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南倉の名簿

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/20 📚 シリーズ: ブリムストーンと、執事の少女。 📝 1,951文字 ✅ 全年齢

あらすじ

ブリムストーンと、執事の少女。 - 南倉の名簿

本文

細い指が、地図の上を滑る。印が、いくつか光った。

「いずれも、港方向への荷馬車の通り道に重なっています。目撃証言と照合しました。夜明け前に南倉へ向かう荷馬車、目撃七件。積荷の箱の大きさは、全件で証言が一致しています」

「簞笥ほど」

「ひとり、ちょうど入る大きさです」

声に感情はなかった。感情を乗せないと、最初から決めていた。乗せたら、指が止まる。指が止まれば、この人の帰り道に石ころが残る。だから、声は平坦に保つ。それが、今の自分にできる最善だ。

「南倉の賃借契約者を、商工記録と照合しました。名義は貿易商の紙会社――実体がありません。名義の洗浄は三重。誰かが、素性を隠すことに金を惜しんでいません」

一枚の紙が、卓上に置かれた。

「分かっているのは、倉が生きていることだけです。搬入の記録が、判明分で七件。バルトロメイ子爵の取引日と、三件一致しています」

男は、その紙を静かに見た。

「……名無しの倉、か」

「はい」

「……買い手を狩っても、売り手がいる限り、檻は空かない」

「はい」

「なら次は、倉だ。……子供らを出して、帳簿を頂く。売り手の名前は、倉がいちばんよく知ってる」

ヴィンセントは立ち上がり、窓の外へ目を向けた。ガス灯の光が霧の中で滲んでいる。

「『上』の話は」

「商工卿の証言と、港に浮いた荷役の親方の件。どちらも、この倉の元締めの、さらに上に指図する者がいることを示唆しています」

「名前は」

「出ません。誰も口にしない。口にした者は、浮きます」

短い沈黙が落ちた。

――その上が誰かは、もう見当がついている。ついているが、声に出さない。証がなければ、刃にならない。そして、その名だけは、どうしても間違えるわけにいかない。間違えた日に焼くのは、罪じゃなく、この街そのものを焼くことになりかねない。

「攫われた子の数は」

「界隈の届けと搬入記録の照合で、判明分は十六名です。倉の中に何人残っているかは──」

「名前は」

少女は、もう一枚の紙を置いた。十六の名前が、一行ずつ並んでいる。

さらわれた子どもたちは名前を奪われ番号で呼ばれることになる。商品として。

「揃えてあります。十六名ぶん、全員」

「ん」

男は紙を手に取らなかった。ただ、じっと、一行一行を目で辿った。唇は動かない。声には出さない。それでも、その目が、一つずつ名前を拾っていくことは、隣に立つ少女だけが知っていた。

必ず取り戻す、俺が。

それが、この男の決まりだ。名前は覚える。迎えに行くための名になるか、地獄で読み上げてやるための名になるか――どちらになるかは、倉の扉を開けるまで分からない。どちらでも、覚える。それだけは、誰にも譲らない。

「夜に出る」

「はい。装備の確認をします」

「倉の間取りは」

「もう引いてあります」

「……さすがだな」

「当然のことをしたまでです」

男は少し笑って、作戦室の灯りの下へと歩いていった。ワイヤーの糸巻きを手に取り、作業台へと向かう。

クロエは卓上の紙を、静かに揃え直した。

十六という数を、この人はもう胸の底に刻んだ。刻んで、覚えて、そして夜が来たら、迎えに行く。ひとりで。何も言わずに。

「次」は、もう決まった。

長い夜が始まる。

アシュレイ邸の地下三階。ワインセラーの奥、銀の懐中時計をかざした者にだけ開く隔壁の先に、その部屋はある。

作戦室。祖父セバスチャンが設計し、父レナードが使い、いまクロエ・アルジェントが引き継いだ場所だ。壁一面の水晶球群。魔導回線の束。武具架には漆黒のコートと、糸巻きに収まった魔導ワイヤーが七対。

そして作業台の前には、昼間とは別人の男がいた。

「……三番のワイヤー、巻き上げ機構の応答が二遅い。張り替える」

「先週替えたばかりですが」

「二は、死ぬ数字だ」

「僅か二秒で、ですか」

「二秒あれば、杖持ちは短縮詠唱を三音まで唱える。三音ありゃ火が出る。火が出りゃ、俺は焼き豚だ」

「……昼にあれだけ豚の話をなさったのは、ご自分の未来のことでしたか」

「うまいこと言うな。減らすぞ、ベーコン」

「張り替え、お手伝いします」

袖をまくった太い腕が、糸巻きを外し、分解し、油を差し、組み直していく。一切の無駄がない。酔漢の千鳥足はどこにもなく、指先だけで生きてきた男の、静かで精密な手つきだけがあった。節くれだった大きな手が、髪ほどの太さの機構を、狂いなく組み上げていく。

――二秒。

ヴィンセントは油の匂いの中で、その数字を胸の内で転がす。八年前、その二秒が埋められなかった。埋められていれば、あの雨の夜、赤銅色の髪の男は死なずに済んだ。

以来この男は、道具の遅れを、一秒たりとも許さない。許せば、また誰かが死ぬ。──もう、あの手触りは、たくさんだ。掌が、覚えている。冷たくなっていく、相棒の背中の重さを。

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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