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雨の夜、二人の時間

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/27 📚 シリーズ: ブリムストーンと、執事の少女。 📝 1,850文字 ✅ 全年齢

あらすじ

ブリムストーンと、執事の少女。 - 雨の夜、二人の時間

本文

一息に言った。一息に言ってしまわなければ、声が揺れそうだった。

『ん』

「残る六人の名前も、明日までに。必ず」

『……クロエ』

「はい」

『上出来だ』

 短い言葉が、通信の向こうから落ちてきた。それきり、回線は静かになった。

 ――ネリ、と管制卓のヴィンセントは胸の内で繰り返す。

 毎晩三回、か。誰に教わったわけでもなかろうに、この歳で、名前の削られ方と守り方を知っていやがる。……気の強い子は、助かったあとが長いんだ。頼むから、迎えが着くまで、折れてくれるなよ。

 帰り道、クロエは一度だけ足を止めて、夜空を見上げた。

 霧の向こうに、月はない。あの子は今夜も、水の減った暗がりで、自分の名前を三回唱えるのだろう。

 彼女は襟を正し、歩き出した。執事の顔で、小僧の歩幅で。胸の内の帳面に、たしかに一行、書き加えて。

 ――ネリ。十二歳。迎えに行く名前が、ひとつ。

 三日後、雨の夜。

 クロエは管制卓の前で、白手袋を嵌め直した。卓上には三日ぶんの成果が広がっている。結界の構造式。見張りの交代表。搬出路の図面。そして――七つの、名前。

 赤毛の少女は、ネリといった。番号ではなく、ネリ。十二歳。残る六つの名前も、三日かけて、すべて聞き出してある。

「時刻、二十二時。搬出馬車の到着まで、四十分です」

『ん』

「結界は三重。外周の警報式、中層の対侵入式、そして帳場を守る最奥の障壁式。……三十秒ください。外の二枚は、私が黙らせます」

『二十五秒でやれ』

「では二十秒で」

『……その返しは、誰に習った』

「祖父の帳面に。『主の無茶な注文には、上乗せで返す。黙らせるには、それがいちばん早い』と」

『あの爺……墓に文句を言いに行くぞ』

「お供します。ついでに墓前へ、あなたの健診の数値もご報告しましょう」

『それは供えるな』

 指を、回線に走らせる。

 祖父仕込みの解析術式が、倉庫を包む警報の網を撫でていく。網の目をひとつずつ、眠らせていった。破るのではない。破れば気づかれる。網に「何も起きていない」と思い込ませるのだ。魔力の指先で施す、精密な子守唄である。

「――十八秒。外周・中層、沈黙しました。お帰りの道も、お掃除済みです」

『上出来だ』

「二十秒を切りましたので、ベーコンの査定に加点を要求します」

『交渉は帰ってからだ』

 雨音に紛れて、影が跳んだ。

 水晶球の中、倉庫の壁面を黒い流線が駆け上がる。魔導ワイヤーが梁を捉え、巻き上げ機構が唸り、大きな体が明かり取りの窓へと吸い込まれていく。半拍の遅れは、今夜はない。

 雨に濡れた壁を、男は歯を食いしばって登りきった。──こういう夜のために、朝の膝の悲鳴は黙って飲んでおくのだ、と胸の内でひとりごちながら。

 ここからは、二人の時間だった。

「見張り、通路Aに二。手前が魔導薬で酩酊状態、奥は素面です」

『ん』

 ワイヤーが二度、囁いた。二つの影が、声もなく床に沈む。

「右手の扉の先、賭場。八名。全員武装していますが、卓に夢中です」

『通るだけだ』

 黒衣が賭場の天井裏を、埃ひとつ落とさず渡っていく。真下では男たちが札を叩きつけて笑っていた。自分たちの頭上を死神が通過したことを、彼らは一生知らずに終わるのだろう。

「その先、倉庫本室。――檻が、あります」

『見えてる』

 主の声が、半音だけ低くなった。

 水晶球の隅で、赤毛の少女が立ち上がるのが見えた。天井から音もなく降りてきた黒ずくめの怪人を、ネリは真っ向から睨みつけ――両腕を広げて、子供たちの前に立ちはだかる。

 ああ、ほら。やっぱりあなたは、そうする子だ。そうクロエは、胸を締めつけられる思いで見つめた。

 ――嬢ちゃん。そういうとこだよ。

 黒鉄の面の下で、ヴィンセントも同じものを見ていた。刃の前に立つ子供。守るものが自分より小さいと知った瞬間に、恐怖より前に体が動く子。かつて、そういう男を一人、知っている。

 赤銅色の髪をした、人の好い男だった。──だから、こういう子を、化け物は特に丁寧に扱わねばならない。

『……嬢ちゃん』

 面の下から、くぐもった声がした。

『三分だけ、目と耳を塞いでてくれ。ここから先は、子供の見るもんじゃない』

「だ、誰――」

『ただの、掃除屋だ』

「そうじ、や……? あんた、まさか、あたしらを――」

『買いには来てない。それだけは、確かだ』

「……信じると、思う?」

『思わんね。賢い証拠だ』

 言って、主は懐から小さな護符を檻の錠前に貼った。少女の組んだ解錠式が走り、錠が、かたりと落ちる。

『開けたが、まだ出るな。迎えが来る。……いい迎えだ。安心しろ』

「あんたは……どこへ行くのさ」

『掃除の、仕上げだ』

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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