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南の倉、十九の名

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/22 📚 シリーズ: ブリムストーンと、執事の少女。 📝 3,174文字 ✅ 全年齢

あらすじ

ブリムストーンと、執事の少女。 - 南の倉、二十三の名

本文

「対象区画に到達。……作戦を、開始します」

南倉地帯。ゴルモア港のはずれに並ぶ古い石造りの倉は、夜になれば人気が絶える。

波の匂いと、機械油と、かすかに腐った何かの匂い。ヴィンセントは煙突の影で動きを止め、魔導ワイヤーのテンションを確かめた。

『対象倉、外壁に感知結界あり。南側の第三窓、結界に穴があります。通過できます』

通信環の向こうで、クロエの声が静かに言った。

「穴の大きさは」

『あなたの肩幅より二指ぶん広い』

「ぎりぎりだな」

『ぎりぎりで問題ありません。肩を入れてから、息を吐いてください』

「通ったことあるのか、お前」

『計算上の話です』

男は苦い顔をして、南側へ回った。

§ § §

倉の内部は暗かった。

魔力灯が間引かれ、床に細い光の筋だけが伸びている。高い天井に木の桁が何本も渡り、積まれた大箱の影が闇をつくっていた。箱は、全て同じ大きさだ。簞笥ほどの。

ヴィンセントは箱の間を縫うように進んだ。黒鉄の面の下で、鼻が何かを拾う。

――木くずと、油と、かすかに、洗っていない子供の匂い。

箱に手をかけたとき、通信環が震えた。

『……主。奥の区画、扉が九つあります。全て、外側から鍵がかかっています。番号が書いてあります』

「番号」

男は一言だけ言い、それ以上は言わなかった。

「先に行く」

『はい。お気をつけて』

奥の区画へ向けて、床を流れる。影が、影のように動く。

──そのとき。

「──ネズミか」

声は、頭上から降ってきた。

「主! 番人ですッ!」

警告と同時に跳んでいたのは反射だった。直後に、ヴィンセントが立っていた場所の石床が、白く弾けた。熱が頬を舐める。

火だ。

「速い」

桁の上に人影があった。全身を黒い法衣で包み、手の甲から前腕にかけて刺青が走っている。

わざわざ声をあげたということは、己の技に絶対の自信があるのだろう。

詠唱が、なかった。

無詠唱のスキル持ちなのかも知れない。

「…………」

――いや違う。

ヴィンセントは、その事実を一瞬で処理した。詠唱なし。僅かに動かした指の動きだけで術式を起動している。入れ墨に魔術回路が刻まれているということだ、発動時間は。

「二秒か」

黒法衣が、首を傾けた。

「何を言っている?」

「お前が術式を起動してから、火が出るまで、二秒だ」

また光が走った。今度は左から。横に転がりながら、ヴィンセントはワイヤーを天井の桁へ打ち込んだ。巻き上げと同時に、火球が床を抉る。

『……速い。今の術者、通常の五倍以上の速度です』

「分かってる」

『正面では無理です』

「分かってる」

『逃げてください』

「分かってる、分かってるから、少し静かにしてくれ」

切り札を切るべきか?

いや、この先何が待ち受けているかがまだわからない。

切り札は切れない。

桁の上を走った。黒法衣が追ってくる。術式の光が連続して瞬く。ヴィンセントは桁から桁へ、予測不能な経路で跳び続けた。直線に動くな。直線は死ぬ。それだけは、二十年前に叩き込まれた。

