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午餐会の蛇

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/18 📚 シリーズ: ブリムストーンと、執事の少女。 📝 1,872文字 ✅ 全年齢

あらすじ

ブリムストーンと、執事の少女。 - 午餐会の蛇

本文

――そのどれを見ても胸がざわつく自分の名前を、少女はまだ、知らないふりをしていた。

 クロエは三歩後ろで、まだ固く組んだままだった指を、そっとほどいた。

 中央議会の大広間は、ゴルモアの縮図だ。

 天井には値の張る魔力灯の群晶。テーブルには一皿で庶民の月収が消える料理。そして着飾った紳士淑女の九割が、笑顔の下に刃物を隠していた。灰路地の腹の底からの笑いを聞いてきたばかりの目には、この広間の笑顔は、どれも上等な仮面にしか見えない。

 クロエは給仕の位置に控え、白手袋の指を組んで、主の「仕事」を見守っていた。

「これはこれはアシュレイ卿。本日は、まだ酒瓶をお持ちでない」

「やあ、議員どの。安心してくれ、いま取りに行くところだ」

「はっはっは。感心しませんな、昼から」

「昼から飲まない酒飲みなんて、信用ならんだろう」

「では夜は?」

「無論、飲む」

「朝は?」

「迎え酒という文化がある」

 どっと、下卑た笑いが起きる。

 ヴィンセントは葡萄酒の杯を掲げ、へらりと笑ってみせた。ボタンをひとつ余分に外したシャツ。計算された無精髭。だらしなく、しかし決して不快になりすぎない、絶妙な「穀潰し」の調合だった。この配合を、この男は二十年かけて煮詰めてきた。

 ――道化ってのは、と本人は思っている。案外、繊細な芸なんだぜ。濃すぎりゃ警戒される。薄すぎりゃ舐められる。ちょうど「見くびって油断する」濃度に、毎度、合わせにいく。

「時にアシュレイ卿、御社の魔石鉱区の件ですがな。管理をわがドレイク商会に委ねる気はありませんかな? ほれ、あなたは数字がお得意でない」

「んー、数字なあ。二日酔いの日は、二重に見えて困る」

「はっはっは! では契約書も二枚に見えますかな!」

「二枚あったら、そりゃ偽造だろう」

 笑いの中に、一瞬だけ、氷が落ちた。

 ドレイク議員の頬が引き攣る。先月この男が鉱区の帳簿を「二枚」作っていたことを、クロエは知っている。もちろん、主も。

「……ご、ご冗談が、お上手だ」

「冗談は俺の本業でね。会社のほうが副業だ」

「は、はは……。しかし卿、鉱区の管理は真面目な話ですぞ。餅は餅屋と申しますでな」

「そうだなあ。じゃあ帳簿は帳簿屋に頼むか」

「……と、申されますと」

「いや、なに。うちの経理が言うんだ。よその帳簿ってのは、二冊読み比べると面白いんだと」

 ドレイク議員の額に、うっすらと汗が浮いた。

「……本日は、良い午餐ですな」

「ああ。良い午餐だ」

 議員は笑いに紛れて、そそくさと離れていった。酔漢の軽口の皮を被せて、牽制と恫喝を同時に置いていく。誰も気づかない。気づいているのは、この広間でただ一人だった。

 主は空の杯をひらひら振り、給仕を探すふりをしながら、隣の商工卿へすっと身を寄せた。

「時に卿。近ごろ港の景気はどうだい」

「おや、アシュレイ卿が景気の話とは。明日は雪ですかな」

「うちの下働きの小僧が、夜中に妙な荷馬車をよく見るってんでね。箱をしこたま積んで、倉のほうへ」

「……はて。荷なら、いくらでも動きましょう」

「そりゃそうだ。ただ、その箱がねえ――たまに、泣くらしい」

 商工卿の杯が、止まった。

 葡萄酒の水面が、細かく揺れている。

「……アシュレイ卿。その手の話は、口になさらぬが賢明ですぞ」

「ほう。なぜだい」

「なぜ、とは」

「箱が泣くだけだろう。猫でも入ってるんじゃないのか」

「猫なら、よろしいのですがな」

「猫じゃないのか」

「……あれには、『上』がついておる」

「上? 倉の二階か」

「戯けたふりはおやめなさい」

 商工卿の声が、初めて低くなった。

「深追いした荷役の親方が、先月ひとり、港に浮きましてな。猫の詮索をした廉で、人が浮くのですぞ。――さ、良い葡萄酒だ。飲みましょうや」

 商工卿は逃げるように杯を干し、人垣へ紛れた。

 ――『上』、ね。

 ヴィンセントは、へらへらとした表情の裏で、静かに一枚、駒を進める。誰も名を口にせず、口にした者は港に浮く。番号で呼ばれる子供の商いには、この着飾った蛇の巣の、さらに奥に、頭がいる。

 今宵ここへ来た理由は、酒でも減税でもない。この一言を、蛇の口から引き出すためだ。――頭の見当は、ついている。ついてはいるが、口には出さねえ。まだ、証がねえ。

 それに、こいつだけは……こいつの正体だけは、間違えるわけにいかねえんだ。間違えたときに焼くのは、罪じゃなく、この街の希望そのものになる。

 その、主の思惟を断ち切るように――

「――相変わらずですな、ヴィンセント君は」

 穏やかな声が、広間の空気を変えた。

 人垣が、自然に割れる。白銀の長衣。聖者めいた白髯。杖の頭には、この都市の紋章たる七芒の魔石。

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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