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押しかけ初日

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/23 📚 シリーズ: ブリムストーンと、執事の少女。 📝 1,910文字 ✅ 全年齢

あらすじ

ブリムストーンと、執事の少女。 - 押しかけ初日

本文

――半年前の話を、しよう。

 私がまだ、何も知らなかったころの話だ。

「初めまして、ご主人様。本日よりアシュレイ家の筆頭執事を拝命いたしました、クロエ・アルジェントと申します」

 大理石のエントランスホールに、私の声が響いた。

 お仕着せは特注の燕尾服。髪は一糸乱れず、手袋は純白、お辞儀の角度は十五度。姿勢、呼吸、声の張り。どれをとっても、祖父に叩き込まれたとおりの、完璧な仕上がりだったと自負している。

 祖父は、言っていた。

 ――アシュレイのご当主は、儂が生涯でただ一人、心から仕えたいと思った御方だ。

 あの厳格な祖父が、だ。裏社会の交渉術から対魔導戦闘まで、あらゆる技を修めた伝説の執事が、死の床でさえ「良い主だった」と笑った、その人。

 いったいどれほどの傑物なのか。私は胸を高鳴らせて、階段の上を見上げ――

「……ふわぁあ。なんだい、騒々しい。まだ昼じゃないか」

 ――高鳴った胸が、音を立てて凍った。

 階段の上に現れたのは、寝間着姿の、大きな中年男だった。上背はあるのに、背を重たげに丸めて、一段ごとに古い階段を軋ませて降りてくる。伸びた無精髭。

 ぼさぼさの、こめかみに白の混じった髪。はだけた胸元からは酒瓶の首が覗き、歩くたび、ツンと酒精と、その奥にかすかな煙草の匂いが漂ってくる。

「ん? 誰だい、君は。迷子なら警察を――」

「現在時刻は午後一時です」

 声が、自分でも驚くほど平坦になった。

「昼じゃないか、ではありません。とっくに昼です。そして私は迷子ではなく、先代執事セバスチャン・アルジェントの孫にして後任、クロエ・アルジェントです」

「げっ」

 げっ、と言った。この男、いま、げっと言った。

「爺さん、孫は呼ぶなとあれほど……あー、悪いね、お嬢ちゃん。お引き取り願えるかな。うちに執事はもういらないんだ」

「祖父との契約書がございます。アルジェント家は代々――」

「ほら、これ、馬車代。釣りはいいから」

「多すぎます。馬車で大陸を三周できます」

「じゃあ三周してきな。景色がいいぞ、西回りは」

「……ご主人様」

「なんだい」

「私はいま、生まれて初めて、人を張り倒したいという衝動と戦っております」

「執事がそれ言う!?」

 ――これが、私と主の出会いである。

 祖父。天国の祖父。あなたが生涯を捧げた主とは、本当に、このお方で間違いないのですか。棺の中から一度だけ出てきて、ご説明いただきたい。

 その日から、私の「更生計画」が始まった。

 朝は日の出とともに起こす。

「ご主人様、朝です」

「ここに朝は来ない。当家は永世中立の夜だ」

「国際法にそのような夜はありません。起きてください」

 起きない。

 酒瓶は見つけ次第没収する。

「ご主人様。書棚の辞書が、中身だけ酒瓶でした」

「ほう。学のある酒だな」

「没収します」

「待て、それは知識だ。飲む知識だ」

 どこからか無限に湧く。

 執務室の書類は整理して差し上げる。三日で元の混沌に還る。会社の重役会議に送り出す。居眠りして帰ってくる。

「ご主人様。本日の重役会議、また閣下がお眠りになったと伺いましたが」

「いやあ、あの会議室の椅子、出来がよくてなあ」

「椅子のせいにしないでください」

「じゃあ議題のせいだな。数字ばっかりで」

「あなたの会社の決算です!!」

「だから寝たんだ。悪い数字なら起きてた」

「良い決算なら寝ていいという理屈がどこにあるのですか!」

「安心して寝られる会社って、いい会社だと思わないか」

「思いますが!! 総帥が言ってはいけません!!」

 張り合いが、ないわけではなかった。

 この人は怒らないのだ。私がどれだけ辛辣な小言をぶつけても、屋敷を「大魔法で改装いたします」と脅しても、へらへらと受け流すだけで、一度も声を荒らげない。追い出そうとするくせに、夕食の席は毎晩、当然のように二人ぶん用意させる。矛盾した人だった。

 ――そして、妙なことが、いくつかあった。

 どれだけ酒瓶が転がっていても、この人が酔い潰れている姿を、朝以外に見たことがない。

 どれだけだらけていても、掌と指には、剣士のような固い胝がある。

 そして週に幾晩か、屋敷のどこを探しても、主の姿が消える夜がある。

 朝になると、何食わぬ顔でソファに転がっている。ときどき、消毒液の匂いをさせて。

「……昨夜は、どちらに」

「ん? 飲み歩き」

「どちらの店で」

「覚えてないなあ。二日酔いで」

「お戻りは何時ごろでしたか」

「さあなあ。時計も二日酔いで」

「時計は飲みません」

「うちのは飲むんだ。ほら、辞書も飲むし」

「あれはあなたが辞書に酒を隠して――話を逸らさないでください」

 嘘だ、と直感が言った。

 執事の直感ではない。アルジェントの直感だ。祖父に叩き込まれた観察眼が、こんなにも間近で、毎日、警鐘を鳴らし続けている。

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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