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狂犬の寝ぐら

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/1 📚 シリーズ: ブリムストーンと、執事の少女。 📝 1,990文字 ✅ 全年齢

あらすじ

ブリムストーンと、執事の少女。 - 狂犬の寝ぐら

本文

「なあ店主。その署名入りの殺し、詳しく知らねえか」

「ああ、旦那も気になるかい。噂じゃ、壁だの死体の胸だのに、でかでかと『ガルム』って彫ってあるらしいぜ。ご丁寧に、点数までつけてな」

「点数?」

「殺しの出来栄えを、自分で採点してんだと。『会心』だの『傑作』だの。……頭のネジ、ぶっ飛んでるよ」

 ――名前を誇る殺しか。

 ヴィンセントは杯の中身を見つめたまま、腹の底で吐き捨てる。俺は名も無い名前を、死んでいった側のために読む。あいつは、自分の名前を、殺した側のために書き殴る。同じ「署名」でも、向いてる方角が正反対だ。

「その手の噂に強い伝手、ないか。金は弾む」

「旦那が金弾むってのは、よっぽどだな」

 店主は声を落とし、身を寄せてきた。

「……港の元締めの隠居がいてな。前に旦那が、あすこの賭場の胴元の使い込みを揉み消してやった恩がある」

「ああ、あの帳簿二重にしてた馬鹿か」

「それだ。ありゃもう五年前だが、まだ律儀に恩に着てるよ。訊いてみな」

 この人が「掃除」してきたのは、番号を振られた子供たちだけではない。灰路地の借金取り、賭場のイカサマ、役人の袖の下。この街の膿は、種類を選ばずに、この人の手を汚してきた。今夜もまた、その古い貸し借りの一枚を、使うことになる。

 § § §

 隠居の家で得た伝手を辿り、次に訪ねたのは、質屋の老主人だった。

「ガルムの寝ぐらか。……旦那、あんたにゃ世話になったからな。あの、埠頭裏の帳簿改竄の件」

「あれも五年ぐらい前だったか」

「六年だ。忘れちゃいねえよ、あんたが役人一人挙げてくれたこと」

 老主人は声を潜めた。

「――旧市街の、闘技場跡だ。今はもう誰も近寄らねえ。八年前に潰れた見世物小屋だよ」

「潰れた、というのは」

「賭博と八百長の巣でな。市の高官連中が裏で胴元やって、勝敗を仕込んで賭け金を吸い上げてた。……そこにある夜、掃除屋が踏み込んで、丸ごと潰したって噂だ。以来、誰も使ってねえ」

 ヴィンセントの手が、杯を握る力を、僅かに強めた。

 あの夜だ。汚職の証拠を掴むために踏み込んだ、あの罠にかけられた夜。八年間、忘れたことなど一日もない夜。

「そこに、ガルムが」

「戻ってきたって噂だ。奴にとっちゃ、思い出の舞台なんだろうよ。……昔、あすこで一世一代の仕事をしたって、酔うと自慢げに語る客がいてね」

 ヴィンセントは、それ以上、何も訊かなかった。訊く必要が、なかった。

 § § §

 屋敷に戻ったのは、夜も更けたころだった。

 地下の作戦室では、灯りを絞ったテーブルの上に、見慣れない小さな砥石が置かれていた。ヴィンセントは黙々と、掌に収まるほどの薄い刃を研いでいる。いつもの魔導ワイヤーとは、明らかに違う代物だった。

 クロエが、扉口からその手元を見つめる。ヴィンセントは、研ぐ手を止めないまま、コートも脱がずにいた。

「それを、お使いになるのですか」

「……ああ、相手が相手だ。切り札は仕込んでおくに越したことはない」

 それだけ言うと、刃を布に包み、抽斗の奥へしまい込む。それ以上、訊く隙を与えない仕草だった。

「収穫は、ありましたか」

「……いや、大したことは」

「顔に、書いてあります」

 主は、答えなかった。答えないことが、答えのようなものだった。

「どちらに、あったのですか」

「……お前が知る必要は」

「ご主人様」

 クロエの声は、静かだったが、退く気配がなかった。しばらくの沈黙のあと、ヴィンセントは、観念したように、小さく息を吐いた。

「……旧市街の、闘技場跡だ」

 クロエの息が、止まった。

「潰れた見世物小屋だ。八年前、汚職の証拠を掴もうとして――」

「お父様が……」

「……ああ」

 言ってしまってから、ヴィンセントは、僅かに悔いるような顔をした。言うつもりは、なかった。だが、この娘の目の前で、隠し通せた試しがない。

 少女は、白手袋の下で、指をきつく組んだ。父が死んだ場所。この人が、八年間、一度も口にしなかった場所。その名を、今、初めて知った。

「……ご主人様」

「ん」

「行きましょう」

 ヴィンセントは、へらついた仮面を、ゆっくりと剥がした。

「クロエ。お前は、屋敷に残れ」

「――なぜですか」

「あの晩餐の席で、皿を落としたのは誰だ」

 声を、静かに刺された。クロエは、俯いた。

「お前はもう、あいつの名前を聞いただけで、普段どおりでいられない。そういう奴を、現場には出せん」

「……いつもと変わらず、管制を務めます。現場には出ません」

「管制もだ。今回は、通信も切る」

「――なぜ、そこまで」

「理由は、言わん」

「言わないくせに、顔に書いてあります」

「……うるさい執事だ」

「あなたが分かりやすいだけです。……今度は、私に聞かせたくないものが、向こうにあるのでしょう」

 主は、答えなかった。答えないこと自体が、答えだった。

 クロエの中で、何かが、音を立てて軋んだ。

「私は、ただの使用人ではないつもりです。半年間、それをお示ししてきたつもりでしたが」

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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