけば少女は、白手袋の指を固く組んでいた。爪が掌に食い込む。理由は、ない。強いて挙げるなら、業務効率の問題だった。ここで油を売られては午餐会に遅れる。そう、これは時間の問題だ。

 断じて、それ以外の、名前のつかない何かではない。──と、彼女は懸命に自分へ言い聞かせた。言い聞かせるほどに、頬の裏が、じわりと熱くなっていくのが、我ながら業腹だった。

「ご主人様」

 その声は、我ながら、氷のように尖った。

「据え膳が冷める前に、午餐会が冷めます。お立ちください」

「お、おう……? まだ時間は」

「ありません。道が混みます」

「この街で馬車が混むのは夕方だろ」

「本日は特別に混みます。私の見立てでは」

「執事の見立てに天気予報まで入ってたか?」

「入っております。本日の灰路地は、これより急速に冷え込みます」

「……もう冷えてる気がするなあ、なんでかなあ」

 女がびくりと少女を見て、そそくさと膝から退いた。主は困ったように頭を掻く。

「……こわ。うちの執事、氷でできてんのか」

「氷で結構です。あなたの据え膳を冷やすには、ちょうどよろしいかと」

 ひゅう、と口笛が飛んだ。酒場のどこかから。

 主は銀貨をもう一枚カウンターに置き、女の手にそっと握らせた。

「悪いな。今日は氷に連れ戻される。取っとけ」

「……旦那って、ほんと、変な金持ちよね」

「よく言われる」

 女の顔から作り笑いが消えて、ただの、疲れた娘の顔になった。彼女もまた、この人の「相談事」の一人なのかもしれない。そう思い至って、クロエは自分の尖った声が、急に恥ずかしくなった。頬の裏が、じわりと熱い。

 ……いや。恥ずかしくなど、ない。執事たる者、感情を面に出してはならぬのだ。

「行くぞ、氷姫」

「クロエ、と申します」

「知ってる。ベーコン、夜は多めな」

「――却下です」

「昼の交渉では一枚半まで行ったろ」

「あれは朝食の交渉です。夕食は白紙からです」

「じゃあ三枚からだな」

「白紙と申し上げました! 積み増してどうするのですか!」

 路地を出る大きな背中を、酒場じゅうの「またな旦那」が追いかけてくる。

 下町の英雄。気の良い旦那。膿を数える聞き役。そして、女にでれでれの、しょうもない中年。

 全部、この男の顔だ。全部が嘘で、全部が本当である。

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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