問題は、このまま動き続けても埒が明かないことだ。奥の区画には近づけない。子供たちは、あの扉の向こうにいる。

「クロエ」

『はい』

「こいつは入れ墨に術式を刻んでいる。この術式タイプ、光源を失うとどうなる?」

一拍の間があった。

『……刺青型術式回路は、光を触媒にします。暗闇では出力が三割以下に落ちます』

「即時発動も?」

『理論上は。ただ』

「ただ?」

『あなたも見えなくなります』

「それでいい。倉の魔力灯、全部落とせるか」

『結界の内部からは手が出せません。ただ、外側の給電回線なら触れます。……三秒ください』

「頼む」

男は桁の上で、動きを止めた。黒法衣が術式を構える。光が瞬こうとした、その瞬間。

倉の中が、真っ暗になった。

音もなく、全部の灯りが落ちた。

「──なに、を」

詠唱者が、初めて声を揺らした。

ヴィンセントはすでに動いていた。暗闇など、関係ない。地図は頭の中にある。床から桁まで七メートル。桁から奥壁まで十二メートル。黒法衣の位置は、さっきの声で分かる。

ワイヤーが、闇の中を走った。

一条。二条。三条。

「──っ!」

光が散った。術式が途中で乱れて霧消するときの、あの光だ。詠唱者の両腕を、ワイヤーが捕えていた。手首を縫い留め、肘を桁に打ちつけ、指先が術式回路に触れる前に、全部、止める。

「ワイヤーは一・五秒で動く」

闇の中で、男の声だけが落ちた。

「お前の火より、速い」

倉が、しんと静まった。

しばらくして、通信環が震えた。

『……奥区画の結界、外側から緩めました。扉の解錠機構にアクセスできます。……気を失っているだけなので、五分で目が覚めます。急いでください』

「了解」

『どういたしまして』

§ § §

扉が九つ、並んでいた。

全部に、白いペンキで番号が書いてある。雑な字で。

男はその前に立ち、一秒だけ止まった。

「クロエ」

『はい』

「開けるぞ」

『……はい』

最初の扉が、きい、と鳴って開いた。

暗がりの中で、小さな息が聞こえた。息を殺している。怖がっている。

「──来たぞ。怖くない。連れて帰る」

声は、できる限り低く抑えた。あの喉で。子供たちの名前を、ひとりずつ読み上げる、その同じ喉で。

管制卓では、クロエが目を閉じていた。

水晶球の中、九つの扉が順番に開いていくのを、少女は見ていた。見ていた。逸らさなかった。逸らさないと、決めていた。

『……確認します。第一扉、三名。第二扉、二名。第三扉、四名──』

扉は、次々に開いた。そのたび、小さな息と、小さな足音が増えていく。

「第七扉」

男の手が、そこで止まった。

――音が、しない。

息を殺しているのとは、違う。息そのものが、ない。

『……主』

「分かってる」

扉を開けた。

中は暗く、誰も動かなかった。

――何人だ。

数えるのに、時間がかかった。数えたくなかった、というほうが近い。

「……クロエ」

『……はい』

「三だ」

通信の向こうで、短い沈黙が落ちた。それから、消え入りそうな声が答えた。

『……第八扉、第九扉、確認します』

残り二つの扉には、それぞれ子供が息をひそめていた。生きていた。

子供たちの足音が、石床に散らばっていく。ヴィンセントは最後の扉を閉めながら、胸の底で数を数えた。

来るときは十六だった。帰るときの足音は、それより少ない。第七扉のぶんだけ、足音にならなかった者たちがいる。

――番号は、もう要らない。

俺が、名前を拾う。生きている名も、そうでない名も。

扉の並びの奥に、粗末な事務室があった。錠を切り、金庫を開ける。台帳が、三冊。搬入の記録と、売り先と――そして、仕入れ元。

「クロエ。土産だ。読むのは、帰ってからにする」

『はい。……次の、名前ですね』

「ん。……三人ぶん、生きていない名だ。台帳にはない」

沈黙が、また落ちた。

『……本人に聞けないぶんは、記録を洗います。届け出、身元、家族。どこかに必ず、名を呼ぶ誰かがいます』

「頼んだ」

「ん。――帰投する。第四経路」

『確認しました。……生きている子たちを、全員連れて帰ってください』

「ん」

「……第七扉の子たちは」

「俺が運ぶ」

『……はい』

「お体にご無理は」

「聞こえん」

「聞こえておいでのくせに」

霧の夜に、小さな足音がいくつも続いた。

その後ろを、音を立てない男が、音を立てない三つを抱いて歩いた。

今夜のゴルモアは、昨夜より少しだけ軽くなった。

そして、少しだけ重くなった。

どちらも、本当のことだった。

管制卓の少女は、水晶球の中を流れる黒い影と、その後に続くちいさな影たちを、目を逸らさずに数えた。

十六。生きて、歩いて。

三。名前を、まだ持たない。

その三人ぶんの名前を、明日、また掘り起こさなければならない。本人には、もう聞けないから。

それが、今夜の、いちばん重い仕事だった。

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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